インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士

地ゐ聞

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(12) 時間戦争

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 美容室。
 女性が二月に一回かそこら利用する場所といえば、よく挙がる。


 望月のんづきにとっては、そのような場所である。今日もビルのわきに「だにえる」と、いまいちさえないような看板をあげた店に階段を上がっていく。
 二階の店の扉は自動ドアで、小洒落てもいないが、こざっぱりとはしている。四年前ほどから通うようになった店のレイアウトには、そろそろかなり慣れた。
 店を入ると、一般的にそうであるようにすぐそこにレジスタがある。はやりのカリスマ美容師のことを載せた雑誌が開き放しで二、三冊もつみかさねられていた。
 ややごちゃついた待ち合いのソファーのむこうで、ちょうど黒居が用意をしているところだ。

「いらっしゃいませ」

 店には彼女以外いないようだ。

「こんにちは、クロイさん」

 望月は顔見知りの美容師にあいさつをした。黒居滋智くろい・しげさとは、正確には美容師見習いではあるらしい。
 ただ、昨今のブームや地方都市での経営のゆるさのためか、店に出ている。腕はよく、対応も人気で店のオーナーからの信用はあるらしい。
 若くて美人なのでよからぬ噂もあるが、人もたいしていないところなので、いうほどでもない。
 望月とは二年前に知りあった。以来、担当することが多く、望月がそういうのが苦にならない人物であるから話もしていた。

「どうぞ」

 涼やかな声でいう。
 流暢な日本語である。外見としては金髪を長くしたのを作業の邪魔にならないようまとめている。ほれぼれするなめらかなストレートロングに、青い目。顔立ちは爽やかで、日本人的な観点から気後れしそうな造形だが、口元がいつも少しほほえんでいるようにやわらかい。
 背も西洋系のイメージとしては高くなかった。高すぎないと言ったほうが、よりちかいか。日本での生活が長いハーフであるらしく、ロシア系の血が入っているのだとか。

(いつ見ても人形みたいに綺麗なのよね)
「昨日はお酒は控えめですか」

 用意をすすめながら言ってくる。望月は、ちょっとへらっと笑って答えた。

「そりゃまあ、黒居さんとこに二日酔いでくんのはね」
「いつも飲みすぎには注意してください。今日はどうします?」

 望月が希望を伝えると、さっそくセットチェアに座らせる。
 カットケープをとりだし、髪の具合を梳いてながめる。梳きながら、口をひらいた。

「念のためですが、のばしてみたりはどうでしょう。おにあいですよ」
「まあ、おちついていいかも。でも、気分じゃあないな」

 霧吹きの音と、器具があたるちいさな音。黒居は手を動かしながら、わりととりかかるこの一瞬は、集中するのだか、かならずだまりこむ。
 はやくも望月は、かるく眠気を感じたが、黒居と話す機会がややもったいなくも感じる。望月の幼馴染は、飲み屋で会うと彼女の性格をちとのんきすぎるとぼやくが、この年になってもなおらないのだから、いまさらぬけないだろう。
 すい、すっと、髪を梳く感触が心地よくつづく。ふと近況の話になった。

「最近、近所にかわいい娘が越してきてね」
「へーえ。学生ですか? 中学生?」
「高校生よ。菅原大附属だって。頭いいんだね」
「この時期にめずらしいですね。一年生ですか」
「二年。なんと十七歳よ。わっかいなあ」

 いい年ごろだ、と黒居は笑った。それから、最近起こった異臭さわぎの話などかるく触れる。わりとこの店の場所とははなれていない。
 しょきり、しょき、しゃ、ちゃ、と、軽快な音がゆるやかにながれる。

「なんですかね。ちょっと物騒な感じはありますが、このあたりでというとあんまり。ねえ。レンタル屋によく行くんで、このあいだも警察が集まってたりは見ますけど」
「まあ、東京ならまだしもね」

 結婚していたとき、望月は東京にすんでいた。そのときも、名字はちがっていたが今は望月吟子ノンヅキ・ギンコにもどっている。
 二年ていどの結婚生活で、子供もできなかった。その話はそういえば、黒居にはくわしく話していない。
 そのうち、黒居との共通の趣味になっている映画の話題になる。黒居も望月も、流行りの映画もそこそこ見るが、B級やたまになかなか手が出しにくい出来の作品を好むちょっとよくない癖がある。
 望月の場合は、半年前ストレスにさいなまれていたときになんかハマった、ていどの趣味だったが黒居は筋金が入った感じがすこしある。
 あまりよくない趣味ではあるのだが、黒居の視聴履歴からの話はおもしろいので、ついやめられない。
 ただ、作品に関する考えでは、黒居は自分に語れる知見がないとたまに言っている。
 最初言ったころ、

「たしかに倫理観の欠けるやりかたを、見た目のよさでごまかすようなやりかたは、誠実とはいえないところはありますね」

 黒居が言う。
 などと、持論らしきものを述べながらも、まあ、私芸術的なセンスはないので、と、むやみに暴力的なだけの映画に苦言をていしたりした。

(じつは、イライラしながらあんまりな映画をちょっと見ているような?)

 カンである。
 基本的には楽しんでいるようなので、細かいことだ。言うことでもない。
 また、わりとホラーやサスペンスといったジャンルにもちょっと目がきびしいところがある。しかし鮫は好きだ。
 ホラーが格別ってわけではないです、と、黒居は冗談めかして言う。

「怪獣映画とか、怪人とか……うーん。ああいうわけのわからないものに対する恐怖感ていうのかな……」
「……めちゃくちゃに暴れるけど、なんか笑えるみたいな?」
「そういうののなかにある狂気ですかね」
「狂気ねえ」

 けっこう口にするのがこっぱずかしい単語を言うものだ。そのうち、切り終わって、いつのまにか黒居のしっかりした指が頭皮を刺激している。
 気持ちよく頭を洗われながら、望月はふーと息をぬいた。じゃかじゃかと、すみまでよく鍛えられた技術者めいた指が浸透していく。
 手早くぬるめの湯で流すと、ドライヤーのがぶわりと髪をおしのける。乾かし終えてか、終えかけてかくらいに、ついでのように黒居が言った。

「狂気と恐怖が、意外とちかいものだってのが、面白いんですよね」
「ふうん……なるほど……」

 乾かした髪に、仕上げのハサミを入れながら、黒居がほほえんでいる。望月が眠気づいてるのをこっそり笑ったのだろう。



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