一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第三百八十九話 カレーライス

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 普段暑いのは嫌だけど、海辺にいるとなんとなくまあいいかと思えるのは何だろう。再び海に繰り出した咲良をパラソルの下からぼんやりと眺める。背中や首筋を汗が伝っていくのを感じる。
「楽しんでる~?」
「あ、お疲れ様です」
 一番急がしいお昼時を過ぎ、田中さんと山下さんがやってきた。山下さんは明るい色の水着を着ていて、田中さんは落ち着いた色合いの水着にラッシュガードを身にまとっていた。
「もう遊んでいいって~」
「バイト、終わったんですね」
「ああ。これからの時間は、客が少ないらしいからな」
 田中さんは俺の隣に座り、山下さんは置いてあったビーチボールを手に取った。咲良もこちらを見て、海から上がってくる。
「終わったんすねー。お疲れっす!」
「楽しそうだねぇ。そりゃっ」
「おわー!」
 山下さんは勢いよくビーチボールを咲良に投げつける。咲良は驚きつつも笑って受け止めた。
「ちょ、急に何するんすか!」
「あはは。ほれ、投げ返してこい」
「よっしゃ」
「元気だなあ」
 田中さんは目を細めて二人を見ている。浮き輪にもたれかかり、すっかりくつろいだ様子だった。
 しばらく二人はボールを投げつけあっていたが、山下さんがボールを受け取ったところで振り返り、こちらに手を振った。
「おーい。せっかくだし、ビーチバレーしようよ~」
 山下さんの言葉に、咲良もにこにこ笑っている。ビーチバレーって……ルールも何も知らないし、そもそもコートもないのだが。
「お、そりゃいい」
「えっ」
 田中さんはノリノリで立ち上がる。そうだった。この人、運動神経抜群だった。スーパーで会うイメージが強すぎて、忘れていた。
「ほれ、一条君も」
「俺ルール知らないですよ」
「そんなん、適当でいい。行こう」
「あぁ~」
 田中さんに引きずられるようにして太陽の下に出る。うわあ、暑い。
 コートは線を引くだけ、ネットはなく、詳しいルールもない。おおよそバレーボールと同じルールでやるらしい。
 チームは、咲良と山下さん、俺と田中さんという分け方になった。
「俺へたくそですからね。期待しないでくださいね」
 しっかりと念を押すと、田中さんは豪快に笑って背中を叩いてきた。
「そんな心配しなくても大丈夫だ」
「げほっ……力強いですね、頼りになります」
 サーブは田中さんからだ。ふーっと集中し、相手コートに向けるその視線は、遊びのそれではない。ポーンッとボールを上げ、ジャンプをし、打ち込む。
「うっわ」
 なんかボールがすげえ勢いで顔の横を通り過ぎていった。えっ、何、何が起きたの。
「ちょ、幸輔! 手加減しろ!」
 少し砂浜にめり込んだボールを持ち上げ、山下さんが田中さんを指さして言うが、田中さんは、堂々と胸を張り、ふんと笑った。
「手加減なんて、失礼だろう」
「一方的な試合になるのも楽しくないだろぉ!」
 結局、田中さんが手加減することで折り合いはついたが、山下さんに向かってだけは容赦なくスパイクを打ち込んでいた。そのたびに山下さんの絶叫が響き、咲良がゲラゲラと笑っていたのだった。

 夕暮れ前に、帰路に着く。
 帰りは山下さんが運転していた。なんかいろいろ話して滝がするけど、途中から記憶がない。すっかり疲れて、眠ってしまったのだ。
 目が覚めたのは見慣れた景色がオレンジ色に染まる頃だった。
「ん……もうこんなところか」
「おお。そろそろ着くぞ」
 田中さんに言われ、いまだ爆睡している咲良を起こす。ずいぶん疲れたみたいだ。日に当たり、海で泳ぎ、遊び倒し……そりゃ、疲れるか。なんか、楽しかったなあ。
 車はアパートの前に止まった。
「そんじゃ、今日はお疲れ。また、機会があったらどこか行こう」
「ありがとうございました」
 フワフワする頭のまま、田中さんと山下さんを見送る。この後、どっかご飯を食べに行くんだとか。
「ただいま」
「おかえり、お風呂入っておいで」
 母さんが準備してくれていた風呂は程よい温度で、すっかり体が緩んでしまった。咲良はすっかりくたびれ果てて帰れる様子ではなかったので、結局、もう一泊することになった。
 風呂から上がると、いい香りが漂っていた。スパイシーで、食欲をそそるこの香りは……
「カレーだ!」
 風呂に入って少し復活した咲良が顔を輝かせる。
「帰ってくるの遅いなら、疲れてもう一泊すると思ってたの。勘が当たってよかったわ」
 母さんは笑い、後でちゃんとおうちに連絡しなさいね、と咲良に言った。咲良は素直に頷いた。
「いただきます」
 今日はトッピングもある。夏野菜の素揚げととうもろこしのかき揚げだ。ドライカレーではなく、トロトロのカレーなのが今日はうれしい。
 辛すぎず、甘すぎない、ご飯によく合うカレーの味だ。スパイスの癖はほどほどで、肉と野菜のうま味が染み出したカレーにほっとする。
 かぼちゃの素揚げは、ほくほく、ねっちりとした口当たりで、程よい甘みがカレーのささやかな辛さに合う。あっ、ピーマンだ。これは好きだ。ほろ苦さが、すっきりする。シャキトロッとした食感は、揚げたピーマンならではだよな。
「海は楽しかったか?」
 父さんに聞かれ、頷く。
「暑かったけど、人少なくてよかった」
「プールは行ったか?」
「あっ」
 思わず咲良と声が合わさる。すると、父さんも母さんも笑った。
「よっぽど海が楽しかったみたいだな」
「いいじゃない。楽しかったなら」
 うん、まあ、そうだな。プールはこないだも行ったし、家の近くにあるし。海、楽しかったし。
 もう一口カレーを食べる。豚肉のやわらかい口当たりにジャガイモのとろとろがうまい。とうもろこしのかき揚げもいいなあ。プチッとはじけるとうもろこしの甘さに、もちもちの衣。
 カレーって、どんなに疲れた時でも食べられる。元気になる。
 しかし今日はたいそう動いた。明日は、ぐったりだろうなあ……

「ごちそうさまでした」
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