昭和浪漫ノスタルジー「遥か彷徨の果ての円舞曲」

歴野理久♂

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四章 果て無き雲の彼方へ

最終回──遥か彷徨の果ての円舞曲

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 秘密の入江──
 間もなく沈みゆく夕陽を浴びて、金色の波間がまぶしく輝く。
 静かな夕凪の音に包まれたその入江は、昔と変わらぬ懐かしき場所。

──祐二は大岩を背もたれに座り込み、その燃えるような夕陽を見ていた。


(準備は出来た、完璧だ……
あとは死ぬだけ……
静かにそっと、死ぬだけなんだね……)


 自死する訳には行かない。

 そんな事をして明彦の心を傷付けてはいけない。

──実の兄弟だと言う絶望。
 明彦が自分と同じ苦しみを味合わないように、人知れず静かに逝くのだから。


 絶望を知ったあの日から、内服薬は一切飲んでいない。
 発作時の頓服薬もちゃんとポケットに入れてはいるが、元より飲む気は全く無い──


(僕は、病死でなければならない……)


 ここ数日間の薬断ちとこの入江にたどり着くまでの無理な運動で、今思惑通り激しい動悸と息切れに襲われている。
──当然だ。
 自分の身体の弱点は嫌と言うほど良く分かっている。


(アキ兄ちゃん……神様っているんだね……ちゃんと僕に発作をくれた……)


 最後にここで──
 この入江で夕陽を見ながらひっそりと逝きたかった。

 やがて潮が満ちて身体が流されても、既に逝っていれば海水は飲まない。
──検死されれば溺死ではなく、病死として判断される。
 ポケットに発作時の頓服薬もちゃんと入れた。死ぬつもりの人間なら薬なんて携帯しない。


(誰も、僕を自死だとは思わない……)


 不思議と涙が出てこない。
 心臓はとても痛いけれど、心は夕凪と同じように静かだ。


──祐二はそっとまつ毛を伏せた。


「ゆ!祐二!!」

 
 悲壮な思いでようやくこの入江にたどり着いた明彦──
 その顔色は蒼白を極め、握り締めた拳はわなわなと震える。

 大岩にもたれ、座り込む祐二の姿を見付けた明彦は息を呑んで駆け寄り、ひざまずいて祐二を抱えた。

 今にも透き通ってしまいそうな白い面影──明彦は微動だにせぬ祐二の身体を揺らし、声を張った。

「祐二、しっかりしろ!」
 
 あまりの様子に動揺し、大きく目を見開く明彦。そんな明彦に抱き起こされて、祐二は薄っすらと目蓋を開けた。

「アキ兄ちゃん……どうしてここに?」
「祐二!おまえ一体何をした!俺が豪田の実子だと分かったからか?俺を豪田の家に戻らせるためにか!」

 明彦は震えながら祐二の両手首を確認した。
──切り傷は無い。ただ薄っすらと、青白い血管が浮いているだけ。


(アキ兄ちゃん……最期に会えるなんて思わなかった……
嬉しいよ……)


 祐二は優しい笑顔を見せた。

「アキ兄ちゃん……何を慌てているの?
僕は何もしていないよ?
ただ……ここに夕陽を見に来ただけだよ……」
「おまえ、また俺の為に身を引こうとしたな!それにしてもこんな無茶を……」

「違うよ、僕はアキ兄ちゃんの帰りを待っていた。期待して、ちゃんと信じて待っていたよ……」
「だったらなぜ急に部屋を引き払った!」

「アキ兄ちゃんが出て行った後、父さんが来たんだ。
脅されて、無心されて……
怖くて直ぐにあの部屋を引き払った……」

 順番が逆だ、秋本を追い出した後に明彦が来たのだ。
──嘘である。

「そうだったのか、それにしても黙って部屋を引き払うなんて驚くだろ?」
「豪田の両親と向き合っているアキ兄ちゃんを煩わせたくなかった……」

 息絶えだえに、苦しげに祐二は声を発した。その声は細く儚く、震える唇に邪魔されながら今にも消え入ってしまいそうだ。

「祐二、発作か?いつもの発作なのか!」
「だから……慣れているから平気さ……」

 それが心臓の発作だと知り、尚更にうろたえる明彦。

「薬は?薬はどうした!」
「ちゃんと飲んだよ、だから大丈夫……」

「本当か?本当にちゃんと飲んだんだな!」
「ポケットを見て?
ちゃんと入れてあるだろ?
いつでも、どんな時でも必ず薬を携帯するのが当たり前だよ、子供の頃からずっとそうだっただろ?」

 薬など飲んではいない。元より飲む気もない。
──これも嘘である。

「だから……もう少しこうして抱いていて……
じきに薬が効いて良くなるから……いつもそうだろ?」
「祐二、本当に大丈夫なのか?」

「うん、それよりなぜ?
どうしてアキ兄ちゃんがここへ?」

 明彦は、はっとして独り言のようにつぶやいた。

「母さんだ……母さんが俺達を引き合わせてくれたんだ」

「え?母さん……?」

 瞬間(しまった!)と思う明彦。

「あ、いや……今回の件で俺の母親の事が分かったんだ。
もう随分前に亡くなっていて、実はこの帆ノ崎に墓が有るんだ……」

「え?アキ兄ちゃんのお母さんのお墓が?
そうか……この帆ノ崎にお墓が有るのか……」

「俺はそれを知って、だから今日この町に来たんだ」
──その人は、おまえの母親でもあるのだ。
 とは、決して言えない兄がいた。

「そうか、良かったね。
お墓が分かって、本当に良かった……」
──その人は、自分の母親でもあるのだ。
 とは、やはりどうしても言えない弟がいた。

 互いに血の真実を知りながらそれでも尚互いの気持ちを思い遣り、自分達の犯した禁忌に決して触れまいとする兄弟がそこにあった。


「アキ兄ちゃんのお母さんって、どんな人だったのかな」

「美しく、優しい人だったそうだ……」
(おまえは母さんに生き写しだって、父さんが言ってた)

「優しい人……」
(母さんは、アキ兄ちゃんのような人だったんだね……)


 祐二は力無く瞳を閉じ、息絶えだえに明彦の胸に顔をうずめる。吐く息は荒く、その様子は益々苦しげに見える。

「祐二、様子が変だ、何かいつもの発作と違う気がする!
このままじゃいけない、救急車を呼びに行くよ!」

「嫌だよ!僕から離れないで」

「頼むから行かせてくれ!
近くの家で電話を借りて、救急車を呼んだら直ぐに戻って来るから!」

 もはや泣き声で訴える明彦だったが、しかし頑なに祐二はそれを拒んだ。

「嫌だ……お願いだから僕の我儘を聞いて?
一人は恐いよ……
もう直ぐ薬が効くから、だから一緒にここにいて……」

「祐二……」

 どうしようもなく無力な自分に憤りを感じ、ただ祐二の身体を力いっぱいに抱き締める明彦。

「大丈夫だよ?こうして抱かれていればに直ぐに良くなる……子供の頃から、いつもそうだったじゃないか……」

「祐二、本当か?」

「平気さ……アキ兄ちゃんと一緒なら絶対安心……」

「祐二、何かおかしい!いつもと違う!頼むからやっぱり俺を行かせてくれ!」

「こうしているとアキ兄ちゃんの心臓の音が聞こえる……
アキ兄ちゃんの心臓の音が好き……」

「祐二!しっかりしろ!」 

 祐二を胸に抱き、はらはらと涙を流すしか出来ない明彦だった。


 息が苦しい。
 心臓が痛い。
 だが祐二は、思い掛けず現れた明彦にこうして抱かれながら逝ける事を、まさに奇跡だと感じていた。
 

(アキ兄ちゃんを愛してる。
僕はこの愛を汚さない為に、
美しい真実の愛とする為に、
逝くよ……)


 今こそ明彦の愛に包まれていると確信し、祐二は自分のこの選択を疑わない。


(こうして僕が逝く事によって、この愛は限りなく清廉なものとして昇華されるんだ。
だから今後、たとえどんなに残酷な事実を知る事になっても、アキ兄ちゃんはもう、何も苦しまなくていいんだよ? 
そのために……僕は逝くのだから……)


「ゆ、祐二!しっかりしろ!
目を開けてくれ!!」


 嗚咽を噛み殺しながら叫ぶ明彦の声も、既に祐二の耳には届いていない。
 けれど祐二は、不思議なくらい死に対する恐怖を感じずにいた。そっと瞳を閉じたまま、唇に微笑みさえ浮かべている。


(死ぬな祐二!
生きていてくれ……!
たとえどんなにむごい宿命に翻弄されても、おまえを死なせるより遥かに上等だ!)


 しかし祐二はその死を受け入れ、この愛に殉じようと決心している。


(アキ兄ちゃん、僕は命懸けでこの愛を守るよ。
それが僕に出来る最後の証しだから……)


 震える明彦の腕の中で祐二は激しい動悸に声も出せない。
 無力な明彦は何も出来ず、ただひたすらに症状の好転を念じるばかりだ。

「祐二、俺は……俺はどうすればいいんだ……」

 その時──祐二が精一杯の力を振り絞り、ほんの一声、言葉を発した。



「アキ兄ちゃんが好き……
死ぬほど…………」



 驚きに目を見開き、明彦は慌てる。

「祐二しゃべるな!安静にしろ!」

 そして祐二の閉ざされた瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。




 瞬間──明彦の周りから全ての音が途絶えた。




 愕然とする明彦──




「祐二?」




 やがて夕凪の音が蘇る。
 静かに響き渡る夕凪に混じり、徐々に微かに聞こえて来るのは──そう、あのパリの侯爵邸での夜会の日──二人が初めて踊ったあの旋律──あの懐かしき憂愁の円舞曲。

 沈みゆく夕陽を背に受け、美しき幻影が波間に立つ。
 それはかの白き夜会服を身にまとった、あの世にも美しい優夜の姿──


『椿は……あの花はわたくしにとって、とても大切な思い出の花ですの……』


 はらはらと天空より舞い降りる無数の白き花びら──
 その雪のように降りしきる花びらの中を、懐かしき少年が嬉しそうに駆け巡る──


『アキ兄ちゃん!
僕は、アキ兄ちゃんが大好きだよ!』


 波間に浮かぶ幻影に呆然とする明彦の腕の中で、祐二の心臓は静かに止まった。


 炎のように燃える夕陽はすでにその大半を海中に沈め、渚は今眩しい程に輝いている。
 そしていつもと変わらず、ただ夕凪の音だけが響き渡るさなか、明彦は突然我に返った。
 途端に血相変え、必死の形相でただ懸命に祐二の身体を揺さぶる明彦。


「ゆ、祐二?あ、あ……」


 しかし、もう二度と祐二の黒い瞳を見る事は無かった。 
 そして、もう二度とその唇から声を発する事も無かった。


「祐二、頼むから目を開けてくれ……俺を、俺を一人にしないでくれ……」


 溢れる涙を拭いもせず、明彦はひたすら祐二に語り掛けた。
 けれど燃えるような夕陽を浴び、赤々と照らされた祐二の表情は安らかに──そして微笑みをたたえたまま──
 もう、二度と動こうとはしなかった。


 明彦の脳裏に声が響く──


『アキ兄ちゃん、僕達の愛は美しい、永久の愛だね……』


「祐二ーーっ!!」


 声を限りの絶叫に崩れ落ちる明彦。

 そしてついに燃える夕陽は真っ赤に染まった雲を残し、遥か水平線の彼方に身を沈めた──。




遥か彷徨の果ての円舞曲

旋律は果て無き雲の彼方へ




───────【 完 】




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感想 1

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みんなの感想(1件)

くあくあ
2024.12.21 くあくあ

jimさん、おつかれさまです。
悲しい最後となりましたね…祐二には幸せになって欲しかったのに、悲しいです。なんて、恨み節になっちゃうんですよねー。
兄弟だって構わないんじゃないでしょうか?
石をなげられようが、ふたりなら幸せだと、割り切って生きていったっていいんじゃないかと思います。誰かに迷惑かけるわけじゃないし…
生まれ変わって、相思相愛に幸せになって欲しいです。
夕陽の見える入江…素敵なところですね。
愛し愛されている人に看取られながら死んでいくのは悲しいけれど、奇跡的な幸せなのかな、とも思います。
わたしには、とても眩しいお話です。
jimさんのキラキラが散りばめられてて、こころを明るくしてくれました。
ありがとうございます☆
面白いお話が浮かんだら、また書いてくださいね!

2024.12.22 歴野理久♂

「大映テレビ」を代表とする昭和のストーリー
⇒「赤いシリーズ」やらなんやら、とにかくドラマチックに誰かは死ぬし、最後はバットエンドに涙するためハンカチを用意して(泣くのを楽しみとして)観ていたものです。
「横溝」も「宝塚」もバッドエンドのひとつの材料として「近親姦」というのが有りました。
 まあ、「兄と妹」と言うのが一番美しく悲劇的です。「父と娘」と言ったらケダモノ的で虐待感や犯罪感が強く、「母と息子」と言うといきなりポルノ感が強まります。
「兄と妹」なら絵になるって言うなら、「兄と弟」はどうだ?⇒の発想からこの物語は始まりました。
 実際、僕には男兄弟はいませんが、父なんてオエッ!だし、可愛い甥っ子でさえ無理です。実はBL界には「父と息子」のエロエロ設定⇒結構有るし、「兄と弟」なんてひとつのジャンルにさえなっていますが、僕にはどうにも生理的に無理です。
 まあ、そうでなければ明彦と祐二は周りの目を欺いて気軽に楽しくニャンニャンやりっぱなしなのでしょうね⇒それでは物語にならない。だから僕は初めからバッドエンドを目指して書いていた。
 祐二が自殺で無かった事だけが救いです。
(まあ、ほとんど自死のような状況ではありましたが…)
 

解除

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