一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 じいちゃんとばあちゃんのつまみ食い②

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 朝は昼間に比べて幾分かは涼しいとはいえ、日が当たれば当然暑い。
「大雨が降ったかと思えば、今度は暑さか」
 蝉時雨の中、駐車場に向かいながら正道は誰にともなくつぶやいた。容赦なく照り付ける太陽の光がまぶしく、ぐっと顔をしかめる。
 車を停めていたところはちょうど影になっていたので、正道は少しほっとした。直射日光の当たる中に停めて置いた車など、暑くて乗れたものではない。日陰にあるというだけでずいぶん違うものだ。
 正道は慣れた手つきでハンドルを切った。
 その頃、トウ子は台所で大仕事に取り掛かっていた。安いからと買い込んだ野菜、お客や知り合いからもらった野菜に果物が山積みになっていて、今からそれを仕分けるのである。
「よし」
 実に大変そうな作業であるが、トウ子は嫌な顔一つしない。料理や、その仕込みは、トウ子にとって苦ではないのである。もちろん、大変なことに変わりはないが。
 まずは大量のオクラから。青々ときれいなオクラはまず塩でうぶ毛を取る。大量のオクラともなればかなりの重労働だ。しかし、こうすることでおいしく食べられるとトウ子は分かっているので、しっかりやる。
 塩を洗い流したら刻んで、袋型の保存容器に入れて冷凍庫へ。
 続いてねぎ。これまた立派な、根つきの小ねぎである。これは知り合いからもらったらしい。巻いてある新聞紙を外し、まずは洗う。
「きれいに揃えてくれてるからやりやすいわ」
 根を切り落とすと、それはそれで小さな容器に水を入れて、そこに入れて取っておく。あとで植えるのだ。
 小ねぎは小口切りのものと、ちょっと長めのものとに切り分ける。少しの量だけ小さめの袋に入れて、あとはキッチンペーパーを入れた大きめの袋に入れて野菜室へ。水分が取れたら、キッチンペーパーを取って冷凍するのだ。
 二人そろって野菜好きとはいえ、一日に消費できる量は限られている。冷凍しておくと、ある程度長く保存できるのだ。
 続いてまくわ瓜。これは今日のうちに食べきれそうなので、切り分けておく。切る前から甘い匂いが漂っているあたり、食べごろのようだ。これは正道の好物である。
 食べやすい大きさに切り分けたら、真っ白な皿に盛って冷蔵庫に入れておく。
 せっかくだからお昼ご飯の準備もしよう、とトウ子は思い立つ。仕事が忙しい夏場は、いつの間にか昼時になっている、ということが多い。早めに準備しておくに越したことはないのである。
「よいしょっと」
 トウ子は袋一杯のプチトマトを持ち上げた。今日食べる分だけ出すと、残りは別の袋に移しなおして野菜室へ入れる。ナスもたっぷりある。これも二本だけ調理台に置いておいて、残りは保存袋に入れて野菜室に。
 プチトマトは洗って、つまようじで穴をあける。ナスは半分に切り、乱切りのようにして水にさらしてあくを抜く。
 その間にてんぷら粉の準備をする。冷たい水で粉を溶き、プチトマトをくぐらせて、熱した油にそっと入れる。ジュワアッ、バチバチッと勢いのいい音が立ち、セミの鳴き声が一瞬聞こえなくなる。
 プチトマトをすべて揚げた頃合いで、ナスを引き上げる。水気をしっかり取って、衣をつけて、再び油へ。
 揚げ物というのはただでさえ大変な仕事であるが、夏はその大変さに拍車がかかるものだ。トウ子は汗をぬぐいながら調理を進めていく。
 ナスもすっかり揚げたら、今度はきゅうりを持ってくる。
 よく洗ってとげを取り、両方の先端を切り落とす。切り落とした破片で断面をこすって灰汁を取るとさっと水で洗い流し、見事なまでの薄切りにしていく。薄切りにしたきゅうりはビニール袋に塩とともに入れ、もむ。
 その時、店のチャイムが鳴った。
「はーい……ああ、おかえりなさい」
「ただいま。いや、外は暑い」
 帰って来た正道は確かに汗だくだった。
「そうでしょう。少し休んで」
「そうする。身が持たん」
 とは言いながらも、正道は水分補給をすると、店へ向かった。
 トウ子は時計を見る。そうめんはもう少ししてから湯がこうと思いながら、塩もみしたきゅうりを軽く水で洗った。
 涼しげな小皿にキュウリを盛り、かつお節を添える。
 先ほど冷凍庫に入れたばかりのオクラを食べる分だけ湯がく。凍っていれば耐熱皿に入れ、少し水を足してチンすればいいが、まだ凍っていなかったようだ。
 正道の仕事の具合を見て、トウ子はそうめんを湯がき始めた。そうめんは夏の定番であり、涼し気な料理だが、調理の過程はあまり夏には似つかわしくない。
 そうめんを冷水で締めていると、トウ子はセミが鳴いていないことに気が付いた。
 器にそうめんを盛り、湯がいて冷やしておいたオクラと、切っておいたねぎをのせる。麺つゆは市販のものを分量より少し濃い目に割った。
 テーブルの上がすっかりお昼ご飯の準備で整ったところで、正道が上がってきた。
「お疲れ様。お昼にしましょう」
「ああ」
 二人とも汗だくになったので着替えてさっぱりしたところで、昼食にする。
「いただきます」
 麺つゆをたっぷりかけたそうめんは、夏らしい。
 つるりと口当たりのいいそうめんは冷たく、食欲が落ちがちな夏でもおいしく食べられる。ねぎは爽やかで、切りたてだから風味がいい。オクラの青さも程よく、じゃくじゃく、ねばねばとした食感は元気が出そうである。プチッとはじける種が新鮮さを物語っている。
「うまいな」
「夏場は、こういうのがいいね」
 プチトマトの天ぷらは、少し冷めているから食べやすい。はじける酸味と甘みに衣の食べ応え。何も調味料をつけなくてもおいしいが、塩をつけてもうまい。
 ナスはサクサクのとろとろだ。この衣の具合と甘みには醤油が合う。
 きゅうりの塩もみには軽く醤油をかけるとうま味が増す。かつお節の風味もよく、キュウリのみずみずしさと冷たさ、塩分が、汗をかいた体に染みわたるようだ。
「あんまり暑すぎて、セミが鳴いてない」
 正道は言いながら、麦茶を飲んだ。
「車も人も通っていないから、静かだ」
「あんまり暑すぎるとねぇ。洗濯物はよく乾くんだけど」
 テレビもついていない居間には、クーラーと扇風機の音だけが聞こえる。
「春都がいたら、少しは賑やかだけど」
 トウ子がつぶやくと、正道は「……そうだな」とだけ言って、少しの間の後、テレビの電源をつけた。
 テレビ越しに聞こえる笑い声はどこか遠い。正道はいろいろとチャンネルを変えたが、最終的には消してしまった。
「もう夏休みねえ」
 トウ子は言いながら、冷蔵庫からまくわ瓜を持ってきた。
 柔らかいとも、シャキシャキしているとも取れる独特の食感に、スイカの皮近くのような瓜の風味にほのかな甘みがする。
「春都はまくわ瓜、好きかな」
「俺の孫だから好きなんじゃないか」
 正道が冗談めかして言うと、トウ子は「そうね」と笑った。
「これからたくさんもらうだろうね。春都がいつ来てもいいように、むいておかないと」
「そうだな」
「取り合い、しちゃだめよ?」
「どうだかな」
 二人の小さな笑い声が響く、夏の静かな昼下がりである。

「ごちそうさまでした」
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