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日常
第二百三話 つくね鍋
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板書された図や文字を消すという作業は結構な重労働だ。
筆圧が強ければ何度もこすらないと消えないし、ちょっとでも汚れてたらやり直しと言う先生もいるし。
でも、理科室の板書を消すのは案外嫌じゃないかもしれない。
教室とは違う、スライドタイプの黒板。横スライドのタイプもあるらしいが、うちの学校のは縦スライドタイプである。動かすときは結構音がするが、動かすの、ちょっと楽しい。
書くことが多いからかは知らないが、理科室の黒板は二つある。
まあ、普段の授業では一つしか使わないのだが。でも今日は板書が多かったのでどちらの黒板にもびっちり板書がされている。
理科室を使う時の板書を消す担当は、なぜか日直ではなく先生による指名制だ。
で、今日は俺が指名された。四時間目――つまり昼休み前だったのでそう焦らなくてもいいが、早く飯が食いたい。他のやつらはすっかり教室に帰っているし、力の入った板書は消すのに力がいる。
理科室の板書を消すのは嫌じゃない。でも、限度がある。
「消しづれぇ」
スライド式の黒板には重なり合った部分があり、そこを消すのはちょっと面倒。
先生たちって点線書くのうまいよなとか、図が見やすいなとか考えながら消していく。途方もない作業に見えるが、やりゃ終わる。
「結構丁寧に消すんだな」
「びっ……くりしたぁ。咲良、いつの間に」
教卓に寄りかかってこちらを見ていたのは咲良だった。
「いや、教室行ったら春都いないし? クラスのやつに聞いたら理科室で黒板消してるって言うから」
「それで来たのか」
「暇だし、今日学食じゃないし」
そう言いながら咲良はもう一つある黒板消しを手に取った。
「手伝ってやるよ。腹減った」
「おう、助かる」
二人になるとやっぱり格段に作業効率が違う。それに、一人で黙々と消すよりも話しながらした方が、気がまぎれるというものだ。
「まあ、こんなもんだろ」
制服についた汚れを払いながら黒板を確認する。十分だろう。
「よっしゃ。じゃあ、飯だ~」
咲良はもう弁当を持って来ていたらしい。
「ここで食うつもりか?」
「いやいや、いちいち自分の教室に戻るのが面倒なだけ。ここで食うとか、薬品臭いし。食欲減退するって」
「それもそうか」
「いつも通り、教室で食おうぜ」
電気を消して、理科室を出る。
ほんの少し、鼻に薬品の匂いが残っている気がした。
「あ、やべ」
放課後、化学のノートがないことに気付く。昼休みは飯のことで頭がいっぱいだったからなあ。気づかなかった。
幸いにも鍵は開いていた。そういや理科室が施錠されてるとこ、見たことないような。
「あった」
授業で座ったとこの、机の下。
よかったよかった。たまに誰か間違えて持ってってることがあるんだよな。
「……ん?」
やけにまぶしい光が目に入ってきた。思わず目を閉じる。
少しずつ目を開けて、光に慣らしながらそちらをむけば、オレンジ色に輝く夕日が空に現れていた。
どうやら、洗って窓際で乾かされていた試験管に光が反射していたらしい。
「おお、結構見える」
こうして見ると、二階と三階じゃ見え方がだいぶ違うなあ。
空は水色から白、ピンクっぽい光に濃いオレンジとなんとも鮮やかなグラデーションになっている。
冬至をすっかり過ぎて多少は日が長くなった気もするが、それでもまだまだ太陽は早々に沈んでしまう。
「……帰るか」
そうこうしていたら真っ暗になってしまう。
まったく、太陽も少しはのんびりすりゃあいいのになあ。
あんまり寒すぎると、さすがの俺も食欲がわかない。胃の芯まで冷え切ってしまえばどうもなあ。
とりあえず風呂入ろう。
せっかくだし入浴剤も入れて。放課後まで理科室行ったからなんとなく薬品臭い。柚子にするか。
「ふー……」
肩までしっかり浸かって、ぼんやりと考える。
腹は減ってるんだよなあ。でも、何が食いたいのか思いつかない。やっぱ温かいのがいいけど、何かなあ。
「柚子、いい匂いだな……」
あ、柚子で思い出した。鏡餅の橙があったんだ。捨てるにはなんとなくもったいなくて、冷蔵庫に入れてそのままだったんだっけ。
あれ、どうやって食おうかな。
「鍋」
鍋に絞ったらどうだろう。
冷蔵庫にあるもので鍋はできる。そうと決まれば早く上がって、飯だ。
出汁は白だしにして、具材は白菜とまいたけと豆腐。それと、つくね。
鶏ひき肉に卵、塩コショウ、片栗粉、臭み消しとして酒を入れてよく混ぜる。そしてスプーンで鍋に入れていく。手作りつくねってうまいんだよな。
橙も半分に切る。お、結構みずみずしい。
ガスコンロ出して、楽しむ準備は十分だ。
「いただきます」
とりあえず一通りの具材を器によそう。ホカホカといい香りの湯気が立っている。
そこにポン酢と、橙を……
「あれ? あんま匂いしない……」
橙ってこんなもんかなあ。もうちょっと多めにかけてみるか。
さて、まずはつくねから。手作りつくねはほわっほわで、口の中でほどけるようだ。ポン酢のさっぱりした味に……お、橙の風味がきたぞ。柑橘だけど優しい感じ。これうまいな。鶏ともよく合う。
白菜は程よくシャキシャキしている。根元の部分はトロットロだな。
「あっついな」
豆腐を食べるときはたいていやけどする。大豆のうま味が強く、ポン酢がよく合うんだ。豆腐と白菜は、ポン酢の方が味を感じやすいと俺は思う。ごまだれもうまいけどな。
まいたけ。薫り高くうまみもたっぷりだが、癖はあまりない。天ぷらにでもしようと思っていたけど、やっぱ鍋うまいな。
それにしてもつくねがたっぷりできたな。おいしいからいいんだけど。ご飯にも合うし。一緒にかきこむの、うまいんだよなあ。
橙もうまかった。今まで使っていなかったのがもったいないと思うくらいだ。サイダーとかにしてもおいしそうだ。
なんだかんだいってしっかり食ってしまったな。
寒い上に腹が減ってたら、さみしさもやる気のなさもかなりのものだ。
やっぱ俺は、暖かくて腹いっぱいって状態が一番いい。今日は、いい夢見られそうだ。
「ごちそうさまでした」
筆圧が強ければ何度もこすらないと消えないし、ちょっとでも汚れてたらやり直しと言う先生もいるし。
でも、理科室の板書を消すのは案外嫌じゃないかもしれない。
教室とは違う、スライドタイプの黒板。横スライドのタイプもあるらしいが、うちの学校のは縦スライドタイプである。動かすときは結構音がするが、動かすの、ちょっと楽しい。
書くことが多いからかは知らないが、理科室の黒板は二つある。
まあ、普段の授業では一つしか使わないのだが。でも今日は板書が多かったのでどちらの黒板にもびっちり板書がされている。
理科室を使う時の板書を消す担当は、なぜか日直ではなく先生による指名制だ。
で、今日は俺が指名された。四時間目――つまり昼休み前だったのでそう焦らなくてもいいが、早く飯が食いたい。他のやつらはすっかり教室に帰っているし、力の入った板書は消すのに力がいる。
理科室の板書を消すのは嫌じゃない。でも、限度がある。
「消しづれぇ」
スライド式の黒板には重なり合った部分があり、そこを消すのはちょっと面倒。
先生たちって点線書くのうまいよなとか、図が見やすいなとか考えながら消していく。途方もない作業に見えるが、やりゃ終わる。
「結構丁寧に消すんだな」
「びっ……くりしたぁ。咲良、いつの間に」
教卓に寄りかかってこちらを見ていたのは咲良だった。
「いや、教室行ったら春都いないし? クラスのやつに聞いたら理科室で黒板消してるって言うから」
「それで来たのか」
「暇だし、今日学食じゃないし」
そう言いながら咲良はもう一つある黒板消しを手に取った。
「手伝ってやるよ。腹減った」
「おう、助かる」
二人になるとやっぱり格段に作業効率が違う。それに、一人で黙々と消すよりも話しながらした方が、気がまぎれるというものだ。
「まあ、こんなもんだろ」
制服についた汚れを払いながら黒板を確認する。十分だろう。
「よっしゃ。じゃあ、飯だ~」
咲良はもう弁当を持って来ていたらしい。
「ここで食うつもりか?」
「いやいや、いちいち自分の教室に戻るのが面倒なだけ。ここで食うとか、薬品臭いし。食欲減退するって」
「それもそうか」
「いつも通り、教室で食おうぜ」
電気を消して、理科室を出る。
ほんの少し、鼻に薬品の匂いが残っている気がした。
「あ、やべ」
放課後、化学のノートがないことに気付く。昼休みは飯のことで頭がいっぱいだったからなあ。気づかなかった。
幸いにも鍵は開いていた。そういや理科室が施錠されてるとこ、見たことないような。
「あった」
授業で座ったとこの、机の下。
よかったよかった。たまに誰か間違えて持ってってることがあるんだよな。
「……ん?」
やけにまぶしい光が目に入ってきた。思わず目を閉じる。
少しずつ目を開けて、光に慣らしながらそちらをむけば、オレンジ色に輝く夕日が空に現れていた。
どうやら、洗って窓際で乾かされていた試験管に光が反射していたらしい。
「おお、結構見える」
こうして見ると、二階と三階じゃ見え方がだいぶ違うなあ。
空は水色から白、ピンクっぽい光に濃いオレンジとなんとも鮮やかなグラデーションになっている。
冬至をすっかり過ぎて多少は日が長くなった気もするが、それでもまだまだ太陽は早々に沈んでしまう。
「……帰るか」
そうこうしていたら真っ暗になってしまう。
まったく、太陽も少しはのんびりすりゃあいいのになあ。
あんまり寒すぎると、さすがの俺も食欲がわかない。胃の芯まで冷え切ってしまえばどうもなあ。
とりあえず風呂入ろう。
せっかくだし入浴剤も入れて。放課後まで理科室行ったからなんとなく薬品臭い。柚子にするか。
「ふー……」
肩までしっかり浸かって、ぼんやりと考える。
腹は減ってるんだよなあ。でも、何が食いたいのか思いつかない。やっぱ温かいのがいいけど、何かなあ。
「柚子、いい匂いだな……」
あ、柚子で思い出した。鏡餅の橙があったんだ。捨てるにはなんとなくもったいなくて、冷蔵庫に入れてそのままだったんだっけ。
あれ、どうやって食おうかな。
「鍋」
鍋に絞ったらどうだろう。
冷蔵庫にあるもので鍋はできる。そうと決まれば早く上がって、飯だ。
出汁は白だしにして、具材は白菜とまいたけと豆腐。それと、つくね。
鶏ひき肉に卵、塩コショウ、片栗粉、臭み消しとして酒を入れてよく混ぜる。そしてスプーンで鍋に入れていく。手作りつくねってうまいんだよな。
橙も半分に切る。お、結構みずみずしい。
ガスコンロ出して、楽しむ準備は十分だ。
「いただきます」
とりあえず一通りの具材を器によそう。ホカホカといい香りの湯気が立っている。
そこにポン酢と、橙を……
「あれ? あんま匂いしない……」
橙ってこんなもんかなあ。もうちょっと多めにかけてみるか。
さて、まずはつくねから。手作りつくねはほわっほわで、口の中でほどけるようだ。ポン酢のさっぱりした味に……お、橙の風味がきたぞ。柑橘だけど優しい感じ。これうまいな。鶏ともよく合う。
白菜は程よくシャキシャキしている。根元の部分はトロットロだな。
「あっついな」
豆腐を食べるときはたいていやけどする。大豆のうま味が強く、ポン酢がよく合うんだ。豆腐と白菜は、ポン酢の方が味を感じやすいと俺は思う。ごまだれもうまいけどな。
まいたけ。薫り高くうまみもたっぷりだが、癖はあまりない。天ぷらにでもしようと思っていたけど、やっぱ鍋うまいな。
それにしてもつくねがたっぷりできたな。おいしいからいいんだけど。ご飯にも合うし。一緒にかきこむの、うまいんだよなあ。
橙もうまかった。今まで使っていなかったのがもったいないと思うくらいだ。サイダーとかにしてもおいしそうだ。
なんだかんだいってしっかり食ってしまったな。
寒い上に腹が減ってたら、さみしさもやる気のなさもかなりのものだ。
やっぱ俺は、暖かくて腹いっぱいって状態が一番いい。今日は、いい夢見られそうだ。
「ごちそうさまでした」
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