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第二章 ブラザー・オン・ザ・ヒル
第五話 休職
しおりを挟む結城律子の自宅は、竹ヶ鼻商店街でクリーニング店を営んでいる。父親を早くに亡くし、母親が女手一つで店を切り盛りしながら二人の子供を育て、二年前漸く兄の巧が社会人となった。
巧は学業が優秀で、京都の国立大学を主席で卒業する。望めば大学院への進学は勿論、どんな職業でも選べる状況でありながら、選択したのは地元の教員だった。竹ヶ鼻高校に赴任して一年間、勤務態度は真面目で何の問題も起こしていない。物静かで、生徒や同僚と談笑することは殆ど無かったが、仕事上のコミュニケーションには問題なく、やるべきことはきっちりとこなした。担任は受持っておらず、文芸部の顧問をしていたが、唯一の部員が三年生であった為卒業と同時に廃部となり、翌年から復活する竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の顧問を依頼された矢先休職を申し出ることとなる。休職は一身上の都合とされ、ジジイですら明確な理由は分からないらしいが、その辺りは話し辛そうだった。
兄と妹、そして母親・・・三人のパワーバランスは・・・何故、巧は地元教員の道を選んだのか・・・結城律子が持つ違和感の正体・・・何一つ手掛かりはおろか糸口すら掴めていない。当事者なしではここらが限界か・・・
考えが纏まらないまま、旧校舎の廊下を歩いていると部室から片桐の声が聞こえた。慌ててドアを開くと片桐が結城を睨みつけている。
「あなた、私を馬鹿にしているのね」
「馬鹿になんてしてないよ。良く描けていると思うよ、このオオアリクイ」
「だから、これのどこがオオアリクイなのよ」
「どこがって、何処からどう見たってオオアリクイじゃん」
机に置かれたイラストを指差し二人が言い争いをしている。なるほど、片桐の描いたイラストは確かにオオアリクイにしか見えないが、本人はその心算じゃないらしい。
「二人とも、いい加減にしろ。何を揉めているんだ」
片桐は必ず「これが何に見える」と聞いてくる。オオアリクイではないのであれば、正解は一つしかない。
「結城さんが酷いのよ。私が描いたイラストをオオアリクイだなんて。息吹君にはこれが何に見える」
ほら来た。
「オオアリクイなんかじゃないだろう。これは何処からどう見たって獏だ」
「そっかー、獏か。ごめんね志摩ちゃん、それは気付かなかった」
「ふ・・ふざけないで」
ち・・違うのか。だとすると、この奇怪な生物はなんだ。
片桐はプルプルと震えながら怒りを露にして、俺と結城を睨みつける。俺たちは正解を導き出せず固まった。
「何処からどう見たって象じゃない。オオアリクイや獏が竹ヶ鼻商店街のキャラクターな訳がないでしょう」
驚いた。これが象ならば、片桐の画力は壊滅的だ。確かに鼻は長いし、よく見れば牙らしき物もある。だが象のもう一つの特徴である大きな耳が無いじゃないか。しかも足が異常に短く、目は大きい。
「ただの象じゃないわよ。よく見なさい、牙が竹になっているの。竹ヶ鼻の地名から私が考えた、バンブーエレファントのフーギー君よ」
俺と結城は言葉を失う。常に凛然とし利発な片桐が描いたとは到底思えない目の前の奇怪な生物と、岐阜を逆さ読みしただけの安直なネーミングセンスに。
「二人とも、何か言いなさいよ」
片桐の怒りは更に増すが、残念すぎるイラストに掛ける言葉が見つからない。すると、結城がイラストの描かれた用紙を裏返し、スラスラとペンを走らせ瞬く間に可愛らしい象を描き上げた。キャラクターらしく二本足で立ち、服も着ている。牙には節が付けられ、片桐が言うバンブーエレファントの体を成した文句の付け様が無い作品だ。
「こんな感じでどうかな」
「う・・まあまあね。い・・息吹君、絵は結城さんの物を採用してあげてもいいのではないかしら。あ・・あくまでも絵だけよ。アイデアは私が出したのだから、二人の合作ということにしてあげるわ」
片桐に気付かれないよう、結城が小さく目配せする。
「そうだな、結城さんも部員になったのだから何かしら仕事をしてもらわないとな。じゃあ、そんな感じのイラストを3カット程描いてくれ。部室じゃ集中出来ないだろうから、家で仕上げて明日の放課後持ってきてくれよ」
「了解。それじゃあ今日はお先に失礼するね。あと、二人とも私のことは律ちゃんって呼んでくれていいから」
お決まりとなりつつある台詞を残して結城は部室を後にする。片桐の時のように家に帰ることに抵抗がある、なんてことはないらしい。
結城の足音が聞こえなくなると、片桐は結城が持って行ってしまった一枚を除く謎の生物が描かれた紙を小さく折り畳み鞄に忍ばせた。
「絵が苦手なら言ってくれよ」
「に・・苦手などではないわ。象が苦手なだけよ」
酷い言い訳だ。「それならば象をキャラクターになどするな」と言いたいところだが、話が長くなりそうなのでやめておこう。他にしなければならない話がある。
「何か分かったことはあるか」
イラストを片付けた片桐が、まるで先程までのやり取りが無かったかのように姿勢を正した。
「ええ。五時限目が終わった後、結城さんの教室を覗きに行ってきたのだけれど、彼女机に突っ伏して寝たふりをしていたわ」
「どうして、ふりだと分かる」
片桐が小さく口角を上げる。
「私がいつも見ている人と同じだから。あれは他人を近付けない手段の一つ、貴方の得意技じゃない」
「普段の結城は目立たないようにしている、と言うことか」
「間違いないわ。結城さんはクラスの中心人物ではない。彼女の明るい性格は木下さん、それとどういう訳か私達の前、限定のものよ」
何故、そんなことをする必要がある。俺のように目立ちたくない理由があるのか、もしくは極度の人見知りか。後者は無いか、初対面の俺達にあれだけ馴れ馴れしい態度をとるのだから。
「極度の人見知りではないかしら」
「いや、それは無いだろう。だとしたら俺達に対しての態度に説明が付かない」
「そんなことは無いわ。だって・・彼女達は貴方のことを、ずっと見ていたのだから」
そうだ。あの二人は俺のことを知っていた。俺に気付かれずに、何時から、何故、俺を見る必要があったのだ。
今考えるのは止めておこう。多分この件に関して結城は木下に付き合っているに過ぎない。問い詰めるのであれば木下だ。
「理事長の方はどうだったの」
「これと言って有益な情報は無かったが、一つ気になることがある」
「気になること」
「ああ。お前が入部した時、俺を呼び出したジジイが、今回は何のアクションも起こさなかった」
「それは、理事長が私の過去や家庭環境を知っていたからではないの」
「結城のことも知っているはずだ。何せ休職中の部下の妹だぞ」
呼び出さなかっただけではなく、ジジイには何処か話し辛そうなところがあった。そもそも一年も休職している教員を放っておける人間でない。あのジジイが一年もの間、手を拱いているのであれば、この件は俺達が考えているよりも遥かに厄介なものだ。
結城巧の休職理由をジジイは分からないと言ったが、間違いなく嘘だ。病気でもなければ一年以上も休職が許されるはずが無い。逆に考えれば、許さなければならない理由が結城巧にはあるのだ。その理由を俺には言えない・・・言わずもながプライバシーに関わる問題だろう。
「結城の家は竹ヶ鼻商店街でクリーニング店を営んでいる。父親を早くに亡くし、母親が女手一つで切り盛りしている。明日、行ってくるから片桐は結城を部室に足止めしてくれ」
「えっ、いきなり結城先生に強襲をかけるの」
「いや、俺達はこの件に関して問題の本質を何も知らない。出題前の問題を解こうとしているようなものだ。先ずはパーツを集める。その為に鍵となる人物に会ってくるよ」
そう、この件は単純な引き篭もりなどではない。そんな人間をジジイが放置するものか。結城巧は俺達未青年と違い、成人であり社会人だ。既に引き篭もりが許される立場になく、勤労の義務を怠れば社会的制裁を受ける立場にある。本来なら、とっくに職を失っていてもおかしくないが、ジジイがそうしないのには必ず理由がある。
「鍵となる人物って、もしかして・・・」
「そう、二人の母親だ」
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