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日常
第百七十三話 ミルフィーユカツ
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「今日は俺より先に、父さんと母さんが帰ってくるからな」
玄関まで見送りに来たうめずに言う。
「お迎え頼んだぞー」
「わふっ」
「じゃ、行ってきます」
エントランスに掲示されていた花火大会のポスターも、いつの間にやら片づけられている。その代わりにクリスマスツリーが飾られていて、朝のぼんやりとした空気の中で電飾がチラチラと輝いている。
「クリスマスかあ……」
「おーい、一条くーん」
エントランスを出るや否や、どこからか声が聞こえてきた。しかし周辺を見渡しても誰もいない。空耳か? いや、それにしてははっきりと聞こえすぎなような……
「一条君! 上!」
上? ……ああ、そういうことね。
見上げてみればマンションの二階、そのベランダに山下さんがいた。
「おはよう!」
「おはようございます」
「やっぱ高校生の朝は早いね! 行ってらっしゃい!」
満面の笑みで手を振る山下さんの髪はぼさぼさだ。
「はい。行ってきます」
学校へ足を進めながら、そういや父さんと母さんが俺を見送るときの距離、ずいぶん遠くなったなあと思う。
そりゃ三階から十階に移動したんだ。遠くなるに決まってるよな。
でもまあ、それでも聞こえるぐらいの声量で「行ってらっしゃい」と言うのだから、わが親ながら、大したものだと思う。
クリスマス間近とはいえ、学校にそんな雰囲気はない。
しいて言えば、全日制とは別になっている定時制の靴箱の掲示板に、ささやかなクリスマスリースが飾られているぐらいだ。
「春都んちってさ、クリスマス、特別なんかする?」
これまたクリスマス感皆無な食堂で、かつ丼をほおばりながら咲良が聞いてきた。
「いや、しない」
今日は俺も学食でカツカレーの大盛りを頼んだ。サクサクのカツにとろりとスパイシーなカレーがよく合う。何ならここに温泉卵をのせたいところだが、残念ながらメニューにはない。
「だよなあ」
「小学生の頃は決まって遊びに行ってたんだけどな。ほら、冬になるとよく中継されてる……」
「あー、あそこ」
駄菓子屋からハイブランドの店、劇場に噴水にホテルまで兼ね備えた超大型ショッピングモールが街の方にはあって、クリスマスには行ってたなあ。めったに行くようなところではないので、そりゃテンションが上がったものだ。
「クリスマスに行くのも楽しいけど、できれば人が少ないときに行きたい」
「それ分かる~。あの雑多な感じもいいけど、ゆっくり見て回りたいよなあ」
咲良は「俺は、そうだなあ……」と少し考えて続けた。
「クリスマス限定のチキンが食いたくなるな」
「ああ、分かる」
「でっけえ丸焼きもいいんだけど、ほら、パーティセットってあるじゃん? ケーキとかもついてくる……」
「あー、あれな。CMではよく見るけど、実際買ったことがないような」
そうそう! と咲良は笑うと、添え物でついてきていたたくあんをかじって言った。
「あれはあこがれだよなー。買って帰ってる人見るともううらやましくて。でも食いきれねえじゃん? だから買うとしてもいつものサイズになるわけ」
「ま、それはそれで結構値が張るし、贅沢だけどな」
「そーだけどさあ。なんか気分が違うじゃん」
しばしすねたような表情をしていた咲良だったが、食べ終わるころにはすっかり機嫌がよくなっていた。
「でも、クリスマスはいつもよりちょっと豪華な飯が出てくるからいいけどな」
「それはそう。好物とかな」
「春都は自分で作るのか?」
「いや、今まで作ってもらうばっかりだ」
茶碗を片付けて外に出る。暖房と熱気で満ちた食堂に慣れていた体が、寒風に震える。
「でも今年は作る」
「何作んの?」
「ローストビーフ」
そう答えれば、咲良は驚いたようだった。
「え、ローストビーフって、家で作れるんだ」
「らしいぜ。作ったことないけど」
せいぜい消し炭にならないよう、頑張らなきゃなあ。
「ん?」
玄関の扉に、何かぶら下がっている。しめ縄? ……なわけないか。
赤や緑、白といったいわゆるクリスマスカラーの飾りが施されたリースだ。父さんか母さんが買ってきたな。
「ただいまー」
「おかえり」
出迎えたのは父さんとうめずだ。いつもより少し暖かい廊下に、うめずはちゃんと立ち止まって俺を見上げていた。
「玄関、見た?」
「クリスマスリースでしょ。どっちが買ってきたの」
「父さんだよ」
今回は父さんだったか。たいていこういうものを買ってくるのは母さんだと思っていたが。
「あ、春都お帰り~。ちょうどご飯できたよ」
台所から出てきた母さんは、何やら山盛りの大皿を持っていた。
「ただいま。それ、とんかつ?」
「まあそんなとこ。さ、着替えて着替えて。温かいうちに食べよう」
急かされるように支度を済ませ、席に着く。家に帰って飯がある喜びたるや。
「いただきます」
そういや、とんかつとは言ってなかったな。なんだろ。ひとつひとつが大きすぎず、ころっとしているが……。
ソースをかけて、一口。お、この味はやっぱ豚だな。ジュワッと脂が染み出して、うま味があふれてくる。でもなんか食感が……
「ん? これ、層になってる?」
「正解! ミルフィーユとんかつ、作ってみた」
なるほど、だから歯が通りやすかったのか。程よく柔らかく、薄い肉の層なのでところどころ香ばしい。からしをつけてもおいしいな。
普通のとんかつよりなんとなくみずみずしい感じがする。やっぱ肉汁とかの染み出し方が違うのか。
ミルフィーユ状にするのって結構手間だし、自分じゃ作らないな。
付け合わせのキャベツで少しさっぱり。ドレッシングだけでもいいが、ちょっとレモンかけてもうまい。
カツは断面にソースをつけるのがいいな。サクッとした衣と豚の味、そして程よい量のソースの塩梅がいい。ご飯が進む。
「中に梅を入れてもいいかもね」
父さんが言うと、母さんは「それいいね!」と笑った。
「今度はそれ、作ってみようか」
その時は……と母さんはこちらに視線を向けた。
「手伝ってね、春都」
「ん? うん、いいよ」
とんかつって、肉の形状が違うだけで結構変わるもんだなあ。なんか楽しい。
梅入りかあ、それも楽しみだなあ。あ、じゃあさっぱり系のたれも作ってみようか。大根おろしとポン酢とか……うん、絶対うまい。こってりならチーズインでもいい。
これは楽しみが尽きなさそうだ。
「ごちそうさまでした」
玄関まで見送りに来たうめずに言う。
「お迎え頼んだぞー」
「わふっ」
「じゃ、行ってきます」
エントランスに掲示されていた花火大会のポスターも、いつの間にやら片づけられている。その代わりにクリスマスツリーが飾られていて、朝のぼんやりとした空気の中で電飾がチラチラと輝いている。
「クリスマスかあ……」
「おーい、一条くーん」
エントランスを出るや否や、どこからか声が聞こえてきた。しかし周辺を見渡しても誰もいない。空耳か? いや、それにしてははっきりと聞こえすぎなような……
「一条君! 上!」
上? ……ああ、そういうことね。
見上げてみればマンションの二階、そのベランダに山下さんがいた。
「おはよう!」
「おはようございます」
「やっぱ高校生の朝は早いね! 行ってらっしゃい!」
満面の笑みで手を振る山下さんの髪はぼさぼさだ。
「はい。行ってきます」
学校へ足を進めながら、そういや父さんと母さんが俺を見送るときの距離、ずいぶん遠くなったなあと思う。
そりゃ三階から十階に移動したんだ。遠くなるに決まってるよな。
でもまあ、それでも聞こえるぐらいの声量で「行ってらっしゃい」と言うのだから、わが親ながら、大したものだと思う。
クリスマス間近とはいえ、学校にそんな雰囲気はない。
しいて言えば、全日制とは別になっている定時制の靴箱の掲示板に、ささやかなクリスマスリースが飾られているぐらいだ。
「春都んちってさ、クリスマス、特別なんかする?」
これまたクリスマス感皆無な食堂で、かつ丼をほおばりながら咲良が聞いてきた。
「いや、しない」
今日は俺も学食でカツカレーの大盛りを頼んだ。サクサクのカツにとろりとスパイシーなカレーがよく合う。何ならここに温泉卵をのせたいところだが、残念ながらメニューにはない。
「だよなあ」
「小学生の頃は決まって遊びに行ってたんだけどな。ほら、冬になるとよく中継されてる……」
「あー、あそこ」
駄菓子屋からハイブランドの店、劇場に噴水にホテルまで兼ね備えた超大型ショッピングモールが街の方にはあって、クリスマスには行ってたなあ。めったに行くようなところではないので、そりゃテンションが上がったものだ。
「クリスマスに行くのも楽しいけど、できれば人が少ないときに行きたい」
「それ分かる~。あの雑多な感じもいいけど、ゆっくり見て回りたいよなあ」
咲良は「俺は、そうだなあ……」と少し考えて続けた。
「クリスマス限定のチキンが食いたくなるな」
「ああ、分かる」
「でっけえ丸焼きもいいんだけど、ほら、パーティセットってあるじゃん? ケーキとかもついてくる……」
「あー、あれな。CMではよく見るけど、実際買ったことがないような」
そうそう! と咲良は笑うと、添え物でついてきていたたくあんをかじって言った。
「あれはあこがれだよなー。買って帰ってる人見るともううらやましくて。でも食いきれねえじゃん? だから買うとしてもいつものサイズになるわけ」
「ま、それはそれで結構値が張るし、贅沢だけどな」
「そーだけどさあ。なんか気分が違うじゃん」
しばしすねたような表情をしていた咲良だったが、食べ終わるころにはすっかり機嫌がよくなっていた。
「でも、クリスマスはいつもよりちょっと豪華な飯が出てくるからいいけどな」
「それはそう。好物とかな」
「春都は自分で作るのか?」
「いや、今まで作ってもらうばっかりだ」
茶碗を片付けて外に出る。暖房と熱気で満ちた食堂に慣れていた体が、寒風に震える。
「でも今年は作る」
「何作んの?」
「ローストビーフ」
そう答えれば、咲良は驚いたようだった。
「え、ローストビーフって、家で作れるんだ」
「らしいぜ。作ったことないけど」
せいぜい消し炭にならないよう、頑張らなきゃなあ。
「ん?」
玄関の扉に、何かぶら下がっている。しめ縄? ……なわけないか。
赤や緑、白といったいわゆるクリスマスカラーの飾りが施されたリースだ。父さんか母さんが買ってきたな。
「ただいまー」
「おかえり」
出迎えたのは父さんとうめずだ。いつもより少し暖かい廊下に、うめずはちゃんと立ち止まって俺を見上げていた。
「玄関、見た?」
「クリスマスリースでしょ。どっちが買ってきたの」
「父さんだよ」
今回は父さんだったか。たいていこういうものを買ってくるのは母さんだと思っていたが。
「あ、春都お帰り~。ちょうどご飯できたよ」
台所から出てきた母さんは、何やら山盛りの大皿を持っていた。
「ただいま。それ、とんかつ?」
「まあそんなとこ。さ、着替えて着替えて。温かいうちに食べよう」
急かされるように支度を済ませ、席に着く。家に帰って飯がある喜びたるや。
「いただきます」
そういや、とんかつとは言ってなかったな。なんだろ。ひとつひとつが大きすぎず、ころっとしているが……。
ソースをかけて、一口。お、この味はやっぱ豚だな。ジュワッと脂が染み出して、うま味があふれてくる。でもなんか食感が……
「ん? これ、層になってる?」
「正解! ミルフィーユとんかつ、作ってみた」
なるほど、だから歯が通りやすかったのか。程よく柔らかく、薄い肉の層なのでところどころ香ばしい。からしをつけてもおいしいな。
普通のとんかつよりなんとなくみずみずしい感じがする。やっぱ肉汁とかの染み出し方が違うのか。
ミルフィーユ状にするのって結構手間だし、自分じゃ作らないな。
付け合わせのキャベツで少しさっぱり。ドレッシングだけでもいいが、ちょっとレモンかけてもうまい。
カツは断面にソースをつけるのがいいな。サクッとした衣と豚の味、そして程よい量のソースの塩梅がいい。ご飯が進む。
「中に梅を入れてもいいかもね」
父さんが言うと、母さんは「それいいね!」と笑った。
「今度はそれ、作ってみようか」
その時は……と母さんはこちらに視線を向けた。
「手伝ってね、春都」
「ん? うん、いいよ」
とんかつって、肉の形状が違うだけで結構変わるもんだなあ。なんか楽しい。
梅入りかあ、それも楽しみだなあ。あ、じゃあさっぱり系のたれも作ってみようか。大根おろしとポン酢とか……うん、絶対うまい。こってりならチーズインでもいい。
これは楽しみが尽きなさそうだ。
「ごちそうさまでした」
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