ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

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参ノ章:激突

第72話 ナメてる

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  ――――時を遡る事、実に一時間前。

 亜弐香はゴルフの練習に来ていた。貸し切りにしてもぬけの殻になっている練習場の二階席では、彼女の振ったクラブが風を切る音が聞こえるだけである。わざとではない。球にクラブが当たらないのだ。

「飽きた。もうやりたくない」

 ジャージ姿のままスパイクシューズを履き、右手に手袋をはめている彼女だが、練習開始から十五分が経過しただけでこのザマである。基本として球が前に進むことは無く、ようやく当たったかと思っても右や左へ情けない勢いと共に飛んでいくばかりであった。

「若頭、もっとボールを見て打ってください。ボールが当たるまでは絶対に顔を動かさない。これが鉄則です。それとクラブの握り方も違います。左手の人差し指と右手の小指を絡めて持った方が―――」
「も~…やる事多すぎない ? 接待だか知らないけど、道具使うスポーツ苦手って昔から言ってるのに」
「だからといって、接待相手をスパーリングパートナーにするわけにもいかないでしょう。諦めてください」
「…はーい」

 嫌がる亜弐香だが、源川に諭されるとしょんぼりしながら再び打席に立つ。自由人且つワガママな部分があると有名な彼女だが、源川の言う事だけは昔からよく聞いていた。世話役であり、教師であり、そして先輩である。仲間としての敬愛と家族にも似た親しみの二つを、彼女は自身の右腕である男に抱いていた。

「もっと楽しい事したいんだけど、人捜しとか」

 ようやくコツを掴んだ事でボールが百ヤードの看板を越え始めた時に、彼女は持っていた九番アイアンを肩に乗せて言った。

「…霧島龍人の事ですか。最近そればっかりですね」
「うん、凄く面白い子だよ。たぶん源川も気に入ると思う…だから、ね ?」
「……はぁ…まあ…百ヤードは飛ばせましたから良いでしょう」

 源川はいつもこうである。とにかく不愛想なくせに、亜弐香がねだると異常に甘くなるのがお決まりであった。ガッツポーズをする亜弐香を尻目に、持ち込んでいたビジネスバッグから源川は通帳を取り出す。仕事と生活の都合上、両手では数え切れない数の口座を持っているが、その内の比較的盗まれたとしても支障が少ない物を選び出した。

「平治、他の奴と一緒に使い走りして来い」
「う、うっす…所で何スかこれ ?」
「見りゃ分かんだろ。通帳だよ。三億入ってる」
「さ、三億…」

 赤い色をした通帳を渡されたが、平治はその理由がよく分かっていないらしく、見慣れない物を手にした様に眺めていた。初めて火を見た原始人もこんな風だったのだろうかと、源川は一瞬だけ考える。

「そこに書いてる支店ならさっさと出してくれる。全部引き出して、他の連中と山分けしてから霧島龍人を探すのに使え。要は賄賂だ。現金でも時計でも宝石でも構わん。金目のもんを見せて、少しでも目が泳いだ奴にはいくらでも叩きつけてやれ。残った分は勝手にしろ。こっちで会計を誤魔化しとく」
「ホントっスか⁉」
「だから急げ。そして全員に伝えろよ。一時間以内に何の連絡も無かったら、後で道場に雁首揃えて集合しろってな。俺と若頭で存分に稽古付けてやる」



 ――――片っ端から部下に探らせた事を亜弐香は話し、一同を見た。

「まあこんな感じで、割と早く見つけられた」

 亜弐香は微笑むが、他の者達から明確に敵意を抱かれている事は分かっている。それも曲者揃い。龍人は言わずもがな、目の前にいたレイについても只者ではないとすぐに分かった。それと龍人の向かいにいる黒人。自分の持っている情報には無いが、こちらを睨む目付きと姿勢からして臨戦態勢に入っている事が分かる。恐らくこの中では一番警戒すべき相手である。その隣に居る鴉天狗については、腕っぷしこそ弱そうではあるが妙に落ち着いていた。場慣れしている証拠であり、この手の人材は知恵を回せるタイプの可能性が高い。油断はしない方がいいだろう。

 他の二席にいる者達は別段警戒する必要が無さそうではあるが、顔立ちがやけに似ている化け猫二匹は恐らくまあまあ強い。どこか別の方を睨んでいたが、一瞬だけ二人で互いを見合っていた辺り、何かに気付いて動くつもりなのかもしれない。少なくとも無能ではなさそうだった。

「…あ~…なんや、龍人の知り合いかい」

 美穂音が唐突に言った。

「姐さん、込み入った話するんなら席外してええか ? 煙草吸ったらすぐ戻って来るわ」
「美穂音、ウチも行くわ。連れモクや連れモク」

 二人は返事を待つことなく立ち上がり、靴を履き直してそそくさと出て行った。アンディはボディーガード代わりに使おうと思ってた者達がいなくなった事で、眉をひそめて「参ったねこりゃ」と苦笑いを仲間達へ浮かべる。だいぶ余裕があった。

「目的は ?」

 龍人がようやく口を開いた。

「いや、顔を見たかっただけ…まともに相手すら出来なかったくせに、勝つ気満々でいる学習能力の無い自殺志願者の顔」
「…あ ?」

 しかし、まだ友好的だと思っていた彼女の口から放たれたのは、神経を逆撫でするような罵倒であった。



 ――――焼肉屋の裏側、一人の小鬼の店員がそそくさと店を出ようとしていた。理由などいくらでもでっち上げられる。そのため、いる筈もない恋人が怪我で病院に運び込まれたとでっち上げ、店長に早退の許しを貰ったのだ。上司とはいえ馬鹿な奴である。現実で恋人という名の金食い虫など、作るわけないというのに。

 知り合いから連絡を貰い、龍人という人間の男を探していると聞いた瞬間、悪魔が囁いてきた。だからすぐさま店にいると伝えてやったのだ。コッソリとスマホを取り出して銀行口座を確認すると、確かに振り込まれていた。二百万円である。

「そろそろ帰らないと配信始まるな…フフ…」

 自分の愛しい推しが待っている。小鬼は思わず悶えそうになった。彼女を喜ばせるための資金源が出来たのだ。金をプレゼントするだけで自分に感謝し、肯定し、お客様としてチヤホヤしてくれる最高のパートナー。一丁前に自我を持って反抗してくる可能性のある恋人など作る意味も無い。そもそも出会いが無いと言えばそれまでだが。

 しかし、意気揚々と帰路に就こうとした時だった。表通りに出るための道を誰かが塞いでいる。

「よう、えらい嬉しそうやなぁ。兄ちゃん」

 美穂音だった。ポケットに手を突っ込んだまま、一歩だけ前に出て来る。それに合わせて一歩後ずさりした時、背後で何かが落ちて来る様な音がした。振り向くと、どこかから降り立ったかのように膝を曲げた綾見が現れており、店員の方を凝視していた。

「なあ…あんだけ周りウロウロしよったんに、急に奥に引っ込んでいなくなったな。何でや ? ちょっと寂しかったで」

 しきりにこちらの席の様子を窺っている、気色の悪い小柄な店員がいた事を彼女達は見逃してなかった。最初は自分達へのナンパ目当てかとワクワクしていたが、亜弐香が現れるや否や逃げるようにして厨房へと駆けこんだのだ。よほど勘の鈍い愚図でなければ疑うのが当然だろう。

「ち、注文が入って―――」
「注文取るための紙もタブレットも持ってなかった気がしたんやけどなあ ? 不思議やなあ」
「ね、ねえ待って。あ、あの…俺、あの鬼の女の人とは、関係ないから。グルとかじゃないし、ぜ、ぜ、全部偶然だから」
「ウチらまだ何も言ってないんやけど、どうしてアンタとあのデカブツがお仲間やって疑ってるのが前提なん ?」

 言い訳をしようとしたが、すぐに美穂音は遮ってまた一歩近づいてくる。再び後ずさりをしようとしたが、いきなり足に痛みが走った。思わず下を見ると、自分のふくらはぎに何かが刺さり、そのまま脛の方まで貫通している。鎖の付いたクナイであった。綾見が鎖の端を掴んでおり、そのまま勢いよく引っ張って転ばせる。うつ伏せで倒れ、胸を強く打った。腕だけで体を起こそうとしたが、続けざまに駆け寄った美穂音が顔に蹴りを入れてきた。口内が軽くなり、妙な解放感が生まれた。この感触からして、恐らく歯が何本か砕けてしまっている。

「立たせろや」

 美穂音の言葉に綾見が即座に応じ、立たせて羽交い絞めにする。それを見ながら美穂音は煙草に火を付け、一度だけ深く息を吸った。

「お客様は神様って昔から言うやん ? ウチらバイトする時、めっちゃ大事にしてんねんそれ。土方でも居酒屋でも、自分達が頑張ったら誰かがハッピーになるって思ったら素敵やん ? まあクレーマーは裏でボロクソに言うんやけどな。仕事終わったら神様でも何でもないし」

 燻ぶった煙草を口から離して指で弄り、美穂音は店員に近づく。そして躊躇わず片目に押し付けた。体を震わせ、唾液と血を飛ばしながら何かを叫んでいる。だが美穂音は冷徹に髪を掴んでから、無理やり自分の方を向かせた。

「神様売り飛ばすとか、随分ええ度胸しとんな。お ?」
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