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第三章 パーフェクト・マザー
第十六話 部長
しおりを挟む「なんだか良い匂いがする」
「ほんとだ」
二人にしかルールの分からない謎の遊びをしていた結城と武志が声を上げたのは、片桐の部屋に入って二時間以上経ってからだった。
「台所かしら。様子を見てくるわ」
部屋を出ようと片桐が立ち上がったところでドアがノックされる。
「志摩子、皆さんをダイニングルームに御案内してもらえる」
「ダイニングルームですか」
「ええ、ダイニングルームよ」
客間に呼ばれると思っていた俺達は、片桐に案内され不思議に思いながらもダイニングへ向かった。
「ねえ、律ちゃん。もしかして、春ちゃんがおやつを用意してくれたのかな」
「そうかも」
移動中も楽しげな結城と武志。この二人は馬が合うのか本当に仲が良いい。
洋風の大きなテーブルが設置されたダイニングルーム。人数分の皿と箸が準備されたテーブルの席に各々が着くと、キッチンへ続くドアからエプロンを着けた春京さんが機嫌よさそうに現れた。
「お待たせ致しました」
「御祖母様。二人のお母さんは」
「はい、塔子さんにはこの家で働いてもらうことになりました」
「春ちゃん。お母さんここで働くの」
「そうよ。この家、無駄に広いでしょ。私もこの歳だし志摩子と二人だと掃除するだけでも大変なの。丁度人を雇おうと思っていたところに現れたのが家事の達人塔子さん。お願いしたら働いてもらえることになったの」
まだ小学生の武志に、体調を回復させなければならない臨。家庭のことも考えるとフルタイムの仕事は就きにくい。融通が利き、子供達がいつでも職場に顔を出せる環境は、塔子さんにとって最高の職場だ。
「早速、一仕事してもらったの。ジャーン」
楽しそうにキッチンのドアを開く春京さんと同じデザインのエプロンをした塔子さんが大皿に大量の揚げ物を乗せて入ってくる。
「「コロッケだ!」」
叫ぶと同時に臨と武志が大皿を持った塔子さんに駆け寄り、盆踊りのような謎のダンスをしながら塔子さんの周りをぐるぐると回り始めた。何をしているかわからない俺達は置いてきぼりだ。
「武志。何をやっているの」
「感謝の舞に決まっているじゃん」
「そうですよ。律ちゃん先輩の家ではやらないのですか」
結城の方がおかしいと言わんばかりの二人だが、俺の家にもそんな習慣は無い。臨と武志はまだ笑顔で踊っている。
「あのね、臨、武志」
「「なあに、お母さん」」
笑顔で踊り続ける二人に塔子さんが申し訳なさげに告げる。
「これやるの・・・・家だけなの」
「「えっ」」
二人がピタリと動きを止めた。
「うっ、嘘ですよね。お母さん・・・」
「嘘じゃないわ。初めはお父さんが、大好物のコロッケが夕飯のおかずだと喜んで、ふざけて私の周りをぐるぐる回っていたの。それがいつの間にか臨と武志も加わるようになってしまって・・・」
「騙された・・お父さんに騙されました。みんなが大好きなコロッケが夕飯の日には、作ってくれた人へ感謝を込めて踊ると、日本中どの家庭でもやっていると、私には言ったのです」
「多分、冗談のつもりだったのよ・・・」
「先輩たちの前で・・恥をかかされました・・・ゆ・・許せません。今度お墓参りに行ったときは断固抗議させてもらいます」
「まあまあ、姉ちゃん。俺も薄々おかしいとは思っていたし。なんでコロッケの日だけなんだろうって。カレーやハンバーグだって美味しいのに」
「武志は小学生だからそんなことが言えるのです。私は高校生ですよ。先輩たちの前で醜態まで晒して・・・」
両膝をつき打ちひしがれる臨に片桐が声を掛ける。
「大人になるまでサンタさんのことを信じている人もいると聞くし、臨もそれ程落ち込まなくても大丈夫よ。それより折角なのですから、立花家自慢のコロッケを頂きましょう」
片桐の言葉で臨もなんとか立ち直り、漸くテーブルに運ばれてきたコロッケ。見た感じ一般的なものと変わりない。
「皆さん。家のお母さんのコロッケは世界一なのです。堪能してください」
「ちょっと、臨。大袈裟よ。皆さんのお口に合わなかったら恥ずかしいじゃない」
「大丈夫です、お母さん。私が保証します」
そこまで言い切られると流石にどれ程のものか気になる。臨の記憶の中で補正はされているだろうが、料理上手な塔子さんの数あるレパートリーの中で一番の得意料理となると美味しいのは間違いなさそうだ。
「では、頂きましょう」
春京さんの声と共に、一斉に箸が伸びる。大皿に盛られたコロッケは家庭で作ったとは思えない程形が均一で、衣の色にもほとんど違いが無い。こんなところにも人間性が垣間見える。
「美味しい。なにこれ、ただのコロッケなのに物凄く美味しいわ」
「本当ね。これは臨さんが自慢したがるのも理解できる」
ほー。片桐はともかく、美味しいものなど食べ慣れている春京さんまで唸らせるとは。更に期待値が高まってくる。
「あの、塔子さん。このコロッケは何か特別なレシピで作ったのですか」
「いいえ、どこにでもある一般的な材料です。私なりにしいてコツを上げるなら、正確に分量を量ることです。ジャガイモ五個に対して挽肉や調味料の分量を量るのではなく、正確な重量に対して決めるのです。料理本などはアバウトな書き方をしていますが、ジャガイモは一つ一つが大きさも重さも違いますから」
なるほど理に適っている。彼女の性格と料理は実に相性がいい。
「塔子さん。時間があるときで構いませんので、私に料理をご教示いただけませんか。どうしても美味しい料理を食べてもらいたい人がいるのです」
「はい、お嬢様。いつでも仰ってください」
「私のことは志摩子とお呼びください。これから、よろしくお願い致します」
これから使用人となる塔子さんと片桐が良い関係を築けそうでなによりだ。
そういえば結城の奴がやけにおとなしいと思ったら、武志と並んで無言でバクバクとコロッケを口に運んでいた。
「入間川先輩も食べてください」
「ああ、頂くよ」
臨に促され箸をつける。なるほど、これは確かに美味い。本職が揚げたような均等な揚げ具合。ジャガイモが丁寧に潰されており、挽肉もジャガイモの味を引き立てているが変な主張は一切してこない。味付けもされているようだが、ジャガイモ本来の甘味を最大限に引き出すため極少量だ。これをジャガイモの正確な量に合わせて挽肉や調味料の量を決めているとは恐れ入った。
更に食感がこのコロッケを特別なものにしている。衣やジャガイモの潰し方が丁寧な分、中に入ったこいつが異彩を放つ。まったく違った食感が現れるのに、それがたまらなくこのコロッケの魅力になっている。
「卵の白身か」
「惜しいです。正解は刻んだゆで卵です。このコロッケこそ立花家自慢の卵たっぷりコロッケなのです」
「なるほど、黄身がジャガイモの甘さを増し、白身が良いアクセントになっているということか。」
「そうです。流石に理解が早いです」
「ところで・・」
「はい?」
「ちゃんと入間川と言えるじゃないか」
「えっ」
「さっき俺のことを入間川先輩と呼んでいたぞ。まあ、呼び方なんて何でも構わんが」
臨の俯く。耳が真っ赤だ。
「はー、美味しかった。そう言えば、武志も入間川君のこと部長って呼んでいたよね」
「律ちゃん。余計なこと言うなよ」
その話を聞いて塔子が嬉しそうに臨と武志を見ながら教えてくれた。
克己さんが亡くなる一カ月前、部長に昇進した。家族で昇進祝いをした際、父親が照れるのを面白がって家でも臨と武志は部長と呼んでいた。二人と父親の最後の想い出が偶然入間川の役職と同じ『部長』だったのだ。
「多分二人とも、ただ部長って呼びたかっただけなのよね」
「おっ、お母さん。乙女の秘密を簡単にばらしてはいけません」
母親に抗議する臨。プイっと顔を反らしてしまった武志。母親の推測は正解らしい。
「おかしいと思ったよ。いくら何でも姉弟揃ってイルカ川はない」
俺の言葉に、俺以外の皆が一斉に笑った。
三年間苦しんだことが嘘のように臨と武志と塔子さんは元の関係に戻っている。一家の中心だった父親の事故死。この家族を襲った突然の不幸から本当の意味で今日立ち直った。
昼食を隠れて摂る為、偶然、竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部を訪れた少女が、今は皆の中心で笑っている。母親の真面目さと父親の明るさを併せ持ったこの姉弟は、これからも力を合わせ如何なる困難を乗り越えて行くだろう。
「臨。このコロッケは世界一だ」
「わーい、やったー」
お決まりのセリフで、両掌を広げ万歳をする臨は、本当に可愛らしい。
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