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パロディ (本編と矛盾する設定もあり。)
掌の熱
しおりを挟む※オッドアイシリーズのネタバレがあります
心地よい秋の朝。顔を出したばかりの柔らかい陽の光が部屋に差し込み瞼をくすぐる。俺はゆっくりと薄目を開けた。
既に起きていたであろう潤んだ瞳と目が合うと、彼は微笑み、穏やかに目を細めた。安堵に息を吐いて体を折り曲げ自分より温かいその懐に深く潜りこんでもう少し寝ると示したつもりが俺の微睡は瞬く間に情熱に攫われた。抗っても無駄だと分かっている。引きずり出される甘い浮遊感は夜よりも朝強く、跳ねる体に羞恥を感じてもこの男の前ならば何を晒してもいいのだったと思い出し俺は身を委ねた――。
*
花弁塗れの肢体を襲う気怠さを癒すように背中から頸へ何度も口づけを落とされ後ろから抱きすくめられると身震いが起きた。腕を引き寄せられいつもは手を握りながら鳩尾をふわふわさせる甘い言葉と余韻に浸るのに、今日もまた手は繋がれなかった。指の裏で優しく頬を撫で、小刻みに震えながら名残惜しそうに離れていく。もう起きなければならない時間だ。
残されたベッドの中で自分の両掌を観察してみた。何も変わらない見慣れた傷跡。ここ数週間ずっと良臣は俺と手を握るのを避けている。
俺には人の心が読める。別に知りたいと思って何かしている訳では無い。人の感情が色となって見えるだけだ。それは小さい頃からで、今でいうオーラが見えるという類と言えば分かりやすいだろうか。但し通常感じる色とは反対の色が見える。例えば人が怒りを想像する時は自然と赤色を想像するだろう。怒りに血が上ると顔が真っ赤になるから、赤が見えた場合は怒りだと思うのだが、俺の場合は反対色・緑が見える。始め見えていたのはその一色だけだったが、社会人になって覚醒とやらをして、色んな色が見えるようになった。そのうち手から人の心も読み取れるようになった。肩など他の部位が接触しただけでは分からないのだが手と手が触れ合うとそこから信号の様に人の心の内が流れ込んでくる。
以前はこちらが望まなくとも手を握ればそこから自然と流れ込んできていた言葉達。その言葉はいつも俺を翻弄していた。良臣の紡ぐ言葉達は甘く切なくそして愛おしさに狂ってしまったのではないかと思うほど熱を帯びて聞いているこちらが恥ずかしくなる程だった。だから手を繋ぐのを躊躇うのだが、実際避けられると複雑な気分になった。本来人の心なんて見たくても見えない筈のものではじめは禁忌を犯しているような感覚だったのが慣れてしまえば逆に知れない事が怖くなっている。人間の慣れとは恐ろしいものだと思う。いつも紡がれる言葉が貰えない事に不平を言う筋合いはない。どうして手を握ってくれないのかなんて恥ずかしい事を聴ける訳がない。燻った感覚を抱えてシャワーを浴び着替えてからダイニングに行くとエプロンをつけた良臣がオープンキッチンで朝ごはんを作っていた。
「海静様、バタートーストでいいですか、ジャムは?」
「いや、バターだけでいい。目玉焼きはつけてくれ」
「はい」
「サンキュ」
俺は返事をしながらテーブルに置いてあった新聞を手に取り席に着いた。凛々しい姿でキッチンに立つエプロンが世界一不似合いなこの男の作る朝ごはんは超絶美味い。染谷家は資産家で家事炊事を一切する必要がなく俺と出会うまで真面に料理をした事がない男だったのに、今では俺の為に毎朝御飯を作っている。俺が作るとただのトーストが、この男の手に掛かるとホテルのモーニングセット並みに美味くなるのだから技術と才能とは恐ろしいものだと思った。運ばれてきた柔らかいトーストと目玉焼き、それに淹れたてのコーヒーの馨りはいつもの朝だと告げている。手を握る事がなくなった事以外、変化はない。
「いただきます」
「どうぞ」
良臣自身にも変わったところはない。いつもの様に俺に触れ、食事を作り、目いっぱい甘やかせてきらきらした瞳で向かいの椅子に座り俺を見つめている。気持ちに何か変化があったようには思えない。四つ折りにした新聞をひっくり返しながらちらりと良臣を覗くと鋭い彼はすぐさま切り出した。
「どうされました?」
「何が」
「ずっと私の様子を観察してらっしゃるでしょう」
観察しているのはお前の方だろうと言いたくなるほど彼は俺の変化に敏感だ。冷静を装い新聞に視線を戻してコーヒーを飲む。
「いや、お前最近さ、なんかあったか。なんか変った事とか……」
「いえ、何も。髪も切っていませんし服も新調しておりません」
「その変わったじゃなくてさ、なんかこう感覚的にっていうか」
「珍しいですね、そんな風に私の心内を心配するなんて」
「まぁ、別に変った事がないって言うんだったらいいけどさ」
奥歯に何か詰まったような言い方になってしまって良臣が食い下がった。
「どうしたんですか、海静様、何か心配ごとでも?」
「何でもないよ」
「何でもない事はないでしょう」
そうして食べる手を止めて良臣は俺を心配そうに見つめた。彼の心は手から簡単に読み取られるのに、俺の心は言葉にしなければ伝わらない。フェアじゃないのは分かってる。手を握って心の内を晒す事は余り心地いい事ではないと思う。だけど一度その甘さを知ってしまうと与えられない時の寂しさは耐え難いものになってしまっていた。誰にでも人に知られたくない秘密の一つや二つはある。手を握る度に心を読まれていたのでは気が抜けない。ずっとしんどかったんじゃないだろうか。手を握られなくなった事を惜しむ事は余りにも身勝手だ。これからは気をつけなければ。そう考えているとそれを読み取ったかのように染谷が話した。
「……私が手を繋がない事を気にしてらっしゃるんですか」
「……いや、そんな事ない。俺が手を握ったらお前の心は読まれてしまうだろう。嫌がるのは普通の感覚だ。俺だってこんな醜い心の内を読み取られてしまうなら手なんて握りたくない」
「貴方の心が醜いなんて誰が言ったんです。貴方の心は聖く気高い。決してその様に言わないでください」
「相変わらず買い被ってるな。俺を崇拝しすぎだぞ。俺はそんなにできた人間でも無い。どろどろした感情に塗れてる。他人の事なんて考えてない。いつも自分の事ばかりだよ」
「いいえ、違います。貴方の仕事がそれを証明している。貴方は小さな子供たちを救おうといつも必死ではないですか。自分の身を危険に晒す事さえ厭わず、子供たちの事ばかり考えています。私の事もそれほど心配してくれたらと嫉妬する程なのに、人の為に働く貴方の何が醜いのですか」
「それを買い被ってるっていうんだよ。俺は俺の為にしてるだけなんだ。救えなかった自分の代わりに救ってるんだ。俺は自分の可哀想な人生を彼らに重ねて、救って自己満足してるだけなんだよ」
「だからなんだというんです。子供達が救われている事に変わりはない。貴方は穢れてなどいない。私が貴方の手を繋がないのは私の心の内を隠したいからではない。貴方の負担を減らしたいと思うからです」
「俺の負担?お前を負担に思った事などない。どういうことだ」
「いつも感情が昂って居る時に睦言を流し込んでしまうでしょう?覚えてらっしゃるか分かりませんが、二週間程前の夜にもう止めてくれと仰ったんです」
「……俺覚えてないぞ」
「盛大に酔ってらっしゃったけれど、貴方はお酒を飲むと本音を漏らすので、本当に止めて欲しいのだと判断したんです。だから暫くの間触れない様に気を付けていた。あなたに嫌われる事だけは避けたいんです」
「俺がお前を嫌う訳ないだろう。今更何を言ってるんだ」
「貴方が嫌だと思う事は何一つしたくないんです」
俺はすぐに良臣の手を取った。言葉が渦になって流れ込んでくる。榛色の瞳に吸い込まれそうだ。
『貴方を毛布の様に包んでいたい。傷つけないように、どんなものからも貴方を守りたい。私の言葉が貴方の負担になるのなら一生黙っていよう。神が与えた白金に光る髪、潤む翠とブラウンの双眼、まるで存在自体が宝石の様だ。柔らかい果実の様な唇にもう一度口づけて私のものだと叫びたい。愛しい我が主……』
堰き止められていた波が一気に溢れ出して俺は思わず手を離した。顔から火が噴きそうだ。
「お嫌ではないですか」
染谷は眉根を上げて苦笑いした。
「別に今始まった訳じゃない。いつもの事だろ」
そう言いながらも耳から湯気が出てきそうだった。何度聞いても良臣の言葉は刺激的で度を超えて海静バカで、でもそんな風に想ってくれている事が堪らなく嬉しい。心の内を隠さずに俺に見せてくれるこの男だけは絶対に幸せになってもらわねば困る。俺は小心者で自分勝手で自分本位な人間だけど、こいつは絶対俺が幸せにしてやろう。この心の声がいつか届くと良い。それまで俺はこいつの心の声に思い切り浸って甘やかせてもらおう。繋いだ手を何度も握り直して決してこの手は離さないと心に誓った。
「手は離さなくてもいいのですか」
「良い。もう二度と遠慮するな。俺が嫌だと言っても離すな。わかったか」
「御意」
良臣は珍しく頬を染めて笑った。
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