一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 橘唯織のつまみ食い①

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 その人は飄々と、そして淡々としている人だった。

 妹の友人の兄である井上先輩に絡まれているときはちょっと呆れたような、それでいて実に面倒くさそうな表情をしているが、それ以外の時は感情を表に出さない。図書委員らしくて、当番の時は真面目に仕事をこなしている。名前は一条春都というらしい。司書の先生が一条君と呼んでいて、井上先輩が春都と呼んでいたから分かった。

 なんというか……ものすごくかっこいい!

「……で、その憧れの先輩には、話しかけられたのか?」

 美術部の部室で、友人にそう聞かれ、思わず口をつぐむ。

 美術部といっても、コンクールや文化祭なんかがない限りはほとんど落書きばかりをして過ごしている。好きなアニメのキャラや適当に描いた創作キャラ、ふざけて書いた誰かの似顔絵。そういう絵ばかりが散乱するスケッチブックを挟んで、いつも適当なことばかり喋っていた。

 今日もそんな調子で落書きをしながら雑談をしていた。他の部員は用事があるとかなんとか言ってそれぞれ帰って行ってしまっている。誰かが施錠しないといけないし、仕方なく二人で残ることにしたのだ。

 目の前に座る友人はジト目で飽きれたようにため息をついた。

「お前さあ、こないだ言ってなかった? 今度こそ話しかける! って」

「何それ、僕の真似?」

「似てるっしょ」

「似てない」

 そう簡単に話しかけられれば苦労しないよ。大体、何の接点もないっていうのに。接点があるとすれば井上先輩だけど……覚えてるかなあ。何回か会ったことはあるけど。

「でもさー、案外話しかけない方がいいかもよ」

 と、友人は落書きをしながら言う。

「どういうこと?」

「遠目で見るから輝いて見えるだけであって、案外近くにいると幻滅するかも。それか、飽きるか」

「なんてことを言うんだ」

「だってそんなもんじゃん」

 絵がいっぱいになったので新しいページを開こうとしたが、どうやらこれが最後のページだったらしい。

「ありゃ、なくなった」

「残念。じゃあ帰ろう」

 もともと、他の人たちが帰るまでの暇つぶしだったし、ていうか新しいの買わないと。

「ねえ、ちょっといい?」

 片づけをしていたところに一人、誰かやってきた。上履きの色を見る。二年生のようだ。でも美術部の人じゃない。幽霊部員なら知らないけど。

「なんですか」

友人の問いにその人は困ったように笑って「実は失くし物しちゃってさ」と中に入ってきた。

「あ、施錠するとこだった? ごめんね。俺、やっとくよ」

「いえ、それより、失くし物ってなんですか? 探すの手伝いますよ」

 そう申し出ると、その人はパッと顔を輝かせた。

「ほんとに? 助かるよ、ありがとう!」

 その人の名前は百瀬というらしい。なんでも、自転車の鍵をどこかに落としてしまったんだとか。

「昼休みに来た時かなあ、と思って。なんとなく心当たりはあるんだけど……」

 確かに、美術室は散らかっているので物を落とすと大捜索しなければならない。

「なんかキーホルダーとかついてます?」

「音のならない鈴と、色褪せた布」

 どうしてそんなものが、と思ったが、友人と目配せして何も言わないでおいた。

「鍵かあ……」

「誰か間違えて持って帰ったかな?」

「いやそれはどうだろうな」

 友人と話しながら探すが見当たらない。自分の物ではない物を探すというのは、申し訳ないが退屈で、おのずと先ほどの話の続きになる。

「で、なんだよさっきの。近くにいると幻滅するとか」

 友人は「あー……」と考えると、山積みのプリントを移動させながら言った。

「知らないから、きれいに見えるって感じ? 今はあこがれフィルターかかってるから輝いて見えるけど、実際話してみるといつまでも夢見てるわけにはいかないじゃん」

「そうかなあ」

「そうだよ。その、一条春都先輩だっけ? 案外極悪人だったりして。一回見たけど、目つき悪いし」

「えー?」

 話したこともない人をそう言うのはどうかとも思うが、分からないのも事実だ。

 悶々としながら適当に物をどかし、落ちたものを拾うためにしゃがんだとき、ふと机の引き出しが視界に入った。

「あ、あった」

 そこにちょこんと隠れていたのはまさしくその鍵だった。

「あった? ありがとう! そっかー。そこに入れちゃってたかあ」

 百瀬先輩はお礼に、とクッキーをいくつかくれた。市販のやつで、種類が豊富だ。お菓子、常備してるのかな。

「ごめんねー、迷惑かけちゃって」

 そして百瀬先輩は去り際「それじゃあお礼にもう一つ」と笑って言った。

「一条は悪いやつじゃないよ。料理が上手な、普通の男子高校生だよ」

 じゃ、と今度こそ百瀬先輩は帰って行ってしまった。

 遠くで烏が鳴いていた。



 バス停のベンチに座ってバスを待つ。ちょっと小腹が空いたので、もらったクッキーを食べることにした。

「いただきます」

 友人は電車通学なので別である。

 チョコチップが練りこまれたココア生地のクッキー。ほろ苦くも甘く、サクサクとした食感に、チョコチップのちょっとねっとりした感じがおいしい。

「一条先輩、怖い人じゃないのか」

 あの人、百瀬先輩は何者なんだろう。そういや顧問の先生が部員以外にも部室貸してるって言ってたけど、その人かな。

 二年生なら一条先輩と接点があってもおかしくないよなあ。料理が上手、って言ってたあたり、食べたことがあるか見たことがあるか。結構親しいのかも。

「料理上手なんだ」

 ……うん、やっぱり話してみたい。

 さすがに一人でいるときに話しかける勇気はないから、せめて、井上先輩がいるところで話しかけようか。

 それならやっぱり、図書館が一番かな。

 食べ終わった袋をクシャッとつぶし、鞄に入れておく。

「よし」

 幻滅したらまあ、その時はその時だ。

 まずは話してみないことには始まらない!



「ごちそうさまでした」
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