一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第七百三十話 めざし

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 遊園地の夢のような空間から出て、迎えに来た真野さんの車に乗り込む。車内は程よく涼しくて、歩き回って火照った体に心地よかった。
「では、出発します」
 行きがけとは反対向きに流れる風景。
 喧騒と輝きは遠くなり、『ようこそ!』と書かれていた門の反対側には『またのお越しをお待ちしております』と書いてあったのだなあ、と気づく。
 やがて風景は住宅街になり、田んぼや畑が増え、地元でもよく見るような感じになっていく。時折見える、広大な駐車場を持つホームセンターやまばらに建ち並ぶコンビニエンスストアが、どことなく寂しげに感じた。
 町に着く頃には、少し夕暮れの匂いがし始めていた。
 雨が降った後のような湿った匂いと、行きかう車両の排気ガス。日暮れというほどではないが、暗くなり始めそうな空の気配。
 賑やかで楽しい場所から帰ってきたときの、この静寂。寂しい感じだけど、嫌いではない。
「それじゃあ、ありがとうございました」
 他の三人は疲れてしまったのか、爆睡している。真野さんはにこりと笑うと会釈をした。
「では、また」
 走り去る車を見送って、後は見慣れた道を行く。
 さて、これから何をして過ごそうか。
「まずは、これだな」
 遊園地から帰るときに買ったお土産のマグカップ。じいちゃんとばあちゃんにいいかな、と思ったんだ。父さんと母さんにも買ってきた。
「ただいまー」
 店に帰ると、うめずが飛びついてきた。
「わふっ」
「おお、うめず。ただいま」
「おかえり、春都」
 ばあちゃんが立ち上がって、じいちゃんが振り返る。
「遊園地は楽しかった?」
「うん、歩き回って疲れたけどね」
「まあ、座りなさい」
 じいちゃんが言って、ちゃぶ台をポンポンと手のひらで叩く。俺が座ると、隣にうめずがやって来た。
「はい、これ。お土産」
「おお、ありがとうな、気を使わなくてもいいのに」
「中身は何かな?」
 ばあちゃんがさっそく中身を見る。
 遊園地のロゴが印刷されたマグカップで、いろいろな色のものがあったが、深緑色を選んだ。
「ありがとうね~、嬉しい」
「酒でも飲むか」
「飲み過ぎよ」
 じいちゃんとばあちゃんが笑いあう。二人とも色々言ってるときもあるけど、なんだかんだで仲がいいんだ。二人でお出かけしてるときもあるし。
「もう少ししたら晩ごはんにしようと思ってたの。食べていくでしょう?」
「うん」
 なんだか今日は、一人で飯を食うのはちょっと寂しい気がした。喧騒の中にいた後は、静寂が際立つものだから。
 まあ、明日になれば、問答無用で騒がしい中にいることになるんだけど。
 晩飯までの間は、遊園地での話をしたり、テレビを見たりした。ばあちゃんがもう何度も読んでいる料理本を読み、じいちゃんがテレビを見て、俺はスマホを触りながら時々うめずの相手をする……
 はあ~、こういう時間、いいなあ。
「ん?」
 何だ、メッセージが来たぞ。
 咲良か。
『撮っといた写真、送っとくねー』
 そのメッセージを見て間もなく、ごっそりと写真が詰まったデータが送られてきた。おお、いったいどんだけ撮ってたんだ。
「いつ撮ってたんだ……?」
 お、これはあれだ。百瀬と朝比奈が乗ってたやつ。紐の長いブランコが大きな傘にぶら下がっているような形のアトラクションで、ぐるぐる回るやつ。俺はなんか無理な気がして、咲良と二人で眺めてたっけ。
「さて、そろそろご飯にしようね」
 ばあちゃんが立ち上がるので、俺も立ち上がる。が、それをばあちゃんに制された。
「ゆっくりしてなさい」
「え、いいよ。なんかするよ」
「いいから、ね?」
 この笑顔の時のばあちゃんには、何人たりとも逆らえない。
 大人しく座りなおし、晩飯を待つことにした。

 魚の焼ける香ばしい香りに野菜を切るみずみずしい音、くつくつと鍋の中身が熱され、冷蔵庫が開き、閉じられ、炊飯器の蓋も開く。あれ、ばあちゃんって一人だよな。何人もの人が一斉に動いている感じがする。
「はい、おまたせ」
 ほお……思わずため息が出そうなごちそうである。
 やきたてのめざし、ホカホカご飯、豆腐とわかめの味噌汁にキャベツの卵とじ。なんだかほっとするなあ。
「いただきます」
 まずはめざしを……横目に、キャベツの卵とじ。
 火が通って幾分柔らかくなったものの、シャキシャキとみずみずしいキャベツ。甘い汁がジュワッと染み出してきて、卵の香ばしい風味とよく合う。卵そのものは出汁のようなうま味があり、フワッフワしていた。
 さて、それじゃあめざしを。頭からかぶりつく。
 サクッと香ばしく、ほんのり苦みがある。もう一口かぶりつくと、塩気と魚の風味がやってきた。噛みしめればうま味が滲み出し、かための食感ながら、トロッと溶けるような感じすらある。不思議な食感だよなあ。
 トロッと、っていうのは、身がほぐれるのがそう感じられるのだろうか。解けるようなのだが、実際に溶けている感じではないのだ。
 尻尾の方は歯ごたえがある。まるでジャーキーみたいだ。でも、うま味がギュッとつまっているようで、いつまでも噛みしめていたくなる。
 みそ汁は慣れた味噌の風味。かつお節のうま味もあり、絹ごし豆腐のつるんとした口当たりとわかめのさっくりした食感が好きだ。
 ホカホカのご飯は、何よりのごちそうだな。ほのかに甘く、おかずのうま味を引き立て、自身のうま味も滲み出す。
 めざしはポン酢をつけてもうまい。酸味が魚の香りを控えめにして、爽やかな感じになるのだ。
 なんだか今日は、とんでもなく贅沢をしてしまったような気がする。こんなに幸せでいいのだろうか、とも思うが、いいのだ、と納得することにした。
 どうせ幸せなら、心の底から噛みしめておかねば。うま味がもったいないというものだ。

「ごちそうさまでした」
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