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しおりを挟む数日後。とうとう訪れたお嬢様との別れの日。やはり俺は屋敷を出て行くことになり、お嬢様に別れの挨拶をしていた。
お嬢様は最後まで反対していたらしいがこの屋敷の主は大旦那様なのだから、仕方ない話だ。
業務の引き継ぎも拍子抜けする程あっさりと済み、身支度も元々俺の私物なんてお嬢様から頂いた雑貨程度しかないので、それを鞄に詰め込めばあっという間に終わってしまった。
「本当に行ってしまうの?」
「はい。お嬢様への御恩は決して忘れません」
「でも、もうすぐに冬が来るわ。せめて冬が終わってからでも……」
お嬢様は心配そうな表情で俺の手を両手でそっと握る。俺も優しく握り返して、少しでもお嬢様が安心出来るように、堂々と胸を張ってみせた。
「はは……俺の出身を忘れてしまいましたか? この身一つあれば、どこでだってやっていけます。それにわがままを言っては大旦那様に叱られてしまいます」
「今はお父様の話はしたくないわ!」
「きっと、大旦那様はお嬢様のことを心の底から愛していらっしゃっただけですよ」
「ううう……でも、でも」
「お嬢様は意外と泣き虫だったんですね」
「フィグが私を泣かせているのよ……」
俺の為を思い泣いてくれるお嬢様に、熱いものが込み上げてくる。俺はハンカチを取り出し、お嬢様の涙をそっと拭った。
「俺は、お嬢様と泣いてお別れなんて嫌です」
「フィグ……。ごめんなさい。そうよね。それにもう二度と会えない訳ではないものね……」
お嬢様はそう言いながら顔を上げ、そして俺が持っていたハンカチを見ると目を大きく見開いた。
「――そのハンカチ」
「え? これですか? 元々はノワを連れて行ったあの男が置いていった布だったんです。上等な布だったので自分で縫い直して、ハンカチに。俺は不器用なので……裁縫の拙さが目に余りましたか?」
お嬢様は「そうではなくて」と言いながらハンカチを手に持つと、生地に顔をぐっと近付けて上下左右に引っ張る。
「フィグ。この布は本当にその男が持っていたものなの?」
「間違いないです」
「そう。……なんてことなの」
「え、え? なにか」
「間違いないわ。この織り方、隣国の技術で織られたものよ」
「え」
思いがけない言葉に呆然とする。隣国製の布……?
確かに俺もあの男の持ち物だったということで何度も確認したが、刺繍どころか染色すらされていないただの無地の布だった為、特に深く考えていなかった。質のいい品々を沢山見てきたお嬢様が断言するのだから、この布は隣国製で間違いないのだろう。
だからといって男が隣国の人間であるという証明にはならない。が、お嬢様に調べ尽くしてもらっても手がかりすら掴めていない現状、唯一差し込んだ光といってもいい。まさか最初から、こんなに近くに重要なヒントがあったなんて……。俺の心はもう決まっていた。
「――俺、隣国に行きます」
「フィグ……分かった」
頷き合い、お嬢様が後ろに目配せすると、背後からアレクシさんがやってきて俺に大きな鞄を持たせた。
「アレクシさん……」
「フィグさん。貴方の成長ぶりは目を見張るものがありました。っ本当に……申し訳、ありませんでした」
言葉尻が震えていた。いつもは真っ直ぐに背筋を伸ばしている彼が、今は背中を猫のようにを丸め、握り拳まで作っている。……あの行為が、彼の本意でなかったことは明らかだ。
肉体が覚えているのか震えが出て抑えられなくなる。それでも責め立てることは出来なくて、俺は深く頭を下げた。
「……今までお世話になりました。俺、アレクシさんのことずっと尊敬していたんです。これからもお嬢様のことをよろしくお願いします」
「っはい……」
アレクシさんは頷き、再び後ろに下がる。受け取った鞄の中には上までみっちりと荷物が詰め込まれており、妙に重たい。下の方を触ると、ゴリっと硬い感触があった。
「これは」
「奥の方に金貨と宝石を入れてあるわ。隣国でなら金貨はそのまま使えると思う。宝石も使わない物だから売ってしまって。ただし、一度に纏めてではなく少しずつ売るのよ」
「こんなにい、頂けません!」
「いいから受け取って」
「でも……」
「――私がそうすることで、許されたいだけなの」
はっとしてお嬢様の顔を見る。お嬢様は神妙な面持ちだった。俺は何と言えばいいのかわからず視線を彷徨わせ、ぎゅっと鞄の紐を握りしめて頷く。俺が受け取ることで少しでもお嬢様様の心が軽くなるのなら、断ることは出来ない。
それに本音を言えば自分の貯蓄だけでは心許なく、当面の生活が保障される安堵感もあった。金がない苦しみは自分が一番理解している。
「ありがたく頂戴します」
お嬢様はこくりと首を縦に振ると、今度は蝋で封がされた手紙を差し出した。
「……それから、これ」
「これは?」
「実はセルジュ様から預かっていたの。もしもフィグが国を出るようなら、持たせてくれって」
質のいい紙だ。宛先は俺ではなく、以前街で買い物をした時の、あの店の名前が直筆で書かれている。
「買い付けに行く際に、貴方も一緒に乗せて貰えるようお願いする手紙みたい」
「……!」
「セルジュ様って、凄く準備がいい人なの」
「本当ですね」
「だから、今日フィグを引き留める言い訳もなくなっちゃった……」
「お嬢様」
「……フィグ。どれだけ離れていようとずっと、貴方は私の弟よ!」
お嬢様が笑う。どこかぎこちないが、出会った頃よりもずっと大人びた、美しい笑顔だった。俺も口角を引き上げてお嬢様に笑いかける。
「光栄です! ……そろそろ行きますね。お嬢様、どうかお元気で。セルジュ様にもよろしくお伝えください」
「ええ。落ち着いたら必ず手紙を送ってね! 必ずよ!」
「はい」
屋敷を出て、街まで歩く。
件の店に手紙を渡せば、タイミングの良いことに明日から買付けに隣国へ行く予定だったらしく、セルジュ様からのお願いであれば断る理由はないと快く快諾してくれた。
今日のところは待ち合わせ時刻を約束し店を離れ、素泊まりの宿に泊まることになった。
借りた部屋に入り、まずは頂いた大きな鞄の中身を広げてみる。お嬢様が言った通り、金貨や宝石がこれでもかと詰め込まれていた。そしてそれらで覆い隠すようにお嬢様とセルジュ様、それからアレクシさんからの手紙が、隅の方に入っていた。
お嬢様とセルジュ様からの分厚い手紙には謝罪と感謝と親愛の言葉。そしてアレクシさんからの手紙には謝罪と、本当は口封じの魔術を施すよう大旦那様に命令されていたが俺のことを信じる、という内容が記されていた。
「…………」
ベッドに倒れこむ。短期間のうちに色々なことがありすぎて、正直感情と実感が追い付いてこない。まるでずっと夢の中にいるような気分だった。こういう時、思い浮かぶのはいつだってノワの顔だ。
「ノワ……」
ノワは今、何をしているんだろう。どのくらい成長しただろうか。仰向けになり、手を天井に伸ばす。成長まで止まってしまったらしい俺の身体。ノワに置いて逝かれることを考えると胸が張り裂けそうだ。
――そもそも、ノワが、既に……。
最悪の方へ傾いていく思考を打ち切り、俺は目を閉じる。
翌日、俺を乗せた荷馬車は問題なく国境を通過し、俺は隣国の地を踏みしめた。
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