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某月刊誌 2018年7月号掲載「足元の女」
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※この雑誌は毎月テーマに沿った怪談を実体験、創作問わず募集していて、2018年7月のテーマは「夢」だった。
「これは実体験なんですけど、そんなに怖い話じゃありません。ただ、人の恐怖心ってすごいなと思って」
そう言って、Aさんはカフェラテを控えめにすすった。
「私の母親は、とにかく人の粗探しをするんです。今日の服はここがダメだとか、友達の〇〇ちゃんはもっとできるとか。別に、それ自体は事実かもしれないけど、そればっかり言われると自分に自信がなくなっていっちゃって」
本当に自分ができないと思い込んじゃう、とAさんは力無く笑っていた。全体的に落ち着いているというか、苦労が滲み出ている印象の強い女性ではあるが、この時ばかりは瞳の奥にある種の決意があるのではないか、筆者はそう感じていた。
「これは高校生の頃の話なんですけど、ダンスを習ってたんです。競技ダンスじゃなくて、アイドル系のやつ。ちょうど、私が学生の頃がアイドルブームで、どうしても好きなアイドルがセンターを務める曲を踊りたくて、それがきっかけでした」
最初は自分の部屋で動画を見ながら練習を続けていたというAさん。しかし、その気持ちは徐々に大きくなり、やがて高校のダンス部に加入。
彼女の母親はというと、Aさんが部屋で練習していた時から度々「くだらないことはやめろ」と言っていたようで、ダンス部に入ると言えば確実に面倒なことになると判断したAさんは、無断で入部した。
「でも、文化祭での発表の時、客席に母がいるのを見ちゃったんです。体育館のステージから見える客席は薄暗くて、自分の知り合いがいるかどうかなんて普通はわからないのに、どうしてか私はすぐに母を見つけたんです。そしたら、練習してた振り付けが全部飛んじゃって、私だけぎこちない動きだったと思います」
その後、落ち込みながら帰宅したAさんは、母親から心ない言葉を浴びせられたという。
「下手なんだからやめろって言われたんです。大勢に恥を晒してどうするんだって。それでもう、頭にきちゃって。最低限の荷物だけ持って家を飛び出しました」
いわゆる「家出」をしたAさんだったが、これからどうすればいいのか、日頃から過保護な親に外出を制限されていたせいで分からなかったという。
「とりあえず、漫画喫茶で一夜を明かすことにしました。ほら、今なら年齢確認は必須ですけど、数年前は緩かったんです。私は背が低いわけじゃないし私服だったので、少し怪訝な顔はされたけど、店員さんは通してくれました」
初めての漫画喫茶ということで、Aさんは一人の不安よりもワクワクが勝ったらしい。初めてと言える、誰にも邪魔をされない空間。しかし、そこで彼女は恐怖に見舞われることになる。
「たぶん二十四時前だったと思います。漫画もたくさん読んで疲れたので、寝ることにしました。受付で渡された薄いブランケットをかけて、マットに横になりました」
少し肌寒いものの、Aさんはすぐに眠ることができた。
「夜中にふと目が覚めたんです。なんだか暑くて、でも眠気は残っているから気にせず寝ようとしました。でも、いつもなら眠れるのに、その日は反対にどんどん目が覚めていくんです。思考がクリアになっていく感覚、みたいな。そんな時間が続くものだから諦めて起きようと思いました。そこで気がついたんです。足元に何か触れてるんです」
ひんやりとした、しかし無機質でないなにかが足の指先に触れている。彼女の足元は、テレビ台下の空間に位置していた。
「そのスペースに小さいゴミ箱があるのは確認していたんですけど、そういう感触じゃないんです。なんだろうと思って、少し身を起こして確認しました」
部屋の電気は消してしまい、扉につけられた小さな覗き窓(店員が外から中を確認できるためのもの)から入る微かな灯りを頼りに目を凝らす。
「女の人がこっちを見てたんです。じっと、私の目を」
黒い髪の女。その首が両足の間に浮かぶように、こちらを見ていた。
「今思えば、指先で触れたのは女の肩とかだと思うんですけど、本来それがあるスペースが存在しないんですよ。どう考えても、壁に埋まっちゃうんです」
そもそも、部屋の大きさは168センチのAさんがピッタリ寝そべることができるくらいだったそうで、女が待機できる場所などない。仮に女に実態があるとするなら、頭だけが存在していたことになる。
「で、半狂乱って言うんですかね。叫びながら、急いで部屋から出ました。その後、受付の人を呼んで部屋のチェックをしてもらったんですけど、もう誰もいなくて。そこでようやく受付の人が年齢とかを聞いてきて、昔は嘘をつくっていう習慣がなかったもので正直に答えちゃったんです。でも、理由を説明したら、特別に今日だけは使っていいって言っていただいて。私の叫び声を聞いて出てきた他の部屋の人たちの視線は痛かったですけどね」
それから、君の悪さが拭えないAさんは短い家出を終え帰宅したが、その話は本筋に関係ないため割愛させていただく。
最後に、それ以降、女を見かけたか質問すると、彼女は不思議そうに答えた。
「私はないんですけど、この話けっこう友達にしたんです。そうしたら、自分も見たっていう人がチラホラ出てきました」
しかし、女の見た目や状況は全員が全員違っていたらしい。足元から憎らしげな顔で見ていたという人もいれば、赤いドレスを着て足元に立っていたという声もあったそう。
それぞれの関連性も薄く、Aさんも二度と同じ経験をしなかったため、徐々にその存在を忘れていったらしい。
「時期的に私が一番最初に見たみたいなんですけど、たぶん、生み出したのは私だと思うんですよ。母親に対する恐怖心みたいなのが積もりに積もって、いもしない女性を生み出してしまった。それで、その話が他の人たちの恐怖心に形を与えたんじゃないかなって」
一度「恐怖が何かに変わる」という経験をする(または存在していると知る)ことが、黒い髪の女の伝播に繋がったのではないか、そうAさんは推測していた。
実際に、かつて同じような実験が行われていたとされる。ある街に「存在しない不審者情報」を書き記した貼り紙を貼ったところ、一日に数件の問い合わせがあったという。そして、その数は日に日に増えていき、最終的に近隣の小学校の集団下校を引き起こしたらしい。
「怖いですよね。私が生み出してしまった女性が、今もどこかにいるのかもしれません」
Aさんは別れ際、赤いワンピースをひらめかせながらそう言った。
編集部はこの女について「ストレスによる悪夢が引き起こした記憶障害」と判断した。
文化祭での発表という大舞台での失敗や、日頃、母親に向けられる言葉がAさんの心のキャパシティを超えた結果、現実と見紛うほどリアルな夢になり、また、それが現実の出来事としてAさんの記憶を侵食してしまったのではないか。
おそらく他に女を見たという人々も、同じく多大なストレスが霊のような女として現れ出たのだろう。
しかし、女が本当にいないとは言い切れない。彼女はストレスを媒介に、今も人々を恐怖に陥れているかもしれないのだから……。
「これは実体験なんですけど、そんなに怖い話じゃありません。ただ、人の恐怖心ってすごいなと思って」
そう言って、Aさんはカフェラテを控えめにすすった。
「私の母親は、とにかく人の粗探しをするんです。今日の服はここがダメだとか、友達の〇〇ちゃんはもっとできるとか。別に、それ自体は事実かもしれないけど、そればっかり言われると自分に自信がなくなっていっちゃって」
本当に自分ができないと思い込んじゃう、とAさんは力無く笑っていた。全体的に落ち着いているというか、苦労が滲み出ている印象の強い女性ではあるが、この時ばかりは瞳の奥にある種の決意があるのではないか、筆者はそう感じていた。
「これは高校生の頃の話なんですけど、ダンスを習ってたんです。競技ダンスじゃなくて、アイドル系のやつ。ちょうど、私が学生の頃がアイドルブームで、どうしても好きなアイドルがセンターを務める曲を踊りたくて、それがきっかけでした」
最初は自分の部屋で動画を見ながら練習を続けていたというAさん。しかし、その気持ちは徐々に大きくなり、やがて高校のダンス部に加入。
彼女の母親はというと、Aさんが部屋で練習していた時から度々「くだらないことはやめろ」と言っていたようで、ダンス部に入ると言えば確実に面倒なことになると判断したAさんは、無断で入部した。
「でも、文化祭での発表の時、客席に母がいるのを見ちゃったんです。体育館のステージから見える客席は薄暗くて、自分の知り合いがいるかどうかなんて普通はわからないのに、どうしてか私はすぐに母を見つけたんです。そしたら、練習してた振り付けが全部飛んじゃって、私だけぎこちない動きだったと思います」
その後、落ち込みながら帰宅したAさんは、母親から心ない言葉を浴びせられたという。
「下手なんだからやめろって言われたんです。大勢に恥を晒してどうするんだって。それでもう、頭にきちゃって。最低限の荷物だけ持って家を飛び出しました」
いわゆる「家出」をしたAさんだったが、これからどうすればいいのか、日頃から過保護な親に外出を制限されていたせいで分からなかったという。
「とりあえず、漫画喫茶で一夜を明かすことにしました。ほら、今なら年齢確認は必須ですけど、数年前は緩かったんです。私は背が低いわけじゃないし私服だったので、少し怪訝な顔はされたけど、店員さんは通してくれました」
初めての漫画喫茶ということで、Aさんは一人の不安よりもワクワクが勝ったらしい。初めてと言える、誰にも邪魔をされない空間。しかし、そこで彼女は恐怖に見舞われることになる。
「たぶん二十四時前だったと思います。漫画もたくさん読んで疲れたので、寝ることにしました。受付で渡された薄いブランケットをかけて、マットに横になりました」
少し肌寒いものの、Aさんはすぐに眠ることができた。
「夜中にふと目が覚めたんです。なんだか暑くて、でも眠気は残っているから気にせず寝ようとしました。でも、いつもなら眠れるのに、その日は反対にどんどん目が覚めていくんです。思考がクリアになっていく感覚、みたいな。そんな時間が続くものだから諦めて起きようと思いました。そこで気がついたんです。足元に何か触れてるんです」
ひんやりとした、しかし無機質でないなにかが足の指先に触れている。彼女の足元は、テレビ台下の空間に位置していた。
「そのスペースに小さいゴミ箱があるのは確認していたんですけど、そういう感触じゃないんです。なんだろうと思って、少し身を起こして確認しました」
部屋の電気は消してしまい、扉につけられた小さな覗き窓(店員が外から中を確認できるためのもの)から入る微かな灯りを頼りに目を凝らす。
「女の人がこっちを見てたんです。じっと、私の目を」
黒い髪の女。その首が両足の間に浮かぶように、こちらを見ていた。
「今思えば、指先で触れたのは女の肩とかだと思うんですけど、本来それがあるスペースが存在しないんですよ。どう考えても、壁に埋まっちゃうんです」
そもそも、部屋の大きさは168センチのAさんがピッタリ寝そべることができるくらいだったそうで、女が待機できる場所などない。仮に女に実態があるとするなら、頭だけが存在していたことになる。
「で、半狂乱って言うんですかね。叫びながら、急いで部屋から出ました。その後、受付の人を呼んで部屋のチェックをしてもらったんですけど、もう誰もいなくて。そこでようやく受付の人が年齢とかを聞いてきて、昔は嘘をつくっていう習慣がなかったもので正直に答えちゃったんです。でも、理由を説明したら、特別に今日だけは使っていいって言っていただいて。私の叫び声を聞いて出てきた他の部屋の人たちの視線は痛かったですけどね」
それから、君の悪さが拭えないAさんは短い家出を終え帰宅したが、その話は本筋に関係ないため割愛させていただく。
最後に、それ以降、女を見かけたか質問すると、彼女は不思議そうに答えた。
「私はないんですけど、この話けっこう友達にしたんです。そうしたら、自分も見たっていう人がチラホラ出てきました」
しかし、女の見た目や状況は全員が全員違っていたらしい。足元から憎らしげな顔で見ていたという人もいれば、赤いドレスを着て足元に立っていたという声もあったそう。
それぞれの関連性も薄く、Aさんも二度と同じ経験をしなかったため、徐々にその存在を忘れていったらしい。
「時期的に私が一番最初に見たみたいなんですけど、たぶん、生み出したのは私だと思うんですよ。母親に対する恐怖心みたいなのが積もりに積もって、いもしない女性を生み出してしまった。それで、その話が他の人たちの恐怖心に形を与えたんじゃないかなって」
一度「恐怖が何かに変わる」という経験をする(または存在していると知る)ことが、黒い髪の女の伝播に繋がったのではないか、そうAさんは推測していた。
実際に、かつて同じような実験が行われていたとされる。ある街に「存在しない不審者情報」を書き記した貼り紙を貼ったところ、一日に数件の問い合わせがあったという。そして、その数は日に日に増えていき、最終的に近隣の小学校の集団下校を引き起こしたらしい。
「怖いですよね。私が生み出してしまった女性が、今もどこかにいるのかもしれません」
Aさんは別れ際、赤いワンピースをひらめかせながらそう言った。
編集部はこの女について「ストレスによる悪夢が引き起こした記憶障害」と判断した。
文化祭での発表という大舞台での失敗や、日頃、母親に向けられる言葉がAさんの心のキャパシティを超えた結果、現実と見紛うほどリアルな夢になり、また、それが現実の出来事としてAさんの記憶を侵食してしまったのではないか。
おそらく他に女を見たという人々も、同じく多大なストレスが霊のような女として現れ出たのだろう。
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