一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第822話 卵がゆ

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 左脇に挟んだ体温計が、ピピッと小さな音を立てる。小さいとはいいながら、結構耳に響く音だ。えーっと……
「三十七度五分」
 ……嘘かほんとか分からないが、左の方が体温は高いらしいので、今度は右で計ってみる。
 今日は土曜日、課外もないし、焦ることはない。最近は涼しくなってきて、うめずの散歩もしやすくなった。とはいえ、暑い時間帯もあるので、クーラーのお世話にはなっているが。
 音が鳴った。えー、体温は……
「三十七度七分」
 ……どうやら、風邪をひいたらしい。

「……はっ」
 とりあえずばあちゃんに連絡して、それからぼんやりと天井を見上げていたら、一瞬寝落ちしてしまったようだ。今日は何だかうっすらと冷える。あ、熱があるからか。
「うめずー、今日はじいちゃんかばあちゃんと散歩に行ってくれるか?」
「わうっ」
「すまんなあ、連絡はしてるから……」
 ん? なんか視界の端がやかましい。あー、本を起きっぱなしにしてたのか。ブランケットも散らかってるし、そういえば、台所の棚の片付けもしたいと思っていたんだっけ。いかん、頭がふわふわする。
 でも何だろう、やる気は十分だ。
「片づけちゃうか」
「わう」
 うめずが何か言いたげにこっちを見ているので、頭をなでる。
「散歩にはいけないけど、家にはいるから」
「わうぅ」
「んー? 大丈夫だって」
 まずは本を所定の位置に戻して、ブランケットは……今日は秋晴れという言葉にふさわしい、いい天気だし、洗って干してしまおう。
「よいしょっと」
 洗濯機にブランケットを放り入れ、洗剤入れてっと……
「ちょっと春都、何やってんの」
「あ、ばあちゃん」
 気づかなかった。
「今日はいい天気だから、洗濯しようかなって。それと台所の棚の掃除と……」
「熱あるんでしょ! 寝てなさい!」
「えー、意外と元気だし、大丈夫……」
「まず病院行くよ。今なら当番医開いてるから」
 あれれ、なんかわけわかんないうちに着替えさせられたし、荷物持たされるし。
 外の空気が秋の匂いだ。風が冷たくて、肌がピリピリする。あ、ピリピリすんのは熱のせいか。熱の時って、なんでこんな感じになるんだろうなあ。

 いろいろ検査して、やっぱりただの風邪だと分かった。インフルとかじゃなくてよかった、とばあちゃんが言っているのをぼんやりと聞きながら、パジャマに着替える。
 途端に、疲れというか、きつさが襲って来てふらっとする。
「ベッドまで行ける? 大丈夫?」
「大丈夫……寝てくる」
「何かあったら呼びなさいね」
 ベッドに入ってから、しばらく記憶がない。汗だくになって気持ち悪くなって目が覚めた。起き上がって着替えようとも思ったが、倦怠感の方が勝ってしまって中々動けない。あ、ばあちゃんは……
「ばあちゃん……」
「ああ、起きたのね。そろそろ起こしに行こうかと思ってたの。ほら水分とって。着替えは準備してるから」
 汗をかいたおかげか、ちょっとすっきりした気がする。でもまだまだ体調が悪いことは分かる。ああ、分かるようになっただけいいのか。
 すっかり着替えて、りんごジュースをちびちび飲む。この甘さが、風邪の体に染み渡るんだ。
 あ、ブランケットが片付いている。やろうとしてた家事も全部終わっている。その思考を読んだように、ばあちゃんが言った。
「ブランケット、乾燥機にかけたからふかふかよ」
「ありがとう」
「ご飯は食べられそう?」
「うん」
 ソファに横になって、ブランケットにくるまる。清潔な匂いのするブランケットはほんのり暖かくて心地いい。あ、うめずが来た。
「くぅん」
「大丈夫だ、ごめんな」
「わうっ」
 うめずはソファに寄り添うようにして伏せた。片づけてるときは、止めようとしてたのかなあ。
 少しうとうとして、目が覚めたら、ばあちゃんが台所に立っているのが見えた。
「お粥できるけど、食べる?」
「食べる」
 ソファにぼんやりと座ったまま、お粥を待つ。なんか、小さい子どもになった気分だ。
「はい、ゆっくり食べなさいね」
ばあちゃんが持って来てくれたのは、シンプルな卵がゆだった。それと、小さな梅干し。これもばあちゃんのお手製だ。
「いただきます」
 真っ白なお米に薄黄色いふわふわの卵、ホワッと湯気が立ち、優しい香りが鼻をかすめる。
 トロトロのお米は、風邪をひいてくたびれた体にやさしい。うっすらと塩の味がするのがいいんだ。風邪ひいてるときは特に、おいしく感じる。
 ゆっくりと胃に落ちていくこの感覚。はあ、温まるなあ。
 卵がフワッフワで食べやすい。カチカチのところとか、半生のところが一切なくて、均等に火が入っていて、おいしい。
 卵とお米の味って、なんでこんなに優しいんだろう。落ち着くというか、安心するというか。
「おいしい?」
「おいしい」
「それはよかった」
 ばあちゃんは水と薬の準備をしながら笑った。
「それだけ食べられるなら、少しはいいみたいね。お薬飲んで、また寝てなさい。季節の変わり目で疲れちゃったのね」
「うん……ありがとう」
「ふふ、たまにはいいなあ、って思ったでしょ」
 げ、ばれてるか。だって風邪の時くらいしか、大手を振ってこんなふうにゆっくりできないし。というか、それでも何かしなきゃって気分になって、そわそわするんだけど。
 ばあちゃんは冷えピタを持ってきて、「おでこ出しなさい」と言ってきた。
「それ、苦手……」
「でもきついのは嫌でしょ?」
 うっ、冷たい。スーッとする匂いがして……うう、でも、仕方ない。
 ばあちゃんは笑うと、優しく頭をなでてきた。
「元気な時でもいいから、たまには甘えなさい。ね?」
 ……風邪をひくと、どうにも涙腺が緩むらしい。ちょっとしたころで花がツーンとしてしまう。あ、きっとこれは冷えピタのせいだ。
「うん、分かった」
「約束ね」
「うん」
 早く元気になろう。そんで、思いっきりばあちゃんのご飯を食べるんだ。
 梅干しを口に放り込む。
「酸っぱい」
「元気になるよ~」
 確かに、これは効きそうだ。

「ごちそうさまでした」
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