サンスポット【完結】

中畑 道

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第二章 ブラザー・オン・ザ・ヒル

第九話 承認

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 六時限目の授業を終え、ホームルームが始まる前に教室を出た。
 昨日、片桐が結城に振舞った珈琲が如何ほどの物だったかはわからないが、俺の淹れる珈琲はそれ以上だということになっているらしい。それならば期待に応えてやろう。

 部室に着くと鞄を自分の席に放り投げ、珈琲メーカーをセットして筋トレを始める。大胸筋のトレーニングは程々にして、腹筋に取り掛かる。回数は決めず、腹筋への付加が限界だと感じてから、更に10回上半身を上下させる。俺が身体を鍛える際、最も重要な部位は腹筋だ。次は大胸筋、他は関係ないのでトレーニングは其の二ヶ所に限られる。

 充分に腹筋を痛めつけてから自席へ戻りノートパソコンを立ち上げ、昨日、片桐から受け取った結城のイラストから目ぼしいものをスキャナーで取り込み、『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』の空欄三ヶ所にそれぞれ配置した。これで完成だ。
 竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部は合宿も無ければ文化祭に参加する予定も無い。来年の竹ヶ鼻祭りまで活動予定は一切無い・・筈だった。

 俺一人、他には誰も寄りつかない薄暗い部室だったこの場所が、初めての来訪者によって真の目的の為動き出した。毎年、代わり映えのしない掲示物を作るだけの部活ではなくなった。どういう訳か俺は彼女らを放ってはおけない。特待生の使命感か、自己満足の正義感か、僅かに残っていた良心なのか、ジジイに踊らされているだけなのかはわからない。

「俺らしくもない・・・」

 答えは見つけられそうにない、だから考えるのは止めよう。出来ることなら、これ以上の来訪者が現れないことを願う。警察署や消防署と同じで、暇であるに越したことはない。

 プリントアウトのボタンをクリックすると、プリンターから具現化された『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』が少しずつ顔を出し、部室に珈琲の香りが漂い始めた。


「今日もいい香りがするー」

 明るい声と共に結城律子が部室に現れると、薄暗い部屋が少しだけ明るくなったように錯覚する。

「イラスト有難う。今完成したよ」

 産まれたての『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』を手渡すと、どれどれと嬉しそうに自分も参加した作品に目を通す。

「フーギー君、なかなかいい感じだね」

 イラストは3カットでいいと言ったにも関わらず、結城が描いてきたのは20カットだ。

 片桐は言った。結城律子は他人との距離感を測るのが苦手だと。それがこのイラストにも現れている。頑張り屋なのだろうが、どれだけ頑張ればいいのかがわからない。だから、用紙が一杯になるまで描き続ける。相手が如何ほどの物を求めているか想像出来ない為、時に温度差が生まれる。
 幾ら絵が得意だからと言ってもこれだけのイラストを描くには相当の時間を要するだろう。頼んだ側の人間が気軽な気持ちだったとしたならば、次からは依頼するのを躊躇しかねない。何事も全力で取り組むのは悪いことではないから諌言する訳にもいかない。彼女は間違っていないのだ。しかし、正しくも無い。
 事実、17匹のフーギー君が日の目を見ることは無い。白でも黒でもなく、グレーが人間社会には存在する。

「悪くないわね」

 最後に現れた片桐が結城の背後から覗き込み小刻みに頷いている。俺は 三人分の珈琲をカップに注ぎ、いつの間にか決まった彼女等の席へ丁寧に置く。最後に自分の席へカップを置き、腰を下ろす。

 誰も言葉を発せず、珈琲を口に運ぶ。静かな空間に緊張感が漂う。俺と片桐は勿論のこと、結城もこれから何かが起こると感じ取っている。今は各々が緊張を緩和する為の時間だ。

 最初に珈琲を飲み干した結城が口火を切り、静寂は終わりを告げる。

「この次はどんな活動をするの」

 手に持った『竹ヶ鼻商店街の歴史と文化』をひらひらと揺らしながら此方を窺う。

「それを完成させることのみが、この部の活動だ」

 揺らしていた手がピタリと止まり、結城の顔に驚きの表情が浮かび上がった。
 当然だ。B4サイズの掲示物たった一枚を制作する為だけの部活動など聞いたことがない。

「なんだ、もう終わりか・・・」

「まだだ、そいつはまだ完成していない」

 結城の顔が少し綻び、次に俺の発した言葉で凍りつく。

「まだ、顧問の承認を得ていない」




 昨日、これまでに得た情報と人物観から、結城兄妹に何がいつ起こったのか考え、幾つかの推測が立った。

 結城巧が勤務する学校を受験したことからも分かるように、少なくとも中学三年の冬までは兄妹の間に亀裂はなかった。嫌いな兄の居る学校を受験する道理は無い。それどころか、二人の関係はかなり良好だったと考えられる。
 受験後から入学式までの間、それも結城巧の休職が入学式前日だったことから、入学式にかなり近いタイミングで事件は起きている。その間に学校であった行事は一つ、入学説明会。入学式の一週間前に主だった校則の説明、教科書や備品の購入などを行った後に自由参加の部活動見学があった。何かが起こるのであればそこだ。

 表情が固まったままの結城に問う。

「入学説明会の日に何があった」

 曖昧な質問ではなく、あえて入学説明会の日と断定し、この件に関して明確な答えを出せと要求する。

 木下真紀に出会うまで結城に友人と呼べる人物は存在しない。彼女がこの学校を選んだのは兄が居るからだ。友人の居ない結城にとって、兄は心の拠り所であったに違いない。兄が居れば寂しくない、自分を愛し守り受け入れてくれる兄が居る学校を選ぶのは結城にとっては自然な流れだ。

「その日、何を見た」

 結城巧は大学で優秀な成績を収め、望めば如何様にも栄達出来るチャンスがあったにも関わらず地元の一教員を選んだ。それは、家族を守る為、取分けこの精神的に惰弱な妹を思うが故ではないだろうか。

「兄のどんな姿を見た」

 結城律子は兄に依存していた。兄が大学に通って離れていた時に、本来の元気で明るい彼女は影を潜め、木下真紀に出会う前の結城律子が形成された。兄への依存度はより肥大する。兄は何よりも自分を想ってくれる。兄にとって自分以上の存在は居ない。自分には兄が必要であり、兄には自分が必要だ。間違った独占欲が自我を支配する。

「あ・・ああ・ああ・・」

 恫喝に近い質問に結城は言葉を発せず、小刻みに震えだす。だが、俺は結城を見据え続ける。今、ここから逃げ出せば、彼女は青年期を終えるまで家族以外の人間に慄きながら生活を余儀なくされる可能性がある。
 既に結城律子は弱者ではないと言った片桐の言葉を、俺は信じる。

「あ・・あ・・ああ・あ」

 結城は何かを言葉にしようと必死に足掻いているが助けてやることが出来ない。

 バン!

 強く机に手を打ちつけ、静観していた片桐が立ち上がった。

「律子、負けないで」

「し、志摩ちゃん・・」

「貴女はもう弱者などではない。お兄さんを救えるのは貴女しかいないのよ。その為にここへ来たのでしょ」

 その言葉で結城の震えが止まる。涙が溜まった両目を細め、片桐に向かってにこりと微笑み、語りかけるように言った。

「嬉しい。やっと名前呼んでくれたね」

 制服の袖で両目を擦りこちらへ向き直ると、グッと歯を食いしばり自ら両頬を二度叩いた。

「全部、私が悪いの。お兄ちゃんは私を守る為に学校を休んでいる。お願い、入間川君、志摩ちゃん、お兄ちゃんが元に戻れるように手伝って。私、何でもするから」

 片桐の言う通りだ、結城律子は既に弱者ではない。

「手伝うよ、当然だ。たった三人の部活じゃないか」

 俺の言葉に、片桐が大きく頷く。

 結城は当日の出来事を話し始めた。

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