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女王/聖女
晩餐
しおりを挟む「本日はお疲れのところ、ようこそお越しくださいました」
全員が席につくと、エルネスタが微笑みながら杯を掲げた。
その仕草一つで、堂内の侍女たちは息を揃えたように動きを止め、頭を垂れる。
まるで彼女の一挙一動が、神の意思そのものだと言わんばかりに。
「どうぞ、気兼ねなくお召し上がりください。神は人の肉体に糧を求めます。食すこともまた、メルン様への奉仕でございます」
丁寧な口調のはずなのに、妙に艶っぽく聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
リーネットは緊張した顔でフォークを持ち、セラフィーネは相変わらず無表情に近い。
けれどその瞳の奥には、微かに警戒が宿っているのを俺は見逃さなかった。
肉を口に運ぶと、驚くほど柔らかく、舌の上でとろけた。
香草の効いたスープを飲み、パンをちぎると、緊張していた胃がようやく食欲を取り戻す。
「お気に召しましたか?」
エルネスタが、にこやかにこちらを覗き込む。
「あ、はい。正直……もっと質素な食事かと思っていました」
俺がそう返すと、彼女は口元を手で覆って笑った。
神の代弁者、聖女なんて肩書からは想像できない仕草。
「はしたないと思われるでしょうけれど、わたくし……食べることが大好きなのです。特に甘味。供え物として届けられる果実や菓子は、ありがたく神と共に楽しませていただいております」
その告白に、リーネットが驚いたように目を瞬かせた。
「聖女様でも……そんなことを?」
「ええ。人の身である以上、神のために祈ると同時に、自らを養うことも務めです。……それに、わたくしは我慢が苦手な性質でして。えぇ、とにかく」
冗談めかした声に、場の空気が少し和らいだ。
セラフィーネも思わず唇の端を緩める。
「断食を命じられた時もあったと伺いましたが」
「はい、神託としてそう告げられました。しかし正直に申せば……わたくしは数日で断念してしまいました。だって、空腹のままでは集中できませんもの」
そう言って、彼女は果実の皿を指で軽く押し出す。
「どうぞ。これ、最近届いたばかりの南方の果実で、とても甘いのです」
差し出された一切れを受け取り、口に入れると、確かに濃厚な甘みが広がった。
それを見て、エルネスタが子供のように嬉しそうな笑みを浮かべる。
(……こうして見ると、普通に人間らしいんだな)
神託を告げ、宗教の中心に立つ存在――そんな肩書きからは想像できなかった表情。
だが、そういう素顔を見せられると、逆に不思議な違和感が胸に残った。
「……ところで、バージル様」
「なんですか?」
俺が答えると、彼女は小さく首を傾げた。
「あなたは……神の声を、信じられますか?」
「えっと……信じるとか信じないとかいうより、まだよく分かっていません。だから、判断できないというのが正直なところです」
俺がそう言うと、エルネスタがわずかに反応した。
安堵にも、満足にも見える。
「正直なお答え……ありがとうございます」
そこから、彼女の言葉はしばし途切れ、沈黙が落ちる。
長い食卓に広がった沈黙は重く、だが不思議と心地悪さはなかった。
ただ、彼女が何を思っているのかを探ろうとしてしまう。
「多くの人々は、わたくしの言葉を無条件に信じなければならないと考えます。けれど……そうではないのです。神の声を聞くとは、迷い、疑い、選び取ること。わたくしは、そう信じています」
その声音には、聖女としての確信と、ひとりの人間の弱さが入り混じっていた。
そして食事の終わり際、彼女は杯を置き、深く息を吐いた。
「この後、私は神託の準備に入らねばなりません。どうか、今宵は客室でお休みください。……けれど」
少し間を置き、視線が再び俺にだけ向けられる。
「もし……眠れぬ夜を過ごすことがあれば、そのときはどうか、恐れずに。神は必ず、耳を傾けてくださいます」
その言葉は、食堂の灯りの中で不思議な熱を帯びていた。
夜。部屋の窓から差し込む月明かりだけが、薄暗い石造りの空間をぼんやりと照らしていた。
寝台に横たわってはみたものの、目を閉じても一向に眠気はやってこない。
(……さっきの言葉、引っかかるんだよな)
晩餐の終わり際、エルネスタが俺に向けて告げたひとこと。
眠れぬ夜を過ごすことがあれば――恐れずに。
今こうしている自分の姿を予見していたような声音だった。
枕元に置かれたランプを灯し、ぼんやりと天井を見つめる。
白い漆喰の模様が、なぜか人の顔のように見えてくる。
そのたびに、あの食堂でのエルネスタの笑顔が脳裏に浮かぶ。
果実を頬張って子供みたいに笑っていた顔と、神の代弁者として厳かに語る顔。
どちらが本当なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。
(……眠れそうにないな)
息を吐いて身を起こしたその時。
――コツ、コツ。
扉が、控えめに叩かれた。
夜の静寂に溶け込むような音だったが、確かに二度。
不意に心臓が跳ねる。
ゆっくりと足を床に下ろす。
寝台の木枠がきしむ音さえ大きく響いて聞こえた。
扉の向こうから声はしない。
ただ、再び――コツ、コツ、と待つように叩かれる。
セラフィーネやリーネットなら、きっと声をかけてくれるだろう。
しかし、そうしないということは理由があるか――声を発することで、俺に警戒を与える誰かだということ。
緊張なのか、期待なのか――自分でもよく分からない。
ただ、扉を開けなければならないという衝動だけがあった。
「……はい」
震える声で返事をして、取っ手に手をかける。
冷たい感触が、やけに鮮明に感じられた。
ゆっくりと引き開けると、そこに立っていたのは――やはり、エルネスタだった。
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