533 / 893
日常
第五百三話 エクレア
しおりを挟む
「プリント、後ろまで回ったか?」
今日の七時間目は自習時間だと聞いていたが、チャイムが鳴って早々、プリントを配られた。何だこれ……ああ、職場体験か。冬休みの二日間か……課外がその分、減るんだな。咲良が喜びそうだ。
「手短に話すから、よく聞いとけよ」
プリントには職場体験の説明と行き先が書かれてある。行き先といってもそのすべてが書いてあるわけではなく、教育系とか飲食系とかジャンルが示されていて、その一例が書かれているだけだ。で、下の方に切り取り線があって、希望表になっている。
「第一希望から第三希望まで書いて、来週までに提出するように。体験先にも連絡しないといけないから、締め切りは必ず守れよ」
「はーい」
「必ずしも第一希望になるとは限らないから、そのつもりで」
そこまで言うと先生は「はい、それじゃ自習開始」と雑に言った。プリントはとうにしまわれ、パイプ椅子に座り、ブックカバーがついた本を読み始める。周囲もしばらくはざわついていたが、間もなく静かになった。
職業体験かあ……
放課後、掃除のために外に出る。冬場の外掃って、冬場の雑巾がけと匹敵するくらいにはしんどい。はーあ、なんでこのタイミングで、回ってきたのかなあ。
でもまあ、落ち葉の量も減ってきたし、教室のこもった空気の中にいるよりは気分がいい。
ぶわっと風が吹き、コンクリートの上を落ち葉がカラカラと音を立てながら通り過ぎていく。おお、寒い寒い。
「職場体験、どこにするんだ、一条」
竹ぼうきで掃除をしながら、中村と話をする。ここは事務室の近くだが、先生たちの目がないので結構自由が利くのだ。
「やっぱり飲食?」
「やっぱり……ってなんだよ」
「食べるの好きだろ」
「そういうので決めていいのか、こういうことを」
言えば中村は笑った。
「いいんじゃねーの? 別に一生の就職先決めるわけでもないし。好きなもんと関係ある方が、やる気も出るだろ」
「そういうもんか」
「真面目だなー、一条は」
なんか、最近、中村の印象が変わってきた。思ったより真面目じゃないし、思ったより怖くない。話もそれなりに合うし、冗談も通じる。やっぱり、人って見た印象だけでは分からないものだなあ。
「で、どこにするんだ?」
「俺は……じいちゃんとばあちゃんの店に行きたい」
素直に言えば、中村はきょとんとした。
「何それ」
「自転車屋なんだよ。学校近くにある」
「はー、なるほど。確かに、そりゃいいな」
「昼飯の心配もしなくていいし」
「やっぱり飯じゃん、心配なのは」
面白そうにそう指摘され、ぐうの音も出ない。
「飲食は、まかないも出るらしいぞ」
「ああ、それは聞いた」
それはそれで、魅力的なんだよなあ。和洋中、いろいろあるらしいし。特に中華料理屋のまかないは絶品なんだとか。他にもケーキ屋とかになるとお土産をくれるらしいし、昼ご飯の時にデザートが出るんだっけ。いいよなあ、それも捨てがたい。
「中村はどうするつもりなんだ?」
聞けば中村は少し考えてから言った。
「俺は調理系かな。なんか楽しそう」
「調理系か……」
わざわざ職場体験でまで料理しなくていいかな、俺は。
チャイムが鳴ったので掃除道具を片付けて教室に戻る。同級生とすれ違う度に聞こえてくる話題は、職場体験のことばかりだ。聞く限りじゃ、教育系……というか、小学校や中学校を希望するやつが多いようだ。まあ、分からなくもない。自分が小中学生の時に来ていた高校生たち、楽しそうだったもんな。
ただ、行く学校によっては給食の当たりはずれがあるからなあ……そこが考えどころかなあ。
「仲いいやつと示し合わせて決めるやつもいるみたいだな」
席に着き、プリントを眺めながら中村が言った。そして顔をあげると、当然のことのように聞いてきたものだ。
「井上と話し合って決めたら?」
「なんでだよ」
「だって仲いいし」
そりゃ……咲良がいるかいないかでいえば、いた方が気が楽かもしれないけれども。気を使わなくていいかもしれないけれども。
それを自分から認めるのはなんだか癪なので、とりあえず。
「示し合わせたところで、同じ場所に行くとも限らないからな」
と答えておいた。
「それもそうか」
「あいつも行きたいところあるだろうし、わざわざ示し合わせる必要もない」
「とか言いながら、偶然、希望が一緒になるとかありえそう。お前ら」
中村から楽しそうに言われ、何ともいえなかった。
夕食後、こたつに入りプリントとにらめっこする。こうしていれば、俺に合った職業体験先がにじみ出てこないだろうか。ないよなあ。
いいや、とりあえずデザート食おう。今日はエクレアがあるんだなあ。
「いただきます」
最近ではいろいろなエクレアがあるものだが、今日のは王道な感じのやつだ。いわゆるエクレアらしい形で、シュー生地の上半分にはチョコレートがかかっている。
ガブッとかぶりつけば、たっぷりのカスタードクリームが口の中にあふれ出す。これこれ、生クリームとはまた違う、もったりまったりした感じの薄黄色い、バニラビーンズが所々に見えるクリーム。甘さは程よく、卵のコクを感じる。バニラの香りもいいなあ。
シュー生地もさっぱりしていて、濃厚なチョコレートとの相性は抜群だ。ほろ苦いチョコレートと甘いカスタードのバランスも最高だ。
こんなうまいもんが食えるんなら、ケーキ屋もいいなあ。百瀬とか、ケーキ屋一択って感じがするよなあ。朝比奈はやっぱ医療系なのだろうか。先生たちも、色々考えて配置するんだろうし……ま、気楽に考えよう。
「職場体験?」
向かいに座った母さんが、同じエクレアを食べながら聞いてくる。
「うん。どこにしようかなーって」
「いろんなところに行けるんだな」
父さんはすでに食べ終わってしまっている。緑茶をすすりながら、プリントをのぞき込んできた。
「どこに行きたいんだ、春都は」
「じいちゃんとばあちゃんのとこ」
言えば父さんも母さんも「あー、なるほど」と笑った。
エクレアって、緑茶に合うなあ。コーヒーとか紅茶も合うんだろうけど、この熱さとほのかな渋み、茶葉の香りが、エクレアの少しひんやりとした甘さをとろとろと溶かしていく、その口当たりと温度がたまらない。
「図書館とかいいんじゃない?」
と、母さんが言う。図書館か、それもありだな。
「希望通りになればなあ……」
「そっか、先生が最終的に決めるんだっけ」
「そうそう」
さて、それじゃあ、糖分補給もしたことだし、早いとこ決めてしまおうかな。
こういうのは思いついた時に書いて提出しとかないと、忘れるからなあ。
「ごちそうさまでした」
今日の七時間目は自習時間だと聞いていたが、チャイムが鳴って早々、プリントを配られた。何だこれ……ああ、職場体験か。冬休みの二日間か……課外がその分、減るんだな。咲良が喜びそうだ。
「手短に話すから、よく聞いとけよ」
プリントには職場体験の説明と行き先が書かれてある。行き先といってもそのすべてが書いてあるわけではなく、教育系とか飲食系とかジャンルが示されていて、その一例が書かれているだけだ。で、下の方に切り取り線があって、希望表になっている。
「第一希望から第三希望まで書いて、来週までに提出するように。体験先にも連絡しないといけないから、締め切りは必ず守れよ」
「はーい」
「必ずしも第一希望になるとは限らないから、そのつもりで」
そこまで言うと先生は「はい、それじゃ自習開始」と雑に言った。プリントはとうにしまわれ、パイプ椅子に座り、ブックカバーがついた本を読み始める。周囲もしばらくはざわついていたが、間もなく静かになった。
職業体験かあ……
放課後、掃除のために外に出る。冬場の外掃って、冬場の雑巾がけと匹敵するくらいにはしんどい。はーあ、なんでこのタイミングで、回ってきたのかなあ。
でもまあ、落ち葉の量も減ってきたし、教室のこもった空気の中にいるよりは気分がいい。
ぶわっと風が吹き、コンクリートの上を落ち葉がカラカラと音を立てながら通り過ぎていく。おお、寒い寒い。
「職場体験、どこにするんだ、一条」
竹ぼうきで掃除をしながら、中村と話をする。ここは事務室の近くだが、先生たちの目がないので結構自由が利くのだ。
「やっぱり飲食?」
「やっぱり……ってなんだよ」
「食べるの好きだろ」
「そういうので決めていいのか、こういうことを」
言えば中村は笑った。
「いいんじゃねーの? 別に一生の就職先決めるわけでもないし。好きなもんと関係ある方が、やる気も出るだろ」
「そういうもんか」
「真面目だなー、一条は」
なんか、最近、中村の印象が変わってきた。思ったより真面目じゃないし、思ったより怖くない。話もそれなりに合うし、冗談も通じる。やっぱり、人って見た印象だけでは分からないものだなあ。
「で、どこにするんだ?」
「俺は……じいちゃんとばあちゃんの店に行きたい」
素直に言えば、中村はきょとんとした。
「何それ」
「自転車屋なんだよ。学校近くにある」
「はー、なるほど。確かに、そりゃいいな」
「昼飯の心配もしなくていいし」
「やっぱり飯じゃん、心配なのは」
面白そうにそう指摘され、ぐうの音も出ない。
「飲食は、まかないも出るらしいぞ」
「ああ、それは聞いた」
それはそれで、魅力的なんだよなあ。和洋中、いろいろあるらしいし。特に中華料理屋のまかないは絶品なんだとか。他にもケーキ屋とかになるとお土産をくれるらしいし、昼ご飯の時にデザートが出るんだっけ。いいよなあ、それも捨てがたい。
「中村はどうするつもりなんだ?」
聞けば中村は少し考えてから言った。
「俺は調理系かな。なんか楽しそう」
「調理系か……」
わざわざ職場体験でまで料理しなくていいかな、俺は。
チャイムが鳴ったので掃除道具を片付けて教室に戻る。同級生とすれ違う度に聞こえてくる話題は、職場体験のことばかりだ。聞く限りじゃ、教育系……というか、小学校や中学校を希望するやつが多いようだ。まあ、分からなくもない。自分が小中学生の時に来ていた高校生たち、楽しそうだったもんな。
ただ、行く学校によっては給食の当たりはずれがあるからなあ……そこが考えどころかなあ。
「仲いいやつと示し合わせて決めるやつもいるみたいだな」
席に着き、プリントを眺めながら中村が言った。そして顔をあげると、当然のことのように聞いてきたものだ。
「井上と話し合って決めたら?」
「なんでだよ」
「だって仲いいし」
そりゃ……咲良がいるかいないかでいえば、いた方が気が楽かもしれないけれども。気を使わなくていいかもしれないけれども。
それを自分から認めるのはなんだか癪なので、とりあえず。
「示し合わせたところで、同じ場所に行くとも限らないからな」
と答えておいた。
「それもそうか」
「あいつも行きたいところあるだろうし、わざわざ示し合わせる必要もない」
「とか言いながら、偶然、希望が一緒になるとかありえそう。お前ら」
中村から楽しそうに言われ、何ともいえなかった。
夕食後、こたつに入りプリントとにらめっこする。こうしていれば、俺に合った職業体験先がにじみ出てこないだろうか。ないよなあ。
いいや、とりあえずデザート食おう。今日はエクレアがあるんだなあ。
「いただきます」
最近ではいろいろなエクレアがあるものだが、今日のは王道な感じのやつだ。いわゆるエクレアらしい形で、シュー生地の上半分にはチョコレートがかかっている。
ガブッとかぶりつけば、たっぷりのカスタードクリームが口の中にあふれ出す。これこれ、生クリームとはまた違う、もったりまったりした感じの薄黄色い、バニラビーンズが所々に見えるクリーム。甘さは程よく、卵のコクを感じる。バニラの香りもいいなあ。
シュー生地もさっぱりしていて、濃厚なチョコレートとの相性は抜群だ。ほろ苦いチョコレートと甘いカスタードのバランスも最高だ。
こんなうまいもんが食えるんなら、ケーキ屋もいいなあ。百瀬とか、ケーキ屋一択って感じがするよなあ。朝比奈はやっぱ医療系なのだろうか。先生たちも、色々考えて配置するんだろうし……ま、気楽に考えよう。
「職場体験?」
向かいに座った母さんが、同じエクレアを食べながら聞いてくる。
「うん。どこにしようかなーって」
「いろんなところに行けるんだな」
父さんはすでに食べ終わってしまっている。緑茶をすすりながら、プリントをのぞき込んできた。
「どこに行きたいんだ、春都は」
「じいちゃんとばあちゃんのとこ」
言えば父さんも母さんも「あー、なるほど」と笑った。
エクレアって、緑茶に合うなあ。コーヒーとか紅茶も合うんだろうけど、この熱さとほのかな渋み、茶葉の香りが、エクレアの少しひんやりとした甘さをとろとろと溶かしていく、その口当たりと温度がたまらない。
「図書館とかいいんじゃない?」
と、母さんが言う。図書館か、それもありだな。
「希望通りになればなあ……」
「そっか、先生が最終的に決めるんだっけ」
「そうそう」
さて、それじゃあ、糖分補給もしたことだし、早いとこ決めてしまおうかな。
こういうのは思いついた時に書いて提出しとかないと、忘れるからなあ。
「ごちそうさまでした」
22
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる