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第三章 パーフェクト・マザー
第十七話 親分
しおりを挟む楽しい時間が過ぎるのは早いものだ。皆をに送る為、玄関から庭を抜け門まで彼の後ろを歩く。
臨、武志君、塔子さん。止まっていた時間が動き出した家族。傍にいる律子と御祖母様。皆が笑っている。彼だけが、まるで自分がその場に入ってはいけないと言い聞かせているように少し距離を取って別の方向を向く。まもなく沈む太陽の狂ったような輝きがが、彼の存在を薄く溶かしてしまいそうで心が粟立つ。
「竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の皆さん。この度は本当にご迷惑をお掛けしました。皆さんに頂いたチャンス、決して無駄には致しません。必ずこの子たちを立派に育て上げ、いつの日か、天国の主人に自慢できるような幸せな家庭を作り上げます」
塔子さんの晴れやかな笑顔がこれからの立花家の行く末を示唆している。きっと笑いの絶えない家庭になるだろう。
「春ちゃん。また遊びに来てもいい」
「来てもいいではなくて、来なければ駄目なのよ。だって私達は友達なのだから」
律子も加わり、三人で何やら計画を立て始める。中心に立つ武志君を塔子さんが優しい眼差しで見つめていた。
「片桐先輩、ありがとうございました。沢山服も頂いて何から何まで、本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
「あのー、これからは志摩子先輩って呼んでいいですか」
「ええ、嬉しいわ」
「わーい、やったー」
可愛らしいこの少女の笑顔を守ることができて本当に良かった。彼と律子と共にこの一週間してきたことが、今こうして報われる。
「それでは、俺は失礼します。春京さん、この度はお力添えありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。有能な家政婦さんを紹介していただいて」
軽い挨拶を交わして彼が家路に着く。更に傾いた太陽が放つ黄昏時の薄暗い黄金の輝きに飲み込まれていく彼の背中を見送りながら思い出す。
木下真紀が話してくれた彼との出会いを。
「おい、ちび助。邪魔だ」
母親が事務員をしている学習塾の向かいの公園。私は夏休みに入ってから毎日この公園で遊びながら母親の仕事が終わるのを待っていた。
一時間以上かけて作った大作のお城が蹴飛ばされ、一瞬にして砂塵に帰す。この公園では見慣れない大柄な中学生三人組が私を威嚇する。逃げようとしても恐怖で体が動かない。そんな絶体絶命のピンチに彼は颯爽と現れた。
「ルールが守れないなら出て行ってもらえないか」
「なんだ、クソガキ。俺達に文句があるのか」
「あるから言っている」
私の前に立ち塞がった私と同じくらいの背丈の少年は、たった一人で三人の中学生に立ち向かう。彼のことは知っている。屋根付きのベンチで本を読んでいるのを何度か見かけたことがあった。
「うるせえ」
中学生のリーダーらしき男が声と共に乱暴な蹴りを繰り出す。彼はまるで予測していたかのように軽くかわした。
「先に手を出したのは、あんた達だからな」
そう言って半身に構えると、彼は凄い迫力で中学生を睨みつける。
「お、おい、もう行こうぜ」
「チッ、覚えていろよ」
人数も、体格も圧倒的に有利な中学生たちが逃げるように公園から去っていく。彼は私に声を掛けることも無く、何事もなかったかのように平然とベンチに戻っていった。
お礼を言わなければ。服の汚れを払い慌てて彼を追う。
「あ、ありがとう」
「ああ、気にするな」
あんなことがあっても彼は息一つ切らさず冷静に話す。強さをひけらかすことも無ければ、偉ぶりもしない。まるでヒーローのようだ。
「一緒に遊ぼうよ」
「嫌だね」
前言撤回。勇気を出して誘っているのに、つっけんどんに跳ね返された。だが、不思議と恐怖は感じない。
「ねえ、一緒に遊ぼうよ」
「嫌だと言っている」
「友達になってよ」
「お断りだ」
「なんで、さっき助けてくれたのに」
彼は面倒くさそうに読んでいた本に栞を挟むと、漸くこちらを向いてくれた。
「お前の言う友達とは助けてくれる人のことを言うのか。だとしたらそこには明確な利害がある。そんなものを友達とは言わない」
「難しくてよく分からないよ。ねえ、友達になってよ」
「ふん、お断りだ。子分にならしてやる」
「えっ、本当。やったー」
「お前、意味が分かって喜んでいるのか」
「うん。子分にしてくれるんでしょ。わーい、子分だ、子分だ」
「勝手にしろ」
「ありがとう親分。私は、沖田真紀。親分は」
「鍋島息吹だ」
「なんか、かっこいい名前だね」
「適当なことを言うな」
「へへへっ」
翌日からは私も本や夏休みの宿題を持って公園に行った。親分は私と同じ小学五年生で隣町の学校に通っており、私のお母さんが事務員をしている学習塾で、親分のお母さんは講師をしているらしい。
積極的に話しかけてはこないが、話し掛ければ応じてくれる。私が遊具や砂場で遊んでいると、それとなく気にかけてくれているのもわかった。言葉はぶっきらぼうだが本当は優しい。宿題も分からない問題があると、聞けば教えてくれる。親分は滅茶苦茶頭が良かった。
いつも私より先に公園にいて私より後に帰る。私のお母さんはパートだから仕事は十六時迄だけど、親分のお母さんはもっと遅くまでらしい。この公園に来ている理由が親分と同じで少し嬉しい。
親分には「たまき」と呼ばれている。多分、私の名前から「沖」だけを取ったものだ。あまり渾名で呼ばれることが今迄無かったので、私は気に入っている。
親分はたまに変な質問をしてくる。
「おい、たまき。お前いつも長袖長ズボンだけど暑くないか」
「うん。平気だよ」
「おい、たまき。お前毎日ここに来ているが、学校の友達はいないのか」
「沢山いるよ。こう見えても私、学級委員なんだよ」
「おい、たまき。お前学校のプールとか行かないのか」
「行かないよ。あんまり水泳得意じゃないし。親分だって行ってないじゃん」
「おい、たまき。俺の家は母子家庭なんだがお前の家もそうなのか」
「お父さんもいるよ」
「おい、たまき。少し背中見せてみろ」
「えっ、なんで・・・」
「いいから、見せてみろ」
「やだよ・・恥ずかしいよ・・・」
「じゃあ、子分は今日までだ」
「えっ、なんで。やだよ」
「だったら背中を見せろ」
「やだ。絶対にやだ」
その日、親分は口を聞いてくれなかった
「じゃあね、親分。お母さん迎えに来たから・・・」
親分は返事をしてくれない。もしかしたら本当に子分を首になったのかもしれない。トボトボとお母さんのもとまで行く。
「あら、どうしたの親分さん」
気付くと親分が私の後ろにいた。
「こいつが公園に来るようになってから気になっていて」
「なにが」
親分が私のお母さんと話し出した。私とは口を聞いてくれなかったのに。
「中学生に虐められそうになっていたとき、異常に怯えていたからもしかしてと思って」
「親分さん、何の話」
「話してみると性格も明るいし、学校に友達がいないタイプでもない」
「親分さん・・・」
「なのにプールにも行かず、毎日ここへ来ている」
「・・・・・・・・・」
「この暑い中、毎日長袖長ズボン」
親分が私の方を見る。
「おい、たまき。背中見せてみろ」
「やだ」
私は親分に服を捲られないようしゃがみ込んだ。
「おばさん。こいつ、父親に虐待されていますよ」
「嘘・・・」
お母さんが慌てて私の服をまくり上げる。背中にある沢山の痣が曝された。私は泣いてしまった。親分の前で泣くのは恥ずかしいけれど、涙が止まらない。
「ど・・どうして・・・」
お母さんは驚きながらも私の頭を撫でてくれた。それでも私の涙は止まらない。
「真紀ちゃん。お父さんがやったの」
「ひっく、ひっく、う・・うん・・・」
「どうして言わなかったの」
「ひっく、ひっく、誰かに・・誰かに言ったら・・もっとひひどい目にあわせるって・・」
お母さんが私を抱きしめてくれた。凄く温かい。涙はどんどん溢れてくる。お母さんも泣いていた。
「ごめんね、真紀ちゃん。気付いてあげられなくて。もう大丈夫だからね」
「おばさん。俺も一緒に行きましょうか」
「親分さん・・・」
「なんだか、俺、こいつの親分にされちゃったし。子分の面倒は見ないと」
お母さんが立ち上がって涙を拭いた。私はまだ泣いている。
「大丈夫。この子は私がしっかり守るから。ありがとう、親分さん。気付いてくれて、本当にありがとう」
その日、私は家に帰らずお祖母ちゃんの家に泊まった。お母さんがずっと一緒にいてくれて、一緒の布団で寝た。お母さんは私の頭をいっぱい撫でながら、すっと「ごめんね」を繰り返していた。
次の日、お母さんは朝早くから出かけ、夜、大きなカバンに私とお母さんの荷物をいっぱい持って帰ってきた。さらにしばらくして、私達は新しいマンションに引っ越した。名前も沖田真紀から木下真紀に変った。あの日以来親分には会っていない。
「真紀ちゃん。新しい学校どこか知っている」
夏休み最後に日。私は明日から新しい学校に通うことになっている。友達と別れの挨拶が出来なかったのは少し寂しい。
「どこなの?」
今日の夕食は私が大好物のシチューだ。お母さんが作りながらニコニコしている。
「隣町の学校」
「それって、親分と同じ学校」
「そうよ。あの後、親分さんに会えなかったから、新しい学校では沢山遊べるわね」
「やったー。ありがとう、お母さん」
私は料理をするお母さんに後ろから抱き付く。親分と同じ学校に行ける。明日が待ち遠しい。
出来上がったシチューを食卓に並べる。早く食べたくてお母さんをせかしていると、お母さんの動きが突然止まって、テレビから流れるニュースに釘付けになる。
「どうしたの、お母さん。早く食べようよ」
お母さんが泣き出した。子供みたいに大きな声をあげ泣き出した。
「そんな・・どうして・・・・」
お母さんが泣き止まない。私は心配になって背中をさする。
「どうして・・親分さんが・・・」
泣き止まないお母さんの背中をさすり続ける。この時まだ、私は親分の身に何が起きたのかわかっていなかった。
木下真紀は私を見据えたまま涙を流す。
「親分は私に気付いてくれたのに、私は親分のことに何も気付けなかった」
それは不可能だ。誰もが彼のように僅かな情報や違和感で気付くことなど出来る訳がない。
「親分が私に気付けたのは、親分も・・・あの時・・・」
何も変わっていない。彼は誰でも救う。
誰も彼を救わない。
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