292 / 893
日常
第二百八十三話 みかんゼリー
しおりを挟む
忘れ物がないか予定表を眺めていたら、来週、歓迎遠足があることに気が付いた。
高校生になったら遠足はもうない、と小学生の頃誰かから聞いた気もするのだがなあ。
「結構遠いんだよなあ……」
運動嫌いの俺からしてみれば、極力歩きたくないぐらいの距離である。しかし、休めば当然欠席扱いされるし、内申点も下がりかねないので参加するほかない。
ちょっと体力つけとかなきゃなあ。気休めにしかならないだろうけど。
うめずの散歩はいい運動になる。何なら家で遊ぶだけでも十分なのだが、遠足は歩くからな。散歩がうってつけだろう。
「ゆっくり行け、うめず」
なんだか今日はテンションが高い。歩くスピードがいつもより早いし、軽やかだ。それもそうか、なにせ、今日は父さんも一緒に来ているのだから。それに、途中で公園に寄るつもりでいくつかおもちゃを持って来ているのにも気づいたのだろう。
「おーい、うめずー」
「わふっ」
「今日はやけに元気だな」
と、父さんもやや駆け足でついてくる。
加速することはないものの、淡々と速いペースでうめずは突き進んでいく。
「はー……くたびれた」
公園につく頃にはもうすっかり体力を消耗してしまっていた。しかしうめずはまだまだ遊び足りないようで、ぶんぶんとしっぽを振っている。
「はいはい、ちょっと待ってな」
「わう」
「はー……父さん、先に遊んできてよ」
「父さんも疲れたぞ……」
困ったように笑い、ベンチに座り込む父さん。すっと無言でおもちゃを差し出され、仕方なくそれを受け取った。
「はあ~……よし! 行くぞうめず!」
「わうっ」
こうなりゃもうやけくそだ。遊び切ってやる。
うめずは家でのんびりするのも好きだが、当然、外で遊びまくるのも好きだ。ボールを見せればすぐそわそわするし、フリスビーを飛ばしてやれば、それはもう華麗にキャッチして持ってくる。その運動神経と体力がうらやましい。
「はー、少し回復した」
やっと父さんがやってきたころにはもう、一通りのおもちゃで遊び倒したころだった。うめずもだいぶ満足したのか、さっきより落ち着いている。
「お、うめず、いっぱい遊んでもらってよかったなあ」
「わふっ」
わっしゃわっしゃと撫でまわされ、うめずは気持ちよさそうに目を細めた。
それからもう少しだけうめずを走らせて、やっと帰ることにした。もう足がヘロヘロだ。
「歩いて帰りたくねえ~」
そう愚痴をこぼせば、父さんは「ははは」と楽しそうに笑った。
「いい運動になったなあ」
「疲れた……」
「今日はぐっすり眠れるさ」
公園の出口はいくつかあって、当然、一番近くから出る。駐車場に続くそこは、ほんの数段の階段になっている。
「今すぐにでも眠れそう……っとと、うわっ!」
景色がスローモーションのようにゆっくりと流れていく。いや、そんな悠長なことを思っていていいのか、めっちゃ足痛いんだけど。てか、体、浮いて……
衝撃の後、鈍い痛みと痛烈な痛みが体を駆け巡った。
「いってぇ~……」
「春都!」
父さんが慌てた様子で駆け寄ってくる。父さんの大声、久しぶりに聞いたなあ。
「派手にこけたな!」
「いやあ、足がおぼつかなくて」
ちょっと腕にみみずばれができたぐらいで、重症ではない。よかったよかった。砂を払って立ち上がる。
「っ!」
否、立ち上がれない。どうも右足首が痛い。ああ、くじいたか。
「大丈夫か?」
「あはは、痛いなあ」
父さんの腕に支えられながら立ち上がる。何とか立ち上がったはいいが、歩くのが不便だ。ひょこひょこと右足を引きずるように歩けばどうにかいけるが、家まで帰るには厳しい。
「あー、やっちまった。ごめん」
「なんで謝る。病院は」
「うーん、様子見て?」
父さんにリードを握られたうめずは俺と父さんの足元をうろうろしている。すると父さんは何を思ったか「よし」と言うと俺の前にしゃがんだ。
「え、何」
「歩くのしんどいだろう。乗りなさい」
「いやいいよ」
とは言いながら、歩くのはとてもしんどい。たぶん、これ以上無理して歩いたら、ひどくなりそうだ。いや、しかしだな、ほら、やっぱさ。あれじゃん。
「うめずもいるし」
「大丈夫だ」
「ちょっとほら……恥ずかしいというか……」
「でも歩けないだろう」
うう、まあ、そうなんだけどさ。ちょっと抵抗してみただけだし、嫌ってわけじゃないし。
何年振りか、父さんの背中に手をかける。公園の方で子どもが何か言っていたが、全力で聞こえないふりをした。
うめずが一声「わふっ!」とひときわ大きな声で吠えた。
結局家までおんぶ状態で帰って来てしまった。学校の誰ぞに会わなかっただけ良しとするか。とはいえ、盛大にずっこけて足くじいて、親におんぶされて帰ってくることになろうとはなあ。思い返すだけでまだ顔が熱い。
「もー……何事かと思った」
はじめこそたいそう驚いていた母さんだったが、足の手当てをしてもらって、少ししたら呆れたように笑っていた。
「ほんとに病院はいいの?」
「様子見るよ」
「そう」
俺の手元には今、みかんゼリーがある。ぼーっとソファに座っていたら母さんが持って来てくれた。
「いただきます」
うすら黄色いゼリーは、みかんの香りをはらんでおいしい。つるんと冷たく、疲れた体に染み入る酸味と甘みだ。
みかんも結構ごろっと入っていて、ジューシーだ。
果肉自体の酸味は控えめで甘く、ゼリーと一緒に食べると、よりのど越しがいい。けがしたときに食う甘いものって、なんでこんなうまいんだろう。
「はい、お父さん、背中出して」
「お世話かけます」
母さんは父さんの腰と背中に湿布を貼っている。
「ごめん」
俺をおんぶしたので結構きたらしい。父さんは明るく笑って言ったものだ。
「いやあ、大きくなったなあ、春都」
「そりゃまあ高校生だし」
「あなたも年取ってんのよ、ほら」
「ああ、冷たい」
いやほんと、迷惑かけました。
それにしたって、遠足に向けた体力づくりでまさか歩くことすらままならなくなろうとは。なんというか、本末転倒というのだな、こういうのを。実際、転倒してるし。
まあいいや。先のことはあとで考えるとして、今はみかんゼリーを楽しむとしよう。
「ごちそうさまでした」
高校生になったら遠足はもうない、と小学生の頃誰かから聞いた気もするのだがなあ。
「結構遠いんだよなあ……」
運動嫌いの俺からしてみれば、極力歩きたくないぐらいの距離である。しかし、休めば当然欠席扱いされるし、内申点も下がりかねないので参加するほかない。
ちょっと体力つけとかなきゃなあ。気休めにしかならないだろうけど。
うめずの散歩はいい運動になる。何なら家で遊ぶだけでも十分なのだが、遠足は歩くからな。散歩がうってつけだろう。
「ゆっくり行け、うめず」
なんだか今日はテンションが高い。歩くスピードがいつもより早いし、軽やかだ。それもそうか、なにせ、今日は父さんも一緒に来ているのだから。それに、途中で公園に寄るつもりでいくつかおもちゃを持って来ているのにも気づいたのだろう。
「おーい、うめずー」
「わふっ」
「今日はやけに元気だな」
と、父さんもやや駆け足でついてくる。
加速することはないものの、淡々と速いペースでうめずは突き進んでいく。
「はー……くたびれた」
公園につく頃にはもうすっかり体力を消耗してしまっていた。しかしうめずはまだまだ遊び足りないようで、ぶんぶんとしっぽを振っている。
「はいはい、ちょっと待ってな」
「わう」
「はー……父さん、先に遊んできてよ」
「父さんも疲れたぞ……」
困ったように笑い、ベンチに座り込む父さん。すっと無言でおもちゃを差し出され、仕方なくそれを受け取った。
「はあ~……よし! 行くぞうめず!」
「わうっ」
こうなりゃもうやけくそだ。遊び切ってやる。
うめずは家でのんびりするのも好きだが、当然、外で遊びまくるのも好きだ。ボールを見せればすぐそわそわするし、フリスビーを飛ばしてやれば、それはもう華麗にキャッチして持ってくる。その運動神経と体力がうらやましい。
「はー、少し回復した」
やっと父さんがやってきたころにはもう、一通りのおもちゃで遊び倒したころだった。うめずもだいぶ満足したのか、さっきより落ち着いている。
「お、うめず、いっぱい遊んでもらってよかったなあ」
「わふっ」
わっしゃわっしゃと撫でまわされ、うめずは気持ちよさそうに目を細めた。
それからもう少しだけうめずを走らせて、やっと帰ることにした。もう足がヘロヘロだ。
「歩いて帰りたくねえ~」
そう愚痴をこぼせば、父さんは「ははは」と楽しそうに笑った。
「いい運動になったなあ」
「疲れた……」
「今日はぐっすり眠れるさ」
公園の出口はいくつかあって、当然、一番近くから出る。駐車場に続くそこは、ほんの数段の階段になっている。
「今すぐにでも眠れそう……っとと、うわっ!」
景色がスローモーションのようにゆっくりと流れていく。いや、そんな悠長なことを思っていていいのか、めっちゃ足痛いんだけど。てか、体、浮いて……
衝撃の後、鈍い痛みと痛烈な痛みが体を駆け巡った。
「いってぇ~……」
「春都!」
父さんが慌てた様子で駆け寄ってくる。父さんの大声、久しぶりに聞いたなあ。
「派手にこけたな!」
「いやあ、足がおぼつかなくて」
ちょっと腕にみみずばれができたぐらいで、重症ではない。よかったよかった。砂を払って立ち上がる。
「っ!」
否、立ち上がれない。どうも右足首が痛い。ああ、くじいたか。
「大丈夫か?」
「あはは、痛いなあ」
父さんの腕に支えられながら立ち上がる。何とか立ち上がったはいいが、歩くのが不便だ。ひょこひょこと右足を引きずるように歩けばどうにかいけるが、家まで帰るには厳しい。
「あー、やっちまった。ごめん」
「なんで謝る。病院は」
「うーん、様子見て?」
父さんにリードを握られたうめずは俺と父さんの足元をうろうろしている。すると父さんは何を思ったか「よし」と言うと俺の前にしゃがんだ。
「え、何」
「歩くのしんどいだろう。乗りなさい」
「いやいいよ」
とは言いながら、歩くのはとてもしんどい。たぶん、これ以上無理して歩いたら、ひどくなりそうだ。いや、しかしだな、ほら、やっぱさ。あれじゃん。
「うめずもいるし」
「大丈夫だ」
「ちょっとほら……恥ずかしいというか……」
「でも歩けないだろう」
うう、まあ、そうなんだけどさ。ちょっと抵抗してみただけだし、嫌ってわけじゃないし。
何年振りか、父さんの背中に手をかける。公園の方で子どもが何か言っていたが、全力で聞こえないふりをした。
うめずが一声「わふっ!」とひときわ大きな声で吠えた。
結局家までおんぶ状態で帰って来てしまった。学校の誰ぞに会わなかっただけ良しとするか。とはいえ、盛大にずっこけて足くじいて、親におんぶされて帰ってくることになろうとはなあ。思い返すだけでまだ顔が熱い。
「もー……何事かと思った」
はじめこそたいそう驚いていた母さんだったが、足の手当てをしてもらって、少ししたら呆れたように笑っていた。
「ほんとに病院はいいの?」
「様子見るよ」
「そう」
俺の手元には今、みかんゼリーがある。ぼーっとソファに座っていたら母さんが持って来てくれた。
「いただきます」
うすら黄色いゼリーは、みかんの香りをはらんでおいしい。つるんと冷たく、疲れた体に染み入る酸味と甘みだ。
みかんも結構ごろっと入っていて、ジューシーだ。
果肉自体の酸味は控えめで甘く、ゼリーと一緒に食べると、よりのど越しがいい。けがしたときに食う甘いものって、なんでこんなうまいんだろう。
「はい、お父さん、背中出して」
「お世話かけます」
母さんは父さんの腰と背中に湿布を貼っている。
「ごめん」
俺をおんぶしたので結構きたらしい。父さんは明るく笑って言ったものだ。
「いやあ、大きくなったなあ、春都」
「そりゃまあ高校生だし」
「あなたも年取ってんのよ、ほら」
「ああ、冷たい」
いやほんと、迷惑かけました。
それにしたって、遠足に向けた体力づくりでまさか歩くことすらままならなくなろうとは。なんというか、本末転倒というのだな、こういうのを。実際、転倒してるし。
まあいいや。先のことはあとで考えるとして、今はみかんゼリーを楽しむとしよう。
「ごちそうさまでした」
13
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる