一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第四百九十五話 かき揚げ丼とささみ天

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 冬の雨は、二種類あるように思う。ぐっと寒さが増す雨か、ほんのりと寒さが和らぐ雨か。今日は後者のようだ。しっとりとした雨の香りが漂い、顔を包み込むようである。
「今日は湿気がすごいなあ」
 カウンターで事務作業をしていた漆原先生がそうぼやく。
「こんな天気の日は眠くなる」
「薄暗いですもんね」
 こんな薄暗い日は家に引きこもって、好きなテレビを見るなり本を読むなりしたいものだ。傘がいるのかいらないのか分からないような雨の日は、極力家から出たくない。学校があるとそうもいかないが。
「そしてすでに、その睡魔に負けている者が一人」
 と、先生が面白そうにペンで示すその先には、カウンターに突っ伏して堂々と寝息を立てているやつが一人。咲良だ。
「めっちゃ寝てますね」
「いっそすがすがしいな」
 時折もぞもぞと寝る位置を変え、いびきみたいな鼻息が聞こえてくる。よくもまあこんなところで、ここまで寝ていられるもんだ。
「起こさなくていいんですか」
「まあ、疲れているんだろう。今は他に生徒もいないことだし、そっとしといてやろう」
「そうですか」
 絶え間なく降り続ける雨はしとしと音を立て、分厚い雲に覆われた空は夕暮れで暗い。そりゃ、万年寝不足気味のこいつなら、寝ても仕方がないか。ましてや図書館という、静かな空間だ。寝るなという方が無理か。
「さて」
 先生は手元に積まれていたプリント類を束ねると、それを抱えて立ち上がる。
「ちょっと留守番を頼んでもいいか?」
「分かりました」
「何かあったら、事務室にいるから呼びに来てくれ」
「はい」
 先生が出て行っても、咲良は起きる気配もない。爆睡だ。
「よく寝られるよなあ……」
 気持ちよさそうな寝顔で、咲良はすやすやと眠っている。ここは託児所か何かか。
 俺は小さいころから昼寝をしなかったと母さんから聞いたことがある。確かにまあ、昼寝したなあって記憶はあまりない。今でこそたまに寝るが、それでもなかなか昼寝はしないなあ。昼寝するとなんかきついんだよな。
「うぅん……ぐぅ……」
「んっふふ。なんか言ってんな」
 むにゃむにゃ言ってるから内容はよく分からないが、ずいぶん幸せそうだ。
 こいつを見ていても飽きないだろうが、それもなんか時間がもったいないな。本でも読もうか。お、雑誌、新しいの入ってきてる。
「コミックラバーズ……ああ、漫画特集か」
 そんな横文字を使わなくても。漫画好きの座談会とでも書けばいいのに。まあ、別にいいけど。知ってる漫画もあるが、知らない漫画もある。
 海外の漫画も特集されてるな。へえ、日本の漫画とだいぶ違うもんだなあ。
 雑誌を二冊ほど読み終わったところで、先生が帰ってきた。そこでやっと咲良は目を覚ます。
「あれ? ……俺、ちょっと寝てた」
「やっと起きたか、井上君。一条君、何か変わったことはあったか?」
「何もないです。咲良が目覚めたくらい」
「そうか。留守番、ありがとうな」
 咲良は「なんか夢見てたような……」とまだぼんやりしている。寝ていたのはちょっとどころじゃないが、そこは言わないでおいてやるとしよう。

「お、なんだこれ」
 家に帰って、何か飲もうと冷蔵庫を開けると、何やら見慣れないパックがある。
「それね、ほたて。小さいの。安かったから、かき揚げしようと思って」
 母さんが今から楽しそうに答える。かき揚げかあ、いいなあ。
 コーラを取り出し、扉を閉める。ああ、寒い寒い。早くこたつに行こう。
「それとささみの天ぷら」
「いいね」
「天丼にできたらいいかなと思ってね」
 おお、天丼。自分ではやることのない料理の一つだ。何せ、色々手間がかかるからなあ。母さんは何かを思い出すように話す。
「天丼といえば、空港で食べたのがおいしくてねえ。サクッとした天ぷら、濃い色のタレ……ね、おいしかったよね?」
 母さんの隣に座る父さんが「新婚旅行の時だったかな?」とほほ笑む。
「食べたかなあ。機内食の印象が強かったからね」
「ああ、機内食も衝撃的だったわ。山盛りの茹でえび」
「食べても食べても出てきたもんねえ」
「……いったいどこに行ったの」
「カナダ」
 カナダに行く便って、大量の茹でえびが出るのか。
 パスポートを持っていないどころか飛行機に乗ったことがないので何も分からない。一度乗ってみたいものだなあ。

 かき揚げは玉ねぎとほたて、ささみ天もうまそうだ。
「いただきます」
 かき揚げをどんぶり飯にのせ、ささみ天も添える。特製のたれはとろみがあって、ご飯にもよく染みこむ。
 まずはかき揚げから。
 サクッとした衣は香ばしく、玉ねぎは甘く、シャキトロッとしている。あ、あった、ほたて。ぷりっぷりだなあ。貝特有の香りとうま味が加熱されたことで増して、甘味もにじみ出てくるようだ。
 そしてタレがまたうまい。記憶を頼りに頑張って母さんが作っただけのことはある。うまい。甘辛さの塩梅が絶妙で、具材の味を邪魔しないが、キリッと味を引き締めるようだ。これだけでご飯、食える。
 ささみは淡白な口当たりだが、ぷりっぷりしている。あっさりした味わいだから、余計にたれが合うのだ。
 醤油をかけて食べてみる。うん、これはこれでなかなか。しかしやはり、今日の天丼には特製たれがベストマッチのようである。
 たれが余るなら、ご飯と混ぜておにぎりにしてもうまそうだなあ。
 あ、でもこれは余らないだろうな。かき揚げにも、天ぷらにも、ご飯にも合うたれだから、ついついかけすぎてしまうのだ。
 どんぶりに残ったタレはかき揚げや天ぷらで拭う。少ししんなりしたかき揚げもまたうまい。口になじんでいい感じだ。
 ご飯もおかわりして、余すことなくたれまでいただく。
 なるほど、母さんが天丼に思いをはせるのも分かる気がする。こんだけうまいもん食ったら、そりゃ、忘れられないよなあ。

「ごちそうさまでした」
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