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一章 黄昏のパリは雪に沈む
No,3 養父の思惑
しおりを挟む数年前──大学進学についての耕造からの命令は、明彦の予想を覆した。てっきり「東大へ行け」と言われる事を予想していた明彦に対し、養父は「海外留学するように」と命じたのだ。
豪田の跡取りを保証された身分に今さら国内の学歴など無用。それよりも商社の筆頭に立つべく国際感覚を身に付けろ──との主旨を論じ、養父は明彦にそれを望んだのだ。
それは語学に留まらず、欧米のVIPとも対等に渡り合える人間力を学べとの思惑であった。
拘束とも思える厳しい環境に身を置いていた明彦にとって、海外留学と言う選択は正に自由の翼を得た思いではあった。明彦は当時、その決定にほっと胸を撫で下ろしたものである。
(これで当分、父の監視下から逃れられる)
そして彼はハーバードか或いはオックスフォードか──と言われる中、旧公家華族の血筋を誇る養母の意向をくみ四年前、オックスフォードの学寮に落ち着いたのである。
オックスフォードは大学と学寮と地味な商店街を中心とした、小さく閑静な町だった。そんな町での生活は明彦にとって、久々に味わう事の出来る束の間の自由でもあった。
この町での明彦に「豪田家の子息」を意識する人間は誰一人いない。遠く離れた東洋の財閥の息子など、この英国の環境では話題にもされなかった。
気のおけない友人達に囲まれ、明彦は高校時代とは打って変わった青春を謳歌することが出来た。
しかし──楽しい日々はあまりにも儚く過ぎ去ってしまう。
最終学年に達し、卒業を意識せざるを得ない状況下において、明彦の肩には来たるべき帰国と、それに伴う豪田の後継者と言う重苦しい立場がひしひしと伸し掛かって来るのだった。
(これから何十年間と続くだろう重大な責任。それを知っている父は、せめてもの学生気分をこの町で味あわせてくれたのかも知れない……)
愛おしい程の大学時代の思い出と共に、初めて感じる養父へのそんな思い──確かにこのところ、明彦は少々感傷的な気分に陥っていたのかも知れない。
────────────
そんなある日──オックスフォードの明彦の元に日本の養父から命令が下った。
──豪田物産のパリ支社に於いて、このたび新規の取引先と重要な契約が成立した。
ついてはその取引先代表をパリ支社へと招き、支社長を先頭に重役達が接待に当たる事となったが、その際、明彦も豪田の後継者として同席するように──との内容だった。
明彦の心は重かった。
(大学卒業を待たずして、もう俺の初陣か……)
昨日、パリ支社の面々と顔合わせをした。そして今日は取引先代表との会議に出席しなければならない。
緊張感に包まれるだろう、ここパリでの数日間──明彦は少々滅入っていた。
(商談と言っても、まだ学生で経験も浅い俺には何も出来ない。会議に出席しても意味は無いのではないか?)
あまつさえ、明日の夜はオペラ好きな取引先代表を喜ばせる為、パリ・オペラ座に極上の桟敷席を用意してある。
(今日は会議のでくのぼう。そして明日の夜はオペラ座か……)
正直、明彦はオペラの様な長々とした舞台が苦手だった。
──幕が上がる前から憂鬱である。
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