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第二章 ブラザー・オン・ザ・ヒル
第八話 信用
しおりを挟む『何の用だ』
受話器の向こう側で不機嫌な表情をする彼の顔が浮かぶ。
『用事がなければ電話してはいけないのかしら』
『良い悪いの問題ではなく、必要がない』
実に彼らしい言い分だ。
『結城さんの件で、どうしても今日中に伝えておきたいことがあるの。今から家に来られないかしら』
『分かった、すぐに向かう』
言うなり電話が切られた、これもまた実に彼らしい。無駄なことはしないが、必要とあらば迅速に行動する。明日学校で会えるにも関わらずわざわざ電話があったことで、事の重要性を瞬時に理解し、受話器越しではなく直接伝えたい理由も理解しているから聞き返しもしない。それが寂しくもあり、嬉しくもある。
電話では表情が見えないが、話の最中私に良くない感情の変化が起こることを彼は心配してくれている。真の優しさとはこう在るべきだと見本を示すような彼の行動が、人として私とは別次元で遥か遠い存在に感じてしまう。
彼と繋がっていた受話器をそっと置き振り返ると、御祖母様が柔和な眼差しを向け立っていた。
「息吹さん、いらっしゃるの」
「はい」
「お茶を用意しておきますね」
そう言って踵を返す。
「御祖母様」
「なあに」
ゆっくりと振り返り発する声音は暖かい。
「その・・いつも・・・ありがとうございます。私、御祖母様のこと大好きです」
「どうしたのよ急に」
「わかりません。ただ、伝えておきたくて・・」
「おかしな子ね、でも嬉しいわ。私も貴女を愛していますよ」
もう一度学校に通いだしてから御祖母様と多くを話すことはなかった。それでも、いつも感じている。私を見守ってくれている暖かい眼差しを。
ずっと一人だと思っていた。誰も私など見ていない、気にもしていない、一人で戦っているのだと勘違いをしていた。御祖母様や宮本のおじ様が私以上に苦しんでいるなど、想像もしていなかった。
そんなことにも気付けない私は未熟だ。大人に比べ圧倒的に経験値が少なく学ぶことは山ほどある。庇護してくれる家族が居て、彼と共に学べる、これを幸運と言わずして何を幸運と言うのだろう。
「何時まで突っ立ているの、息吹さんがいらっしゃるのでしょ。早く準備をしなさい」
台所へ向かう足を止め、振り返った御祖母様の表情からは先程までの柔和さが消えている。
「準備と言われましても・・・」
「また同じ失敗を繰り返すつもりなの、そんな部屋着では駄目に決まっているでしょ。念のため下着も新しいものに変えておきなさい」
「お・・御祖母様。息吹君はそんなことの為に来るのではありません」
「黙りなさい、そんなことは分かっています。でも、部屋にお通しするのでしょ。息吹さんとて男です、可能性は0ではありません。好機はいつ訪れるか分からないのですよ、念には念を入れておいて損はありません」
「息吹君はそんな人ではありません」
なんて破廉恥な発想なのだ。常に品のある御祖母様からは想像も出来ない発言だ。
「まったく貴女は・・だったら構わないのですね。息吹さんが貴女ではなく、他の女に欲情して契りを交わしたとしても。後悔しないのですね。あのお方の性格なら、初めての女性と生涯を共にする可能性が極めて高いでしょうが、貴女は諦められるのですね」
「そんなの、絶対に嫌です」
「だったら迅速に行動しなさい」
「はい」
私は未熟だ。御祖母様に誘導されている気がしないではないが、確かに可能性は0ではない。大急ぎで自室に戻り、あの日デパートで御祖母様と一緒選んだ中でとびっきりセクシーな下着を持って風呂場へ走った。
ピンポーン
呼び鈴が鳴ると一目散に部屋を出てインターフォンへ向かう。だが、既に御祖母様がその場に居た。
「お待ちしておりました。どうぞ御上がりくださいませ」
言い終わるとこちらを見て挑発するかのようにニヤりと笑い、呆気に取られる私を置き去りにして摺り足ながら普段の倍以上の速度で玄関へ向かう。
負けられない。恥も外聞もなく全力疾走で御祖母様を抜き去り、一足先に玄関で彼を待った。
「御邪魔します」
「はぁ・はぁ・い・・いらっしゃい」
「随分と息が荒いようだが、大丈夫か」
「へ・・平気よ。上がって」
靴を脱ぐ彼にスリッパを差し出したところで、漸く御祖母様が玄関に辿り着く。
「いらっしゃいませ、息吹さん」
「すみません、こんな時間に」
「いいえ、息吹さんでしたら、いつ何時でも歓迎致します。それにしても志摩子ったら、息吹さんに早く会いたいからって全力で廊下を走るなんて、はしたない」
「お、御祖母様」
一気に体温が上昇する。顔が真赤なのは見なくても分かった。
「後でお茶をお持ちしますね。それではごゆっくり」
彼に一礼して今来た廊下を普段と同じ速度で戻っていく。よく分かった、今の私では御祖母様には太刀打ち出来ないのが。
半歩後ろを歩く彼に悟られないよう、呼吸を整え自室へと招き入れる。御祖母様に随分と掻き乱されたが本来の目的を果たさねばならない。
四角い小さなテーブルには私用のクッションしかない為、クローゼットから座布団を取り出し斜め横に置く。この方が対面より近い。
「座って」
私の小さな計略など彼は気にもせず座布団に腰を下ろした。
「聞かせてくれ」
初めて彼の役に立てる。今の私にとってこれ程の喜びは無い。
彼の真剣な眼差しに向かって、今日彼の居ない部室で起こった出来事を詳細に話した。結城律子と木下真紀の本来の姿を。彼は言葉を挟むことなく、頷きながら私の話を聞いてくれている。
最後に、私が感じたままを口にする。
「結城さんは大丈夫・・・だと思うわ」
自分に確固たる自信が持てず、断言することができない。部室で結城律子は大丈夫だ、彼女は自ら踏み出そうとしていると確信したのに、それを明確な言葉に出来ない。彼に間違った情報を与えてしまうかもしれない、使えない人間だと思われたくない。
結城律子のように一歩踏み出す勇気が、私には無い。
「だったら明日、結城さんに話を聞いてもよさそうだな」
「待って」
「何だ」
「もう一度、息吹君が様子を見てから決めたほうがいいのではなくて。私では大事なサインを見逃している可能性が無いとは言えないわ」
そうだ、その方が間違いない。彼の聡明な頭脳が導き出す結論の方が確実だ。私の考えなど参考意見に過ぎない。解決を一日遅らせてでも、石橋を叩いて渡るべきだ。
「その必要はない」
「あるわ。私なんかを信頼しては駄目」
私の言うことなど当てにしないでと懇願するが、彼は顔色一つ変えない。
「心の問題は失敗を許されないのよ、私の言うことなど真に受けては駄目。息吹君が見たこと、聞いた言葉で判断すべきだわ。お願い、もう一度貴方の視点で結城さんを見て」
「必要ない」
「お願い・・・」
わかっている。彼の力になりたいと切望しながらも、どこかで責任を逃れようとしている卑怯者だというのは。力になりたいという思いすら怪しい。彼に想われたい、選ばれたい一心で己すら騙している可能性を否定できない。もし、そうならば、私程おぞましい存在はない。世界中の邪悪を凝縮したとしても、私程黒くはならないだろう。
「勘違いするなよ」
「・・・・・・」
「お前のことだから、どうせ責任転嫁がどうのなんて考えているだろうが、とんだお門違いだからな」
間違ってなどいない。私は無能な上、薄汚く歪んでいる。今すぐにでも唾棄したいのを優しい彼が耐えてくれているだけだ。
「俺には、お前しか仲間と呼べる人間がいない」
彼は不運だ。私のような人間に、憑き物のように縋りつかれている。
「だから、お前を信用も信頼もする」
救ってもらったにも関わらず、彼を困らせ、足を引っ張っている。
「お前の考えが正しいか否など、お前が気に病む必要はない。指示を出したのは俺だ。間違っていたならば俺の失態だ」
彼は優し過ぎる。清流のような美しい心に、私のようなヘドロが接しても良いだろうか。
「俺だって、見逃しもすれば間違いも犯す。事実、お前の家に乗り込んだ時も大失態を犯している」
「そ・・そんなことは無い。貴方はあの時、身を挺して私を守ってくれた。なんの価値も無い私なんかを・・大怪我をしてまで・・」
あんなことを二度とさせてはならない。彼の優しさを利用するようなことは・・・
「俺は知っていた、お前が強く正しい人間だと。しかし、あの男と対峙した時には失念してしまった」
私が、強く正しい・・・彼に縋らなければ生きていけない、弱い私が・・・自分の発言に責任すら持てない、卑怯な私が・・・
「警察に連絡を入れてくれたのはお前だと刑事さんから聞いたよ。あの時、お前の強さを忘れていなければ、こんな怪我せずにすんだ。俺はあの時、時間稼ぎをすべきだった。お前が、あの場でただ震えているだけの弱い人間ではないと知っていたのだからな」
「わ・・私は・・・」
「お前は強く、概ね正しい。だから信用も信頼もする。たった二人、いや、結城さんも含めて、たった三人の部活じゃないか」
涙が止まらない。彼が私をそのように見てくれていたことが嬉しく、言葉にならない。
自分が強く正しい人間とは到底思えないが、彼がそう思ってくれているのであれば、少しでも強く正しい人間となれるよう努力しよう。
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「結城さんは大丈夫、彼女は弱者から脱却する為に竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の門を叩いた。彼女の明るさは間違いなく本物であり、問題解決の為に私達の協力を受け入れてくれる」
袖口で涙を拭き、無い胸を張って今日感じたままを口にする。彼は初めから表情を変えていない。
「俺もそう思う。明日、決着させる」
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