インナースペース・ネクロノミコン 〜ポケベルと白い血肉と円卓の騎士

地ゐ聞

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(15) メイルシュトローム

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 翌日。
 菅原大附属高校。


 ゲンコらのクラスに登校してきた松本は、ゲンコを見るなり首をかるくひねった。
 なに? とゲンコはけげんに聞いた。

「いや。機嫌悪くない?」
「え……そう見える?」
「まあ、見えないよ。ごめん、冗談」

 松本はどっちつかずの顔をした。
 ぱたぱたと、ラフに指をふる。

「モリイさんが機嫌悪くしていたら、もっと本気で焦りだすと思うよ」
「……大人っぽいってこと? 落ち着きがあるなっていう」
「機嫌悪くとかはしないんだろうなってことでね」
「ああ、ぼっとしてるってことか」
「そうでもなくないかな?」

 松本は考えるふうをして、あきらめた顔をした。

「いや、まあ。でもモリイさんは意外だよ。私とシンパシーあるなとちょっとだけ思っちゃったもん」
「シンパシー、てと?」

 松本はふらふらと手をふった。

「似ているっていうんじゃないのよ。あぶないことが起こったときに、危険だって反応しないというか、なにも感じられない、へんな感じ。どこか大事なことが欠けちゃってんだろうな。きっと何も感じないときがあるんだろうなってね」

 私もとゲンコはぼそっと言った。
 松本は、ん? と聞きかえしてくる。

「松本さんを見てて気づいたことはあるよ」
「どんな?」
「世の中には変人とか変わってるって言われると、嫌がりつつも実はよろこぶって人がいてね……」

 松本ははー、と、感心した。

「私そんなん? ヘンタイじゃないか……」
「いや、個性だよ。私のもね」

 松本はちいさく首をかしげた。あまり意味はわからなかったらしいが、じつはゲンコにもよくわかっていない。松本の友人の件は、本人からゲンコに説明があったことで区切りがついた。
 いまはあまりわだかまりはない。若さゆえか。松本が言わなかったのは、もともと友人があの彼氏と関係をもったというのは、友人とクラスメイトのあいだにいざこざがあった。
 その同性のクラスメイトは、友人の彼氏と交際していたが、友人はそれを感情的な理由から横入りするかたちで盗ったような話だったとか。暴力的なふるまいで関係が解消できなかったのは事実だったが、自業自得な面もあった、と、本人の口から聞かされた。

「でも、あの不良を呼んできたのは松本さんじゃ?」

 ゲンコとしては、気になることはそれだけだったのでこっそり松本に言ったが、本人はまさか、と笑って否定した。

(それか、あのよその高校の生徒とグルで別れさせる茶番を用意していたとか)

 考えたのはそんなことだが、はっきりさせなくてもいいかとは思っていた。それより、昨日のことだとは思っている。

(あれはヨハンナだった)

 どういうつもりかしらないが、尚吉の周囲に人が配置されていたのだ。
 もちろんゲンコは知らされていない。ただの構成員である人間におろす情報ではなかったと解釈できるし、うのみにもできる。

(問題はなんで昨日だったのかってことだが)

 なにかの危険があると把握していた。
 そうとしか考えられないし、ゲンコに見られる可能性を完全に計算にいれた行動だったといえる。自分たちがやることだから、気にせず行けというくらいか。
 仮定としてはそんなに多くない。
 尚吉になにかが接触する確実性があった。 
 それはゲンコが彼からはなれた時点で起こることだった。
 だが、だれが接触してなぜそれが懸念されたのか。もしガットギターがなかったとしても、ゲンコに怪物の処理ができることは言うまでもない。
 そして怪物以外の懸念するものが、もし尚吉に接触をもとうとするなら、ゲンコがいようがだれがいようがそれをどうにかすることはできない。
 怪物以外の懸念するもの。
 怪物以上のもの。
 上位存在。
 不定形な肉のある姿ではない。名前と定まった姿のあるものたち。

(あるいは、そう。そういうものと会話すること、なにか見せることが重要だった?)

 仮定だらけで、断定できない。

「モリイさん~?」

 松本の友人が言ってくる。

「ん? なに?」

 ゲンコははっとして答えた。教科書のたぐいをかかえて、言う。

「移動教室でしょ?」

 いつのまにか、ホームルームも始業の鐘も終わっている。お礼を言ってたちあがる。

(あのたぐいの連中はさ、おしはかったって無駄なんだ。超ド級の理不尽なんだから)

 そういえば、と松本に聞いていた話を思い浮かべる。奥面が出没する先を松本は知っているらしいのだった。
 なんでも本人と面識はないのだが、松本の幼馴染がいまは素行のよくない生徒らしいのだが、その関係で不良の行動範囲を知っている。奥面は地元では有名な生徒であり、おなじ不良連中のあいだでもそのいきつけくらいは知られている、という話だ。

「まあそういうことなら、聞いてあげるよ」
「でも、言いにくいけど危ないでしょ」
「本人は危ないけど、幼馴染の女に手を上げるほど思いきってないから。あいつの弟とも仲いいし。それくらいなら」
(結局のところ聞いてきてくれちゃったわけだけど、悪いな?)

 今度おごるか。思いながら、ポケベルをとりだす。夜の現場の予定だ。
 昼、人目があるなかでも出るようになった怪物は夜にも変化をもたらしており、出現が激化している。範囲が一度に二ヶ所以上におよぶようになった。
 いまのところ個体数に変化はないが、増えるかもしれない。そういう事例もないことはない。おかげで夜に走りまわる時間が増加している。

(ちょっとわからないやつがいるくらいどうってことないのかも)

 あっというまに放課後になり、まっすぐにゲンコは尚吉の実家へ待機した。
 残念ながら仕事をする以上、現場から弱気はもちかえれない。鉄人や超能力者ではない以上、睡眠時間はけずられるがぜんぶ自分で完結するほかない。
 翌日、放課後からはけると尚吉から案内されていた生徒の遊び場へいった。
 学生の遊び場ということで、クラスメイトらから聞いていたのだが、不良生徒はまたべつのたまり場があるというのは知識不足だった。
 ただひとつ学生服でひとりうろつくというのに難点があった。しかたなく公園の公衆便所を利用して私服と眼鏡を用意する。

「へえ」
(本当にいた)

 喫茶の中をのぞく。まさか会うとは思っていなかった。奥面はちょうど窓際に座っている。漫画雑誌をひろげていて、耳にはイヤフォンがのびている。

(どうするか)

 決めてなかったわけではないが、近くの店にはいり入り口を監視する手で予定どおりいく。
 あとは連絡がこないのをいのるのみだ。
 とはいえ仕事のあいま、いつ空くかわからない状態をぬう以上は覚悟している。
 買ってあった文庫本を片手間にひらく。はやりもののSF小説。ジュブナイル、ライトノベルとよばれるものだったが、内容にはあまり興味がない。
 しかし読んでみると意外とおもしろい。
 娯楽雑誌のたぐいはそれなり流行のものに目を通している。テレビドラマや映画も聞き流すていどにいれていたが、興味のままに購入した書籍を読むというのは、思ったよりべつの感動があるようだった。

(まあ日本にいるあいだくらいはいいか)

 と、むかいの入り口から奥面の出てくるのが見えた。思ったとおり、めだつ姿だ。
 となりに喫茶でいっしょに座っていた女生徒、例の背がたかく髪の長いのが歩いていく。

(どういう関係なんだか……?)

 まだ名前も知らない。松本にそれとなく聞けば知っているかもしれないが。
 うわさ話くらいか。

「……でまあ、やっぱ空港の」
(っあ?)

 予想外のできごとが、目前にせまった。望月が歩いてくるのがみえた。ゲンコは内心ひやりとしながらも、それが条件反射であるのがわかった。
 帽子のつばをさわりながら、二人組で歩いている望月とすれちがう。となりにいるのは、長い金髪を編みこんでまとめている女性だった。ロシア系のハーフとでもいうのか。
 どこか派手なはずなのだが、泡のようにさわやかな外面を感じる。
 見たらすぐに忘れそうなのに、麗らかというかんじか。

「あざといっていうのは、別の言葉でいいかえると、無理があるって言っているんです。ただそれを感じさせない技量が監督の……」
「そういうのもあるかぁ」

 映画の話でもしているのか、奥面に気をとられていたが映画館のそばの通りで、入り口から人がでてきている。親しげだが、いまのところ該当する知りあいの話は望月から聞いていない。
 頭のはしに留めつつも、奥面と女生徒のあとを追う。なんとなくなでていたつばから手をはなす。

(にしても不良っていうのは群れているもんでもないんだな)

 イギリスあたりの不良というのは、もっと度をこしているから日本もそのようなもので、ドラッグやら家出が横行しているとも思っていたが。
 あとは万引き、酒、カード賭博……ただ実際に娯楽のたぐいや店内のようすを見てまわった印象としては、気軽にそういうことは起きなそうだ。ここが尚吉の言っていたとおり、地方都市ということもあるのだろう。
 わるい意味でもなくガラの悪さを感じず、外面的なおとなしさを感じる。
 しばらくついていくと、ふいにゲンコは歩調をはやめた。そんな目にわかるていどではない。
 ただ一瞬奥面の視線がゆれたように感じたのだ。気のせいであろうことは察する。念のため二人が足をとめ、奥面のあごがかたむいたのをみた瞬間、追いつくいきおいでそのままはいっていくのをとおりこす。

(?)

 横目に見たのは、カフェテラスだった。だが、それだけではなく二人が入っていったほうを確認すると席ではなく建物のほうだ。 
 ゲンコは一度通りこしてからちらりと建物をみて、足を止めた。くせで何度か左脚のつまさきを鳴らす。
 出てくる姿はない。迷ってからパーカーのさがったフードをさわりながら建物にはいる。

「……今夜は円卓の騎士の物語の三夜目、ペルスヴァルともよばれるパーシヴァルの物語……のちに聖杯探索の任をうける騎士は、あるとき父をうしなって、森の中に住まっておりました。……」
「……」

 店内は静かで、声がひびいている。朗読会をやっているらしい。「円卓の騎士ものがたり 朗読 胡橋コキョウ・シラトリ」。 
 おちついたレイアウトのレジスタの横に、表札されている。たんたんとしながら、朗々じみた声音が異空間のおもむきだ。

(いや、場違い)

 自分をそう思う。ストリートっぽいキャップに体型が割れないようなゆったり気味のズボン。
 とはいえ入り口でまごつくわけにもいくまい。屋内の店内に案内される。客は少なく、めだった奥面と女生徒の姿は見あたらない。
 二階建ての店内で上に行ける階段が見えた。しかたなく席からそちらを監視する。

(ふう)

 キャップをぬいでくつろいでいると、眠気が頭にさした。疲れがきている上に朗読の音がやたら脳にひびく。

(コーヒーでも飲むか……?)
「アイスコーヒー」

 注文をとりにきたウェイトレスに言う。
 朗読の声というのには聞きおぼえがある。まだ病院にいたころ、慰問ボランティアの一環であった。マザー・グース、ピーター・ラビット、ロビンフッド、アンデルセン、アーサー王物語。他の重病の子供らといっしょに、あるいは病室で、隔離部屋で聞いたことがある。
 あまりゆかいな記憶ではないが。アイスコーヒーが運ばれてきた。ゲンコはストローをすすった。黒くて苦い感覚が舌のうえにひろがる。
 すこし頭がすっきりした。
 二階へあがる階段のそばに朗読会のスペースはあるようだ。店内から、ゲンコの席からだとちょうど読み手がみえた。
 あざやかな茶色、または栗色の髪の清楚なたたずまいの女性で、かたわらにフルートケースを置いている。琥珀色の目は明るく、手もとにある本のなかにしずかにそそがれていて、いかにも読み手らしい人物にみえる。

(……? ん……?)

 ゲンコはかるく頭をふった。ため息をついて、女性から目をはなす。

(北欧系ってかんじかな)

 長い髪。ややウェーブがかった毛先を本にたれないようにまとめていて。
 ふと明滅したものを考えていると、向かいに「おくれてごめんなさい」と、日本語で言ってだれかが座った。
 ゲンコのついている席である。

(あん?)

 くわえていたストローをはなして、ゲンコは座った人物をみた。女、というよりは少女である。
 服装はなんの変哲もない。学生服の上にカーディガンをはおっている。冷房対策だろう。もうすぐ十月にはいるとはいえ、今年は気候がやや不安定で雨がふったかとおもえば、気温があたたかすぎて、冷房をしまうタイミングを逸しているとか。
 朝のニュースでは言っていた。バイトにしては派手めなみためのウェイトレスが、「紅茶を。ホットで」ときれいな発音で言った注文をうけてさがっていく。
 赤みがかった黒髪に、あざやかな青い目。座ってこちらを見る姿勢は育ちのよさを感じさせる。背はゲンコよりやや高い。

「こんにちは。ゲンコ・オブライアン」

 声をもういちど聞いて、ゲンコはうっすら一致させた。どこか日本人ばなれした容姿に錆色っぽいなめらかな髪。クント=撫子・ゲルトヒーデルではないか。

「……こんにちは」

 無難にあいさつする。内心では面食らっているが、危機に感じたわけではない。
 ゲルトヒーデルは現場で見たよりさらにおとなしい印象になっていた。背中にかかるような髪を、編みこみでおさえていたのが今はほどかれている。前髪がかるくヘアピンでよけられている。ちいさな三つの星形がかざられた、どことなくふるいものだ。

(美人だな)

 紅茶がはこばれてくる。ゲンコは砂糖をいれるしぐさを見ながら、アイスコーヒーをすすった。

(なんだ、この子?)
「それ、苦くないんですか?」

 ゲルトヒーデルが聞いてくる。ゲンコはストローから口をはなしてええ、とひかえめに答えた。

「そうなんですか。私は紅茶でもふだんははちみつがないと飲めません」
「ふつうだと思いますよ」

 知りませんけど、とゲンコはちいさく首をかしげた。

「私のことがわかったんですか?」
「安心してください。変装はうまくいっていますよ。あなたは一目見るとめだつ容姿をしているんです」
「カラーコンタクトまでしたんですけど」
「コンタクトレンズ、苦手なんですか?」
「目になにか入れるのは嫌いです」
「目薬がたいへんそうね」
(なにしにきたんだか)

 紅茶でのどを湿す女をみる。涼しい顔をしているが、のどがかわいていたようなのは察することができる。

「あなたが街中でひとりで動いているようなので」
「うん?」
「仕事ではなく私用できていたんですか?」
「半々だけど」
「正直に答えるんですね? まあ、私も正直に答えるなら……いえ。正直に言うのなら、勝手にあなたのあとをつけたんだけれど」
「それはウソよ。偶然見かけてこの店に入ったんでしょう」
「わかるんですか。でも、カッコがつかないからそういうことにしていてほしかったわ」
「なんだってそんなことをしたんです」

 ゲンコは奥面に接触するなにかがいないか、周囲に気を張っていた。当然、自分をつけてくる人間も想定している。
 もしゲルトヒーデルがニンジャのようにすぐれた尾行者であったら気がつかないだろうが、たぶんこの女はそこまでではない。

(身のこなしからあたりをつけただけで、まあ、はずれててなおかつウソを言うというのはあるけど)
「単純にあなたと話をしてみたかったといったら、本当らしく思う?」
「面と向かってウソを言う人間に対してはそういう判断はしないかも」

 そう、真面目ね、とゲルトヒーデルは微動だにせず言う。

「でもあなたに興味があるのは本当ですよ」
「そうですか。それはどうも」
「……ゲンコという名前、変わった響きですね。そういえば頑固と似ているような」
「……あのねえ」

 ゲンコはにぎろうとした拳をぱっぱっと解いて、テーブルにおいた。頭痛がするように眉間にかるくしわがよる。

「言っておくけれど、名前いじりなんて最低の行いよ!? 口がすぎることをあえて言えばあなた友達いないでしょう?」
「あなたもそのようです。それと口ゲンカはむいていなさそうですね」

 ゲンコはつきあっていられるか、というふうに目線をななめにした。

「私はもっとまわりにあわせられるわよ。いっしょにしないでください」
「私もですよ」
「人を茶化しに来たわけじゃないでしょう。なんだっていうんですか?」
「あなたを怒らせにきたりけんかを売りにきたわけではありません。ぶしつけな言いかたになったりしたのはあやまります」
「あなたに無礼な行動があったとして、それはわざとやっていることです。話す気になればそうできるというだけの、いまいち誠意のないものですよ」
「出身はアイルランドのほうですか? 名前がそう見えたけれど」
「日系のイギリス人です。ほとんど混血だけど」
 
 へえ、とゲルトヒーデルはやや本心らしい反応をした。

「私もクォーターですよ。本来は日本でなくイタリア系のドイツ人と言われています」
「そうですか」
「髪が赤みがかっているのは母親の影響ですね。イタリアだとめずらしいみたいですが」

 ゲンコが答えるのをさぼると、ゲルトヒーデルはつづけて肩をかすかにすくめた。

「気が合うと思ったわけではなく、あなたがもしかしたら私たちに協力してくれるかと思いました。あなたは、どうも仕事ではなく私的な目的をもっているという点で、私や彼といった人間と共通点があるからです。今の状況ではそういうことは大事なので」
「私は組織以外に協力するようなことはありませんよ。そもそもあなたが組織外から声をかけてくるように言ってくるのは、どこかに協力をしているからですか。それはモンティユ・パイソン? フィスト? それともワイルド・ホーセス? ヨハンナ?」
「グッドフェローかもしれませんね。それに今言ったのは通称で、正式名称ではありません。ちゃんと言ってはどうでしょう」

 あまり気にしたようすもなく、ゲルトヒーデルはつづけた。

「私と彼はオート・モーフィスを探してどうにかしようと考えています」
「オート・モーフィス?」
「知りませんか」
「知っています」
 
 ゲンコは答えた。が、内心ではあまり本気で答えてはいない。

「オート・モーフィスは、日本支部を壊滅させた張本人です」
「それは聞いていません。そうなんですか」
「私はそのためにオート・モーフィスを狙っています」
(正気か?)

 ゲンコは思ったままの顔をしながら、ゲルトヒーデルを見た。自然なことではある。
 だが、話はわかった。表情を戻しながら、一応質問する。

「あなたは日本支部の壊滅にはちょうど立ち会わなかったと聞いています。それに、あの事件のさい生き残った人間はいませんでした。私の知らない話ですか」
「グリニザ本部の方針はわからないですから、差し出たことは言えません。でも、公言する必要のないことなら言わないことも考えられると思っています」

 ゲンコの聞いた情報では、日本支部付近の映像記録は軒並み事件時、壊滅している。
 そのために犯人をしめす証拠は残っていない。遺留物ひとつ残さずに立ち去った。
 そのうえでもしグリニザ本部が把握しているとしたら、単純に事件の事実を隠している。また、犯人の正体が事前に知っているものでその足どりが確認された。そんなところだろう。
 オート・モーフィス。
 たしかにその人物が日本支部の壊滅を行ったとしたら、本部の不審さも事件の違和感も納得はいく。そうであると仮定すれば、だれも関わりたがらない。放置したい。

(でもなぁ)

 ゲンコは自分で思考したことをちらりと思い出した。あのたぐいの連中は、おしはかったって無駄なのだ。超ド級の理不尽なのだから。

(怪物以上のもの。上位存在。不定形な肉のある姿ではない。名前と定まった姿のあるものたち、であって、オート・モーフィスとはその一体でありまたエイブリーのいくつかを人類側にもたらした協力者。それ以前は、人間を害する明確で押しつけがましい敵対者でもあった)

 自動で変身するもの。エイブリーのひとつであるクルタナをもたらし、技師的技術をもって自ら加工してみせた。
 要するにそれを一抹の希望としてクラーダ・オブライエンがいろいろな暴走をやらかした、大きな一因でもある。それは横に置くとしても、気になるのは一点だった。

「オート・モーフィスがこの付近に来ていると言うんですか?」
(事実だとして、どうやってそれを察知した?)
「動くときはめだつことも気にとめない、と情報を提供した先からは聞いています」
「提供した先のことは、私が気にすることではありません。確実性のことは気になりますが、些末なこととして捨てておきます」
「真面目ですね」

 ゲンコは話のあいだも見ていた階段のほうを気にした。ゲルトヒーデルの話から、気がそれたということでもある。一旦、アイスコーヒーをすすってややしらけた目をする。

「そういうあなたも真面目ではあるようですね」
「ありがとう」
「でも私への話は本心ではないようです。あなたには興味があった、というのは本当ですが半分くらいですね。だいたい気になることがあったからでしょうか」
「そんないいかげんで急に話はしませんよ」
「私が気になることはもうありませんが、オート・モーフィスというのに手を出す、狙いをつけて何かするというのは推奨されないと思いますよ。刺激しないという一点で、グリニザは対応しています」

 激高するかと思ったが、ゲルトヒーデルは首を小さくかしげただけだった。聞いてくる。

「それはあなたの意見ですか?」
「そら、仕事で来ているわけですから……私的な目的があるという見立ては間違っていません。もし、より誠実な返答をするんならオート・モーフィスに関しては私的な理由でも私にできることはありませんよ」
「その理由は言えないものですよね?」
「オート・モーフィスというのは、私の恩人であるからです。それ以上は人には言えません」
「……」

 ゲルトヒーデルはひっかかったようだったが、紅茶にだまって口をつけた。
 なんとなく剣呑な雰囲気になる。ゲンコはほとんど彼女に興味を失っているのを自覚したので、沈黙を気まずく感じた。

「あなたには秘密が多くて、こみいった話をすることができにくそうですね」
「聞かれれば答えますよ。だいたいそういう話ではない気がするけれど」
「そういう事実ではなくて、心情のほうです」
「ちょっと、ゲルトヒーデルさん……」

 ゲルトヒーデルがややかりかりしだすと、いつのまにか来ていた人物が、横からそっと肩を触れている。
 制服の少女である。ゲルトヒーデルと色違いのカーディガンを着ている。中肉中背の体つきに、茶色がかったココア色のショートヘア。
 あとは真面目そうな大きい目が印象的である。琥珀色の瞳がほほと同じく、なんとなくひんやりしている。
 ゲルトヒーデルをなだめにきたような顔つきで、ゲンコと目が合うと瞳をややまたたいた。軽率ぎみな緊張をたたえた口もとで言う。

「あ、はじめまして。お噂はかねがね……ケウス・マクラウド=諒子リョウコです」

 なのった少女は、握手の手をさしだしてきた。ゲンコは立って応じながら、簡単に名乗った。

「ゲンコ・オブライアンです」
「リョウコ。すみませんが、待っていてください」
「それは、わかりますけど……」

 本人の態度より勝ち気そうな眉尻を落として言う。ゲルトヒーデルとの関係はわからないが、深いものでもなさそうで、一見してなにをおもんばかっているのかはわかりにくかった。

「とにかくですね、もっとおだやかにいっても……」
「善処はしますから」

 ゲルトヒーデルが言うと、マクラウド、あるいはリョウコはむこうの席へもどっていった。どうも話に気をとられていて店内に入ってきたのをみのがしたようだ。

「あなたの後輩でしょうか?」

 ゲンコが聞くと、ゲルトヒーデルは素直に答えてきた。

「ケウス・マクラウド=諒子。それは国籍上の名前で本名は家系紀呼カケイ・のりこ。三ヶ月まえに日本支部に人員として登録された人物です」
「そこまでは聞いていないけど……まあ、ありがとうございます。彼女が情報提供先ですか?」
「協力者です。エイブリーを使う戦闘要員ですが、三ヶ月まえ、突如として彼女のエイブリーに選ばれたということで経験は皆無。日本支部からの依頼ということで私が同じ学校で様子を見ていました」
「あなたの目的という話にですか。そういうふうには見えないけどね」
「無理強いですか?」
「そうではないです。同じ学校の先輩後輩という間がらには見えますね」
「それはそのとおり」

 ゲルトヒーデルが言う。ゲンコは居心地わるげに、顔をしかめた。ため息をふっとぬいて、眉間をやわらげる。

「ひとつだけまだ気になることがありますが、聞いていいですか」
「なんですか」
「あなたはノーフェイス・エージェントとどのような経緯で? 嘘を言っていると思っているわけではありません」

 ゲンコが言うと、ゲルトヒーデルはちょっとよそを見た。目をそらすていどだったと思う。
 普通に考えたらそれは嘘をついているようだったが、ゲンコはちがう感想をいだきながら見ていた。ゲルトヒーデルはすぐに答えてきた。

「それは私の口からお答えできません」
「そうですか。信用していないわけではありません」
「あなたは復讐や意趣返し、あるいはやり返そうという人間に対してどんな感想を?」
「そりゃあ、気持ち悪いとは思いますが、わからなくはないので、なにも言いませんよ。そういうのは」

 ゲンコは、歯切れ悪げに言った。
 ゲルトヒーデルは妙に冷静な目でぽつりとそうですか、と言った。

「私もそれについて同意見です」
(だったら、やめりゃいいんだよな)
「それとあなたが気にしている奥面という人ですが、彼は竜騎兵のオペレーターというだけです。あなたに接触した経緯はわかりませんが……気にすることではないかと思いますよ」

 ゲルトヒーデルが言うのを聞きつつ、ゲンコは目が丸くなる心地がした。
 表面上は眉をしかめるていどだった。ゲルトヒーデルは、会計をするむねを伝えると席を立った。だいぶむこうの席で、遅れて立ちあがったマクラウドがみえる。カケイと本名は言うのだったか。
 そのカケイが律儀そうに頭をさげるのをみて、ゲンコはちいさく頭をさげた。
 内心、やられたような気分になりながらアイスコーヒーをすすっている。
 その日は結局そのまま帰った。
 尾行をつづけようにも、目的はそがれている。
 翌日になった。
 朝。
 起きてきたケルスは、またよくよく寝てないらしい元気な顔でいる。朝から大盛りのチンジャオロースをつくり、横にはストックポットした適当でおいしい野菜スープがならんでいる。
 ゲンコはハシでもくもくとつつきながら、前日のことを話した件でケルスに考えさせていた。

「しかしあきれたな。『ここ』にはけっこう強引にきたと聞いていたけど、勝手になにしてんの」

 ケルスは言った。表情は言葉ほどではない。というか、ケルスはほぼ快活そうなようすをくずさない。

「言い訳はしません。ウェルフさんには怒られてきます」
「まあ、冷静でないのはわかる。ま、わからないんだけどね」

 ゲンコはすす、と野菜スープを飲んだ。ミソシルと言ったか。母がイギリスの友人から習ったと言っていた汁物を飲むのに、しずかに音をたてず飲んでいたのをゲンコはいままねしている。
 ケルスは口のなかのものをちゃんと飲みこんでから、口をひらいた。

「なるほどねぇ。でも、どうなの実際。即ウェルフさんには言わなかったわけでしょう……? だから私に言っているのはわかるけどね。私が判断してもいいのかしら?」
「私はそこまでケラーさんを買っているわけじゃないですし……でも、一度通す相手がほしかったので。どうも優先順位がちがうような気はするんです」

 ケルスはタケノコをかじりながら、ふーんとつぶやいた。

「ゲンコはそういうの考えちゃだめだと思うけど。まあ、つきあいだしね。それくらいやってあげましょう」
「おねがいします」
「でも、人の仕事ふやしちゃダメよ」

「今日は待機だっけ?」と、言いながら、ケルスは確認してくる。ゲンコは肯定して、そのままたんたんと食事をかきこんだ。
 ケルスの味つけはけっこう濃いめにしてある。日本式らしい。あいかわらずゲンコの舌にはそれほどちがいがひびいてこない。
 ケルスが出かけたあと、部屋でのびをしていると私用の携帯が鳴った。
 ゲンコは不審に思いながら出た。

「もしもし?」
『もしもし? 私。松本』

 松本である。ゲンコが、もとい守井が風邪をひいたという名目で休んだのを、気にしたらしい。

『まあまあ元気そうだね? いいことだけどね。あとでプリント届けとくよ、じゃあまた』

 松本はほとんどひとりで話して切った。 
 部屋のデジタル時計を確認すると、午前九時二十分を指していた。どうも休憩のあいまにさっとかけたものらしい。

(たまにせっかちなんだよな)

 ん? と、そこでゲンコはドアのほうを気にした。
 中からなにかが動いたような気がしたのだが、なんの音もしない。
 携帯電話を手にしたままいちおう確かめようかと思ったとき、その携帯がそのまま鳴った。ゲンコはもう一度とった。

「もしもし?」
『もしもし。ゲルトヒーデルともうしますが。ゲンコ・オブライアン?』
「こんにちは」

 ゲンコは受け答えしながら、クッションに腰かけた。内心は動揺しているのと、思わず切ろうとするのが半々だった。

「学校はいいんですか?」
『休み時間です。あなたこそ、今日はなにを?』
「その前に、どこから私の番号を? 答えられなければ言わなくて結構だけれど」

 ゲンコはあぐらをかいたふとももをさすった。無意識にやってしまうもので、おもに左脚のつけねが気になる。さわりたいかと言われると、自分からはさわりたくないものだった。

『ではべつに答えなくていいでしょう。よく眠れていないような声ですね』
「長話する時間はないんじゃないですか?」
『保健室に行くと言ってきたので、べつに』
「そうですか。意外と悪いのね」
『それほどでも』
「そういえばあなたのお祖父さんには挨拶させてもらいました。ただの偶然でしたけど」
『そうですか』

 やれやれとゲンコは、さすっていた脚から手をはなした。
 あまり会話する気がないようなのに、電話をかけてくる。ヒマということはないのだろうが、感情がそう勘ぐりたくなる。

(まったく子供なんだからな)
「仕事前で気が立っているので、あまり話をしたくないのですが」
『それはタイミングが悪くてすみませんでした』
「あなたの謝罪は心がこもってないのよね」
『では要件をお伝えしますが、もしものときやこちらからお伝えするときは現場で連携をとりたいのですが』
「なにを言ってるのよ……」

 内心でいらいらしながら、ゲンコは電話をもちかえた。「そもそも、あなたが」と、言いかけたときに、ごん、と鳴った音に玄関のほうを見る。
 玄関はしずまりかえっている。

「……グリニザの指揮下で動かないのがおかしいんでしょう。連携をとりたいってんなら、申請すれば……」
『それはできません。怪物の駆除に関しては義務を感じるからやっているだけです』
「あなたたち、やっぱりグリニザの動きを把握しているんですね? 誰かが情報を流している」
『昨日あなたが会ったリョウコのことは覚えていますよね。彼女は意思ある暗闇の発生を感じとる感覚があります』
「アラームですか。あれはヨハンナくらいしか確認されていませんけど」

 聞いたことがない、と半分頭ごなしにつっぱねる。
 半分はなんとなく嘘は言っていないという感触だ。だがあてにはならないだろう。状況から考える。

「それが本当だとしても、こっちの動く範囲を考慮してあなたたちが動き回っているのはもう共通した見解ででていますよ。百歩ゆずってもこちら側の情報はそこそこ早い段階でつかんでいますね。もっとも、それも見る者が見ればひと目でわかるものでした。エイブリーがかかわっているとほのめかしてけん制をおこなった」

 ゲンコは声をおさえて言った。神経はややささくれているが、爆発するほどではないようだ。

「その意味ってなんなんです。オート・モーフィスがどうとは言っていましたが、もしあなたの言っていることが本当なら、逆に気づかれるでしょう」
『気づかれたとしてもなにも気にするものではありませんよ』
「それはそのとおり。いいかげんあなたやあなたたちが知っている、本部が知らない情報を挙げてこの件をゆだねてくださいよ。協力がえられないならそれからあらためて好きにすればいい。こそこそと私個人に接触までするようなやりかたは……」
『あなたが内密に協力してくれるなら、現場での連携だけであってもその情報を提供します』
「だからね」

 ゲンコは頑固げに眉をつりあげた。
 そのとき、玄関のドアがひらいた。
 というより、いきおいよくはじけとんだ。ドアがあっけなく落ちて無音で転がる。
 ゲンコは反射的に玄関を見やっていた。その違和感にはおぼえがあった。いや、おぼえがあるどころではなく、そんな珍事はひとつしか脳内にうかばない。
 案の定、怪物がいた。一瞬だけその姿を目にいれる。ながながとした三本の腕。胴体。肉がふくらんだ両足のような部分。
 そこまで目にいれて、その場からとびのいた。ちっと、指で左脚のふとももをこすっている。そこへ無数にのびてきたように見える触手がかぶさるように殺到した。
 ゲンコは手をついて横に逃げた。触手の束が枝わかれしてそこへのびてひらく。
 ぶくぶくした肉感のなかに白いものが見え、それがずらりとならんだ牙かちいさい爪であるのを瞬時に見てとる。

「つっ」

 たまたま近くにあったテーブルをつかんでたたきつける。靴をはかないと、と反射的に思いながら、次にのびてくる触手から遠ざかる。左脚をぎりぎりかすめる。
 ゲンコは半分かっとなった。
 が、頭と眼は冷静に入り口からはいってくる怪物の体をとらえている。大きな体だ。ほとんど入り口をふさいで、腕でおしひろげるように侵入してくる。
 実際、玄関だったところは、やや壊れているようだ。そのはげしく擦りあげる音もまったくの無音だった。
 ゲンコは触手の先を、思いきりよく蹴りつけた。ショートソックスしかつけていない貧弱な素足である。が、蹴り足が接触したとたん、衝撃にたえかねて触手の先がまがる。 
 そのままふりおろした左脚のかかとが、肉の触手の部分をつらぬく。すると、まるで圧しつぶされたように肉と牙がくじけて血がはじけとんだ。
 怪物はむしろ怒りを感じたようで、触手をかまわず体で突進をかけてきた。三本の腕がまるで人間のそれのように、つかまえる指をひらいている。その指は肉々しくぼこぼことふくれている。
 ゲンコはそれもよけながら、脚で衝くように横ざまから軌道をずらした。つっかえた怪物がたおれこみ、そこにあったパソコンのデスクをがらくたに変える。
 ひるがえって怪物を横目に、ゲンコはガットギターをギターのケースごとひっつかんだ。てばやくとりだして両手にかまえる。
 糸をはじく。怪物の体を見えない刃が切りつけた。一度、二度。
 体液が派手にとびちった。さすがにもがいて暴れようとふるう怪物の体に、もう二度、見えない刃がたたきこまれ、べしゃりと倒れこんだ。
 動かなくなる。

「ふうっ」

 ゲンコは息をはいた。携帯電話が鳴っている。音がもどってきた。
 怪物の体を見おろし、死んでいるのを確認する。それからなかば反射的なはたらきで、携帯電話をとった。鳴っているのは仕事用だ。

「はい」
「どうしました? 緊急要請です」
「応答遅れました。出ます。それとクリーニングを要請します」

 ゲンコは電話をはさんで、あわただしく室内を行き来した。「え? あ、はい!」と、電話のむこうで対応する気配がつたわる。
 身支度して靴をはくと、ひもをしめずに出て外にある車に乗る。すでに電話は、自分の部屋にクリーニングを入れるよう伝えて、切ってある。

「うお? どうした」

 すでに乗りこんでいた同僚が言う。ゲンコの格好の異様さだっただろう。あきらかに部屋着のハーフパンツにカーディガン、地味なインナーといういでたちに必要最低限の用具を巻きつけている。
 それは珍しくないが、いまは怪物相手に立ちまわったせいで体液がとびちり、着こなしも荒れている。

「お疲れ様です」

 ゲンコは言いながら、ポシェットに入れていたアンプルを指にはさんだ。

「まるで立ち回りでももうしてきたみたいだ。えらいことになったぞ、それよりか」

 パキッとアンプルの先を折り、ゲンコは中の液体をのみほして、空の容器をよけた。なれたしぐさで靴ひもを結びあげる。

「えらいことって……」
「ともかく現場だ」

 思わせぶりなことを言って、とは思いつつゲンコはレシーバーを受けとって身につけた。

「ゲンコ・オブライアンです。現場入ります」
「現在は? わかった」

 隣の同僚が言っている。こちらは通信機を使っていた。
 ラドックス。ノープア・ラドックスという。ゲンコと同じく現場内での処理作業に直接あたる人員である。
 ふだんはかちあうことはあまりない。ひとつの現場に一度に、ということはないし今回のふだんよりこみいった事態になっても、移動先がかぶるというくらいだった。ラドックスはゲンコより巧緻なことができる男で、になっている作業も多い。
 暖色系のブラウンの髪に青い目の、がっしりした体つきの男性で、年齢は三十代。今は防弾チョッキとアーミースタイルに身をつつんでいる。それが飛ばす車の中で、静かに言ってくる。

「現在、六ケ所で発生が確認されている。大型もいるとかだ」
「六ケ所。この時間帯に」
「数もこれまで同様。まあ、平日の朝方がまだしもだ」
「大型っていうと」

 ゲンコはレシーバーを聞きながらたずねた。
 ラドックスは防弾チョッキをさしだして答えた。

「目視で七、八メートル、形状はやや安定。銃弾は効いてる。今回はちゃんと着ろ。毎回忘れて」
「了解です」
(重いんだよなこれ)

 重い、というのは、ゲンコにとって動きを阻害されるくらいの意味だった。言うほどでもないのだが、へんなところで無精な性質ともいえた。

「バットマンやスーパーマンてあるじゃないですか。あれって便利だなと」
「スーパーマンてのは、ありゃ自前の肉体が強いだけでスーツはそうじゃないらしいぞ」

 そうなんだ、と装備を身につけてゲンコはぼやいた。現場に到着を告げられ、外へ出る。

(ひどいな!)

 街中でうごめいている肉塊のようなのが、ここから見てとれた。まわりからは、遠ざかったものの人の避難が追いついていない。
 レシーバーから指示が飛び、ゲンコはすぐさま道具をかかえて走った。
 あちこちで小銃が鳴っている。避難が完了しないあいだは、威力の高い火器はつかえない。また、ゲンコのような接近して対処にあたる人間がいる場合は銃火器をうかつに撃つこともできない。

「ウォン!」

 知りあいの顔を見つける。レシーバーからは、いやな情報が流れてくる。それとおなじく、指示もとんでくる。
 十二体確認された怪物は、いくつかにばらけて誘導されてある。うち、三体が大型。
 ラドックスは七、八メートルと言っていたが、あきらかにそれより大きい。まずはゲンコには、通常サイズのこたいの排除が告げられており包囲班から直接、誘導をもとめるようすでに企図がされている。

「こっちだ」

 包囲班のウォンは、ゲンコと知らない仲ではない。
 傷のあるいかめしい唇をもった、元傭兵めいた顔をふると、ひと息に駆け出す。ゲンコはその先導するのに身をかがめてついていく。爆発音。耳が一瞬きんとする。

(大きいのは、ラドックスがどうにかできる)

 ウォンとともに、むこうで手まねきした包囲班のそばにいったんしゃがみこむ。
 路地と通りがあり、そこを走りながら銃でけん制する二、三人がちょうど出てくる。ゲンコは指に糸を感じつつ、まだ実体化はさせず待った。包囲班を追って怒りに体を震わせている巨大なのがやってくる。
 
(ヒュッ)

 ゲンコはしらず、息をのんだ。おそろしげな造形だった。つるつるした頭部は人間に似ていて、目も鼻もなくへこんでいる。それでいて大きいものの五倍はある。
 それが六本くらいまで確認できる肉っぽい脚で走ってくる。弾性のある肌が、ぶるぶると振動でふるえている。
 ゲンコの隠れふせている物かげに、そいつが通過するタイミングが告げられる。音のない地響き。消された包囲班の足音と銃声。ゲンコはすべて目で確認して、巨体が通過するうしろに出た。飛びだすと同時に脚と頭に斬りつける。
 体液がいきおいよく噴きだし、あたりの壁や地面をちらばる。
 巨体の注意が一瞬、ゲンコに向く。
 確認してゲンコは糸を一気にふれた。巨体のうしろに四体の怪物がつづいて来ている。そちらに向いている。
 ゲンコは横っ飛びに跳躍して、左にあった歩道の手すりをこえた。こえながら、糸をはじいている。ゲンコがあらわれた姿に気をとられた怪物に、距離をはからずはなたれた斬りつけがあびせられる。
 巻きこまれたのは二体である。が、でたらめにはなったため傷つくだけで、倒れることはない。一体が、巨体のほうへ無傷で走りぬけていく。巨体はちょっとゲンコに向かいかけたものの、銃と爆発物をあびせられて、ふたたび包囲班に気をむけた。
 ゲンコはふたたび左回りに走りだした。脚力が急に向上したように足が跳ねる。
 横への速い動きには反応がかぎられる。気を向けてきた三体が突進してくるのを、街路樹ごしに通過して一拍さえぎる。
 突進の余剰で、街路樹は折れて倒れる。ゲンコは制動をかけて止まり、低い姿勢から先に襲いかかってきた二体へ糸をはじく。
 一体は無傷だったのにランダムな斬りつけがあびせられる。もう一体は傷を負っていたのにさらに肉片を飛びちらせ、すっころぶ。  
 転んでもがくやつを、次の瞬間ゲンコは踏みつけて飛びだしていっている。そのまま怪物の固まっているのを抜いていく。
 踏みつけられたやつは、ゲンコが左脚に力をこめていたのでそのまま圧壊した。
 すれちがいざまに糸をひき、街路樹を押しつぶしたやつにさらに傷を負わせる。耐えるかと思われたが、ぶっといタコのような肢をちぎれさせて動かなくなる。
 それに背中をむけて、ひきつけたもう一体を指をはじいて倒す。それから、ひるがえって走りだす。通りは硝煙の匂いと煙でむせかえっている。
 そのなかをかきまわしてまっすぐに走る。大型。こちらに背面がむいていて、細い触手のような肉の綱が植物っぽく屹立している。
 二十メートルくらいは間があった。
 ここからは遠すぎる。
 矢を。
 左脚のふとももをこすろうとして、ふと、ゲンコは異常な寒気をおぼえた。

(?)

 吐き気。めまいのような感覚。クルタナの矢筒。
 知覚した瞬間、屹立した肉の綱のような怪物の部分が気になった。
 同時にちかくのコンクリートが粉々にはじけとんだ。あまりの衝撃に、粉塵があがる。
 とがったかけらをあびて、ゲンコは間一髪で直撃をさけていた。
 爆発と同じだ。爆圧でとびちった硬いものは、それ自体凶器である。
 とっさに身をかがめ、顔をかばっていた。胴体に感じる、ささくれめいた痛み。

(防弾チョッキでよかったよ)
「はっ――」

 一瞬でふきだしたいやな汗の感覚だった。実際はそれほどでもない。
 なにかを速い速度で飛ばしてきた。射出といっていい。だが、その正体がよくわからない。

(あれ、目だな)

 肉の綱っぽい部分に、よくみるとそれらしいものがついていたのだ。どうやら、四方を見ているらしい。
 ゲンコは間髪いれず走りながらも、怪物の動きを注視した。そのそぶりはないが、狙っているはずだ。

(あんなもの包囲班に射出される?)
「ふーっ」

 走りだすまえにレシーバーで伝えてはいるものの、とくに事前の情報がなかった。ゲンコのように不意をつかれるだろうことはわかった。

(目がこっちを見ている……こっちに向かって射出したのは?)

 気を取られている包囲班に射出がされなかった。ゲンコの側が脅威か、なにか優先されることがあった。
 どのみち自分の側に気を引くという選択肢が頭にあがる。それより前に、ゲンコは左脚で制動をかけて、その場にふんばり、弓をひく動作をした。
 存在しない場所に、腕をひいたとおりに弦があらわれる。ひきしぼられ、銀色の筒は弓のハンドルとなり、そのややくびれたようになった両端にスリングをかたちどった。不可視の弓。
 きらめくまがまがしい光の矢。

(っ……)

 ほんの数秒。怪物を狙い、自分にしか見えない誘導のグラフを出現させていたゲンコは、急にぜんぶを消していた。
 二十メートルも先の怪物の頭部が、はじけるようにふきとんでいた。肉片と中身を花火のように爆裂させて、二階建てほどもある体躯をぐらつかせる。
 ふきとばした本人は、すばやく右手をひきゲンコのみえる側に着地している。そのまま怪物の巨体へひいた右手をたたきつける。
 銀色と白の身体をした、人間のフォルム。フロムナイン。
 ゲンコは確認して弓を消すまま走りだした。咳がでる。こらえて怪物の左側面にまわり込み、糸をあるだけはじいた。
 近距離で数発。怪物は、たまらず地面にくずれおちた。フロムナインがかけより、とどめの一撃を体に手をあてて入れていく。



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