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日常
番外編 朝比奈貴志のつまみ食い①
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「なあー、貴志ぃ。ひーまー」
「あいにく俺は暇じゃない」
穏やかな風が吹き、なんとも過ごしやすい初夏の昼下がり――になるはずだった。
「遊べよー」
勉強をする俺の周りを駆けまわるのは甥っ子の治樹だ。ずいぶん活発で、手のかかるやつである。しかも勉強机はローテーブル、座るものは座布団なので駆け回る振動がよく伝わってくる。
いつも通り適当に受け流していると、治樹はやがておとなしくなってきた。
やっとあきらめたかと思った矢先、後頭部に何か当たった。痛くはないが、これは何だ。
「なんだ……うわ」
「あははは! うわ、だってー!」
「お前は……」
自分のはいていた靴下を丸めて投げつけてきたらしい。治樹はひとしきり笑うと、突然こちらに体当たりしてきた。
小学二年生の体は軽いが、動きに迷いがない分威力がすさまじい。
「うあっ! こら、そういうのはやめろって言ったばかりだろう」
「はぁ? 知らんし!」
こいつ、年々生意気になりやがって。
治樹は俺の体を乗り越え、机の上に置いていた教科書を取り上げた。
「あ、こら!」
「なにこれぇ、意味わかんねーの。変なのー」
「分かんなくていいから返せ」
そう言うと、治樹は教科書を持ったまま廊下に走り出した。
「返してほしければ俺に追いつけってのー!」
はあ、まったく。あいつが帰ってくるといつもこうだ。
まあいい。追いかけるのはほどほどにしよう。この部屋を出て走り回っていれば、俺が追い付かずともじきに鉄槌が下る。
廊下に出て、ぼちぼち広間に向かう。
「お、やっぱり」
広間をのぞき込めば、そこには先ほどの騒がしさがうそのような治樹がいた。教科書はすでに、膝を立てて治樹と視線をしっかりがっちり合わせる人物――俺の姉さんであり治樹の母である、志澄香が持っていた。
普段は穏やかで温厚な姉さんだが、人の迷惑になるようなことをすると表情が一変する。
話はある程度決着がついていたらしい。ちょっと見える治樹の目はうるんでいた。
この様子なら、俺の部屋まで返しに来るだろう。戻っておくか。
「……貴志兄ちゃん」
何も知らないふりをして、治樹の方を振り返る。治樹は少しすねたような、でも自分が迷惑をかけたということを自覚しているような、複雑な表情をしていた。
「どうした」
「……ごめんなさい」
差し出して来た教科書には、少しだけ涙の跡がついていた。
「もういいのか? 俺は追いついてないぞ?」
「ん、いい。邪魔してごめんなさい」
こいつは遊んでほしいだけなんだろう。なんとなく分かるけど、別にいいよで済ませてやれるような俺ではない。
「これな、大事なもんなんだ。あんまり乱暴に扱われると、嫌な気分になる」
「……うん」
「これからはやめてくれよ」
「分かった」
これから一切、そういういたずらをしなくなるとは言い切れないが、まあしばらくはしないだろう。
「あとちょっと、待てるか?」
「ん?」
「この勉強が終わったら一緒に遊ぼう」
そう言えば治樹は少し喜色を取り戻した。
「遊ぶ」
「よし、それじゃあ待ってな」
再び机に向き直れば、しばらくして背中に重みと温かさが触れた。
ちらっと視線だけで振り返って見れば、治樹が背中合わせで座り、漫画を読んでいた。なんかおかしくて、少し笑ってしまった。
「なんかくたびれてんな」
昼休み、食堂で定食を頼んで席に着いたところで一条に声をかけられた。
「ああ、ちょっとな」
昼休みの食堂は椅子取りゲームのようなものだ。すでに埋まっている席ばかりで、一条は「ここいいか?」と聞いて向かいの椅子を指した。
「ああ、構わない。――咲良とは一緒じゃないのか?」
「いつも一緒ってわけじゃねーよ」
今日は別、と言って一条は手を合わせた。
「いただきます」
飯を食う時の一条はワクワクしているように見える。
文化祭の準備で関わるようになったので話をするようになって日は浅いが、飯を食うことが何よりも好きだというのはすぐに知った。
目立つタイプでもないし、たまに「愛想がない」とか「協調性が……」とか一部の先生たちに言われているのを聞いたことがあるが、そうでもないと思う。うまい飯食う時はめっちゃ楽しそうだし、それなりに人づきあいもしているし。
多分、警戒心が強いんだろうな、って感じだ。
「あ、そうだ。今度再放送があるらしいぜ、あのアニメ」
一条とよく話すようになったきっかけは、一つのアニメだ。それまではなんとなくよそよそしかった。
その様子が甥っ子の初対面時と似ている、と言ったらこいつは不服そうな顔をするだろうか。
「そうらしいな。新作が始まるんだったか」
「なー。まあ、正直言って初代が一番好きなんだけど」
「それは分かる」
話をしながらも、一条は飯に集中しているというのが分かる。今はかつ丼を頼んでいたが、米とかつの配分、かつだけで食べる、米だけで食べる、味変をする、と楽しんでいるのがよく分かる。
「うまそうに食うな」
ふと呟けば、一条はきょとんとした。
「そうか?」
「うん。かつ丼頼めばよかったかなーって思うぐらい」
「なんだよそれ」
一条はおかしいというように笑った。
正直、自分はあまり食に興味がない、というかあまり積極的ではない。家では決まった料理が出てくるし、リクエストを聞かれることもないし、買い食いもあまりしない。まあ、治樹はしょっちゅうリクエスト出しまくってるけど。
だから、こいつがうらやましい。一条は飯を食うということを心底楽しんでいる。
「楽しそうに食うよな、と思って」
「あはは、よく言われる。でもまあ、せっかく食うなら楽しく食いたいよな」
それはそうだ。人は食わなきゃ生きてけないからな。
一条を見ていると、なんか俺も、飯が楽しい、と思えるようになりたいと感じる。
……一度、俺も何かリクエストしてみようかなあ。
「ごちそうさまでした」
「あいにく俺は暇じゃない」
穏やかな風が吹き、なんとも過ごしやすい初夏の昼下がり――になるはずだった。
「遊べよー」
勉強をする俺の周りを駆けまわるのは甥っ子の治樹だ。ずいぶん活発で、手のかかるやつである。しかも勉強机はローテーブル、座るものは座布団なので駆け回る振動がよく伝わってくる。
いつも通り適当に受け流していると、治樹はやがておとなしくなってきた。
やっとあきらめたかと思った矢先、後頭部に何か当たった。痛くはないが、これは何だ。
「なんだ……うわ」
「あははは! うわ、だってー!」
「お前は……」
自分のはいていた靴下を丸めて投げつけてきたらしい。治樹はひとしきり笑うと、突然こちらに体当たりしてきた。
小学二年生の体は軽いが、動きに迷いがない分威力がすさまじい。
「うあっ! こら、そういうのはやめろって言ったばかりだろう」
「はぁ? 知らんし!」
こいつ、年々生意気になりやがって。
治樹は俺の体を乗り越え、机の上に置いていた教科書を取り上げた。
「あ、こら!」
「なにこれぇ、意味わかんねーの。変なのー」
「分かんなくていいから返せ」
そう言うと、治樹は教科書を持ったまま廊下に走り出した。
「返してほしければ俺に追いつけってのー!」
はあ、まったく。あいつが帰ってくるといつもこうだ。
まあいい。追いかけるのはほどほどにしよう。この部屋を出て走り回っていれば、俺が追い付かずともじきに鉄槌が下る。
廊下に出て、ぼちぼち広間に向かう。
「お、やっぱり」
広間をのぞき込めば、そこには先ほどの騒がしさがうそのような治樹がいた。教科書はすでに、膝を立てて治樹と視線をしっかりがっちり合わせる人物――俺の姉さんであり治樹の母である、志澄香が持っていた。
普段は穏やかで温厚な姉さんだが、人の迷惑になるようなことをすると表情が一変する。
話はある程度決着がついていたらしい。ちょっと見える治樹の目はうるんでいた。
この様子なら、俺の部屋まで返しに来るだろう。戻っておくか。
「……貴志兄ちゃん」
何も知らないふりをして、治樹の方を振り返る。治樹は少しすねたような、でも自分が迷惑をかけたということを自覚しているような、複雑な表情をしていた。
「どうした」
「……ごめんなさい」
差し出して来た教科書には、少しだけ涙の跡がついていた。
「もういいのか? 俺は追いついてないぞ?」
「ん、いい。邪魔してごめんなさい」
こいつは遊んでほしいだけなんだろう。なんとなく分かるけど、別にいいよで済ませてやれるような俺ではない。
「これな、大事なもんなんだ。あんまり乱暴に扱われると、嫌な気分になる」
「……うん」
「これからはやめてくれよ」
「分かった」
これから一切、そういういたずらをしなくなるとは言い切れないが、まあしばらくはしないだろう。
「あとちょっと、待てるか?」
「ん?」
「この勉強が終わったら一緒に遊ぼう」
そう言えば治樹は少し喜色を取り戻した。
「遊ぶ」
「よし、それじゃあ待ってな」
再び机に向き直れば、しばらくして背中に重みと温かさが触れた。
ちらっと視線だけで振り返って見れば、治樹が背中合わせで座り、漫画を読んでいた。なんかおかしくて、少し笑ってしまった。
「なんかくたびれてんな」
昼休み、食堂で定食を頼んで席に着いたところで一条に声をかけられた。
「ああ、ちょっとな」
昼休みの食堂は椅子取りゲームのようなものだ。すでに埋まっている席ばかりで、一条は「ここいいか?」と聞いて向かいの椅子を指した。
「ああ、構わない。――咲良とは一緒じゃないのか?」
「いつも一緒ってわけじゃねーよ」
今日は別、と言って一条は手を合わせた。
「いただきます」
飯を食う時の一条はワクワクしているように見える。
文化祭の準備で関わるようになったので話をするようになって日は浅いが、飯を食うことが何よりも好きだというのはすぐに知った。
目立つタイプでもないし、たまに「愛想がない」とか「協調性が……」とか一部の先生たちに言われているのを聞いたことがあるが、そうでもないと思う。うまい飯食う時はめっちゃ楽しそうだし、それなりに人づきあいもしているし。
多分、警戒心が強いんだろうな、って感じだ。
「あ、そうだ。今度再放送があるらしいぜ、あのアニメ」
一条とよく話すようになったきっかけは、一つのアニメだ。それまではなんとなくよそよそしかった。
その様子が甥っ子の初対面時と似ている、と言ったらこいつは不服そうな顔をするだろうか。
「そうらしいな。新作が始まるんだったか」
「なー。まあ、正直言って初代が一番好きなんだけど」
「それは分かる」
話をしながらも、一条は飯に集中しているというのが分かる。今はかつ丼を頼んでいたが、米とかつの配分、かつだけで食べる、米だけで食べる、味変をする、と楽しんでいるのがよく分かる。
「うまそうに食うな」
ふと呟けば、一条はきょとんとした。
「そうか?」
「うん。かつ丼頼めばよかったかなーって思うぐらい」
「なんだよそれ」
一条はおかしいというように笑った。
正直、自分はあまり食に興味がない、というかあまり積極的ではない。家では決まった料理が出てくるし、リクエストを聞かれることもないし、買い食いもあまりしない。まあ、治樹はしょっちゅうリクエスト出しまくってるけど。
だから、こいつがうらやましい。一条は飯を食うということを心底楽しんでいる。
「楽しそうに食うよな、と思って」
「あはは、よく言われる。でもまあ、せっかく食うなら楽しく食いたいよな」
それはそうだ。人は食わなきゃ生きてけないからな。
一条を見ていると、なんか俺も、飯が楽しい、と思えるようになりたいと感じる。
……一度、俺も何かリクエストしてみようかなあ。
「ごちそうさまでした」
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