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日常
第五百話 からあげ
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「うー、寒い……」
玄関の扉を開けると、一瞬にして体が冷えてしまうほどの寒風が吹きこんでくる。顔さっむい。目出し帽かぶりたいくらいだ。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
母さんとうめずが玄関まで見送りをしてくれる。母さんは笑って言った。
「今日は楽しみに帰って来てね」
「えっ?」
「晩ご飯、からあげだから」
「からあげ」
なんてこった。さっき腹いっぱい朝飯を食ったってのに、その一言だけで腹が減ってきそうだ。あー、まだ学校についていないのに、もう帰りたい。
「楽しみ」
「たくさん揚げるからね~」
「わうっ」
すごいな、人って。たった「からあげ」という一言だけで、体が温かくなる気分だ。重く沈んでいた気持ちも晴れ、エレベーターに乗る頃にはもうすっきりとしていた。楽しみだなあ、からあげ。
エレベーターを降りたところで、階段から降りてきた人と鉢合わせる。
「あー、一条君だ。おはよぉ」
「おはようございます、山下さん」
お、山下さんの髪、内側だけ紫だ。なんだっけ、インナーカラー? よく似合っている。
「今から学校かあ。大変だねえ」
「寒いのでめんどくさいです」
「あはは、分かる~。寒いってだけでやる気失せるよねえ」
山下さんは電車の駅まで行くらしい。駐輪場から自転車を引っ張り出してきた。鮮やかな蛍光色のグリーンだ。なんか……似合うなあ。髪の色と自転車の色、どっちも奇抜といえば奇抜だけど、嫌な感じがしない。むしろ心地いほどにしっくりくる。
「でも一条君、ずいぶん楽しそうだったよ」
並んで歩いていたら、山下さんが興味津々というように聞いてきた。
「えっ、そうですか」
「なんかにこにこしてた。ご機嫌だなあって」
「顔に出てましたかね」
思わずネックウォーマーを引き上げる。そんなにわかりやすく緩んでいたのだろうか。山下さんは「何で隠すの~」と笑った。
「いいじゃない、不機嫌でいるより。何か楽しいことでもあったんでしょ」
「楽しいというか、嬉しいというか」
「えー、なになに? 一条君がそんなに嬉しそうな顔するって、気になる~」
「今日の晩ご飯、からあげなんですよ」
大笑いされるかとも思ったが、山下さんはしみじみと頷いた。
「ああ、からあげはテンション上がるよねえ。そりゃ顔も緩むわ」
「久しぶりなので」
「そっかあ、よかったねえ」
「はい」
学校近くの十字路で山下さんと別れる。颯爽と自転車で走り去っていく山下さんは、寒さなどものともしていないように見えた。
体の芯から冷えるように寒い体育の授業も、恐ろしく眠い午後の授業も乗り越えた。そして今、下校する人波を抜けて校門の外へ出た。帰ろう帰ろう。
いつもよりちょっとだけ早足で帰る。
「ただいま」
「おかえりー」
母さんが台所に立っている、ということは……ああ、やっぱり。鶏肉の下味をつけているんだな。
「ちゃんと準備してるからね」
「ありがとう」
「もう、いい匂いがしているな」
父さんが言うと、足元にいたうめずが「わうっ」と返事をした。
実は昼休みのうちに、あらかた予習は終わらせてあるんだよな。あとは課題を終わらせれて風呂入れば準備オッケーだ。
さーて、さっさと終わらせるぞ。
課題といってもプリントが二枚あるくらいだ。さすがに、六時間目に出されたこの数学の課題は学校で終わらせることができなかった。バチバチと油のはじける音を聞きいていると、いつもより早く終わらせられそうだ。
課題を終わらせて風呂に入ったら、居間に向かう。
「ちょうどよかった。はい、これ」
母さんから、爪楊枝に刺さったからあげを受け取る。
「いただきます」
これはもも肉かあ。まだジュウジュウいってる。
カリッと香ばしい衣はあっつあつで、口に入れたいのに入れられない。でももう、鼻に届く香りがたまらない。にんにくと醤油の香ばしい香り。にんにく醤油はいろんなところでお目にかかるけど、からあげとなるとどうしてこう、こうもうまいんだろうか。
肉はジューシーで、ぷりっぷりで、醤油の味がよく染みている。でもちゃんと鶏の味もジュワッとあふれ出てきて……
皮もカリッカリだなあ。カリッカリのモチモチだ。ちょっと攻撃的な形のやつもあるけど、思いっきりかぶりついてやれ。
「もうちょっとで全部揚がるからねー」
サラダとどんぶりご飯も準備して、さあ、改めて。
「いただきます」
今度は胸肉を。
もも肉よりもあっさり淡白な口当たり。噛み応えのある肉質で、薄く着こなした衣が香ばしい。脂の感じはもも肉よりもないけど、うま味は負けない。
今度はマヨネーズをつけようか。たっぷりつけてしまいそうになるが、鶏の味が分からなくならないように、ほどほどに。……うん、うん。これこれ、これだよ。まったりとしたマヨネーズに鶏肉の脂のコク、にんにく醤油の香ばしさ。これぞからあげよ。ご飯で追いかけるのがいいねえ。
「あれ、そういやレモン……」
いつものレモン汁の入れ物がない。
「ああ、こっちこっち」
サラダでちょうど死角になっていたらしい。父さんが皿を差し出す。おっ、生レモン!
いいねえ、皮を下にしてたっぷりと……おお、酸っぱそう。衣がちょっとしんなりして口が痛くない。香ばしさは変わらず、むしろレモンのおかげできりっと際立つようだ。すっきりとした酸味で、爽やかに食べられる。
ここにマヨネーズをつけると、ちょっとチキン南蛮を思い出すのは俺だけだろうか。酸味とマヨのまろやかさの塩梅が最高なんだなあ。しかし、生レモン、風味がいい。
サラダでいったん冷静になろう。レタス、ピーマン、トマトに玉ねぎの薄切り。オリーブたっぷりのドレッシングをかけていただく。お店っぽい味だ。レタスはみずみずしく、ピーマンは食感もよくほろ苦い。トマトのジューシーな酸味がオリーブとよく合うなあ。玉ねぎ、ピリッとちょっと辛いのがいいアクセントになっている。
さて、次は柚子胡椒マヨで。マヨネーズと鶏肉の味でまったりとした口に、ピリッと鼻に抜ける辛さとさわやかさ。塩気もあって、うま味が増すようだ。ああ、うまい。
そんでまたシンプルにそのまま……
はあ、うまい。がつがつ食ってしまった。ほんのり冷めたからあげは一口で食べる。口いっぱいに、何ともいえない、大好きな味が広がって……ほんと、おいしいとか大好物とかって、理屈じゃないよなあと思う。全身で欲するような、そんな感じだ。それを口に含む幸せというのは、何物にも代えがたい。
はあ、食った食った。
うまかったなあ。
「ごちそうさまでした」
玄関の扉を開けると、一瞬にして体が冷えてしまうほどの寒風が吹きこんでくる。顔さっむい。目出し帽かぶりたいくらいだ。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
母さんとうめずが玄関まで見送りをしてくれる。母さんは笑って言った。
「今日は楽しみに帰って来てね」
「えっ?」
「晩ご飯、からあげだから」
「からあげ」
なんてこった。さっき腹いっぱい朝飯を食ったってのに、その一言だけで腹が減ってきそうだ。あー、まだ学校についていないのに、もう帰りたい。
「楽しみ」
「たくさん揚げるからね~」
「わうっ」
すごいな、人って。たった「からあげ」という一言だけで、体が温かくなる気分だ。重く沈んでいた気持ちも晴れ、エレベーターに乗る頃にはもうすっきりとしていた。楽しみだなあ、からあげ。
エレベーターを降りたところで、階段から降りてきた人と鉢合わせる。
「あー、一条君だ。おはよぉ」
「おはようございます、山下さん」
お、山下さんの髪、内側だけ紫だ。なんだっけ、インナーカラー? よく似合っている。
「今から学校かあ。大変だねえ」
「寒いのでめんどくさいです」
「あはは、分かる~。寒いってだけでやる気失せるよねえ」
山下さんは電車の駅まで行くらしい。駐輪場から自転車を引っ張り出してきた。鮮やかな蛍光色のグリーンだ。なんか……似合うなあ。髪の色と自転車の色、どっちも奇抜といえば奇抜だけど、嫌な感じがしない。むしろ心地いほどにしっくりくる。
「でも一条君、ずいぶん楽しそうだったよ」
並んで歩いていたら、山下さんが興味津々というように聞いてきた。
「えっ、そうですか」
「なんかにこにこしてた。ご機嫌だなあって」
「顔に出てましたかね」
思わずネックウォーマーを引き上げる。そんなにわかりやすく緩んでいたのだろうか。山下さんは「何で隠すの~」と笑った。
「いいじゃない、不機嫌でいるより。何か楽しいことでもあったんでしょ」
「楽しいというか、嬉しいというか」
「えー、なになに? 一条君がそんなに嬉しそうな顔するって、気になる~」
「今日の晩ご飯、からあげなんですよ」
大笑いされるかとも思ったが、山下さんはしみじみと頷いた。
「ああ、からあげはテンション上がるよねえ。そりゃ顔も緩むわ」
「久しぶりなので」
「そっかあ、よかったねえ」
「はい」
学校近くの十字路で山下さんと別れる。颯爽と自転車で走り去っていく山下さんは、寒さなどものともしていないように見えた。
体の芯から冷えるように寒い体育の授業も、恐ろしく眠い午後の授業も乗り越えた。そして今、下校する人波を抜けて校門の外へ出た。帰ろう帰ろう。
いつもよりちょっとだけ早足で帰る。
「ただいま」
「おかえりー」
母さんが台所に立っている、ということは……ああ、やっぱり。鶏肉の下味をつけているんだな。
「ちゃんと準備してるからね」
「ありがとう」
「もう、いい匂いがしているな」
父さんが言うと、足元にいたうめずが「わうっ」と返事をした。
実は昼休みのうちに、あらかた予習は終わらせてあるんだよな。あとは課題を終わらせれて風呂入れば準備オッケーだ。
さーて、さっさと終わらせるぞ。
課題といってもプリントが二枚あるくらいだ。さすがに、六時間目に出されたこの数学の課題は学校で終わらせることができなかった。バチバチと油のはじける音を聞きいていると、いつもより早く終わらせられそうだ。
課題を終わらせて風呂に入ったら、居間に向かう。
「ちょうどよかった。はい、これ」
母さんから、爪楊枝に刺さったからあげを受け取る。
「いただきます」
これはもも肉かあ。まだジュウジュウいってる。
カリッと香ばしい衣はあっつあつで、口に入れたいのに入れられない。でももう、鼻に届く香りがたまらない。にんにくと醤油の香ばしい香り。にんにく醤油はいろんなところでお目にかかるけど、からあげとなるとどうしてこう、こうもうまいんだろうか。
肉はジューシーで、ぷりっぷりで、醤油の味がよく染みている。でもちゃんと鶏の味もジュワッとあふれ出てきて……
皮もカリッカリだなあ。カリッカリのモチモチだ。ちょっと攻撃的な形のやつもあるけど、思いっきりかぶりついてやれ。
「もうちょっとで全部揚がるからねー」
サラダとどんぶりご飯も準備して、さあ、改めて。
「いただきます」
今度は胸肉を。
もも肉よりもあっさり淡白な口当たり。噛み応えのある肉質で、薄く着こなした衣が香ばしい。脂の感じはもも肉よりもないけど、うま味は負けない。
今度はマヨネーズをつけようか。たっぷりつけてしまいそうになるが、鶏の味が分からなくならないように、ほどほどに。……うん、うん。これこれ、これだよ。まったりとしたマヨネーズに鶏肉の脂のコク、にんにく醤油の香ばしさ。これぞからあげよ。ご飯で追いかけるのがいいねえ。
「あれ、そういやレモン……」
いつものレモン汁の入れ物がない。
「ああ、こっちこっち」
サラダでちょうど死角になっていたらしい。父さんが皿を差し出す。おっ、生レモン!
いいねえ、皮を下にしてたっぷりと……おお、酸っぱそう。衣がちょっとしんなりして口が痛くない。香ばしさは変わらず、むしろレモンのおかげできりっと際立つようだ。すっきりとした酸味で、爽やかに食べられる。
ここにマヨネーズをつけると、ちょっとチキン南蛮を思い出すのは俺だけだろうか。酸味とマヨのまろやかさの塩梅が最高なんだなあ。しかし、生レモン、風味がいい。
サラダでいったん冷静になろう。レタス、ピーマン、トマトに玉ねぎの薄切り。オリーブたっぷりのドレッシングをかけていただく。お店っぽい味だ。レタスはみずみずしく、ピーマンは食感もよくほろ苦い。トマトのジューシーな酸味がオリーブとよく合うなあ。玉ねぎ、ピリッとちょっと辛いのがいいアクセントになっている。
さて、次は柚子胡椒マヨで。マヨネーズと鶏肉の味でまったりとした口に、ピリッと鼻に抜ける辛さとさわやかさ。塩気もあって、うま味が増すようだ。ああ、うまい。
そんでまたシンプルにそのまま……
はあ、うまい。がつがつ食ってしまった。ほんのり冷めたからあげは一口で食べる。口いっぱいに、何ともいえない、大好きな味が広がって……ほんと、おいしいとか大好物とかって、理屈じゃないよなあと思う。全身で欲するような、そんな感じだ。それを口に含む幸せというのは、何物にも代えがたい。
はあ、食った食った。
うまかったなあ。
「ごちそうさまでした」
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