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(16) ボトルネック(1)
しおりを挟むひどい現場だった。
ゲンコがぜんぶから解放されたのは、翌朝の未明になる。
さすがに疲れきっていた。
「はあ……」
(はあ……――)
言葉もなく、ゲンコはホテルに帰りついた。アパートがちょっと荒れすぎたため、修復にはやや時間がかかる。
もっとも熊でも暴れたようなあとは人目にさらすわけにも、噂にのぼらせるわけにもいかない。一日でもどれるはずだ。
手ひどいさわぎになった。あのあと、自分のむかった区域はしずまり、ゲンコは次の区域にむかった。最終的には三ヶ所ていどですんだ。だが、どこも似たようなもので大小十数体も怪物が闊歩して、最初見たのよりさらに大きなものも目にした。
奇跡的に包囲班の被害は重傷者を出すていどにはとどまった。重大な被害といえる。
もちろん、奇跡とか虫のいい話もない。
(現場にたちあった全員が後悔するだろうな)
「ひっどいことをしたな……」
備えつけてあった水をのむ。着替えは有能であんな状況で気遣いまでできるケルスたちが、用意していた。
むろんゲンコも疲れ以上に後悔に頭をさいなんでいたが、考えることもある。
首筋の点滴のあと――入院生活のうちにくっきりと残るようになったが、傷を消す処置でいっしょに消えた――をさするようにさわる。無意識のしぐさだったが、もの思いするときのくせだ。緊張するときもやらかす。
気づいて指をはなしながら、ベッドに腰かけた。いますぐ眠りたいのと、ねむけも感じない頭とが不快にいりまじる。
(なんだって? あれ)
アパートで襲ってきた怪物。
意味がわからない。考えるのはウェルフやマリィ・ルレーンに任せるとして、必要なことはある。
(私のところにきた? なんで。いや、ああ。いいや。考えんな)
ゲンコは任されている報告書のことを考えた。いまのうちに内容はまとめる準備をしなければならない。
それともうひとつ。
(フロムナイン? いや、違う)
関係ないことも頭に浮かぶ。
「ゲンコ・オブライアン」
昼間までかかった現場を終えたときだ。フロムナインがちかよってきた。例の髪を切りそろえた女性の姿である。
「どうかしましたか?」
ゲンコはこの人型に擬態したエイブリーが苦手である。いまのゲンコの姿は体液やら立ち回りやら、下手をすると靴に肉片までとびちっている。
「よびとめて失礼します。あずかっています」
言いながら、紙袋をさしだしてくる。ゲンコは内心けげんにしながらうけとった。
「ありがとうございます。中をあらためても?」
「どうぞ」
(似てるからか。だれにって言われるとわからないんだけれどね……)
考えながら紙袋の中をみる。それから、フロムナインに目をむける。
「あなたが?」
「マリィ・ルレーンがヨハンナを通して依頼しました」
「なんでそんなことを……いえ、失礼しました。かさねてありがとうございます」
「どういたしまして。これで。体はどのようですか?」
フロムナインが聞いてきたので、違和感を感じながらゲンコは答えていた。
(聞いてどうする? マリィに報告するんなら、言うよな)
「大丈夫です」
フロムナインはかるく目礼して、それはうなずいたように見える。スーツ姿には当然、本来の姿で格闘したときの汚れはなく、逆に現場では浮いている。
そのまま去っていった。
紙袋の中身はアンプルだった。これもよくわからない。わざわざこういう粗末なもので持ってくる代物でもない。
ゲンコ以外にはさして価値もないもの。
ホテルの一室に意識をもどす。膝のうえに紙袋が乗っている。予備と一緒に保管にまわさないとならない。
アンプルをしまいながら、フロムナインを意識から追いだす。
思いなおして携帯電話をとりだし、ちょっと考える。
(深夜の迷惑電話はなあ)
さすがに礼儀に反する。だが、相手は今の時間に起きて活動してはいるはずである。
怪物の出現は昼間だけにとどまらず、事前に予測されていたとおり夜間にもおよんだ。
ゲンコが未明にまで動いていたのはそのためだ。夜間のぶんを終えたゲンコは、上司のウェルフから話を聞いていた。
そのときは内実、へとへとで正直にいえば気がぬけていた。が、ドロドロだろうが、上司の話を聞くときは背筋をのばして聞く。そういうことで平静でいた。
「ゲルトヒーデル嬢に接触してくれ。協力するようにと」
「彼女たちに便宜を図るってことでしょうか」
「今は手が必要だ。頼んだ」
「了解しました」
今回も彼女らは動いていたようだ。いや、確実に動いていたし、そのために被害が抑えられたのはちがいない。
ともあれ、一度かけてみる。
(連携しないんなら現場にいてもな)
ひっかかりを感じながらも、意固地を自覚する。スピーカーを耳に当てていると、期待しなかった電話をとる反応が聞こえる。
『もしもし』
鈴の鳴るような声である。ゲンコは気後れを感じながら、押し隠して話しだした。
ゲルトヒーデルは思ったより不機嫌ではなく、疲れも感じない。またゲンコが提案すると、いくつか確認をなげて、その場の話で、話を了承した。
電話は四十分ほどで終わった。
おたがい疲れを考慮して、細かい調整はもういちどあらためて、という運びになったためだ。
ゲンコは枕元の時計を見た。午前三時二十分。
(もっと怒ると思ったのにな。かわいげのない女だったか……)
『そうですか。建前ではありますが、あなたが協力してくれるということでしたら、構いません』
(もっと考えたほうがいいのでは?)
「念のためにお伝えすると、私は仕事以外の範囲でお力添えとかできませんよ。そもそもできることがないし」
『構いませんよ。それじゃ、また』
会話を思いおこしながら、ゲンコはいいかげん寝るか、と思った。ぐっと伸びをして体の節々をのばす。時間を確認していた腕時計を枕元に起き、明かりを消す。
ねむけはすぐにやってきた。ゲンコはほっとして眠りについた。
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