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日常
第六十七話 体育祭弁当
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予行練習もつつがなく終わり、体育祭当日。
雨が降ってくれるかとも思ったが、カーテンを開けて見えるのはすがすがしい青空だ。
「弁当作ろ……」
寝巻から体操服に着替え、台所に立つ。
今日の弁当は一人分だが、昼休みはいつもより長いのでちょっとデザートまで用意することにした。みかんと、ブドウと、缶詰のサクランボ。ブドウは例のごとくばあちゃんからもらった。
まず、俵型の塩おにぎりに海苔を巻いて弁当箱に詰める。もちろん、あのハムとマヨネーズのロールサンドイッチも作る。おかずはからあげ、弁当用の少し小さな海老天、ハム巻き、ウインナー、卵焼き……といったところだ。
朝飯は必然的に弁当の残りになる。でも、朝は出来立ての味を昼は弁当ならではの味を楽しめるので全く問題はない。むしろ昼への期待値が高まるというものだ。
体育祭自体はそこまで楽しみではないが、昼飯は楽しみだ。
普段とは少し違う空気に、これでも少しは浮かれているのだ。
校門の前に置かれた看板の『体育祭』の文字が嫌にまぶしい。
グラウンドではもう、放送部によって放送機材の設営が進められていた。練習の時から本番同様に準備してたし、音響の管理もして、大変そうだった。
「あ、一条。おはよう」
「おー、おはよー」
昇降口で朝比奈と会った。せわしなく行ったり来たりしている実行委員だか生徒会だか分からない生徒を避けつつ教室へと向かう。
「なあ、今日、誰か来る? 体育祭見に」
おもむろに聞かれ、俺は首を横に振った。
「いや来ないな。朝比奈んとこは?」
「来ない」
「だよなー、でも結構毎年、保護者席ぎゅうぎゅうじゃね?」
「そう、それ。しかも過激派が絶対一人か二人はいる」
朝比奈はさも当然のごとく、いや、どちらかといえばうんざりした様子というか戦慄した口調でつぶやく。
「過激派ってなんだよ」
「ひたすら自分の子どもの名前叫びまくる親」
「あーね、いるわ」
確かにいる。そういう親。ま、人んちのことだし俺が口をはさむ権利はないけど、子どもの方は、見てるこっちがいたたまれなくなるような表情をしているときがある。
「コンサート会場か? ってぐらい叫ぶよな」
「いつかペンライトとか、うちわとか持ってくる親がいたりして」
その光景を想像して、少し笑ってしまう。
そうなったら本当にイベント会場みたいだな。
「実際、ファンクラブとかあるらしいぜ」
後ろから声が聞こえて振り返れば、咲良と百瀬がいた。
「おはよー」
「おう、おはよう。え、ファンクラブって、マジ?」
教室に入ってもすることがないので、四人そろって廊下で話すことにした。
「おう、マジだぜ。俺が知ってるのはもう卒業した先輩なんだけど」
咲良は少し声を潜める。
「学校側に知られたらやべーし、大声で話せないんだけどさ。それが結構すごいらしくて」
「そりゃまあ、生徒のファンクラブが保護者の間で作られてたらなあ……」
「男子?」
「男子、男子」
つられて俺たちもひそひそ声になる。
「なんか、放送部の先輩だったらしいんだけど。めっちゃ声がよくて、顔もよかったらしくて。奥様方がもうほっとかないわけよ」
咲良は苦笑にも似た笑みを浮かべて続けた。
「だから、一般客も参加可の行事は大盛況だったらしい。その先輩、実力も相当で大会常連、学校行事のアナウンスもその先輩中心で回してたんだって。その声を聞くために、押し寄せたとか……」
「すっげーな……」
「しかも、うちわとか作ったり記念写真撮ったり……実際アイドル扱いだったらしいぜ。ま、ファンクラブの存在を本人が知ってたのかは分かんないけど」
「うわぁ……」
他に出てくる言葉がなかった。他の二人もそうだったらしい。その証拠に見事声がはもったのだから。
話をする咲良もちょっと引いている。
「やー、しかもそれが噂じゃなくて実際に存在したっていうのがすげーよな。実は俺たちが知らないだけで、他にもいろいろファンクラブが……なんてこともあるかもな」
大体、学校というものには奇妙な噂がつきものだ。しかしこれは事実である。なんというか、人って怖い。
「確かに、女子にキャーキャー言われてるやついるよな」
「いるわ。去年のクラスマッチ、男子サッカーやばかった」
「漫画かよ……」
「今どき漫画でもなかなかないわ、そんなシチュエーション」
それから俺たちはあることないことで盛り上がった。ま、俺はこいつら以外とのかかわりが少ないので大したネタはなく、聞くばかりだったが。それでも、うっすら根や葉がありそうな噂話を聞くのは、悪くなかった。
少なくとも、体育祭の憂鬱さを忘れられるぐらいには。
俺が出場する競技は、午前中の、しかも最初の方にあったのですぐ暇になった。まあ、あとは午後一にある応援合戦のみである。これが一番憂鬱なのだが。
「飯だ飯だー!」
咲良が教室にやってくる。今日はこいつも弁当らしい。
「腹減った~、お。春都、今日なんか豪華じゃね?」
「つい作り過ぎてしまった」
とりあえず弁当箱だけ出す。デザートまで机にのせたら狭い。
「いただきます」
やっぱりまずは……からあげ。冷えてはいるがうま味が凝縮された感じがしてうまい。味変はできないが、これがいい。弁当のからあげは味変するより、ご飯と合わせるだけがよいのだ。
ウインナーはたこの形にしてみた。うん、足の部分、噛み応えがあっていい。
「めっちゃ足早い人いたな」
「あー、最下位から一気にごぼう抜き」
ハム巻きも安定のおいしさだ。海老天には塩をかけていたのでいい感じになじんでいる。ぷりぷりだ。
そしてロールサンド。パンのやわらかさとハムの食感、マヨネーズのまろやかさがいい。
「さーて、ごちそうさま……って、まだ食うのか、春都」
弁当を食い終われば、デザートの時間だ。咲良が興味津々というようにこちらを凝視する。
「デザートか」
「おう」
「いいなー」
みかんとブドウ、サクランボ。まずはみかんからだな。
「ん」
「うん?」
「やる。からあげの礼だ」
みかんは丸ごと二つ持ってきていたので、一つ咲良に渡す。それは完熟というよりまだ青く、若い。
咲良はパッと表情を明るくした。
「おー! ありがとな!」
皮はかたく、少しむきづらい。一つ口に含めば……。
「すっぱ!」
「んふっ、酸っぱいな」
しかしこの酸味がいいのだ。酸味料なんかとは違う、爽やかで鮮烈な酸味。でも、みかんの風味はちゃんと分かる。
「これ食ったら体育祭って感じするわー」
「あああぁ、酸っぱい!」
「ブドウとサクランボもあるぞ」
酸っぱいみかんの後に食うと、より一層甘みが増すというものだ。ブドウは皮ごと口に含まないと果汁がもったいないほど甘い。サクランボはシロップの甘さと果肉の食感がいい。
「なんでサクランボ?」
「体育祭の弁当には絶対入ってたんだよ」
ふーん、と咲良はサクランボを口に含んだ。
「んー、うま。まさかデザートが食えるとは」
冷房はついているが、熱気とにおいと埃っぽさがすごかったので、窓を少しだけ開けていた。そこから吹きこんでくる風が心地よい。
「気持ちいいなー」
「そうだな」
その風はかすかに秋の気配をはらんでいて、空にはうろこ雲がたゆたっていた。
食欲の秋が来る。サツマイモ、栗、キノコ……。
秋ならではの食材。今年も目いっぱい楽しまないとな。
「ごちそうさまでした」
雨が降ってくれるかとも思ったが、カーテンを開けて見えるのはすがすがしい青空だ。
「弁当作ろ……」
寝巻から体操服に着替え、台所に立つ。
今日の弁当は一人分だが、昼休みはいつもより長いのでちょっとデザートまで用意することにした。みかんと、ブドウと、缶詰のサクランボ。ブドウは例のごとくばあちゃんからもらった。
まず、俵型の塩おにぎりに海苔を巻いて弁当箱に詰める。もちろん、あのハムとマヨネーズのロールサンドイッチも作る。おかずはからあげ、弁当用の少し小さな海老天、ハム巻き、ウインナー、卵焼き……といったところだ。
朝飯は必然的に弁当の残りになる。でも、朝は出来立ての味を昼は弁当ならではの味を楽しめるので全く問題はない。むしろ昼への期待値が高まるというものだ。
体育祭自体はそこまで楽しみではないが、昼飯は楽しみだ。
普段とは少し違う空気に、これでも少しは浮かれているのだ。
校門の前に置かれた看板の『体育祭』の文字が嫌にまぶしい。
グラウンドではもう、放送部によって放送機材の設営が進められていた。練習の時から本番同様に準備してたし、音響の管理もして、大変そうだった。
「あ、一条。おはよう」
「おー、おはよー」
昇降口で朝比奈と会った。せわしなく行ったり来たりしている実行委員だか生徒会だか分からない生徒を避けつつ教室へと向かう。
「なあ、今日、誰か来る? 体育祭見に」
おもむろに聞かれ、俺は首を横に振った。
「いや来ないな。朝比奈んとこは?」
「来ない」
「だよなー、でも結構毎年、保護者席ぎゅうぎゅうじゃね?」
「そう、それ。しかも過激派が絶対一人か二人はいる」
朝比奈はさも当然のごとく、いや、どちらかといえばうんざりした様子というか戦慄した口調でつぶやく。
「過激派ってなんだよ」
「ひたすら自分の子どもの名前叫びまくる親」
「あーね、いるわ」
確かにいる。そういう親。ま、人んちのことだし俺が口をはさむ権利はないけど、子どもの方は、見てるこっちがいたたまれなくなるような表情をしているときがある。
「コンサート会場か? ってぐらい叫ぶよな」
「いつかペンライトとか、うちわとか持ってくる親がいたりして」
その光景を想像して、少し笑ってしまう。
そうなったら本当にイベント会場みたいだな。
「実際、ファンクラブとかあるらしいぜ」
後ろから声が聞こえて振り返れば、咲良と百瀬がいた。
「おはよー」
「おう、おはよう。え、ファンクラブって、マジ?」
教室に入ってもすることがないので、四人そろって廊下で話すことにした。
「おう、マジだぜ。俺が知ってるのはもう卒業した先輩なんだけど」
咲良は少し声を潜める。
「学校側に知られたらやべーし、大声で話せないんだけどさ。それが結構すごいらしくて」
「そりゃまあ、生徒のファンクラブが保護者の間で作られてたらなあ……」
「男子?」
「男子、男子」
つられて俺たちもひそひそ声になる。
「なんか、放送部の先輩だったらしいんだけど。めっちゃ声がよくて、顔もよかったらしくて。奥様方がもうほっとかないわけよ」
咲良は苦笑にも似た笑みを浮かべて続けた。
「だから、一般客も参加可の行事は大盛況だったらしい。その先輩、実力も相当で大会常連、学校行事のアナウンスもその先輩中心で回してたんだって。その声を聞くために、押し寄せたとか……」
「すっげーな……」
「しかも、うちわとか作ったり記念写真撮ったり……実際アイドル扱いだったらしいぜ。ま、ファンクラブの存在を本人が知ってたのかは分かんないけど」
「うわぁ……」
他に出てくる言葉がなかった。他の二人もそうだったらしい。その証拠に見事声がはもったのだから。
話をする咲良もちょっと引いている。
「やー、しかもそれが噂じゃなくて実際に存在したっていうのがすげーよな。実は俺たちが知らないだけで、他にもいろいろファンクラブが……なんてこともあるかもな」
大体、学校というものには奇妙な噂がつきものだ。しかしこれは事実である。なんというか、人って怖い。
「確かに、女子にキャーキャー言われてるやついるよな」
「いるわ。去年のクラスマッチ、男子サッカーやばかった」
「漫画かよ……」
「今どき漫画でもなかなかないわ、そんなシチュエーション」
それから俺たちはあることないことで盛り上がった。ま、俺はこいつら以外とのかかわりが少ないので大したネタはなく、聞くばかりだったが。それでも、うっすら根や葉がありそうな噂話を聞くのは、悪くなかった。
少なくとも、体育祭の憂鬱さを忘れられるぐらいには。
俺が出場する競技は、午前中の、しかも最初の方にあったのですぐ暇になった。まあ、あとは午後一にある応援合戦のみである。これが一番憂鬱なのだが。
「飯だ飯だー!」
咲良が教室にやってくる。今日はこいつも弁当らしい。
「腹減った~、お。春都、今日なんか豪華じゃね?」
「つい作り過ぎてしまった」
とりあえず弁当箱だけ出す。デザートまで机にのせたら狭い。
「いただきます」
やっぱりまずは……からあげ。冷えてはいるがうま味が凝縮された感じがしてうまい。味変はできないが、これがいい。弁当のからあげは味変するより、ご飯と合わせるだけがよいのだ。
ウインナーはたこの形にしてみた。うん、足の部分、噛み応えがあっていい。
「めっちゃ足早い人いたな」
「あー、最下位から一気にごぼう抜き」
ハム巻きも安定のおいしさだ。海老天には塩をかけていたのでいい感じになじんでいる。ぷりぷりだ。
そしてロールサンド。パンのやわらかさとハムの食感、マヨネーズのまろやかさがいい。
「さーて、ごちそうさま……って、まだ食うのか、春都」
弁当を食い終われば、デザートの時間だ。咲良が興味津々というようにこちらを凝視する。
「デザートか」
「おう」
「いいなー」
みかんとブドウ、サクランボ。まずはみかんからだな。
「ん」
「うん?」
「やる。からあげの礼だ」
みかんは丸ごと二つ持ってきていたので、一つ咲良に渡す。それは完熟というよりまだ青く、若い。
咲良はパッと表情を明るくした。
「おー! ありがとな!」
皮はかたく、少しむきづらい。一つ口に含めば……。
「すっぱ!」
「んふっ、酸っぱいな」
しかしこの酸味がいいのだ。酸味料なんかとは違う、爽やかで鮮烈な酸味。でも、みかんの風味はちゃんと分かる。
「これ食ったら体育祭って感じするわー」
「あああぁ、酸っぱい!」
「ブドウとサクランボもあるぞ」
酸っぱいみかんの後に食うと、より一層甘みが増すというものだ。ブドウは皮ごと口に含まないと果汁がもったいないほど甘い。サクランボはシロップの甘さと果肉の食感がいい。
「なんでサクランボ?」
「体育祭の弁当には絶対入ってたんだよ」
ふーん、と咲良はサクランボを口に含んだ。
「んー、うま。まさかデザートが食えるとは」
冷房はついているが、熱気とにおいと埃っぽさがすごかったので、窓を少しだけ開けていた。そこから吹きこんでくる風が心地よい。
「気持ちいいなー」
「そうだな」
その風はかすかに秋の気配をはらんでいて、空にはうろこ雲がたゆたっていた。
食欲の秋が来る。サツマイモ、栗、キノコ……。
秋ならではの食材。今年も目いっぱい楽しまないとな。
「ごちそうさまでした」
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