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日常
第百四十四話 焼うどん
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「あ、一条君」
ピーナッツクリームかハムマヨネーズか、どちらのサンドイッチを買おうか迷っていたところ、後ろから声をかけられて振り返る。
そこには私服姿の田中さんがいた。
「どうも、お久しぶりです」
「よかった、早いとこ会えたらいいなと思っていたんだ」
仕事上がりらしい田中さんは大きなリュックを背負い、手にはスーパーの弁当が握られていた。
「何かあったんですか」
「あー、用があったというか、断りというかだな」
断りを入れられるようなことがあっただろうか。苦笑いを浮かべる田中さんを不思議に思いながら、手に持っていたサンドイッチを両方ともかごに入れる。
田中さんは徳用パンの袋詰めを手に取り、申し訳なさそうに言った。
「……この間、晃が連絡先を聞いたみたいだけど」
晃、というのが誰か、田中さんの「連絡先を聞いた」という言葉ですぐに分かった。
「あー、山下さん」
「そうそう。あいつ、結構押せ押せというか、強引なところがあるからなあ。無理やり聞いたんじゃないかと思ってな」
「ああ……まあ」
強引ではないとはいいがたいし、かといって無理やりというほどでもないので、曖昧な返事しかできない。それをどう捉えたかは分からないが、田中さんは「ごめんなあ」と眉を下げた。
「あれからしつこく連絡とか来てないか? 遊びに行くとか言ってたし……何か面倒なことがあったら遠慮なく言ってくれ。まあ、あいつ経由ではあるが、一条君の連絡先も知っているからな」
真面目というか、誠実な人なのかな、と思った。あの山下さんが友達って、なんとなく想像がつかない。
「大丈夫ですよ。よろしくってメッセージが来た後、特に何もありませんから。それに俺、嫌なことは嫌って、はっきり言えるんで」
「そうか?」
「でもまあ、困った時はお願いします」
そう言うと田中さんは「もちろんだ」と頼もしく笑った。
「悪いやつではないんだ。ただ、テンションがちょっとな、高いというか、軽いというか」
そうしてもう一度、絞り出すように「悪いやつではないんだ」という田中さんがおかしくて、思わず笑ってしまった。
「それはなんとなく分かります」
「分かってくれるか」
「ただ、俺一人では対処しきれないので、遊びに来るときは絶対、田中さんも来てくださいね」
そう言うと田中さんは楽しそうに笑った。
「ああ、もちろん、そうさせてもらうよ」
母さんは定期的に、というか基本的に一日一回電話をかけてくる。大体は一言二言、生存確認のようなことをして終わるのだが、時間があるときはちょっと話す。
今日も買い物から帰って、町が宵闇に飲み込まれる頃に、スマホが軽快な音を立てて震えた。ソファに座ってスマホを耳に当てると、うめずが足元にすり寄ってきた。
『最近はどう? 楽しい?』
「あー、うん、まあいつも通り。こないだばあちゃんがご飯作ってくれた」
『元気そうで何よりね』
そういえば、母さんたちに田中さんとかの話したっけ。
「大学生の知り合いも増えたし」
『えっ、何それ。聞いてない』
やっぱり言ってなかったか。
「田中さんって、花丸スーパーでバイトしてる人と、その人の友達でうちと同じマンションに住んでる山下さんって人」
『あらー……そう』
電話の向こうの母さんの表情は分からないが、たぶん、愉快そうに笑っているような気がする。声がなんだかうきうきしている。
『いいじゃない、いろんな人と仲良くできて。今度紹介してよ』
「うん、そうする」
『それにしても春都にそんな友達ができるなんてねえ、なんだかうれしい』
「ん、んー」
まあ、少なくとも中学まではまともな交友関係がなかったもんなあ。なんていうか、四六時中つるんでなきゃいけないって感じで、面倒だったんだ。
今は引っ付きべったりというより、気ままに話したい時だけ話して、一人でいたい時は一人でいて、って感じだし。まあ、気楽な交友関係は持てているのかもしれない。
『一人で困ってないかなあ、とか、心配しなくてよくなったもの』
「別に今までも学校で一人でも困るようなことはなかったけど」
『それはそうだろうけど、ほら、どうしても誰かと一緒にしなきゃいけないことってあるでしょう、学校って。そういう時に一人じゃないって、安心できるのよ』
確かに、今はこっちが頼まなくても誰かが――というか咲良が来るもんな。
『ご飯はもう食べた?』
「いや、今から」
『あら、そう』
すると母さんは楽しげに言った。
『こっちはね、ちょうど地元のお祭りみたいなのがあっててね。結構しっかりした出店もあったから、屋台でご飯食べたよ』
確かに電話の奥がなんか騒がしいなとは思っていた。あれは祭囃子だったか。
そういや夏の花火大会が中止になったし、収穫祭みたいなのに行ったとはいえうらやましい。夏とは当然雰囲気は違うだろうけど、昼間とはまた異なる夜の眩しさとか浮かれた足取りとか、感じたいものだ。
せめて食事ぐらい祭りを味わいたい。ということで今日は焼うどんにする。焼きそばにしようと思ったけど中華麺を買ってなかった。
野菜はキャベツとニンジン、それと玉ねぎ。肉は豚肉にしよう。
油をひいたフライパンで豚肉を炒め、ある程度火が通ったら野菜を入れてさらに炒める。そこに、既に茹でられたパックのうどん麺を投入し、ほぐしたらソースで味付けをする。
出来上がったらかつお節を振りかける。香りは完全に祭りだな。
そういや焼うどんって久しぶりだ。焼きそばはちょいちょい作るし、焼きそばパンもあるけど。
「いただきます」
香ばしいソースの香りにかつお節が躍る。
もちっとした麺によく絡んだソースの味は濃い。程よく食感が残ったソース味のキャベツが好きだ。こういうソース味の食べ物って、なんかキャベツがセットであることが多い気がする。
ニンジンの甘味もおいしい。玉ねぎはシャキッとした食感で、薄く透明になっている。
かつお節を好きになったのはほんの最近だ。口当たりがちょっと苦手だったが、料理にいい風味を足してくれるし、なによりうま味がいい。
これで花火の音が聞こえるとか、その光がリビングで明滅しているとかあったら、雰囲気があっていいんだけどなあ。
ま、とりあえず今は、目の前の焼うどんがうまいのでいい。どっしり溜まるこの感じ、たまらないな。
ああ、そうだ。今度作るときは、目玉焼きでものせようかな。
「ごちそうさまでした」
ピーナッツクリームかハムマヨネーズか、どちらのサンドイッチを買おうか迷っていたところ、後ろから声をかけられて振り返る。
そこには私服姿の田中さんがいた。
「どうも、お久しぶりです」
「よかった、早いとこ会えたらいいなと思っていたんだ」
仕事上がりらしい田中さんは大きなリュックを背負い、手にはスーパーの弁当が握られていた。
「何かあったんですか」
「あー、用があったというか、断りというかだな」
断りを入れられるようなことがあっただろうか。苦笑いを浮かべる田中さんを不思議に思いながら、手に持っていたサンドイッチを両方ともかごに入れる。
田中さんは徳用パンの袋詰めを手に取り、申し訳なさそうに言った。
「……この間、晃が連絡先を聞いたみたいだけど」
晃、というのが誰か、田中さんの「連絡先を聞いた」という言葉ですぐに分かった。
「あー、山下さん」
「そうそう。あいつ、結構押せ押せというか、強引なところがあるからなあ。無理やり聞いたんじゃないかと思ってな」
「ああ……まあ」
強引ではないとはいいがたいし、かといって無理やりというほどでもないので、曖昧な返事しかできない。それをどう捉えたかは分からないが、田中さんは「ごめんなあ」と眉を下げた。
「あれからしつこく連絡とか来てないか? 遊びに行くとか言ってたし……何か面倒なことがあったら遠慮なく言ってくれ。まあ、あいつ経由ではあるが、一条君の連絡先も知っているからな」
真面目というか、誠実な人なのかな、と思った。あの山下さんが友達って、なんとなく想像がつかない。
「大丈夫ですよ。よろしくってメッセージが来た後、特に何もありませんから。それに俺、嫌なことは嫌って、はっきり言えるんで」
「そうか?」
「でもまあ、困った時はお願いします」
そう言うと田中さんは「もちろんだ」と頼もしく笑った。
「悪いやつではないんだ。ただ、テンションがちょっとな、高いというか、軽いというか」
そうしてもう一度、絞り出すように「悪いやつではないんだ」という田中さんがおかしくて、思わず笑ってしまった。
「それはなんとなく分かります」
「分かってくれるか」
「ただ、俺一人では対処しきれないので、遊びに来るときは絶対、田中さんも来てくださいね」
そう言うと田中さんは楽しそうに笑った。
「ああ、もちろん、そうさせてもらうよ」
母さんは定期的に、というか基本的に一日一回電話をかけてくる。大体は一言二言、生存確認のようなことをして終わるのだが、時間があるときはちょっと話す。
今日も買い物から帰って、町が宵闇に飲み込まれる頃に、スマホが軽快な音を立てて震えた。ソファに座ってスマホを耳に当てると、うめずが足元にすり寄ってきた。
『最近はどう? 楽しい?』
「あー、うん、まあいつも通り。こないだばあちゃんがご飯作ってくれた」
『元気そうで何よりね』
そういえば、母さんたちに田中さんとかの話したっけ。
「大学生の知り合いも増えたし」
『えっ、何それ。聞いてない』
やっぱり言ってなかったか。
「田中さんって、花丸スーパーでバイトしてる人と、その人の友達でうちと同じマンションに住んでる山下さんって人」
『あらー……そう』
電話の向こうの母さんの表情は分からないが、たぶん、愉快そうに笑っているような気がする。声がなんだかうきうきしている。
『いいじゃない、いろんな人と仲良くできて。今度紹介してよ』
「うん、そうする」
『それにしても春都にそんな友達ができるなんてねえ、なんだかうれしい』
「ん、んー」
まあ、少なくとも中学まではまともな交友関係がなかったもんなあ。なんていうか、四六時中つるんでなきゃいけないって感じで、面倒だったんだ。
今は引っ付きべったりというより、気ままに話したい時だけ話して、一人でいたい時は一人でいて、って感じだし。まあ、気楽な交友関係は持てているのかもしれない。
『一人で困ってないかなあ、とか、心配しなくてよくなったもの』
「別に今までも学校で一人でも困るようなことはなかったけど」
『それはそうだろうけど、ほら、どうしても誰かと一緒にしなきゃいけないことってあるでしょう、学校って。そういう時に一人じゃないって、安心できるのよ』
確かに、今はこっちが頼まなくても誰かが――というか咲良が来るもんな。
『ご飯はもう食べた?』
「いや、今から」
『あら、そう』
すると母さんは楽しげに言った。
『こっちはね、ちょうど地元のお祭りみたいなのがあっててね。結構しっかりした出店もあったから、屋台でご飯食べたよ』
確かに電話の奥がなんか騒がしいなとは思っていた。あれは祭囃子だったか。
そういや夏の花火大会が中止になったし、収穫祭みたいなのに行ったとはいえうらやましい。夏とは当然雰囲気は違うだろうけど、昼間とはまた異なる夜の眩しさとか浮かれた足取りとか、感じたいものだ。
せめて食事ぐらい祭りを味わいたい。ということで今日は焼うどんにする。焼きそばにしようと思ったけど中華麺を買ってなかった。
野菜はキャベツとニンジン、それと玉ねぎ。肉は豚肉にしよう。
油をひいたフライパンで豚肉を炒め、ある程度火が通ったら野菜を入れてさらに炒める。そこに、既に茹でられたパックのうどん麺を投入し、ほぐしたらソースで味付けをする。
出来上がったらかつお節を振りかける。香りは完全に祭りだな。
そういや焼うどんって久しぶりだ。焼きそばはちょいちょい作るし、焼きそばパンもあるけど。
「いただきます」
香ばしいソースの香りにかつお節が躍る。
もちっとした麺によく絡んだソースの味は濃い。程よく食感が残ったソース味のキャベツが好きだ。こういうソース味の食べ物って、なんかキャベツがセットであることが多い気がする。
ニンジンの甘味もおいしい。玉ねぎはシャキッとした食感で、薄く透明になっている。
かつお節を好きになったのはほんの最近だ。口当たりがちょっと苦手だったが、料理にいい風味を足してくれるし、なによりうま味がいい。
これで花火の音が聞こえるとか、その光がリビングで明滅しているとかあったら、雰囲気があっていいんだけどなあ。
ま、とりあえず今は、目の前の焼うどんがうまいのでいい。どっしり溜まるこの感じ、たまらないな。
ああ、そうだ。今度作るときは、目玉焼きでものせようかな。
「ごちそうさまでした」
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