一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第798話 お花見

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 土曜課外の日は基本的に午前中で下校できるのだが、今日は部活があるとかで午後まで学校にいなければならない。
 うららかな春の陽気に穏やかな日差し、昼から休みだったらどれだけいいことだろう、と何度考えたことか。ま、仕方ない。諦めるしかない。
「はい、お弁当」
「ありがとう」
 母さんから弁当を受け取る。
 ふふ、自分で作らないお弁当、久しぶりだな。
「今日はお母さんたちも夕方にしか帰ってこないから」
「分かった」
「行きがけにばあちゃんのところにうめず連れて行くね」
 うめずはその言葉の意味が分かっているのかいないのか、「わふっ」と一声吠えた。
 春は心なしか、足取りが軽くなる。草花の香りがする風に背を押され、どこまでも行ってしまいそうだ。
 そして、少し暖かくなると、道路脇に雑草が見え始める。日が差すとすぐ生えてくるんだから、とばあちゃんも言っていた。順番に雑草取りをしていって、やっと終わったと思ったら、最初に取ったところからまた生えてくるって。
 おや、その雑草にまぎれて何やら濃いピンク色が見えるぞ。
「桜の花びらか」
 雨やらなにやらにあたって、濃い色になった桜の花びらだ。小学校の方から飛んできたのかな。
「春だなあ」

「えっ、今日の部活休み?」
 放課後、珍しく早瀬が教室にやって来たと思えば、それか。
「なんか、先生、急用ができたって」
「そうか……分かった、ありがとう」
 念願って、叶うもんだなあ。そう思いながら礼を言うと、早瀬はにこにこ笑って言った。
「井上にはもう伝えてるから、そろそろ来ると思うよ」
「ああ、そう……」
「じゃ」
 早瀬が教室を立ち去って間もなくして、咲良がやって来た。さっきの騒がしい足音はお前だったのか。
「春都! 部活休みだって!」
「さっき聞いた」
「帰ろうぜ!」
「おう」
 突拍子もない休みというのは嬉しいものだが、さて、どう過ごそうかと悩んでしまう。
 出かけるにしても中途半端だが、今家に帰っても一人だし……うーん、どっか散歩でもしようかな。あ、その前に弁当。
「いい天気だなあ」
 校門の外に出て、咲良が空を見上げて伸びをする。ざあっと吹く風が心地よく、暖かな陽気で眠くなってしまいそうだ。
「花見行きたいな」
 ふと呟くと、咲良は「おっ、いいねぇ」と笑った。
「今から行っちゃう? そこで飯食うか」
「それいいな」
 この辺りにも桜のきれいなところは多いし、ご飯を食べられるところもあるだろう。
「じゃあさ、お菓子少し買って行こうぜ」
「ああ」
 コンビニで好きなお菓子をいくつか買って、小学校の方へ向かう。ベンチもあるし、小学校は春休み中だから人が少ないのだ。
「おおー、ほぼ満開じゃん!」
 フワフワと風に揺れ、暖かな日差しの中で薄紅色の雲のように咲く桜の花。いやあ、やっぱり好きだなあ。
「俺の季節、到来だな」
 咲良はなぜか得意げな顔をして胸を張る。まあ、確かにさくら、だもんな。
「それをいうなら、俺の季節でもある」
 春だし。咲良は笑った。
「そりゃそうだ。じゃー俺ら、二人そろって春爛漫ってことだな!」
「芸名かよ」
 適当なベンチに座り、さっそく弁当を開く。
「いただきます」
 ご飯にはごま塩、卵焼きにプチトマトとハム巻き、ピーマンと豚肉を炒めたのとあとは肉団子か。うまそうだ。
 ピーマンは程よくシャキシャキ感が残っていて、塩こしょうの風味と相まったこの苦みがうまい。豚肉はほんのり甘いんだよな。
 肉団子はトマト強めのデミグラス。この味が弁当らしくて好きだ。肉の風味も少しするんだよなあ。スパゲティと一緒に食ってもうまい。あ、ちょっと卵焼きにソースがついた。来れもまたいいんだよな。
 ハム巻きは安定のおいしさ。ハムの塩気とマヨネーズのまろやかさ、きゅうりのみずみずしさ。ちょっと運動会を思い出す。
「なんかさー、こういうとこで食うだけでうまさ倍になる感じしない?」
 と、咲良がおにぎりをほおばりながら言う。
 卵焼きの甘さを堪能しながら、「そうだな」と頷く。特に今日は母さんお手製の弁当だから、倍どころの騒ぎではないがな。
 ごましおを振った米って、どうしてこうも次々と食べてしまうんだろう。香ばしさのせいか、程よい塩気のせいか。
 おやつに買ったのはヌガー入りのチョコレート。
 チョコレートがうまいんだ、これ。中のヌガーは歯にくっつくけど、つい食べてしまうんだ。この甘さと合うのがアーモンドミルクである。牛乳とはまた違ったさっぱりした風味と甘みがたまらない。
 つい、大袋入りを買ってしまったが、あっという間になくなってしまいそうだ。
「はい、春都。これ一個あげる」
「ん?」
 咲良が差し出してきたのは三色団子だった。
「ありがとう、また定番を買ったなあ」
「へへ、つい」
「じゃあ、チョコレートを三つあげよう」
「やった、サンキュー」
 桜と三色団子、うーん、絵にかいたような組み合わせだ。
 三色団子の甘さは素朴で、米の風味も感じる。ぽやんぽやんのもっちもちで、色ごとに味が変わるわけでもないが、うまい。
 急に休みになってどうしようかと思ったが、思いがけずいい昼になったなあ。
 もうしばらくのんびりしてもいいだろう。一年のうちの、ほんのわずかなこの一瞬を楽しまないのは、もったいない。
 静かに風が桜をなでると、ふうっと甘く爽やかな香りがした。
 ああ、ずっと感じていたこの香りは、桜の香りだったのか。

「ごちそうさまでした」
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