ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

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肆ノ章:狂宴

第102話 消失

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  お堂の中、床や着物を血によって濡らした女と幼子が、屍として転がっていた。

「……」

 彼女らを背にした一人の男が、詫び代わりに涙筋を頬に作り、短刀を構えている。兄にも、助けを乞うて身を寄せた者達にも裏切られた。野心すらも許してくれない人間の嫉妬心と懐疑心には、ほとほと理不尽さを感じる。恨まないと言えば嘘になる。だが、死ぬしかないというならば、せめて武士として自ら落とし前を付けてくれるしかない。

 躊躇いは無い。そう思って刃を自らの腹へと潜り込ませたその直後だった。背後に気配を感じる。外で自信を待つ裏切者共とは違う。これまでに味わった事のない、禍々しく心地の悪い気配だった。

 腹が血を噴き出し、刃を横一線に滑らせていくにつれて、臓物が切れ込みから見え隠れし始めた。やがて堪えきれんとばかりに雪崩出て来る。床に突っ伏したくなったが、男にはふと欲望が生じていた。この俺の死を見届けようとする、その気配の正体は何か。せっかくならば一目見てやろう。これから死にゆく者とは思えない、人間的衝動に満ち溢れた願望であった。苦しさのあまり倒れ、なけなしの力で仰向けになる。自分が背を向けていたその方角へ、掠れた視界を向けると、”それ”は確かにいた。

 黒装束を纏った影であった。甲冑とも違う。足元すら見えない巨大な布に覆われているかのような姿。足で歩いているとは思えないほどに微動だにしないその体勢のまま、影はこちらへと音も無く近寄ってくる。枯れ木の枝の様な両手が異様に伸び、呼応するかのように”それ”体が真っ二つに裂ける。巨大な口の様であった。”それ”は死に近づいていく男の体を掴み、やがて静かに男を口の中へと押し込む。パキパキという乾いた音だけが、お堂の中にこだましていた。



 ――――灼熱の中、燃え堕ちた瓦礫の撤去に町の住人達は掛かりきりであった。力自慢たちが防護服と共に片づけを行う一方で、外界から取り寄せたという重機の力を借りて作業に従事する妖怪たちも珍しくない。

「喰われた ?」
「うん。黒い装束の…最初は人かと思ったらしいけどそうじゃないみたいで。それで気が付いたら、いつの間にかこんな状況になってたって。義経さん、そう言ってた」
「…次から次に変な情報ばっかり出て来るわね。最近」

 コウジと龍人は瓦礫を積み込みながら駄弁り、一通り辺りがすっきりした事でひとまず日陰へと潜った。周りの参加者たちも一息入れているのか、各人の持ち込みによる差し入れで一服をしている。弥助さんもいたらどれだけ楽だったろうか。諸事情からアメリカへ帰国する事となった彼の事を龍人は思い出す。アメリカ政府が事業仕分けによって必要の無い事業や部署を廃止するとほざき、このままではその一環としてNAFPPから脱退しかねないらしい。目先の節約のために大局を見誤られては困ると、彼は慌てて交渉に戻る羽目になったようだ。

「しっかし、不思議な事もあるのねえ」
「何が ?」

 龍人と一緒に、頑丈なグローブをはめて瓦礫を運び出していたコウジが語り掛けてきた。

「あのワンちゃんの中に入っているのが、かの源義経。しかも龍人君の体はそもそも彼の物だったって事でしょ ? つまり義経は龍人君と合わせて二重人格で、どういうわけか現代にまでタイムスリップして来ただなんて…割と気味悪いわよ」
「俺の前でそれ言う ? こっちは自分が何なのかすら分からなくなってきてんのに」

 瓦礫をトラックの荷台に放りながら、龍人はコウジに言い返した。自分自身でも自覚していなかった秘密…それもアイデンティティさえ揺るがしかねない出生に係る謎の一端は、想像していたよりも奇奇怪怪としていたのだ。受け止めきれないのも当然だったと言えよう。病院で出会った際、義経が彼らに語った話はその程度には衝撃的であった。
 
 義経自身さえも驚いていたという。意識を取り戻したかと思いきや、体を自由に動かす事が出来ない。視覚も、聴覚も、嗅覚も、味覚も、触覚でさえも全てが明瞭としている。だというのに、それらの全てが自分の思うとおりに動いてくれない。あまつさえ、自分の心にも思っていない事を喋り、行動さえしてしまう。なまじ声が若き日の自分に似ているせいで、猶更不愉快だった。自分の中に誰かがいて、自分の体を勝手に使っている。そして自分はただ見ている事しか出来ない。不思議な気持ち悪さであった。

 だが、ある日気付いた。全く存在自体が消え失せているわけでは無いと。自分の呼びかけに、龍人はすぐに応じてくれる。向こうがこちらの存在には気づかないが、彼には呼びかけが聞こえていた様だった。最初こそ怪しまれていたのだが、ただの直感的な感性みたいなものだと割り切ったのか、次第に何も言わなくなっていった。龍人の体が霊糸を使う事に慣れてない上に膂力が足りず、先の件のように体を乗っ取ったりする事自体は止していた。自分の扱いに身体が耐えきれるという保証が無いからである。しかし、ここ最近においてようやく一人前程度には扱えるようになった。体が成熟しつつある。そう踏んだうえでこうして体を操って見せたばかりか、別の体に移った上で直接対話する事を選んだのだそうだ。

「おーい、アイス買うてきたで~」

 こちらも何か欲しいと思っていた矢先、願望を把握済みかのようにレイが買い物袋をこさえてやって来た。彼女も作業中だったのだろう。黒いタンクトップから見える古びたネックレスが、日光に当たって輝いている。コウジは何やらニヤニヤとしながら「邪魔者は退散」と呟いてその場から消えた。変な勘違いをされている事は分かるが、何か余計な事を言いふらす心配も無い。信頼の上で龍人は追いかける事はしなかった。

「ありがと…ところでレイ。お前のそのペンダント、だいぶ汚れてんな。マメに手入れしねえと後が大変だぞ。てか、どこのやつ ?」

 氷の混じっているらしいアイスキャンデーを齧ってから龍人が言った。

「ん ? ああこれ…家出てってからこの辺に住むようなった後で、誕生日に近所のガキ達が世話になってるからってくれたんや。皆で金出し合ってくれたんやって…どこやったっけな ? 4...何とかやっけ。分からん。ブランドとか興味ないし」 

 彼女は少し嬉しそうに語る。思い入れがそれなりにはあるのだろう。

「フーン…お前あれだろ ? 渓殲同盟の中でも割かし扱い良かったって聞いたけど。老師曰く。何で出て行ったんだ ? 下水道なんかに住む事も無かったろうに」
「ウチんとこのボスやってるババアの後継者争いが嫌やったし。大体決闘して格付けするんやけど、兄貴ボコってから何かすっごい申し訳なくなってな。だから出てった」
「籠樹か…」

 食べ終わったアイスキャンデーの棒を歯で暇つぶしがてら噛みつつ、龍人は彼女の話に耳を傾けていた。野心家には三種類のタイプが存在する。生まれついての性か、環境によって歪まされたか、またはその両方を併せ持ってしまったか。

「最近になって様子おかしいのも、そういうのがやっぱ関係あるんかな」
「たぶんそれあるぞ。ボロ負けして勝った相手に馬鹿にされるより、公の場で情けかけられて、自分が惨めに施し受けてる姿晒されるのが一番きつい。男は特に」
「かといってアイツが何してんのか調べるにしても、手掛かりなさすぎねえか ?」

 龍人とレイの会話に颯真が割って入って来る。どこで手に入れたのか分からない瓶入りのコーラをがぶ飲みしており、気を利かせて持ってくるぐらいの事はしておけと妬み混じりに龍人は溜息をついた。だが、彼の指摘は正しい。彼らが流通させている”果実”や”暗逢者”の出処は知りたいが、そのためには籠樹の行動を抑える必要がある。だが、既にこちらも目を付けられている可能性がある以上、闇雲に動くのはむしろ更なる危険を引き起こすだろう。情報集めるための標的を絞る必要がある。

「じゃあこうしよう。渓殲同盟に聞きに行けばいい。籠樹がまだ所属扱いってんなら、向こうも何も調べてないってわけじゃないだろうし。どの道、暗逢者や亜空穴について、義経さんの件もあるから聞き込みしたかった。渓殲同盟ってその辺に詳しいって聞いたぞ。蛇の道は蛇ってな」
「それは流石にダルいわ…てかウチ絶対どやされるし」
「大丈夫だ。老師が前行った時に軽く脅してるって話らしいし。そもそもこっちは別に敵対するつもりもねえんだから。それにいざって時は俺と颯真が庇うよ。な ?」
「…え、何。俺も行くの ?」
「逆に行かないつもりだったのかお前 ?」

 拒否権の行使すら許さない、いつにも増して強引な龍人の決定であった。
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