インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士

地ゐ聞

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(40) アステロイド・ツリー

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 十月も下旬にさしかかろうとしていた。
 ゲンコのもとを、ヨハネがおとずれてきた。


 
「へえ」

 公園の近くをさしかかったとき、ヨハネが会話を切って歩みよった。ゲンコがけげんに見やっていると、猫だった。二匹いて、縞と三毛、三毛の方は、ヨハネが近よろうとするだけで逃げてしまった。
 残っていたやつは、じっとゲンコを見やり、ヨハネがちち、と、からかうと、鳴き声をあげて歩みよった。
 飼い猫だろう。なんとなく去勢されたオスかなと思って、ゲンコはカットされた耳を確認して自分の推論をうらづける顔をした。
 どうでもいいことだ。

「なんだ、猫はきらい?」
「好きですよ。でもそこまでじゃないし、アレルギーが」
「ああ」

 そりゃあ悪かった、と、決まりわるげにヨハネが言う。どうでもよさそうな目で、ゲンコは眉をしかめた。
 そして、それが伝わらないようには眉間をかるくこすった。
 学校帰りによびとめられて、すこし歩かないかと誘ってきたのはヨハネだった。拒否することでもない。
 ここ数日はケルスの手伝いをしながら、業務のサポートをやらせてもらっている。学校はいままでより多く行くことになり、それにくわえてイギリスでの学校の課題がある。
 おかげで出かけているか、家で事務作業をしているかで考えもよけいなものが浮かんでこない。
 そもそもケルスの仕事に自分ていどのサポートは全くもって必要でない。ケルスがいい、というときを割いてゲンコがゆくゆく、仕事をやるように、それに必要なことを教えているのが現実だ。
 あれでケルスは他人には甘いところがあって(自分自身に対してとくらべればだが)、ゲンコにかぎらず、こういう厚かましい提案をされてもひきうけるところがある。彼女にしてみれば、最終的にそうしたほうが自分にとってもよいというのが判断基準だろうが……。
 また夜のことを考えていると、それを見はからったようにヨハネが腰をあげた。茶の縞を顔に持った猫が、ゲンコの足のわきをしっぽをかすらせて通りすぎていく。その前に、ヨハネの足に体をすりつけていたのに、彼女の綺麗にしたジーンズに毛がついたのではないか、とごちる。

「思ったよりも元気そうでよかった……とか、言ったほうがいい?」
「聞かれても……」

 ゲンコは唐突なヨハネの言いように答えた。ヨハネは、手やパンパンと払ったジーンズのすそをかるくたしかめている。

「まあ、思ったよりも元気そうでよかったよ。仕事とはいえ気になるだろう」
「やっぱり仕事なんですね」
「私も、ウェルフのミスターに頼まれただけだから、それ以上のことは確定して言えないが」

 ヨハネが言うのを、ゲンコは歩き出したそうな顔で聞いた。

「私を少しはずしたがっていたのは、前からだって言うんですか?」
「未成年のきみになんもかんも責任を与えるのは違うくない?」
「聞きかえさないでよ……それなら、直接言えばいいんですよ……」
「きみはウェルフのことを信用しているのかい?」

 ヨハネが口調をあらためないので、ゲンコはしかたなく言った。

「信用もなにも、そうやって任される人がやってるんだってことがないと、私たちも……私は仕事ができません。子供なので」
「むしかえすなよ。まあ、子供が言ってわかることを大人は言うほどできたりしないものでね」
「そんなこと言われたって困ります。どうして、話をスイスイそらすんです」

 ヨハネは、のらくらとしてあごに手をあてた。言う。

「私だってぜんぶ知ってていろいろ用意できるわけじゃないってのは言ったじゃない」
「それは……そう、すみません。生意気なことを言いました」
「きみに協力する気がないわけじゃないよ」
「それは……?」

 ゲンコはちょっとヨハネの意図がはかりかねる顔をした。もともとそうではあった。が、ゲンコも、わからないものをいつまでも追う気がなかった。
 そも、どうやってヨハネの意図やらをはかるのかという方法があった。秘密のルートだろうか。信頼できる協力者だろうか。それは、どうやって作るのだろうか。
 聞いている時点で、ゲンコにはそういう手札がないと言えた。実際、そのとおりだった。

「とにかくきみは、自分に今やることがのこっているんなら、そっちに集中してりゃいい」
「……」
「現場がなくなったわけじゃないし、きみは役にたっている。どうでもよかった?」
「いいえ。大事です」
「そう」

 そうねえ、と、ヨハネは年寄りくさい動作をした。あまり似合わない、とゲンコが思っていると、歩き出している。ゲンコが彼女についてきているわけではないが、自然と後ろを歩くはめになった。

(この人、何歳くらいなんだか)

 という顔をゲンコがしていると、ふと、顔見知りを見つけた反応で、ヨハネの背中が動くのが見えた。
 視線のほうを見ると、望月が寄ってきた。

「クロナダさん。こんにちは」

 望月が言う。
 ヨハネがちょっと片目をつむるのが見えた。ウインクというのでないし、だれに符丁したものにも見えなかったが、ゲンコはヨハネから目をはずして話をあわせる、と言われているのを理解した。
 クロナダとよばれたヨハネは、やあ、と望月に声をかけている。

「ふたり、知り合いだったのね?」

 と、望月は小首をかしげたように言った。年齢にしては、と言ったら失礼だが、チャーミングな動作が似合っている。

「まあね。こんにちは。あなた、今日もお酒かね」
「もう。ま、人には言えないか」

 ヨハネに言われ、望月がかるくにが笑いする。ヨハネとはたいした知りあいであるとも推測できないが、親しげだ。
 ウマが合うあいだがらというやつか、とふたりの会話を、ゲンコは一歩ひきながら聞いた。
 人格的なあたりさわりはわからないが、そのゲンコを置いて、ふたりは二、三言かわすと「じゃあまた」とか言いおいて、望月ははなれていった。
 どうもゲンコとヨハネとのとりあわせが思いもよらなかったので、気をまわしたように見えた。
 それは、ゲンコによるただの主観だったが、ともあれヨハネがひとりになると、その背中に聞いてみた。

「クロナダさんって……」
「私の本名だよ。ああ。うん、そう、黒灘夜半クロナダ・ヨハンってね」

 ヨハネはなだと、夜半よはんについてだけ漢字を説明してつけくわえた。

「れっきとした日本人だよ」
「そうなんですか……海外の生まれかと」
「生まれは中国の◯◯省って……」

 言うと、かるくそのことについて語る。語りつつも、歩きだしているので、ゲンコもしかたなくついて歩いた。
 その話によると、ヨハネ、こと黒灘夜半は、終戦後運よく日本への帰還がかなった両親につれられ日本に住むようになった。他人とちがうところはあまりなく、しいて言うなら体がとにかく頑丈でいまだに視力も常人よりはるかに高いという一種の特異体質だった。いまの仕事はいい具合にその適性がはまったのだろう、ということだった。

「諒子さんとは親戚かなにかなんですか……?」

 聞くと、遠いがじつはぎりぎりはとこというのにあたる、とのことだった。
 友人である諒子の祖母とは正真正銘、血のつながりはない。が、縁戚関係はある。

「私の曾祖母方の大伯父の孫があのコなんだそうだが、ごちゃごちゃだな」

 やや端折ったふうに言う。たしかにそのあたりは日本の制度でもあり、ゲンコも当然くわしくない。
 とまれ、血のつながりはあるが、遺伝かどうかはわからない。

「ここには昔の知りあいの縁がある。東京の大学に行ってたころの後輩で」

 そいつの頼みで近所の公園でハーモニカの演奏などやった。ハーモニカ、というか、要するにブルースハープでヨハネの演奏技術はそれで飯を食えるていどはどうにかあった。
 大学には遅れて入ったため、その後輩もヨハネとは歳の差があるという。ゲンコはまた彼女の年齢を聞いてみたが、ヨハネははぐらかして答えなかった。

「ご結婚は?」

 と、ゲンコが聞くと独り身であると答えた。いままで遠慮して聞いてはいなかったが、べつに結婚歴はあることまでヨハネは言った。

「離婚したけどね。二回」
「日本ですか?」
「いや。イタリアのパン屋だな。酒好きな亭主で、ケンカが絶えなくて……最終的にはそいつの借金押しつけられて、家から出たな」

 ヨハネはきまり悪げに額をかいた。ブルースハープで飯を食う、というのもどうやらそのころの関係だとか。
 二度目もうまく行かず、ヨハネは精神を病むほど荒れた。このため、グリニザの仕事もとどこおりかけた。
 そもそもグリニザにかかわったのは、一回目の結婚のあとすぐであったという。貧困でめぐりも悪い生活のなか、怪物の案件に巻きこまれ、いよいよどうにもならなくなった。グリニザの仕事を回されたのはそれがきっかけだったらしい。
 それほどないものだが、聞いたことのある話ではある、とゲンコは不遜な感想をうかべて、また、それを恥じた。
 とはいえ、ヨハネが身の上話などわざわざ話してくれたことはありがたいと思っておく。人は自分の過去などぜったいに話したくないという理性があり、それにひっぱられて疲れる。
 ヨハネも労力を感じただろう。目的のためであるとはいえ、一人の大人にそういうことをさせたのは恥じなければならない。若い人間の責務である。

「ふるいトレンチコートのポケットは、あなたがいちばんうっとうしいと思っている人間が見る」

 とは、母が鼻歌で歌っていたことだ。母の苦手なところは、そういう説教くさいところで、ふだんはなりをひそめていてゲンコがもっとも面倒くさいと思える事象で発揮されかかった。
 多くの人がそうであるようにだが、ゲンコは身内のそういう一幕は好ましくないと思っていた。なので、そういう面では母が嫌いだった。
 そのため「古いトレンチコートのポケットは」と、ヨハネが言いだしたとき、すぐに反応がおきた。にがにがしいことを聞いた顔だった。

「それ、私の母が同じこと言っていました」
「そうか? そりゃ奇遇だったな……たしかに、口でころがすのがくせになるところはある。くだらなくて。いや、失言したわね……」
「いえ。私もあんまり好みではないです」

「私もそうかなぁ」と、ヨハネは言った。
 ささいな、それでいて面白くもない理由があるものに、人はふたをする。理性とはそういうものだろう……。

「まぁ、のんびりやりなさい。きみになにかできるなんてことはないから」
「ありがとうございます……」

 ヨハネは用件はそれだけのようで、辞する言葉をひとことふたことのべて、帰っていった。いや、帰っていったかはゲンコの知るところではないが。
 そこでようやく、ヨハネが自分の現在の生活についてはなにも語っていないことに気づいた。
 食えない大人である。ゲンコはうしろの頭を居心地悪くなでた。


 深夜。
 激化している箇所からは、はなれた出現地点。


 ぜんぶの処理が完了して、電話を切るとヨハネがやってきた。
「やあ。二回目だな、今日」と、ややしらけた表情をむける。
 応じようとして、ゲンコは手にしていたアンプルをふとみやった。くっとのみこんで、ふうと息を吐く。

「失礼しました。お疲れさまです」
「お疲れさまでした」

 ヨハネは汚れのとびちった服で、ゲンコの体をかるく見おろした。

「すごいな、その義足」
「ええ」
「うちとこの叔父さんが戦時中のケガで、右足がなくてね。見たらほしがるんじゃないかな」
「この義足については、当のオート・モーフィスが二度にわたってローカライズしたので、実現可能な技術に近づいているそうです。むこう四十年ほどで原型ができそうなものだとか」

 なるほど、と苦笑するようにヨハネは虚空をちょっとみた。

「それなら寿命までまにあわないな。そりゃそうか。こんな便利な代物、そんなに都合よくはないってか」

 自分のサングラス様のエイブリー……を加工したものだが、をはじく。そのままなにも言わず、ヨハネは立ち去った。とくに次の指示も、と思っていたゲンコにレシーバーから通信がはいる。 
 出現があったらしい。ゲンコでも対処可能と判断されたのだろう。近くから、原付に乗った包囲班が回ってきて、すぐさま乗りこむ。
 五分ほどで現着した。
 ゲンコは運転手のスペイン系の女性、テルサの背中をタッチして謝意をのべた。はじかれるようにはしりだす。が、違和感を感じて二、三歩、べしゃりとした液体を踏んだ。
 エイブリーをかかえたまま、思いついてペンライト状の明かりを口にくわえて照らす。ぱっと、目をおおいたくなるような白い血だまりができているのがうつしだされた。
 姿勢をひくくして見つつ、歩みよる。倒れふしている小型は動かないし、周囲で音や明かりに反応するようすもない。
 死体を確認する。
 ぴちゃ、ぴたた、という足音を聞いて、ふっとペンライトを消した。
 が、すぐにもういちど照らして、音のほうへかるく明かりを向けた。ブーツの足下が写った。
 ゲンコは、姿勢を正して、明かりを消した。

「あきれた、本当にブレザーで来てるんだな」

 と、闇から言った声はそのまま言ってきた。声でだれかを判断して、ゲンコは「お疲れさまです」と、声をかけた。人影は応じてきた。
 エメ・ルナール。
 金髪に着くずした学生服の、例の少女である。いまは、グリニザの現場によくもちいられるベストと長ズボンの装備を身につけている。
 たぶん、とは思っていたがエイブリー持ちであるようだ。所有者、保持者、なんでもいいが。
 あたりの確認と駆除、報告は終わっていることを申告すると、ルナールはふむ、と、ちょっとうなった。

「正直、もっとおどろいたリアクションを想定してたりはした」
「そうなの?」

 ゲンコは言って応じた。ルナールはため息をついた。
「水中に剣で一突きってか」と、簡単なフランス語でぶつぶつ言っている。影が動いて、手の汚れを無造作に装備のはしきれでぬぐっている。
 本当は髪をいじろうとしたのではないか、と、ゲンコは思った。なにせ、似た経験があったからだ。髪の毛をさわろうとして、手がだいぶいやなよごれにひたっているのに気づく……。

「そのブレザーって汚れはどうしているの?」
「同じ服を何着か持っているんだけど」
「そりゃそうか」

 ルナールは興味をなくした気配を出して、暗闇のなかを去っていく。

「~~♪ ~~♪」
「ねえ、ひょっとしてだけど?」
「ん、どうしたの? ちなみに、私は組織で所属している年数とかでいえば、あなたより長いわよ、オブライアン」
「いいえ。なんでも」
「そう?」

 ルナールは鼻歌をつづけた。そして、ふいにたちどまった。

「ちなみに、あなたのことは、あんまり好きではないわ。気づいてた?」
「人並みていどのものだと思っていましたけど」
「ふん。ま、それでいい。それじゃ、また会ったらよろしく」

 今度こそ暗闇に消えていく。ちなみに、そちらはゲンコと同じ方向でない。さらに言えば、この場に来たとき、ゲンコはエイブリーを持っただれかがここに到着しているというのを聞いていない。

(これって、報告するべきなのかな?)

 という顔をゲンコはした。当然、するべきだろう。ただ、その場合でも間抜けにはできるだけなりたくないという気も邪魔していた。それは、この現場にからんでいくつかのよくわからない要素が進行しているからだった。
 が、結局はルナールの報告不備、それが意図的かどうかはわからない、を目撃したということでそれでいい。
 そして、ルナールが誰であるかというのはジョイスティック、という符丁でよばれていた人物が手がかりのようだったが、個人的に追及する気にはなれなかった。が、きっとするだろうとは思っていた。
 オペレーターのエーネと同じロシア系で、金髪の真面目なシウコフ、という男性がいる。包囲班に加わっているにしては若いが、情報通でおしゃべりに明るい。
 ゲンコのような若者にも話しかけてきて、たまに笑わせるほどの彼だが、ジョイスティックという謎の人物をすこし存じていた。
 その話によると謎めいたところはあり、存在感が希薄であるらしい。その名前をもつ人物というのは、エイブリーの性質上おなじ符丁で代替わりのようになっている……この表現は不謹慎でもあるので、あまり使われない。変わった、とかさっきの所有者や保持者という言葉で代用するようだった。が、二、三度も短いあいだに起きた、とも見られていて得体が知れないようだった。
 ぜんぶうわさだが、基本が真面目であるシウコフにして、不確かすぎることまでは言わない。
 棘を発射して、一瞬で怪物を二体も穴だらけにし、姿を見せないまま立ち去ったことはあるらしい。
 倒れている怪物の死体には、たしかにそれをされたとみえる痕跡はあった。
 くわしい所属を推測できる材料はないが、本部の範囲から離れているなら、そんなことになっている、という説明には一応なる。
 ヨハンナ。
 グリニザのポーランド支部の通称で、特徴的な幾人かの女性構成員の共通称である。
 なんの証拠も提示できないが、彼女らの動いているなかにジョイスティックがいるのではないかとゲンコは憶測していた。すべて勘である。そして、自分の経験則による勘というのを、ゲンコはいうほど信じていない。


 とはいえ、無聊をおぼえる心のスキの多さというのを、ゲンコは歯がゆく思っていた。
 仕事の関係上、尚吉の実家に待機するのも少なくなる。


 家の中のものならさわっていい、ただし、自分がわかる範囲で、と、尚吉からはすでに言われている。ゲンコを若者と見ているあたり、なんだかんだ、彼も年齢がいっている。
 使うようことわりを入れている室内には、必要最低限のものか、必要な大仰な部品を持ちこむこともあったから、かわりに、もとからあった物品は動かさないよう気をつけていた。
 もともと、狭い部屋ではない。
 また、暮らしていた人間の趣味で、置いてあるものもわりと枯れている。ゲンコのような若者が、興味を示しそうにないという意味で。
 ゲンコが興味が湧いたのは、蔵書と、居間のビデオデッキ、それと古いテレビくらいだった。
 尚吉によれば、祖父の趣味だった三味線なんかも置いてあるとのことだった。それは祖父の寝室で桐のケースに入って保管してあるらしい。
 正直見てみたい気持ちはあったが、自重していた。
 その日は尚吉が来ていて、ゲンコが居間のテーブルに置いていた本について話してくれた。
 簡単なひらがながならんだ、低年齢むけの本である。
 ゲンコが読んでいたのを、日本の文化への興味と解釈したようだ。
 実際はそうではなく、母が持っていた日本語の練習用の本だった。もちろん、同一のものではないが、雰囲気はぴったり一致している。
 内容としては、日本の各地に伝わる妖怪、お化けのたぐいに関する民話、寓話がまとめられているシリーズものである。 

「一本だたらっていうのがいたな。ここらは雪が降るんだけども、積もった雪にある日足あとがついてて、それがなぜか片足ぶんしかない」
「日本のヨウカイは、昼間にも出るって言いますね」

 ゲンコはぼんやり言った。尚吉は、ようすにちょっと苦笑ぎみであるようで、しかし、笑ったりはしない。

「そういうのもいるな。イギリスじゃ妖精が有名なんだろ」
「幽霊以外は、だいたい妖精かなあ」
「一本だたらっていうのは、足が一本しかなくて、大きな目がひとつ、胴体はまるっこくて毛だらけ……まあ、そういう話は本当は苦手なんだがな」
「うんと。怪物ですか?」
「まあな」

 この家で怪物におそわれたときをちょっと思い出したのだろう、そんな顔を尚吉はした。
 ゲンコはややもうしわけない顔をした。

「日本のゴーストはわりと違いますね。見た目がかなり怖いです」

 ゲンコの感覚でいえばゴースト、つまり幽霊に該当するものは家のすみにたたずんでいたり、夜中に家鳴りの音とともに歩いていたりするものだった。
 日本の場合は、基本形がまず両足が透けていてなく、背は前かがみで老婆の魔女の絵のようにおそろしげな顔をしている。タタリ、という特有の呪いの概念をもっており、物騒なものはそれで呪い殺すし、明確な言葉をしゃべることができ、人をおどろかす。
 それで言うと、ゲンコの目撃したセーラー服の少女などはゴーストに近いらしい。
 ゴーストは喋らない。怪物はうなり声を上げ、コミュニケーションがとれない。
 喋るものは妖精である。
 
「ヨウカイっていうのも、妖精と思えばわかりやすいですね。過激ないたずらとか、残酷な性格とか、人食い、人さらい……こういうのは、妖精と怪物の話ですから」
「妖精か。ああ……思い出した。いや、すまん。なしだった」

 尚吉は、ちょっとしくじった顔をした。ゲンコはけげんに見た。

「昔、ちょっと出来事がね。まあ、典昌か。あの子は妖精っていうと、たぶん、いい顔をしないだろう」
「言いたくない話でしたら」
「そうだな。うっかりしてた」

 尚吉はいつもより、疲弊気味な顔をしている。ゲンコが体調を気にかけるすじもない話だが、ひかえめに聞いてみると、たんに仕事がいそがしい時期で、そういうときはいつもこうなのだそうだ。
 体調管理ができない大人は好ましくない。いや、大人がそういう面を強調するのはよろしくないのか。
 いまいちわからなかったが、ゲンコはさっさと会話を切り上げ待機部屋にもどった。
 脳内に、報告書の一部の内容を走らせている。
 尚吉の甥の佐々典昌についての話である。
 なんでも、彼の父親はイタリアに展開するアパレル企業の社長で、推定総資産が世界的に知られていそうな資産家にあげられる。
 典昌もこちらでは一人暮らしの身だが、その近辺にはかなりの警護が敷かれている身だそうだ。実家は当然のような大豪邸だとか。
 それ自体は父親ひとりの話ではなく、もともとそういう名家の出身なのだとか。
 ゲンコにはいまいち実感のうすい話だ。もちろん、知りあいていどなら仕事柄か、そういう人物だっているのは知っているが……。
 そのような背景あっての話ではないが、過去に一度、典昌は誘拐にあったことがあるとのことだった。
 かなり致命的にせまる事態だったとのことだ。ゲンコも概要だけで、くわしく調べようという気は起きなかったが、積極的に本人に話せる内容ではないと思った。
 事件では身代金の受け渡しが二度にわたっておこなわれ、二度めに犯人は逮捕された。
 典昌が無事保護されたのは奇跡的なことであっただろう。誘拐事件における最悪といえるケースとして、一度身代金の受け渡しをおこない、とっくに殺害、もしくは死亡した人質を生きているように見せかけ、再度、数度にわたり要求をおこなう……という形式のものが、見られることもあるとか。
 尚吉がうっかり言いかけたというのは、そのことではないかとゲンコは思った。
 妖精には、よく知られている性質として、チェンジリングという人さらいがある。
 ブラウニー、フェアリー、というのの逸話にある。彼らは単なるいたずらとして、この危険な行為をやる。妖精の子供と、人間の子供をある日さっととりかえて、何食わぬ顔で育てさせる。
 さらわれた子供が行方不明になり、帰ってきたときには妖精の子供にすりかわっている、という話がとくに有名なものである。
 尚吉も、おそらくはそれを言ったのであろう。典昌本人がそう申告したのを聞いているのかもしれないが。



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