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日常
第二十九話 ハヤシライス
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ありとあらゆる食事にまつわる論争は、留まるところを知らない。
そもそも食事というのはあまねく生物に必要なものでありながら、案外おざなりにされがちなものでもある。そして、争いの火種となることも多々あるのだ。
食べ物の恨みは恐ろしい。そんな言葉があるくらいだ。
から揚げにレモンは必要か否か、ハンバーガーのピクルスは抜くか抜かないか、トッピングなんかのねぎはありかなしか、ショートケーキのイチゴは最初に食べるか最後に食べるか、酢豚のパイナップルは許せるかどうか――
例を挙げだせばきりがないが、今、俺が煮込んでいるものも、火種となりやすいものの一つといえるだろう。
時は遡ること数時間前。
例によって夏休みの午前課外が終わった後、咲良と廊下でだべっていたら百瀬が朝比奈を連れてやってきた。
「なーなー、お前らにも聞いてみていい?」
「なんだ」
百瀬はやけに真剣な顔をして聞いてきたものだ。
「カレーとハヤシライス、どっちが好きだ?」
その表情と質問内容の温度差に、思わず咲良と目を見合わせ、次いで朝比奈に視線を向けた。どうやら朝比奈もその質問をされたらしい。
「なんか、家族で意見が分かれたらしい」
百瀬は真剣な表情のまま、腕を組んでうなった。
「俺はどっちかっていうとハヤシライスが好きだけどさあ……うちの家族はカレー派が多いんだよ」
「あー……結構意見分かれるよな」
咲良は苦笑すると少し考えこんで口を開いた。
「俺はカレーが好きだな。俺、辛い方が好き」
「そっかあ……一条は?」
「俺? 俺は……」
どうだろう。食べる回数が多いのは圧倒的にカレーで、ハヤシライスを作ることは少ないかもしれない。だからといってハヤシライスが苦手とかいうわけではない。あの甘さがどうしても食べたい時がある。
「お前はどっちも好きだろ」
「いや、それはまあ……」
咲良に指摘され、そうだけど、と思わず口ごもる。
「学食にはハヤシライスってないよね、そういえば」
「あれ、なかったっけ?」
「あったような気もしなくもない」
「どっちだよ」
咲良と百瀬が二人してあーだこーだ話しているのを横目に、俺は荷物を背負いなおす。
「ハヤシライスは日替わりで出たことあるだろ」
「覚えてんのか?」
朝比奈が少し驚いたように聞くので、俺は首を横に振って否定の意を示す。
「いや、クラスのやつがさ、カレー頼んだのにハヤシライスが出てきたって騒いでたから。たまたまな」
「なるほど」
俺の言葉を聞いて、朝比奈はふと思いついたように言った。
「そういや、カレーうどんはあるけど、ハヤシうどん? みたいなのは聞いたことないな」
「あー、それもそうだな」
ハヤシうどん、確かに見たことはない。世界は広いし、どこかしらにはあるのかもしれないけれど。
「それこそ、ハヤシライスの日にカレーうどん頼んだら出てきたかも」
朝比奈が真顔で言うものだから、俺も真剣に味を想像してしまう。
「カレーのつもりで食ったらびっくりするかもしれないが、案外うまいかもな」
「うどんよりスパゲッティの方が合いそう」
「分かる。てかそんな料理なかったっけ?」
「あったような気もする」
そんな話をしていたら食いたくなってきたじゃないか、ハヤシライス。
うーん、ハヤシライスって、牛肉だったよな。うち、豚肉しかないんだけど、作れるかなあ。
というわけで、今に至る、というわけだ。
帰りにハヤシライスのルーを買った。箱の裏の作り方を見ると『豚肉でもおいしく作れます』と書いてある。よかったよかった。
肉や魚なんかが安くなるのは夕方からで、昼間はあまり安くならない。課外は午前中にあるし、帰りに買い物に行っても特売品以外は安くない。かといって、一度家に帰って、べらぼうに暑い夕方にまた買い物に行くのもしんどい。よっぽどのことがない限り外には出ない。だから牛肉もめったに口に入らない。
さて、ハヤシライスの具材はシンプルに玉ねぎと肉のみ。マッシュルームとかブロッコリーとか入れてもいいらしいけどな。
玉ねぎは薄すぎず厚すぎずといった程度に切る。肉は細切れなのでそのままで良し。
ハヤシライスはフライパンで作る。
まずは玉ねぎを炒める。玉ねぎが透き通るぐらい、あめ色になる一歩手前か、あるいは片足突っ込んだぐらいになったらオッケーだ。それにしても、あめ色になっていく玉ねぎって、見ていて飽きない。なんだかワクワクするというか、うまくあめ色になると嬉しい。
そしたらそこに豚肉を投入する。火が通ってきたら水を入れる。
あくを取ったらルーを入れる。かたまりが残らないようにしっかり溶かし、後は煮込んで完成だ。
うどんもスパゲッティも気になるが、今日はご飯で食べることにする。
「いただきます」
煮込んでいるときから感じてはいたが、トマトの香りが結構する。口に含めばそれがより一層際立った。ルーのとろりとした口当たりを味わっていれば、ハヤシライス特有の甘さが鼻に抜ける。
玉ねぎも程よく食感が残っていていい。甘さが加わってコクが増す。
ご飯が甘いことを許せるか否かも、結構意見が分かれるよな。ちなみに俺はおいしくて、食べ物を粗末にしていなければ、甘くても甘くなくてもいい。
毎日毎日、何が食べたいかは変わるものだ。一日のうちにだって目まぐるしく変わることもある。朝のうちに「今日はこれだ!」って決めていたとしても、その日に起きた事とか、気分の変わり具合とか、天気とか、冷蔵庫の中身とかで変わることもある。俺なんてしょっちゅうだ。
だからあれだ。カレーの気分の日もあれば、ハヤシライスの気分の日もあるってことだ。
好き嫌いは分かれるだろうけど、それは当然のことだし、押し付けるものでもないし、誰かと一緒である必要もないし……。
いろいろ難しく考えすぎたな。
カレーライスも、ハヤシライスも、それぞれに良さがあるってもんだ。俺はどっちかなんて選べない。
少なくとも今日、俺は、ハヤシライスが食えて満足だ。
「ごちそうさまでした」
そもそも食事というのはあまねく生物に必要なものでありながら、案外おざなりにされがちなものでもある。そして、争いの火種となることも多々あるのだ。
食べ物の恨みは恐ろしい。そんな言葉があるくらいだ。
から揚げにレモンは必要か否か、ハンバーガーのピクルスは抜くか抜かないか、トッピングなんかのねぎはありかなしか、ショートケーキのイチゴは最初に食べるか最後に食べるか、酢豚のパイナップルは許せるかどうか――
例を挙げだせばきりがないが、今、俺が煮込んでいるものも、火種となりやすいものの一つといえるだろう。
時は遡ること数時間前。
例によって夏休みの午前課外が終わった後、咲良と廊下でだべっていたら百瀬が朝比奈を連れてやってきた。
「なーなー、お前らにも聞いてみていい?」
「なんだ」
百瀬はやけに真剣な顔をして聞いてきたものだ。
「カレーとハヤシライス、どっちが好きだ?」
その表情と質問内容の温度差に、思わず咲良と目を見合わせ、次いで朝比奈に視線を向けた。どうやら朝比奈もその質問をされたらしい。
「なんか、家族で意見が分かれたらしい」
百瀬は真剣な表情のまま、腕を組んでうなった。
「俺はどっちかっていうとハヤシライスが好きだけどさあ……うちの家族はカレー派が多いんだよ」
「あー……結構意見分かれるよな」
咲良は苦笑すると少し考えこんで口を開いた。
「俺はカレーが好きだな。俺、辛い方が好き」
「そっかあ……一条は?」
「俺? 俺は……」
どうだろう。食べる回数が多いのは圧倒的にカレーで、ハヤシライスを作ることは少ないかもしれない。だからといってハヤシライスが苦手とかいうわけではない。あの甘さがどうしても食べたい時がある。
「お前はどっちも好きだろ」
「いや、それはまあ……」
咲良に指摘され、そうだけど、と思わず口ごもる。
「学食にはハヤシライスってないよね、そういえば」
「あれ、なかったっけ?」
「あったような気もしなくもない」
「どっちだよ」
咲良と百瀬が二人してあーだこーだ話しているのを横目に、俺は荷物を背負いなおす。
「ハヤシライスは日替わりで出たことあるだろ」
「覚えてんのか?」
朝比奈が少し驚いたように聞くので、俺は首を横に振って否定の意を示す。
「いや、クラスのやつがさ、カレー頼んだのにハヤシライスが出てきたって騒いでたから。たまたまな」
「なるほど」
俺の言葉を聞いて、朝比奈はふと思いついたように言った。
「そういや、カレーうどんはあるけど、ハヤシうどん? みたいなのは聞いたことないな」
「あー、それもそうだな」
ハヤシうどん、確かに見たことはない。世界は広いし、どこかしらにはあるのかもしれないけれど。
「それこそ、ハヤシライスの日にカレーうどん頼んだら出てきたかも」
朝比奈が真顔で言うものだから、俺も真剣に味を想像してしまう。
「カレーのつもりで食ったらびっくりするかもしれないが、案外うまいかもな」
「うどんよりスパゲッティの方が合いそう」
「分かる。てかそんな料理なかったっけ?」
「あったような気もする」
そんな話をしていたら食いたくなってきたじゃないか、ハヤシライス。
うーん、ハヤシライスって、牛肉だったよな。うち、豚肉しかないんだけど、作れるかなあ。
というわけで、今に至る、というわけだ。
帰りにハヤシライスのルーを買った。箱の裏の作り方を見ると『豚肉でもおいしく作れます』と書いてある。よかったよかった。
肉や魚なんかが安くなるのは夕方からで、昼間はあまり安くならない。課外は午前中にあるし、帰りに買い物に行っても特売品以外は安くない。かといって、一度家に帰って、べらぼうに暑い夕方にまた買い物に行くのもしんどい。よっぽどのことがない限り外には出ない。だから牛肉もめったに口に入らない。
さて、ハヤシライスの具材はシンプルに玉ねぎと肉のみ。マッシュルームとかブロッコリーとか入れてもいいらしいけどな。
玉ねぎは薄すぎず厚すぎずといった程度に切る。肉は細切れなのでそのままで良し。
ハヤシライスはフライパンで作る。
まずは玉ねぎを炒める。玉ねぎが透き通るぐらい、あめ色になる一歩手前か、あるいは片足突っ込んだぐらいになったらオッケーだ。それにしても、あめ色になっていく玉ねぎって、見ていて飽きない。なんだかワクワクするというか、うまくあめ色になると嬉しい。
そしたらそこに豚肉を投入する。火が通ってきたら水を入れる。
あくを取ったらルーを入れる。かたまりが残らないようにしっかり溶かし、後は煮込んで完成だ。
うどんもスパゲッティも気になるが、今日はご飯で食べることにする。
「いただきます」
煮込んでいるときから感じてはいたが、トマトの香りが結構する。口に含めばそれがより一層際立った。ルーのとろりとした口当たりを味わっていれば、ハヤシライス特有の甘さが鼻に抜ける。
玉ねぎも程よく食感が残っていていい。甘さが加わってコクが増す。
ご飯が甘いことを許せるか否かも、結構意見が分かれるよな。ちなみに俺はおいしくて、食べ物を粗末にしていなければ、甘くても甘くなくてもいい。
毎日毎日、何が食べたいかは変わるものだ。一日のうちにだって目まぐるしく変わることもある。朝のうちに「今日はこれだ!」って決めていたとしても、その日に起きた事とか、気分の変わり具合とか、天気とか、冷蔵庫の中身とかで変わることもある。俺なんてしょっちゅうだ。
だからあれだ。カレーの気分の日もあれば、ハヤシライスの気分の日もあるってことだ。
好き嫌いは分かれるだろうけど、それは当然のことだし、押し付けるものでもないし、誰かと一緒である必要もないし……。
いろいろ難しく考えすぎたな。
カレーライスも、ハヤシライスも、それぞれに良さがあるってもんだ。俺はどっちかなんて選べない。
少なくとも今日、俺は、ハヤシライスが食えて満足だ。
「ごちそうさまでした」
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