643 / 893
日常
第六百四話 文化祭弁当
しおりを挟む
あとは人が集まり、開会するのを待つだけとなった祭り会場の雰囲気がなんか好きだ。
早朝、視聴覚室で発声練習を終えて、体育館へ向かう。人がいない、うっすらと冷える空気の中を歩いていると、どこかへ出かけたくなるのは何だろうか。
人のいない体育館は、いつも以上に声が響くようだ。放送席もちゃんと準備されている。ちょっとワクワクするぞ。
まあ、なんだ。上手にできるかはさておき、上映も含めて、無事に終わるといいな。
「これで、午前の部は終わりです。午後の部の開始時刻は……」
体育館の二階の通路で、アナウンスを聞いている。放送部の発表は午後の部だから、機材の最終確認だ。
司会は思ったよりもあっけなく終わってしまった。拍子抜けしたというか、ほっとしたなあ。
「割と何とかなるもんだな」
と、必要な機材や道具があるかを確認しながら、咲良が言った。
「ああ、なんか、思ったよりな」
「てかみんな司会よりも吹奏楽の発表の方が気になってるし、弁論大会は寝てるしさー」
よし、電源もちゃんと入るな。
「まさかお前らが司会をするとは……」
昨日の準備の時にいなかった朝比奈が、こまごまとした物を片付けながら言った。そして、心底ほっとしたように続ける。
「俺、その場にいなくてよかった」
「あはは、運がいいのか何なのか、って感じだなあ」
咲良は言って、下をのぞき込んだ。昼休み中に行われる、有志発表の説明がされているようだ。人混みの中におらず、こういうところで文化祭を眺められるって、気分がいいな。
壁にもたれかかり、ぼんやりとステージを見る。何もないステージ上に今からいろいろ運びこまれるんだなあ、とか、今は静かな校内も今に賑やかになるんだなあ、とか考えると、朝のひんやりとした静けさが恋しくなってくる。
「皆さん、起立してください」
そろそろ解散のようだ。
解散後、行く当てもないのでとりあえず図書館に向かう。
「漆原先生、こんにちは」
「おお、一条君。来たのか」
漆原先生はいつも通りの恰好で、飄々とした様子で笑った。気合の入っている先生たちも多い中、こう、何も変わらないのはいいな。
「静かですね」
すでによそは人でごった返しずいぶんと賑やかだったが、図書館付近だけ切り取られたように静かだ。先生はそれを不満に思っていないようで、むしろ嬉しそうに言った。
「ああ。着ぐるみを着られないのは惜しかったが、落ち着いていられるのはありがたい」
「着ぐるみ、気に入ったんですね」
「普段、まず着ないものだからな」
それはまあ、分かる。些細な非日常って、なんかワクワクするよな。
一言二言話したら、視聴覚室へ向かう。照明の消えた薄暗い視聴覚室には誰もいない。分厚い扉を隔てると、喧騒も小さく、やっと一息ついた。思ったよりも疲れていたみたいだ。
視聴覚室の取っては、簡易的な鍵にもなる。ガチャガチャッと下に向けたら、より一層落ち着いた。
「さて……」
自分の荷物を置いていた席に座り、ブラインドの向こうに少しだけ見える体育館に目を向ける。エレキギターだかなんだか知らないが、けたたましい音がうっすらと聞こえている。有志発表って、割とレベル高いんだよなあ。
まあ、見に行くつもりはない。人多いんだ。それに今日は生徒会が校内を練り歩いて「一緒に写真を撮りましょう!」みたいなことやってるみたいだし、ここから出たくない。一番の安全地帯だ。
お茶を一口飲んだら、ノートと教科書、筆箱を取り出す。
昼休みは視聴覚室に引きこもる予定だったから、持ってきておいた。まずは古文の予習をして、次は英語かなあ。
ノートと教科書を開くと、なんとなくざわついていた心が静かになる。
やっぱ俺は、こっちのほうが好きだなあ。
古文の予習を終え、英語の予習も終盤に差し掛かったところで視聴覚室の扉が開いた。咲良がやってきたようだ。
「あれっ、春都もういる。見て回ってないのか?」
メロンパンやらカレーパンを引っ提げて、咲良は前の席に座った。
「んー、ずっと引きこもってた」
「あ、そう。なにやって……えっ、うそだろ、勉強してんの?」
「おう」
「はー……偉いなあ。よくやるなあ」
「ただやりたくてやってただけだ」
しかし、そろそろ昼飯の時間か。サクッと終わらせてしまおう。
「図書館、めっちゃ静かだったぜ。なんかあそこだけ、陸の孤島って感じ」
咲良は言いながら、葉脈のしおりを見せてきた。
「見て、作った」
「おーいいな」
「上手って誉められたんだー」
咲良は、十分に楽しんだようである。それは何よりだ。
さて、飯を食おう。集中していて気付かなかったが、腹が減った。教科書とノートをしまって、弁当箱を出す。
「お、食う?」
「食う」
「じゃ、俺も食おう」
と、咲良はいそいそとパンの袋を開けた。
「いただきます」
ご飯にはおかかのふりかけ、豚肉とピーマンを炒めたものに卵焼きとプチトマト、それと冷凍のハンバーグ。
まずはピーマンを。豚の味が染み、塩こしょうの効いたピーマンはうまい。シャキシャキしつつもほんのりやわらかいのが弁当って感じだ。もちろん、豚肉そのものもうまい。脂身のところが甘くてやわらかくて、肉からはジュワッとうま味が染み出す。
ひんやりしたご飯は噛みしめるほどに甘みが出てくる。おかかのうま味を含んだ塩からさがよく合う。
冷凍ハンバーグにはオーロラソース。ケチャップだけでも、マヨネーズだけでもうまいのだが、両方が合わさると、塩気も酸味もまろやかさもバランスが良くなるんだ。ちょっとやわらかめのハンバーグとなじんで、米が進む。
プチトマトで口をすっきりさせたら、卵焼き。卵焼きの黄色とプチトマトの赤って、それだけでもう弁当って感じだよなあ。
んー、甘い卵焼き。今日の砂糖の量はちょうどよかったみたいだ。
「午後からも忙しいけど、二階から見られるのはちょっと楽しみだな」
咲良は言って、二つ目のメロンパンをほおばった。チョコチップ入りみたいだ。
「それはそうだな」
「なー」
長い昼休みももうすぐ終わる。
あとは気楽に、文化祭の雰囲気を楽しむとしようかな。
「ごちそうさまでした」
早朝、視聴覚室で発声練習を終えて、体育館へ向かう。人がいない、うっすらと冷える空気の中を歩いていると、どこかへ出かけたくなるのは何だろうか。
人のいない体育館は、いつも以上に声が響くようだ。放送席もちゃんと準備されている。ちょっとワクワクするぞ。
まあ、なんだ。上手にできるかはさておき、上映も含めて、無事に終わるといいな。
「これで、午前の部は終わりです。午後の部の開始時刻は……」
体育館の二階の通路で、アナウンスを聞いている。放送部の発表は午後の部だから、機材の最終確認だ。
司会は思ったよりもあっけなく終わってしまった。拍子抜けしたというか、ほっとしたなあ。
「割と何とかなるもんだな」
と、必要な機材や道具があるかを確認しながら、咲良が言った。
「ああ、なんか、思ったよりな」
「てかみんな司会よりも吹奏楽の発表の方が気になってるし、弁論大会は寝てるしさー」
よし、電源もちゃんと入るな。
「まさかお前らが司会をするとは……」
昨日の準備の時にいなかった朝比奈が、こまごまとした物を片付けながら言った。そして、心底ほっとしたように続ける。
「俺、その場にいなくてよかった」
「あはは、運がいいのか何なのか、って感じだなあ」
咲良は言って、下をのぞき込んだ。昼休み中に行われる、有志発表の説明がされているようだ。人混みの中におらず、こういうところで文化祭を眺められるって、気分がいいな。
壁にもたれかかり、ぼんやりとステージを見る。何もないステージ上に今からいろいろ運びこまれるんだなあ、とか、今は静かな校内も今に賑やかになるんだなあ、とか考えると、朝のひんやりとした静けさが恋しくなってくる。
「皆さん、起立してください」
そろそろ解散のようだ。
解散後、行く当てもないのでとりあえず図書館に向かう。
「漆原先生、こんにちは」
「おお、一条君。来たのか」
漆原先生はいつも通りの恰好で、飄々とした様子で笑った。気合の入っている先生たちも多い中、こう、何も変わらないのはいいな。
「静かですね」
すでによそは人でごった返しずいぶんと賑やかだったが、図書館付近だけ切り取られたように静かだ。先生はそれを不満に思っていないようで、むしろ嬉しそうに言った。
「ああ。着ぐるみを着られないのは惜しかったが、落ち着いていられるのはありがたい」
「着ぐるみ、気に入ったんですね」
「普段、まず着ないものだからな」
それはまあ、分かる。些細な非日常って、なんかワクワクするよな。
一言二言話したら、視聴覚室へ向かう。照明の消えた薄暗い視聴覚室には誰もいない。分厚い扉を隔てると、喧騒も小さく、やっと一息ついた。思ったよりも疲れていたみたいだ。
視聴覚室の取っては、簡易的な鍵にもなる。ガチャガチャッと下に向けたら、より一層落ち着いた。
「さて……」
自分の荷物を置いていた席に座り、ブラインドの向こうに少しだけ見える体育館に目を向ける。エレキギターだかなんだか知らないが、けたたましい音がうっすらと聞こえている。有志発表って、割とレベル高いんだよなあ。
まあ、見に行くつもりはない。人多いんだ。それに今日は生徒会が校内を練り歩いて「一緒に写真を撮りましょう!」みたいなことやってるみたいだし、ここから出たくない。一番の安全地帯だ。
お茶を一口飲んだら、ノートと教科書、筆箱を取り出す。
昼休みは視聴覚室に引きこもる予定だったから、持ってきておいた。まずは古文の予習をして、次は英語かなあ。
ノートと教科書を開くと、なんとなくざわついていた心が静かになる。
やっぱ俺は、こっちのほうが好きだなあ。
古文の予習を終え、英語の予習も終盤に差し掛かったところで視聴覚室の扉が開いた。咲良がやってきたようだ。
「あれっ、春都もういる。見て回ってないのか?」
メロンパンやらカレーパンを引っ提げて、咲良は前の席に座った。
「んー、ずっと引きこもってた」
「あ、そう。なにやって……えっ、うそだろ、勉強してんの?」
「おう」
「はー……偉いなあ。よくやるなあ」
「ただやりたくてやってただけだ」
しかし、そろそろ昼飯の時間か。サクッと終わらせてしまおう。
「図書館、めっちゃ静かだったぜ。なんかあそこだけ、陸の孤島って感じ」
咲良は言いながら、葉脈のしおりを見せてきた。
「見て、作った」
「おーいいな」
「上手って誉められたんだー」
咲良は、十分に楽しんだようである。それは何よりだ。
さて、飯を食おう。集中していて気付かなかったが、腹が減った。教科書とノートをしまって、弁当箱を出す。
「お、食う?」
「食う」
「じゃ、俺も食おう」
と、咲良はいそいそとパンの袋を開けた。
「いただきます」
ご飯にはおかかのふりかけ、豚肉とピーマンを炒めたものに卵焼きとプチトマト、それと冷凍のハンバーグ。
まずはピーマンを。豚の味が染み、塩こしょうの効いたピーマンはうまい。シャキシャキしつつもほんのりやわらかいのが弁当って感じだ。もちろん、豚肉そのものもうまい。脂身のところが甘くてやわらかくて、肉からはジュワッとうま味が染み出す。
ひんやりしたご飯は噛みしめるほどに甘みが出てくる。おかかのうま味を含んだ塩からさがよく合う。
冷凍ハンバーグにはオーロラソース。ケチャップだけでも、マヨネーズだけでもうまいのだが、両方が合わさると、塩気も酸味もまろやかさもバランスが良くなるんだ。ちょっとやわらかめのハンバーグとなじんで、米が進む。
プチトマトで口をすっきりさせたら、卵焼き。卵焼きの黄色とプチトマトの赤って、それだけでもう弁当って感じだよなあ。
んー、甘い卵焼き。今日の砂糖の量はちょうどよかったみたいだ。
「午後からも忙しいけど、二階から見られるのはちょっと楽しみだな」
咲良は言って、二つ目のメロンパンをほおばった。チョコチップ入りみたいだ。
「それはそうだな」
「なー」
長い昼休みももうすぐ終わる。
あとは気楽に、文化祭の雰囲気を楽しむとしようかな。
「ごちそうさまでした」
29
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる