ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

文字の大きさ
97 / 112
参ノ章:激突

第97話 再起

しおりを挟む
 亜弐香に吹き飛ばされた時、龍人は開醒の力を解いてしまっていた。取り繕う事の出来ない、紛う事無き油断である。もう立ち上がって来ないだろうという勝手な安堵が引き起こした醜態だった。”間抜けだった”。背後の気配に気づいて咄嗟に発動をしたはいいが、それも完全ではない。結果として、彼女の拳は龍人にとって致命的な不意打ちとなっていた。

 叩きつけられた壁から、崩れ落ちるように項垂れた龍人は、拳が命中した自分の脇腹を抑えながら倒れて藻掻く。歪な感触からして、恐らく骨が折れている。血も口から漏れてきた。腕にも力が入らない。脇腹を抑えている手に湿り気が広がっていく。”血が出てる”。固い感触が肉体とは別にあった。まさか、解放性骨折だろうか。あばらが折れて突き破ったか。分からないが、少なくとも折れている。

 意識も若干濁ってきた。”重症だな”。微かに聞こえている幾つかの声と複数の物音。せいぜいその程度の聞き分けしか出来ない。”落ち着け”。しかし、気持ち悪くなってきた。体の震えと寒気もある。”おい”。裂田亜弐香の本気の攻撃とは”おい”、ここまで”おい”えげつない物なのか。”聞いてるのか”。自分は死ぬのか。”おい”。

”もういい。代われ”

 その言葉を最後に、龍人の意識は自分の内側に潜む泥沼の様な闇の中へと沈んでいった。



 ――――いい気分だった。もどかしさはなく、視界も、手足が動く感触も、苦痛も、全てが自分の物になっている。血が出すぎたのは困りものだが、傷を塞げばどうとでもなる。この程度の状況ならば経験が無かったわけではない。窮地に陥った人間の一番の敵は動揺である。焦りによって本来ならばしないであろう行為に及び、余計な体力と神経を消耗する。あってはならない。すべき事といえば、健全に動くことが難しくなるまでにどの程度の猶予があるか。それを判断するのである。それが分かれば自ずと平静さを取り戻せるのだ。覚悟が、人の心に安寧を取り戻してくれる。

「少し鍛え方が足りんが…まあぐらいなら丁度いいだろう」

 折れた肋骨のある付近に手を当て、霊糸を放つ。無理やりにそれを矯正した後、霊糸を使ってきつく締め上げて補強を行う。これで少しは体の具合もマシになった。

「……誰だ ?」

 立ち上がって応急措置を行っていた時、 遠くで鴉天狗が自分を見て慄いていたが気にする必要もない。奴に立ち向かって来る闘志は感じられず、先程から覗いていた記憶からして敵ではない。警戒をするに値しないのだ。問題は正面にいる鬼の娘の方だろう。こちらについてはまだ戦意が折れていない。

「…さっきとは違うね」

 鬼の娘が言った。確か亜弐香と言ったか。

「違うというよりは、こっちが本性だ」
「名前は ?」
「義経」 

 亜弐香と颯真の二人は動きを止めて彼を凝視する。

「……ハッタリをするにも、使う名前は選ばないと」
「ほう、俺が出まかせを言っていると。そう考えているようには見えんな。俺が立ち上がった時に見せた警戒の早さもさることながら、龍人とかいう童に対して向けていた笑みも消えた。意識しているかは知らんが、お前は臆した。余裕が無いんだ。しかし、それを認めたくない。だから必死に否定しようとしている。薄々分かっている筈だ。今のお前の態度は、脆小な弱者故の虚勢と似たものだろう。違うか ?」

 亜弐香の顔が僅かに歪んだ。苛立っているか。だろうな。強く気高い矜持をこの女からは感じ取れた。言い換えれば自分を溺愛する性質だ。誇りを傷つけられるのを何より嫌っているのだろう。格上として立ちはだかっていた筈の自分が、どういうわけか見下していた相手を始末できなかったどころか、逆に嘲笑われている。そんな現実は耐えがたい筈だ。

「虚勢ではないというなら示せばいい。言葉で。或いは御自慢の腕力を以て―――」

 言葉を言い終えるより早く、亜弐香が自分に拳を突き出してくる。尖凝式によって指先へ全ての力を集中させ、中指を折り曲げて親指でそれを押さえつける。そして拳へ向けて強く指を弾いた。”でこぴん”と、龍人がこの技術の名を言っていたのを覚えている。若干の不安はあったが、十分だったようだ。亜弐香の拳は、その拳速よりも早く繰り出された指での反撃によって防がれ、軽く弾かれる。

「悪くない筋だが…怖さが足りんな。相手を屈服させ、破滅させ、絶望させたいという意思が感じられない。単純な力強さだけを追い求めたな。肉体を壊して倒すことは出来ても、精神を殺すことが出来ん…虚しい打撃だ」

 そう言い放ってくる目の前の男…義経に亜弐香は困惑していた。一瞬、何が起きたのかが分からなかったが、やがてすぐに指で易々と防がれてしまったという事が彼の態度で分かった。幽生繋伐流の尖凝式か ? だが、龍人はあんな防御の仕方をした事が無い。彼はそのまま地面に手をかざすと、霊糸を放って薙刀を出現させ始めている。げに恐ろしきは、この一連の行動の間、一度として印を結ぶ事をしなかった。彼にとっては、こんなものは呼吸に等しい容易い所作なのだ。

「殺し合いをしたいか ? 小娘」

 得物を肩に担いで義経が嗤う。恐ろしく張り詰めた空気が、亜弐香を久方ぶりに緊張へと向かわせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました

グミ食べたい
ファンタジー
 現実に疲れ果てた俺がたどり着いたのは、圧倒的な自由度を誇るVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。  選んだ職業は、幼い頃から密かに憧れていた“料理人”。しかし戦闘とは無縁のその職業は、目立つこともなく、ゲーム内でも完全に負け組。素材を集めては料理を作るだけの、地味で退屈な日々が続いていた。  だが、ある日突然――運命は動き出す。  フレンドに誘われて参加したレベル上げの最中、突如として現れたネームドモンスター「猛き猪」。本来なら三パーティ十八人で挑むべき強敵に対し、俺たちはたった六人。しかも、頼みの綱であるアタッカーたちはログアウトし、残されたのは熊型獣人のタンク・クマサン、ヒーラーのミコトさん、そして非戦闘職の俺だけ。  「逃げろ」と言われても、仲間を見捨てるわけにはいかない。  死を覚悟し、包丁を構えたその瞬間――料理スキルがまさかの効果を発揮し、常識外のダメージがモンスターに突き刺さる。  この予想外の一撃が、俺の運命を一変させた。  孤独だった俺がギルドを立ち上げ、仲間と出会い、ひょんなことからクマサンの意外すぎる正体を知り、ついにはVチューバーとしての活動まで始めることに。  リアルでは無職、ゲームでは負け組職業。  そんな俺が、仲間と共にゲームと現実の垣根を越えて奇跡を起こしていく物語が、いま始まる。

俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨
ファンタジー
普通の高校生として生きていく。その為の手段は問わない。

第2の人生は、『男』が希少種の世界で

赤金武蔵
ファンタジー
 日本の高校生、久我一颯(くがいぶき)は、気が付くと見知らぬ土地で、女山賊たちから貞操を奪われる危機に直面していた。  あと一歩で襲われかけた、その時。白銀の鎧を纏った女騎士・ミューレンに救われる。  ミューレンの話から、この世界は地球ではなく、別の世界だということを知る。  しかも──『男』という存在が、超希少な世界だった。

クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました

髙橋ルイ
ファンタジー
「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」 気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。 しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。 「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。 だが……一人きりになったとき、俺は気づく。 唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。 出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。 雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。 これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。 裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか―― 運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。 毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります! 期間限定で10時と17時と21時も投稿予定 ※表紙のイラストはAIによるイメージです

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

スライム退治専門のさえないおっさんの冒険

守 秀斗
ファンタジー
俺と相棒二人だけの冴えない冒険者パーティー。普段はスライム退治が専門だ。その冴えない日常を語る。

処理中です...