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第3話
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リチャード・ブレスコットは恋をしている。
それも、ただ一度、会っただけの人物に。
相手はリチャードのことなど覚えていないだろう。
しかしリチャードの思いは強く、激しく、自分でも戸惑うばかりだ。
諦めることも、かと言って、手に入るはずもない高嶺の花。
二度と、会うはずもない、それほど遠い人だった。
しかし、ただ近くにいるだけでもいい。
思いつめたリチャードは、文字通り、すべてを捨てた。
いや、それは逆かもしれない。
すべてを捨てて手に入れた冒険者生活から、彼が捨てた元の世界、貴族社会へと舞い戻ったのだから。
両親に頭を下げ、母方の爵位で空位になっていた爵位をもらい、遠い存在のその人に少しでも近づけるように、騎士団の試験を受けた。
彼の行動は、もちろんなんの意味もないだろう。
あの人はリチャードの存在など、全く知りもしないのだから。
そしていずれは、他の誰かのモノになるのも、分かっている。
噂では結婚も間近と言われていた。
それでも、思いを断ち切ることがどうしてもできなかった。
そんなリチャードが恋に落ちたのは、今から半年ほど前のことだ。
リチャードはその日の少し前、奇妙な依頼を受けた。
次の満月の晩、月花草を採取し、次の日までに戻ってくること。
月花草は、高地にあること以外は特別珍しい植物ではない。
それをわざわざ依頼して採取ということも変わっていたし、もちろん魔物が多い夜に行うのは危険すぎる依頼だ。
そして依頼料は、そういった事情を差し引いても十分すぎるくらい高額だった。
リチャードは自分と同じAランクの冒険者3名とパーティーを組み、協力して依頼を達成した。
もっとも、満月の晩に月花草を採取する意味はよく分からなかったし、帰りに毒を持つ魔物に怪我を負わされたせいで、リチャードとしては依頼達成したものの、少々後味の悪い結果となった。
そうしてリチャードが冒険者ギルドに付属している治療院で傷の手当と毒消しをしていた時だった。
フードを被った男性が、部屋に突然乱入してきたのだ。
「君かい?
月花草を採取してきてくれた男性は」
涼やかな声が、耳に心地よかった。
そして、その甘い体臭を鼻腔に感じた途端、リチャードの心臓は恐ろしいほど早くなった。
オメガだ! と、リチャードは瞬時に悟った。
実を言うと、成人してから、オメガに会うのは初めてだった。
はなから貴族であることに興味はないし、オメガと出会うとか、番になるとかを全く考えていなかったというのに。
本能は抗いきれないものらしい。
「あ……ああ、そうだ」
リチャードはやっとのことでそれだけを告げた。
(依頼者は、彼だ。
なるほど魔法宮からの依頼。
高額なはずだ)
リチャードは頭の片隅でそんなことを考えた。
しかしそれ以上に頭を占めていたのは、リチャードに近づいてくるオメガの顔を見たいという欲求と、番を求めてはちきれんばかりになっている欲望、衝動を、抑えることだった。
「傷を見せてもらえるかな?」
リチャードはそのオメガの男性の言うがままに従い、噛まれた左腕の袖をまくり上げた。
甘い匂いに、頭の奥が熱くシビれるような感覚が襲う。
そして……男性がリチャードの傷をよく見ようとフードから顔を覗かせた瞬間。
時間が止まった。
長い銀髪。
温かみのある赤灰色の瞳。
紅い唇。
美しい容貌に、息することも忘れてただ見つめていた。
その男性は無言でリチャードの傷口に手をかざした。
魔法を施そうとしているのは間違いなかった。
リチャードの左腕のぱっくりと大きく開いた傷口が、瞬間熱を帯びた。
思わず身動ぎした時には、痛みはもちろん毒の作用で痺れていた左腕が、綺麗に治っていた。
「スゴイ!」
傍らにいた治療師が感嘆の声を上げた。
一ヶ月は痺れが取れないと、リチャードはつい5分前に治療師に聞かされたばかりだったのだ。
その毒と傷を、瞬く間に治療するほど、高位の魔術師。
しかも、恐ろしいほどの美貌。
まちがいない。
「あなたは……ジェフリー・レブル様でございますか?」
フードを深くかぶりなおし、立ち去ろうとした男性に、リチャードは不敬も構わず話しかけた。
「……月花草、助かったよ。
自分では取りに行けないから」
彼は小さく微笑むとそのまま立ち去った。
……否定、しなかった。
違うなら、はっきり違うと答えたはずだ。
少なくとも魔法宮長官に間違えられて、否定しないはずはない。
だから……それが答えだと、リチャードはそう思った。
そして……次期王妃候補筆頭で、最も恋をしてはいけない相手に恋をしたとリチャードが自覚したのは……その直後のことであった。
それも、ただ一度、会っただけの人物に。
相手はリチャードのことなど覚えていないだろう。
しかしリチャードの思いは強く、激しく、自分でも戸惑うばかりだ。
諦めることも、かと言って、手に入るはずもない高嶺の花。
二度と、会うはずもない、それほど遠い人だった。
しかし、ただ近くにいるだけでもいい。
思いつめたリチャードは、文字通り、すべてを捨てた。
いや、それは逆かもしれない。
すべてを捨てて手に入れた冒険者生活から、彼が捨てた元の世界、貴族社会へと舞い戻ったのだから。
両親に頭を下げ、母方の爵位で空位になっていた爵位をもらい、遠い存在のその人に少しでも近づけるように、騎士団の試験を受けた。
彼の行動は、もちろんなんの意味もないだろう。
あの人はリチャードの存在など、全く知りもしないのだから。
そしていずれは、他の誰かのモノになるのも、分かっている。
噂では結婚も間近と言われていた。
それでも、思いを断ち切ることがどうしてもできなかった。
そんなリチャードが恋に落ちたのは、今から半年ほど前のことだ。
リチャードはその日の少し前、奇妙な依頼を受けた。
次の満月の晩、月花草を採取し、次の日までに戻ってくること。
月花草は、高地にあること以外は特別珍しい植物ではない。
それをわざわざ依頼して採取ということも変わっていたし、もちろん魔物が多い夜に行うのは危険すぎる依頼だ。
そして依頼料は、そういった事情を差し引いても十分すぎるくらい高額だった。
リチャードは自分と同じAランクの冒険者3名とパーティーを組み、協力して依頼を達成した。
もっとも、満月の晩に月花草を採取する意味はよく分からなかったし、帰りに毒を持つ魔物に怪我を負わされたせいで、リチャードとしては依頼達成したものの、少々後味の悪い結果となった。
そうしてリチャードが冒険者ギルドに付属している治療院で傷の手当と毒消しをしていた時だった。
フードを被った男性が、部屋に突然乱入してきたのだ。
「君かい?
月花草を採取してきてくれた男性は」
涼やかな声が、耳に心地よかった。
そして、その甘い体臭を鼻腔に感じた途端、リチャードの心臓は恐ろしいほど早くなった。
オメガだ! と、リチャードは瞬時に悟った。
実を言うと、成人してから、オメガに会うのは初めてだった。
はなから貴族であることに興味はないし、オメガと出会うとか、番になるとかを全く考えていなかったというのに。
本能は抗いきれないものらしい。
「あ……ああ、そうだ」
リチャードはやっとのことでそれだけを告げた。
(依頼者は、彼だ。
なるほど魔法宮からの依頼。
高額なはずだ)
リチャードは頭の片隅でそんなことを考えた。
しかしそれ以上に頭を占めていたのは、リチャードに近づいてくるオメガの顔を見たいという欲求と、番を求めてはちきれんばかりになっている欲望、衝動を、抑えることだった。
「傷を見せてもらえるかな?」
リチャードはそのオメガの男性の言うがままに従い、噛まれた左腕の袖をまくり上げた。
甘い匂いに、頭の奥が熱くシビれるような感覚が襲う。
そして……男性がリチャードの傷をよく見ようとフードから顔を覗かせた瞬間。
時間が止まった。
長い銀髪。
温かみのある赤灰色の瞳。
紅い唇。
美しい容貌に、息することも忘れてただ見つめていた。
その男性は無言でリチャードの傷口に手をかざした。
魔法を施そうとしているのは間違いなかった。
リチャードの左腕のぱっくりと大きく開いた傷口が、瞬間熱を帯びた。
思わず身動ぎした時には、痛みはもちろん毒の作用で痺れていた左腕が、綺麗に治っていた。
「スゴイ!」
傍らにいた治療師が感嘆の声を上げた。
一ヶ月は痺れが取れないと、リチャードはつい5分前に治療師に聞かされたばかりだったのだ。
その毒と傷を、瞬く間に治療するほど、高位の魔術師。
しかも、恐ろしいほどの美貌。
まちがいない。
「あなたは……ジェフリー・レブル様でございますか?」
フードを深くかぶりなおし、立ち去ろうとした男性に、リチャードは不敬も構わず話しかけた。
「……月花草、助かったよ。
自分では取りに行けないから」
彼は小さく微笑むとそのまま立ち去った。
……否定、しなかった。
違うなら、はっきり違うと答えたはずだ。
少なくとも魔法宮長官に間違えられて、否定しないはずはない。
だから……それが答えだと、リチャードはそう思った。
そして……次期王妃候補筆頭で、最も恋をしてはいけない相手に恋をしたとリチャードが自覚したのは……その直後のことであった。
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