176 / 376
第八章 霜月(十一月)
172.十一月一日 丑三つ時 受難の巫女
しおりを挟む
いつものようにみんなでおしゃべりをしていた放課後の帰り際、綾乃は自分でも驚くほど積極的に『とあること』を提案していた。だがそれが不幸な出来事の発端になるとはこの段階で誰が想像できただろうか。
「ねえ八早月ちゃん、その人形なんだけど今日は私が連れて帰っていいかな?
週末で時間が空いた時にきれいにしてあげたいんだよね。
間違いなく呪われていたり、妖が乗り移っているわけじゃ無いんでしょ?」
「そうね、モコもわかっていると思うのだけれど、脅威を感じるものではないわ。
綾乃さんの自宅は結界もちゃんとしているし問題はないでしょう。
今のところ実害と言えるのは声が聞こえると言うことくらいだものね」
「それって私には聞こえないみたいだから気にならないね。
せっかくかわいいお顔しているんだもん、ちゃんと綺麗にしてあげないとかわいそうだからさ」
そんなやり取りを経て連れ帰ってきた人形を、今は帰宅後に学習机の上に座らせてある。明らかにくたびれているその躯体は、綾乃が一目で見立てた通り少し年代物の球体関節人形であったのだが、各関節を繋いでいるゴム紐が大分弱っているようだ。
綾乃が元々所有している人形はまだ新しく、中学へ上がる際に親戚のお姉さんからお祝いで贈られた物だ。それまではぬいぐるみばかりだった部屋にクラシカルなドレスを纏った姿が加わりちょっとしたアクセントとなり、綾乃お気に入りの一体である。
みんなが遊びに来た時に気がつかなかったのは、きっと学習机に貼ってあるカレンダーと色合いが似ていたからだろう。だってこんなに素敵なのだから気が付いたなら興味を持たれないはずがない、などと思いながら預かった人形と見比べていた。
その後、汚れている服を脱がせ洗面所で漬け置き洗いにし、代わりに手持ちのワンピースを着せてあげるとまあまあ小奇麗に見えた。人形の表面も汚れているのだが、まさか水洗いするわけにはいかないだろうと手入れの方法を教えてもらうために叔母へメッセージを送っておいた。
こんな風に丁寧に、愛情をもって接してから就寝したはずなのに――
「―― サムイ…… サムイヨ……」
かすかに何かの声が聞こえた気がした綾乃は、夢うつつながら目を覚まして耳を澄ませてみる。すると空耳ではなく誰かの声が聞こえてくるのだった。
「サムイノ…… オネガイ…… サムイ……」
自宅には神杭による結界が効いているので妖が入ってくることはめったにないはず。と言うことは声の主は妖ではないのか、それとも綾乃が連れて入ってしまったのがいけなかったのだろうか。
いずれにせよ声の主はどう考えてもあの人形である。みんなといる時には声なんて聞こえなかったと言うのに、よりによって一人になってから聞こえてくるなんて信じられない。だがこれも巫女の力のなせる技なのか、などと考えてみる。
しかしそんなことを考えてばかりはいられない。この状況で綾乃が頼れるのはただ一人? いや一匹だけ。何とか声を振り絞り自身の遣いに助けを求めた。
「藻孤? お願い助けて! モコったら! 聞いてるの?
聞こえたら助けに来て! お願いだから!」
『主? こんな夜中に珍しいな。何かあったのか?』
「モコには聞こえないの? あの人形がしゃべってるのよ!
お願い、早く助けに来てよ」
『なんだ、怖いのか? 主も意外にだらしないんだな。
俺みたいな狐だってしゃべるんだから人形だってしゃべるくらいわけないだろ?
なんの害意も悪意も感じないから気にしないで寝てりゃいいさ』
「なんでそんな冷たいこと言うのよ、怖いものは怖いんだから仕方ないでしょ!
いいから早くこっちに来なさい!」
いつもは撫でろだ膝に乗せろだうるさく言う割に、こういうときには素直に従ってくれないのは綾乃が完全に舐められているせいに違いない。綾乃はそう考えたのだが真相は異なっていた。
モコが言う通り、人形からは悪意が発せられていないため、遣いとしての防衛本能が働かない。そのため何から身を護るよう命じられたのかが理解できないのだ。いくら可愛らしい子狐の姿であっても神から遣わされた存在である。愛玩動物のような扱いでは素直に従うはずがなかった。
それでも根気強く言い聞かせた結果、モコはしぶしぶ綾乃の側に現れる。しかし外敵がいるわけでもなく何をすればいいかがわからない。ただただ怯える綾乃の側に寄り添うだけだった。
◇◇◇
翌日、綾乃はほぼ眠れずに朝早くから人形の服を乾かしてから元のように着せ、丁寧に包んで学校へ連れてきた。もちろん早急に八早月へ返すためだ。
「八早月ちゃんおはよう…… 昨晩はもう大変だったよ……
ずっと寒い寒いって言っててね、怖くて眠れなかったもん」
「それは大変だったわね、でもうるさいくらいで実害はなかったでしょう?
ああ、眠れなかったのは実害かもしれないわね」
「そうなのよ、気にしなければいいってわかってるんだけどね。
私はまだまだ未熟だからどうしても怯えてしまうんだわ。
そして今日は授業中に寝不足とも戦わないといけないしね……」
こうして早々と人形の世話を断念した綾乃は、再び八早月へと託し肩の荷を下ろしたのだった。この件で株を上げたモコだけが一人満足げだったのは内緒の話である。
「ねえ八早月ちゃん、その人形なんだけど今日は私が連れて帰っていいかな?
週末で時間が空いた時にきれいにしてあげたいんだよね。
間違いなく呪われていたり、妖が乗り移っているわけじゃ無いんでしょ?」
「そうね、モコもわかっていると思うのだけれど、脅威を感じるものではないわ。
綾乃さんの自宅は結界もちゃんとしているし問題はないでしょう。
今のところ実害と言えるのは声が聞こえると言うことくらいだものね」
「それって私には聞こえないみたいだから気にならないね。
せっかくかわいいお顔しているんだもん、ちゃんと綺麗にしてあげないとかわいそうだからさ」
そんなやり取りを経て連れ帰ってきた人形を、今は帰宅後に学習机の上に座らせてある。明らかにくたびれているその躯体は、綾乃が一目で見立てた通り少し年代物の球体関節人形であったのだが、各関節を繋いでいるゴム紐が大分弱っているようだ。
綾乃が元々所有している人形はまだ新しく、中学へ上がる際に親戚のお姉さんからお祝いで贈られた物だ。それまではぬいぐるみばかりだった部屋にクラシカルなドレスを纏った姿が加わりちょっとしたアクセントとなり、綾乃お気に入りの一体である。
みんなが遊びに来た時に気がつかなかったのは、きっと学習机に貼ってあるカレンダーと色合いが似ていたからだろう。だってこんなに素敵なのだから気が付いたなら興味を持たれないはずがない、などと思いながら預かった人形と見比べていた。
その後、汚れている服を脱がせ洗面所で漬け置き洗いにし、代わりに手持ちのワンピースを着せてあげるとまあまあ小奇麗に見えた。人形の表面も汚れているのだが、まさか水洗いするわけにはいかないだろうと手入れの方法を教えてもらうために叔母へメッセージを送っておいた。
こんな風に丁寧に、愛情をもって接してから就寝したはずなのに――
「―― サムイ…… サムイヨ……」
かすかに何かの声が聞こえた気がした綾乃は、夢うつつながら目を覚まして耳を澄ませてみる。すると空耳ではなく誰かの声が聞こえてくるのだった。
「サムイノ…… オネガイ…… サムイ……」
自宅には神杭による結界が効いているので妖が入ってくることはめったにないはず。と言うことは声の主は妖ではないのか、それとも綾乃が連れて入ってしまったのがいけなかったのだろうか。
いずれにせよ声の主はどう考えてもあの人形である。みんなといる時には声なんて聞こえなかったと言うのに、よりによって一人になってから聞こえてくるなんて信じられない。だがこれも巫女の力のなせる技なのか、などと考えてみる。
しかしそんなことを考えてばかりはいられない。この状況で綾乃が頼れるのはただ一人? いや一匹だけ。何とか声を振り絞り自身の遣いに助けを求めた。
「藻孤? お願い助けて! モコったら! 聞いてるの?
聞こえたら助けに来て! お願いだから!」
『主? こんな夜中に珍しいな。何かあったのか?』
「モコには聞こえないの? あの人形がしゃべってるのよ!
お願い、早く助けに来てよ」
『なんだ、怖いのか? 主も意外にだらしないんだな。
俺みたいな狐だってしゃべるんだから人形だってしゃべるくらいわけないだろ?
なんの害意も悪意も感じないから気にしないで寝てりゃいいさ』
「なんでそんな冷たいこと言うのよ、怖いものは怖いんだから仕方ないでしょ!
いいから早くこっちに来なさい!」
いつもは撫でろだ膝に乗せろだうるさく言う割に、こういうときには素直に従ってくれないのは綾乃が完全に舐められているせいに違いない。綾乃はそう考えたのだが真相は異なっていた。
モコが言う通り、人形からは悪意が発せられていないため、遣いとしての防衛本能が働かない。そのため何から身を護るよう命じられたのかが理解できないのだ。いくら可愛らしい子狐の姿であっても神から遣わされた存在である。愛玩動物のような扱いでは素直に従うはずがなかった。
それでも根気強く言い聞かせた結果、モコはしぶしぶ綾乃の側に現れる。しかし外敵がいるわけでもなく何をすればいいかがわからない。ただただ怯える綾乃の側に寄り添うだけだった。
◇◇◇
翌日、綾乃はほぼ眠れずに朝早くから人形の服を乾かしてから元のように着せ、丁寧に包んで学校へ連れてきた。もちろん早急に八早月へ返すためだ。
「八早月ちゃんおはよう…… 昨晩はもう大変だったよ……
ずっと寒い寒いって言っててね、怖くて眠れなかったもん」
「それは大変だったわね、でもうるさいくらいで実害はなかったでしょう?
ああ、眠れなかったのは実害かもしれないわね」
「そうなのよ、気にしなければいいってわかってるんだけどね。
私はまだまだ未熟だからどうしても怯えてしまうんだわ。
そして今日は授業中に寝不足とも戦わないといけないしね……」
こうして早々と人形の世話を断念した綾乃は、再び八早月へと託し肩の荷を下ろしたのだった。この件で株を上げたモコだけが一人満足げだったのは内緒の話である。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
訳あって学年の三大美少女達とメイドカフェで働くことになったら懐かれたようです。クラスメイトに言えない「秘密」も知ってしまいました。
亜瑠真白
青春
「このことは2人だけの秘密だよ?」彼女達は俺にそう言った―――
高校2年の鳥屋野亮太は従姉に「とあるバイト」を持ちかけられた。
従姉はメイドカフェを開店することになったらしい。
彼女は言った。
「亮太には美少女をスカウトしてきてほしいんだ。一人につき一万でどうだ?」
亮太は学年の三大美少女の一人である「一ノ瀬深恋」に思い切って声をかけた。2人で話している最中、明るくて社交的でクラスの人気者の彼女は、あることをきっかけに様子を変える。
赤くなった顔。ハの字になった眉。そして上目遣いで見上げる潤んだ瞳。
「ほ、本当の私を、か、かかか、可愛いって……!?」
彼女をスカウトしたことをきっかけに、なぜか「あざと系美少女」や「正体不明のクール系美少女」もメイドカフェで働くことに。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?
宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。
栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。
その彼女に脅された。
「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」
今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。
でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる!
しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ??
訳が分からない……。それ、俺困るの?
負けヒロインに花束を!
遊馬友仁
キャラ文芸
クラス内で空気的存在を自負する立花宗重(たちばなむねしげ)は、行きつけの喫茶店で、クラス委員の上坂部葉月(かみさかべはづき)が、同じくクラス委員ので彼女の幼なじみでもある久々知大成(くくちたいせい)にフラれている場面を目撃する。
葉月の打ち明け話を聞いた宗重は、後日、彼女と大成、その交際相手である名和立夏(めいわりっか)とのカラオケに参加することになってしまう。
その場で、立夏の思惑を知ってしまった宗重は、葉月に彼女の想いを諦めるな、と助言して、大成との仲を取りもとうと行動しはじめるが・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる