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無事に試験を終えて、開放的な気分になれた。久保田君や駒田君は、日本史もあるため、私は一人で学校を後にした。ちょうど正午で、空腹を感じる時間だった。どこかで寄り道して何か食べたいところだけれど、そんなにお金もないので家へ帰って食べることにする。今日は両親も姉も、家にいる日だった。少々気が重いと思いながらも、真っすぐ家へ向かう。とにかくテストが終わったばかりで気疲れしていた。太陽の光は惜しげなく、街を体を照らす。勘弁してほしいくらいだった。
(これで、私の進路は、決まるのかな……)
強い陽を浴びて辛かったので、近くの自販機でミネラルウォーターを購入した。木々の葉は緑の匂いがし、空の色は真っ青だ。もう蝉が鳴きだしてもおかしくないくらいだった。蓋を開け、水を口から吸いこむように飲むと、体中に水分が吸収して行く感じがした。
帰宅すると、父と母はリビングでくつろいでおり、テレビを見ていた。キッチンテーブルの上には、いわしの梅煮、蒸したブロッコリーと、さつまいも、玄米のおにぎりが二個、置かれていた。徹底的なダイエットメニューだ。
「おかえり、テストどうだった?」
母はこちらを向いて、尋ねて来た。私は「まぁまぁ」と、当たり障りのないセリフを言う。ただ思いっきり疲れたのは、間違いない。
あっと言う間に食べ終わると、自室へ向かう。姉の気配がないので、おそらく出かけているだろう。買ったばかりのペットボトルの水を少し口につけてから、スマホを取り出した。すぐに深山ゆきさんのSNSをチェックする。彼女は自分のコラボ以外にも、他のファストファッションで購入した、プチプラの洋服を着こなしたコーディネートを更新したばかりだった。
(まめだなぁ)
流石、インフルエンサーという名のファッショニスタ。一日一回は更新することが多い。全部がファッションの更新ばかりではなく、ファーストフードの安くて美味しい期間限定商品なども、載せていることが多い。先ほど更新したのは、袖がバルーン型になっている、ペパーミントグリーン色のショート丈のチュニックに、私が今穿いている、ハーフ丈のデニムパンツだった。今着ているものが載っていて、嬉しい。このトップスは、全国どこにでもある、ファストファッションの『T』で買ったものだそう。お値段、千円。その店はとてもうちから近かった。
「え、安くない?」
大きくお手頃価格だった。これは買いに行くべきだろうか。最近、ファッションに対する物欲が湧きすぎだった。別に買わなくても見に行くだけ行っても良い。一般のアパレルショップと違い、スタッフの方が接客して来ないのも、メリットだ。寝転がっていた体を起こし、立ち上がる。階段を降りて行くと、その音で気がついた母が「あんた、どこか行くの?」と、声を掛けて来た。
「あぁ、『T』に行こうと思って」
「あら、偶然。ちょうど、今、お母さんも行こうと思ってたの。一緒に行こう」
想定外の出来事だった。そう言えば母とこうして出掛けるのは、何年ぶりだろうか。母と一緒に家を出て、徒歩五分位の店へ歩き出す。『T』は、女性物は勿論、メンズファッション、キッズファッションまで何でもある。値段も買いやすい値段の上、デザインも豊富のため、大幅な年代の方から愛されている。
(二年前に買ったっきりだったなぁ)
そんなことを思い出しながら、心と足が弾む。
「あんたが、服飾学科へ行きたいって言うから、驚いたわ」
母は初めて心境を語った。この子が大丈夫かと不安だったらしいけれど、M女子大という名の知れた大学で、就職率も良いから安心したらしい。ただし授業料はそれなりに高い。薬学部ほどではないけれど。
「指定校推薦、当たるといいね」
「そうだね」
こればかりは、どうなるか、私も分からない。今日一緒にテストを受けた者の中に、同じ大学の同じ学部を目指している人はいたのだろうか。ほぼ知らない人ばかりだったので、話しかけなかった。ライバルがどれくらい居るのかは、分からない。
「お店に行って今の流行、調べてみるのも、勉強になるかもね」
「うん、そう思って行こうと思ったんだ」
母としては良いタイミングで、誘ってくれた。もしかしたら、ゆきさんが着ていたあのトップスを安いから買ってくれるかもしれない。なんて、微かに期待を抱く。
「そう言えばさ、あんた、久保田君? とか言う子と、付き合ってるの?」
「は?」
頓狂な声が出て、驚きのあまり肩が跳ねあがった。私は久保田君の話など、母にしたことがないし、何故彼を知っているのだろう。
「付き合ってないよ。何でそうなるの」
上擦った声が出てしまう。色々な人に誤解をされるが、母にまで伝わってるとは思ってもいなかった。
「いや、だってさ、久保田君って子のお母さんとこの前、スーパーで会ったのよ。うちの子がお宅の娘さんにとてもお世話になってます。なんて言うから、付き合ってるのかと思っちゃった。一緒にジョギングよくしてたんだって? だからあんた、よく走ってたの?」
母の瞳には好機の色と期待が宿っていた。一緒にジョギングはしていない筈だ。一対何人の人が見ていたのだろう。久保田君のお母さんとは、二年生のころ参観日の日、隣にいたから、世間話をしたらしい。全く知らなかった。
「違うって。たまたま一緒になっただけ。久保田君も陸上部だったから。それにさ、あんなイケメンが私なんかを相手にする訳ないでしょう」
冷水をぶっかけるような言い方をすると、母はハッと気が付いたように目を何度も瞬かせた。
「あぁ、そうね。そんなにその子、イケメンなの? あぁ、そう。それならあんたなんか無理よねぇ」
最後の下り、失礼な言い方だが事実だから仕方ない。
「そう。アイドル並みのルックスしてるからさ。クラスの女子の人気者だし。ああいう子には大学生になったら美人の彼女出来ちゃうんだよ」
「あぁぁ、そうね、きっとそうよね。じゃぁ、ますますあんたは無理よねぇ」
はぁぁとため息をつく母。つくづく癪に障る言い方だが、事実だから否定できない。私なんてたかが、五キロ痩せただけの普通の女子高生。
「あの子、A大目指すんだって。あそこの大学は、綺麗な子も多いじゃん? 大学に入ったらそういう彼女出来るよ」
それを言うと、母はのけぞるようにビックリした顔をして私を見る。
「そうだったのね。あそこの大学は、客室乗務員とかアナウンサーになるような美人の子も多いものね。村中彩未もあそこの大学出てるしね」
村中彩未は、有名な女子アナだった。世間でもアイドルのような扱いで、あちこちのテレビ局から引っ張りだこ。よく女性ファッション誌にも載っている。ただ女性の敵も多いようで、誰が統計を取ったか分からない、嫌いな女ランキングナンバーワンでもあるらしい。母にとって私よりもA大は派手なイメージがあるようだ。
「あんたも、A大進められてたじゃない? てっきり私はA大に行くと思ってたんだけどね。あんた、なかなか頭良いし」
私はかぶりを振った。入っても私のカラーには合わない気がする。陽キャで美人な女子とイケメン男子が沢山いる世界だ。卒業するまでの短い時間で、距離が縮まる訳がなく、大体が卒業したら縁が切れるものだ。それは分かっているものの、何故か胸の内にこっそり芽生えたざわめきを複雑な気持ちで抱いていた。
「いいのいいの。M女子大の方がここから近いし」
もうこの話はここで、終了したかったから「ほら、着いた」と、店を指指した。
ファストファッションの店の外観も今はお洒落で、ガラス張りの二階建ての建物だ。母と一緒に入ると、店内は日曜の午後と言うこともあり、混みあっていた。まさに、老若男女で溢れ返っている。入ってすぐのところにマネキンが二つあり、左側のマネキンは白い木綿の生地に青と黄色の花柄が施された、ウエストにギャザーが寄ったワンピースを着ており、右側は深山ゆきさんがSNSで紹介していた、袖がバルーン型になっている、あのチュニックだった。このマネキンはショッピングピンク色を着こなしている。ボトムズは黒のジッパーがついている、ナロースカートで洗練された着こなしだった。
「じゃぁ、お母さんは、メンズのほうに行ってくるね。お父さんのパジャマ買いたいから」
「あ、うん」
母は私がゆっくり服を選びたいのだろうと思い、気を遣ってくれた。沢山の服が大きめのハンガーラックにかけられており、ひとつひとつ探すのが大変だった。せわしく動いている若い女性の店員に「すみません」と、声を掛けた。
「マネキンが着ているチュニックが欲しいんですが」
「あぁ。それならこちらです」
忙しいにも関わらず、その感じよさげな店員は笑顔で対応してくれて、その売り場まで案内してくれた。
「こちらになります。お色展開は、ペパーミントグリーン、ピンク、黒、白の四色展開となっております」
「ありがとうございます」
お礼を言うと「ごゆっくりどうぞ」と、すぐその場から離れて行った。一般のアパレルショップと違い、ファストファッションは、服を選んでいる時に客に声をかけないスタンスだ。これはこれで、ゆっくり選べるからとても良い。サイズは、SサイズからXLサイズまであった。私より少し年上かと思われる女性二名が私の隣に来て「あったあった」と、はしゃいだ声を出した。
髪が長く、赤いリップに薄い茶色のアイシャドウと言った流行っぽいメイクをしており、とても痩躯な女性だった。迷わずSサイズの黒をサッととり「今日、SNSでゆきさんが紹介してたやつ」「そうそう」と、そんな会話を交わす。その二人はサッとどこかへ行ってしまった。
(そうか、ゆきさんが紹介した商品はこうやって売れていくのか)
目の前にして、初めて知った。現に私も欲しいと思っている。ペパーミントクリーンの色も可愛いけれど、白も可愛い。
(白を買おうかな)
サイズはMサイズとLサイズ、両方手に取ってみた。少しゆとりがありそうで、Mサイズでも良い気がするが、Lサイズの方が良い気もする。黒も気になる。
「どっちも試着しよう」
両方のサイズと、黒のLサイズも一緒に手に持ち、試着室へ向かった。沢山の試着室はあるものの、結構、列が出来ていた。大人しく待っていると、三分くらいで自分のところに回って来た。靴を脱いで試着室へ入り、カーテンを閉める。まずは、白のMサイズから。
(もう少し痩せないと、膨張して見えるな)
大きなデメリットだった。肩のところが膨らんでいるので余計にそう思う。サイズ感はちょうど良かった。今度は黒を試着してみたが、重く感じてしっくり来ない。けれどもサイズはゆとりがあり、重いものの引き締まって見えた。次に、白のLサイズ。
(やっぱりこれも嫌だなぁ)
深山ゆきさんが着たから、美しく見えたのだろうか。裾が広がるので、場合によっては妊婦に見えてしまうこともある。
結局買うのは断念し、商品を元の位置に戻した。内心、ガッカリしていた。ふと別のマネキンを見ると、普通のTシャツを着ているマネキンを発見した。ただし、ラインストーンで帽子の絵が胸元に施されており、これが可愛らしい。
(こういうの良いな)
シルエットは広がらないタイプの、普通のIライン。こういうほうが、意外に良いかもしれない。ラインストーンの絵が気に入った私は、それを探した。色展開は白、紺色、ベージュだった。
(紺色がいいな。ベージュも色合いが可愛い)
白に近い淡色カラーで、ラインストーンはこれだけ、薄い緑色だった。この緑色の石に惹かれ、気がつくとまたこれをMサイズとLサイズを手に持っていた。また試着室へ向かい、同じように並ぶ。先ほどと同じように自分の番が着て、今度はMサイズから試着してみる。身幅に程よい余裕があり、良い感じだった。裾は広がっておらず、その割にはヒップが隠れる長さ。ストーンがキラキラ光って輝いていて、これにしようと決めた。今になってから、値段を確認してみる。これも千八十円でお手頃価格だった。
(これにしよう!)
即決した。試着室から出てレジへ向かおうとすると、デニムコーナーのところで母を見かけた。
「お母さんも何か、買うの?」
「うん、このパンツ良いなと思ってね。試着してくるから待っててね」
母は籠に父のパジャマらしきものを、既に入れていた。母はどちらかというと、こちらのほうが目当てだったかもしれない。服を選ぶと言うのは楽しいものだ。最近、その楽しさを実感していた。ただ一般のお洒落なアパレルショップと違って、商品の陳列の仕方で、やや見えにくいのは仕方がない。これでは探しにくい。けれどもこれがファストファッションなのだろう。
(ハイブランドは、また別の雰囲気なんだろうな)
まだ気が早いけど、ハイブランドもどんなものか見てみたい。けれども購入する気がないのに、お店に行くのも勇気がいるものだ。そんなことを考えてると、試着を終えた母が戻って来た。
「これ買うことにした。あんたもそのTシャツ、欲しいの? 買ってあげるよ」
よほどそのデニムのパンツが気に入ったのだろう。母は上機嫌だった。
「え?」
「今日、テスト疲れたでしょ。頑張った褒美だよ」
「ありがとう」
それを母に託した。
(お気に入りの洋服一つで、人はこんなにハッピーになるんだ)
また一つ、今まで気がつかなかったことを知った瞬間だった。こんなに笑壺に入るなんて、嬉々とした気持ちと共に一緒にレジへ向かう。
(素敵な服を作って、人を幸せにしたい)
そんな気持ちが高ぶった瞬間だった。周りを見ても、服を選んでいる人の顔はハツラツとしていた。深山ゆきさんや他のファッションインフルエンサーも色んなアパレルメーカーでコラボをしたり、魅力的な商品を発信してくれるけれど、私もその中に入りたい気持ちがあふれ出した。インフルエンサーは人気が出ないとなれないけれど、デザイナーなら勉強をして腕を磨き、洋服が作れる。母が会計をしてくれている間、私の頭の中は色んな妄想で幸福に満ちていた。
「じゃぁ、帰ろうか」
母に促され、我に返る。
「そうだね」
心の中の内を見透かされそうで恥ずかしくて、慌てて店を出た。誰も私のことなんて気にしていないのに。母と一緒に歩く中、「そうだ」と母に突然問われた。
「今後、指定校推薦の件、どうなるの?」
どういう流れになるのか聞いているのだろう。私は知っているだけの流れを教えた。おそらく一週間以内に、希望の指定校推薦の大学を受けられるかどうかが決まる。希望の学校を受けられない者は、十月までに他の指定校推薦を受けることも出来る。母は頭の中で困惑したようで、確認するように問う。
「もし、今回合格点を取れたとしても、十月までにあんたと同じ大学に行きたい子が他にいて、あんたより成績が上だったらそっちになるって訳?」
「まぁ、そういうこと」
そう。今からもう入試は始まっているようなものだ。うちの学校だけ特殊な選抜方法をしているらしい。他の高校では聞かない。しかしその場合は、テストは行わず、三年生の一学期までの成績で判断するそうだ。指定校推薦を獲得出来た場合、九割方、受かるらしい。だからこれを狙っている人も多い。緑の街路樹が綺麗に整備されているアスファルトの歩道を歩きながら、母と久しぶりに沢山話した気がした。
(これで、私の進路は、決まるのかな……)
強い陽を浴びて辛かったので、近くの自販機でミネラルウォーターを購入した。木々の葉は緑の匂いがし、空の色は真っ青だ。もう蝉が鳴きだしてもおかしくないくらいだった。蓋を開け、水を口から吸いこむように飲むと、体中に水分が吸収して行く感じがした。
帰宅すると、父と母はリビングでくつろいでおり、テレビを見ていた。キッチンテーブルの上には、いわしの梅煮、蒸したブロッコリーと、さつまいも、玄米のおにぎりが二個、置かれていた。徹底的なダイエットメニューだ。
「おかえり、テストどうだった?」
母はこちらを向いて、尋ねて来た。私は「まぁまぁ」と、当たり障りのないセリフを言う。ただ思いっきり疲れたのは、間違いない。
あっと言う間に食べ終わると、自室へ向かう。姉の気配がないので、おそらく出かけているだろう。買ったばかりのペットボトルの水を少し口につけてから、スマホを取り出した。すぐに深山ゆきさんのSNSをチェックする。彼女は自分のコラボ以外にも、他のファストファッションで購入した、プチプラの洋服を着こなしたコーディネートを更新したばかりだった。
(まめだなぁ)
流石、インフルエンサーという名のファッショニスタ。一日一回は更新することが多い。全部がファッションの更新ばかりではなく、ファーストフードの安くて美味しい期間限定商品なども、載せていることが多い。先ほど更新したのは、袖がバルーン型になっている、ペパーミントグリーン色のショート丈のチュニックに、私が今穿いている、ハーフ丈のデニムパンツだった。今着ているものが載っていて、嬉しい。このトップスは、全国どこにでもある、ファストファッションの『T』で買ったものだそう。お値段、千円。その店はとてもうちから近かった。
「え、安くない?」
大きくお手頃価格だった。これは買いに行くべきだろうか。最近、ファッションに対する物欲が湧きすぎだった。別に買わなくても見に行くだけ行っても良い。一般のアパレルショップと違い、スタッフの方が接客して来ないのも、メリットだ。寝転がっていた体を起こし、立ち上がる。階段を降りて行くと、その音で気がついた母が「あんた、どこか行くの?」と、声を掛けて来た。
「あぁ、『T』に行こうと思って」
「あら、偶然。ちょうど、今、お母さんも行こうと思ってたの。一緒に行こう」
想定外の出来事だった。そう言えば母とこうして出掛けるのは、何年ぶりだろうか。母と一緒に家を出て、徒歩五分位の店へ歩き出す。『T』は、女性物は勿論、メンズファッション、キッズファッションまで何でもある。値段も買いやすい値段の上、デザインも豊富のため、大幅な年代の方から愛されている。
(二年前に買ったっきりだったなぁ)
そんなことを思い出しながら、心と足が弾む。
「あんたが、服飾学科へ行きたいって言うから、驚いたわ」
母は初めて心境を語った。この子が大丈夫かと不安だったらしいけれど、M女子大という名の知れた大学で、就職率も良いから安心したらしい。ただし授業料はそれなりに高い。薬学部ほどではないけれど。
「指定校推薦、当たるといいね」
「そうだね」
こればかりは、どうなるか、私も分からない。今日一緒にテストを受けた者の中に、同じ大学の同じ学部を目指している人はいたのだろうか。ほぼ知らない人ばかりだったので、話しかけなかった。ライバルがどれくらい居るのかは、分からない。
「お店に行って今の流行、調べてみるのも、勉強になるかもね」
「うん、そう思って行こうと思ったんだ」
母としては良いタイミングで、誘ってくれた。もしかしたら、ゆきさんが着ていたあのトップスを安いから買ってくれるかもしれない。なんて、微かに期待を抱く。
「そう言えばさ、あんた、久保田君? とか言う子と、付き合ってるの?」
「は?」
頓狂な声が出て、驚きのあまり肩が跳ねあがった。私は久保田君の話など、母にしたことがないし、何故彼を知っているのだろう。
「付き合ってないよ。何でそうなるの」
上擦った声が出てしまう。色々な人に誤解をされるが、母にまで伝わってるとは思ってもいなかった。
「いや、だってさ、久保田君って子のお母さんとこの前、スーパーで会ったのよ。うちの子がお宅の娘さんにとてもお世話になってます。なんて言うから、付き合ってるのかと思っちゃった。一緒にジョギングよくしてたんだって? だからあんた、よく走ってたの?」
母の瞳には好機の色と期待が宿っていた。一緒にジョギングはしていない筈だ。一対何人の人が見ていたのだろう。久保田君のお母さんとは、二年生のころ参観日の日、隣にいたから、世間話をしたらしい。全く知らなかった。
「違うって。たまたま一緒になっただけ。久保田君も陸上部だったから。それにさ、あんなイケメンが私なんかを相手にする訳ないでしょう」
冷水をぶっかけるような言い方をすると、母はハッと気が付いたように目を何度も瞬かせた。
「あぁ、そうね。そんなにその子、イケメンなの? あぁ、そう。それならあんたなんか無理よねぇ」
最後の下り、失礼な言い方だが事実だから仕方ない。
「そう。アイドル並みのルックスしてるからさ。クラスの女子の人気者だし。ああいう子には大学生になったら美人の彼女出来ちゃうんだよ」
「あぁぁ、そうね、きっとそうよね。じゃぁ、ますますあんたは無理よねぇ」
はぁぁとため息をつく母。つくづく癪に障る言い方だが、事実だから否定できない。私なんてたかが、五キロ痩せただけの普通の女子高生。
「あの子、A大目指すんだって。あそこの大学は、綺麗な子も多いじゃん? 大学に入ったらそういう彼女出来るよ」
それを言うと、母はのけぞるようにビックリした顔をして私を見る。
「そうだったのね。あそこの大学は、客室乗務員とかアナウンサーになるような美人の子も多いものね。村中彩未もあそこの大学出てるしね」
村中彩未は、有名な女子アナだった。世間でもアイドルのような扱いで、あちこちのテレビ局から引っ張りだこ。よく女性ファッション誌にも載っている。ただ女性の敵も多いようで、誰が統計を取ったか分からない、嫌いな女ランキングナンバーワンでもあるらしい。母にとって私よりもA大は派手なイメージがあるようだ。
「あんたも、A大進められてたじゃない? てっきり私はA大に行くと思ってたんだけどね。あんた、なかなか頭良いし」
私はかぶりを振った。入っても私のカラーには合わない気がする。陽キャで美人な女子とイケメン男子が沢山いる世界だ。卒業するまでの短い時間で、距離が縮まる訳がなく、大体が卒業したら縁が切れるものだ。それは分かっているものの、何故か胸の内にこっそり芽生えたざわめきを複雑な気持ちで抱いていた。
「いいのいいの。M女子大の方がここから近いし」
もうこの話はここで、終了したかったから「ほら、着いた」と、店を指指した。
ファストファッションの店の外観も今はお洒落で、ガラス張りの二階建ての建物だ。母と一緒に入ると、店内は日曜の午後と言うこともあり、混みあっていた。まさに、老若男女で溢れ返っている。入ってすぐのところにマネキンが二つあり、左側のマネキンは白い木綿の生地に青と黄色の花柄が施された、ウエストにギャザーが寄ったワンピースを着ており、右側は深山ゆきさんがSNSで紹介していた、袖がバルーン型になっている、あのチュニックだった。このマネキンはショッピングピンク色を着こなしている。ボトムズは黒のジッパーがついている、ナロースカートで洗練された着こなしだった。
「じゃぁ、お母さんは、メンズのほうに行ってくるね。お父さんのパジャマ買いたいから」
「あ、うん」
母は私がゆっくり服を選びたいのだろうと思い、気を遣ってくれた。沢山の服が大きめのハンガーラックにかけられており、ひとつひとつ探すのが大変だった。せわしく動いている若い女性の店員に「すみません」と、声を掛けた。
「マネキンが着ているチュニックが欲しいんですが」
「あぁ。それならこちらです」
忙しいにも関わらず、その感じよさげな店員は笑顔で対応してくれて、その売り場まで案内してくれた。
「こちらになります。お色展開は、ペパーミントグリーン、ピンク、黒、白の四色展開となっております」
「ありがとうございます」
お礼を言うと「ごゆっくりどうぞ」と、すぐその場から離れて行った。一般のアパレルショップと違い、ファストファッションは、服を選んでいる時に客に声をかけないスタンスだ。これはこれで、ゆっくり選べるからとても良い。サイズは、SサイズからXLサイズまであった。私より少し年上かと思われる女性二名が私の隣に来て「あったあった」と、はしゃいだ声を出した。
髪が長く、赤いリップに薄い茶色のアイシャドウと言った流行っぽいメイクをしており、とても痩躯な女性だった。迷わずSサイズの黒をサッととり「今日、SNSでゆきさんが紹介してたやつ」「そうそう」と、そんな会話を交わす。その二人はサッとどこかへ行ってしまった。
(そうか、ゆきさんが紹介した商品はこうやって売れていくのか)
目の前にして、初めて知った。現に私も欲しいと思っている。ペパーミントクリーンの色も可愛いけれど、白も可愛い。
(白を買おうかな)
サイズはMサイズとLサイズ、両方手に取ってみた。少しゆとりがありそうで、Mサイズでも良い気がするが、Lサイズの方が良い気もする。黒も気になる。
「どっちも試着しよう」
両方のサイズと、黒のLサイズも一緒に手に持ち、試着室へ向かった。沢山の試着室はあるものの、結構、列が出来ていた。大人しく待っていると、三分くらいで自分のところに回って来た。靴を脱いで試着室へ入り、カーテンを閉める。まずは、白のMサイズから。
(もう少し痩せないと、膨張して見えるな)
大きなデメリットだった。肩のところが膨らんでいるので余計にそう思う。サイズ感はちょうど良かった。今度は黒を試着してみたが、重く感じてしっくり来ない。けれどもサイズはゆとりがあり、重いものの引き締まって見えた。次に、白のLサイズ。
(やっぱりこれも嫌だなぁ)
深山ゆきさんが着たから、美しく見えたのだろうか。裾が広がるので、場合によっては妊婦に見えてしまうこともある。
結局買うのは断念し、商品を元の位置に戻した。内心、ガッカリしていた。ふと別のマネキンを見ると、普通のTシャツを着ているマネキンを発見した。ただし、ラインストーンで帽子の絵が胸元に施されており、これが可愛らしい。
(こういうの良いな)
シルエットは広がらないタイプの、普通のIライン。こういうほうが、意外に良いかもしれない。ラインストーンの絵が気に入った私は、それを探した。色展開は白、紺色、ベージュだった。
(紺色がいいな。ベージュも色合いが可愛い)
白に近い淡色カラーで、ラインストーンはこれだけ、薄い緑色だった。この緑色の石に惹かれ、気がつくとまたこれをMサイズとLサイズを手に持っていた。また試着室へ向かい、同じように並ぶ。先ほどと同じように自分の番が着て、今度はMサイズから試着してみる。身幅に程よい余裕があり、良い感じだった。裾は広がっておらず、その割にはヒップが隠れる長さ。ストーンがキラキラ光って輝いていて、これにしようと決めた。今になってから、値段を確認してみる。これも千八十円でお手頃価格だった。
(これにしよう!)
即決した。試着室から出てレジへ向かおうとすると、デニムコーナーのところで母を見かけた。
「お母さんも何か、買うの?」
「うん、このパンツ良いなと思ってね。試着してくるから待っててね」
母は籠に父のパジャマらしきものを、既に入れていた。母はどちらかというと、こちらのほうが目当てだったかもしれない。服を選ぶと言うのは楽しいものだ。最近、その楽しさを実感していた。ただ一般のお洒落なアパレルショップと違って、商品の陳列の仕方で、やや見えにくいのは仕方がない。これでは探しにくい。けれどもこれがファストファッションなのだろう。
(ハイブランドは、また別の雰囲気なんだろうな)
まだ気が早いけど、ハイブランドもどんなものか見てみたい。けれども購入する気がないのに、お店に行くのも勇気がいるものだ。そんなことを考えてると、試着を終えた母が戻って来た。
「これ買うことにした。あんたもそのTシャツ、欲しいの? 買ってあげるよ」
よほどそのデニムのパンツが気に入ったのだろう。母は上機嫌だった。
「え?」
「今日、テスト疲れたでしょ。頑張った褒美だよ」
「ありがとう」
それを母に託した。
(お気に入りの洋服一つで、人はこんなにハッピーになるんだ)
また一つ、今まで気がつかなかったことを知った瞬間だった。こんなに笑壺に入るなんて、嬉々とした気持ちと共に一緒にレジへ向かう。
(素敵な服を作って、人を幸せにしたい)
そんな気持ちが高ぶった瞬間だった。周りを見ても、服を選んでいる人の顔はハツラツとしていた。深山ゆきさんや他のファッションインフルエンサーも色んなアパレルメーカーでコラボをしたり、魅力的な商品を発信してくれるけれど、私もその中に入りたい気持ちがあふれ出した。インフルエンサーは人気が出ないとなれないけれど、デザイナーなら勉強をして腕を磨き、洋服が作れる。母が会計をしてくれている間、私の頭の中は色んな妄想で幸福に満ちていた。
「じゃぁ、帰ろうか」
母に促され、我に返る。
「そうだね」
心の中の内を見透かされそうで恥ずかしくて、慌てて店を出た。誰も私のことなんて気にしていないのに。母と一緒に歩く中、「そうだ」と母に突然問われた。
「今後、指定校推薦の件、どうなるの?」
どういう流れになるのか聞いているのだろう。私は知っているだけの流れを教えた。おそらく一週間以内に、希望の指定校推薦の大学を受けられるかどうかが決まる。希望の学校を受けられない者は、十月までに他の指定校推薦を受けることも出来る。母は頭の中で困惑したようで、確認するように問う。
「もし、今回合格点を取れたとしても、十月までにあんたと同じ大学に行きたい子が他にいて、あんたより成績が上だったらそっちになるって訳?」
「まぁ、そういうこと」
そう。今からもう入試は始まっているようなものだ。うちの学校だけ特殊な選抜方法をしているらしい。他の高校では聞かない。しかしその場合は、テストは行わず、三年生の一学期までの成績で判断するそうだ。指定校推薦を獲得出来た場合、九割方、受かるらしい。だからこれを狙っている人も多い。緑の街路樹が綺麗に整備されているアスファルトの歩道を歩きながら、母と久しぶりに沢山話した気がした。
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