限界集落で暮らす女子中学生のお仕事はどうやらあやかし退治らしいのです

釈 余白(しやく)

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第八章 霜月(十一月)

199.十一月二十四日 早朝 夫婦鍛錬

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 寝る直前の状況からして寝不足になるかと思った飛雄だったが、思いのほか早く眠ることができた。それでもやはり完全には落ち着くことができなかったのか、いつもより早めに眼を覚ます。

 目覚めは良く頭はすっきりしている、だが起きてみると真宵がすぐそばに移動しておりそのすぐ向こうに八早月が転がり出ていたことで一気に緊張感を高めてしまった。

「お、おはようございます…… 本当にものすごく寝相悪いんですね。
 ちょっとイメージと違い驚きました」

「左様でございます、これでも一度は押し戻したのですが……
 お一人の時は部屋の隅まで行って戻ってきたりと非常に自由奔放なのです。
 飛雄殿がこのようなことで八早月様を嫌わずにいて下さると嬉しいのですが……」

「いやいやこの程度なんてことありません! やっ、深い意味では無く……
 真宵さん! 今の言葉、彼女には内緒でお願いします……」

「私が言うのはなんですが、そのまま聞かれていてもなにも起きないかと……
 先日の祭りでの出来事、本当に申し訳なく主に変わって謝罪いたします」

 先日の件とはもちろん飛雄が八早月へ告白したことで、そのことを真宵が承知していることくらいはわかっている。かと言って改まって謝られるようなことではなく、真宵の好意による行為が、飛雄には却って羞恥を煽るものとなったことは言うまでもない。

「う、うーん、あら? おはようございます、飛雄さん随分と早起きなのですね。
 寝不足ではないですか? あまり無理の無いようお願いしますよ?
 このまま起きるのであれば共に顔を洗いに参りますか? 歯ブラシも用意しましょう」

 あれよあれよと言う間に庭の井戸の前へと移動した二人は冷水で顔を洗い、仲良く並んで歯磨きを始めた。それを背後から見ながら目を細めているのはタオルを運んできた玉枝である。

「お嬢様、こちらに手ぬぐいと髪紐を置いときますでね?
 ぼっちゃまと並んでいると若夫婦のようでいですねえ、ホンに愛い愛い」

「んーんー、んんんんー」

 八早月は玉枝へ年甲斐もなく冷やかさないようにと言いたそうだったが、歯磨き中で抵抗できず言われるがままだ。とは言え、そのうち見慣れて飽きるだろうと放っておくことにした。

「さ、飛雄さん、タオルどうぞ。ほうじ茶は苦手ではないですか?
 私はスースーが苦手で歯を磨いた後にほうじ茶を飲む習慣があるのです」

「うん平気、オレもほうじ茶貰おうかな。別にスースー苦手じゃないけど」

 八早月がスースーが苦手と言ったのがとても可愛らしく、真似して同じ表現をした飛雄は自分なりに精いっぱい自然な笑みを浮かべた。しかし付け焼刃な行為はどうやら様になっていなかったらしく、八早月の表情には明らかな不満が浮かんでいた。

『なんだよ姉ちゃん、全然ダメじゃねえかよ…… これだからモテない女の言うことは……』

 出がけに零愛が吹き込んできた、年頃の女の子は異性のちょっとしたやさしさや意外なタイミングでの笑顔を切っ掛けに意識し始めるというのはなんだったのか。それとも自分の笑顔がおかしかったのか、飛雄には正解がわからない。

「それではお茶を飲んだら始めましょうか。
 よろしければ私が鍛錬用に作成したばっとをお貸ししますよ?」

「へえ、自分で作ったのか、随分と器用な事するんだな、ちょっと意外。
 家業は鍛冶師と言っていたけどもしかして、や、八早月も鉄をつのか?」

「家業ですしそれほど意外ではないと思うのですが?
 ただこのまま継ぎたいとは考えていないので婿を取るつもりですよ」

 そこへまたタイミングよく表れた房枝は、丸盆に乗せたお茶を置きながら、まさに余計な茶々を入れてきた。

「ぼっちゃま? お嬢様は常々おっしゃっているんですわ。
 鍛冶は熱いし暑いからなるべくならやりたくないとね。
 ですから婿殿が鍛冶を覚えてくれないと困るんです、覚えておいて下せえね?」

「あ、はあ…… えっ? はい! しっかりと覚えておきます!
 でもどうしてみなさんそんなに…… なんと言うか、その……」

「ぼっちゃまのような年頃のええ男子は貴重でっからねえ。
 生きてるうちにお世継ぎ様が見てえで早く早くってせっつきたくもなるですよ」

「あはは、気が早いですね………………―― えっ!? オレ!?」

 房枝の言葉に飛雄は思わず大声を上げてしまった。それはもちろんすぐ隣にいる八早月にも聞こえている。赤面した飛雄は恐る恐る八早月へと向き直った。目に入ったのは予想に反して怒りや嫌悪感を出すようなこともなく微笑んでいる少女の姿だ。

「房枝さんは本当に気が早いですね。どうせあと二十年は努めているでしょう?
 私もせめて高校くらいは行ってみたいですから気長に待っていてくださいな。
 さ、戯言はここまで、稽古を始めましょうか」

 もしかしたらいい雰囲気になるとか、この間の件が本気だと認識してもらえるだとか、一瞬でも考えてしまった飛雄は一気に現実へと引き戻された。それは手渡された八早月手製のバットの重さのせいでもある。

おっも! こんなの振りまわして鍛錬してるとかマジかよ……
 もしかして俺よりも力あるんじゃないのか?」

「まさかそんなわけありませんよ、私は腕力で振り回していたのではありません。
 あくまで体をうまく使うために高負荷をかけるのが目的です」

 本当は普通の木刀と同じように振り回していたのだが、綾乃からは男子の前でそういうことを言うと相手が落ち込んでかわいそうだから控えるようにと指導を受けていた。

 だが本当は、男子に引かれてしまってばかりでは、いつまで経ってもまともな恋が出来るはずもないと考えた綾乃の作戦である。もちろん現段階で想定されている相手は飛雄であり、今日は二人の距離を詰めるには絶好の機会だと思われていた。

 そしてその甲斐があったのかなかったのかは不明ながら、珍しく八早月から恋愛話のような・・・・言葉が発せられた。

「それにしても先ほどはごめんなさい、房枝さんが唐突におかしなこと言いだして。
 あんなこと聞かされても困ってしまうわよね、本当に心配性で困ってしまうわ。
 それに世継ぎだなんてね、私は幕府の将軍ではないのだけれど」

「そ、そうだな、確かに心配性なんだろう、まあでも大切なことだもんな。
 まさかオレにそんなこと言ってくるとは思って無かったけどさ」

 そうは言いながらいまだに少しは期待している飛雄である。だが八早月の口から出たのはそれらを全てひっくり返すようなことだった。

「そう、確かに大切だわ、もう房枝さんも六十八だったかしらね。
 子供を儲けるのが早くて十七、八だとしてもまだあと五年はあるんですもの。
 きっと長生きしてくれるとは思っているけれど、まさかということもあるわよね」

「ん? んん? そっち?」

「え? そっちとはどういう意味かしら?」

「いやいやなんでもない、あ、あと五年くらいで結婚するつもりなのか?
 高校卒業してすぐってこと? ちょっと早すぎやしないか?」

「そうかしら、私は特にこだわりないの早いともおかしいとも思いませんね。
 でも飛雄さんは早く結婚したくないと言うことなのかしら?」

「いや、そんなことない! 今すぐにだってしたいくらいだよ!
 違う違う、今すぐってのはそういう意味じゃなくて、つ、付き合うとかそういうことで……」

「そんな真剣にならなくてもいいのに、でも願望はあることはわかったわ。
 うふふ、真面目そうな飛雄さんにそんな強く想われてる方はとても幸せね。
 さきほど私の子供っぽいところを真似されたからもっと意地悪なのかと思いこんでしまうところだったわ」

 この発言は飛雄にとって良かったのか悪かったのか判断がつかない。性悪だなんて誤解を受けなかったことは喜ばしいが、このまま八早月ではない想い人がいると思われているのは困る。

 もう一度あの時の惨劇を繰り返すべきなのかどうか悩みつつ、八早月に続いてバットを振り始めた。こうしてタイミングを失いどうしていいかわからなくなった飛雄は黙々と素振りをし、八早月は立木を前に木刀で打ち込みを続ける。

 二人の鍛錬は辺りが大分白んでくるまで無言のまま続き、飛雄はいい加減腕が痺れておりすぐにでもやめたかった。だが八早月が続けている限り先に終わらせるわけにはいかない。そんな情けない姿は絶対に見せられないと、棒のようになりつつある腕に鞭を入れなんとかついていくことができた。

「このくらいの時間になると私は走りに行くのですが、飛雄さんはどうしますか?
 野球の練習では走らないのなら一緒に行くことも無いでしょう?」

「いや、野球も練習で走るスポーツだよ、持久力を付けたり精神力を鍛えたりさ。
 まあでも長距離と言うよりは中距離やダッシュを繰り返すことが多いかなぁ」

「いつもの道のりだとおよそ三十分程度です、山道ですが一緒に参りますか?
 初めてだと上り下りがきついようなので無理はしないで下さいね」

 八早月の気遣いは嬉しいが、見くびられた物だと飛雄は少々落胆していた。別に優位に立ちたいとまでは考えていないが、それでも全てにおいて劣っているのは悔しいと感じているのだが、それは男女友人恋人と関係問わず当然の感情だろう。

 こうして、少しくらいは認めてもらいたいと考えながら八早月について走り始めた飛雄だったがそれほど心配する必要は無かった。いくら相手がトンデモ中学生だと言っても飛雄は四歳も年上で日々厳しい練習を自分へ課している高校球児なのだ。単純な体力だけなら十分に勝っていた。

 八早月は八早月でそう思わせるようにと綾乃からきつく言われており、最初はいつもよりだいぶ抑え目で走っていた。しかし飛雄が思いのほか楽々ついてくるので悪戯心が抑えきれなくなり、途中から足を速めていきやがていつもと同じペースになっていた。

 結局自宅へ戻ってくるまで飛雄は余裕で付いてきて、さすがの八早月もこれには驚くしかなかった。これは身近な男性を初めてたくましく、そして頼もしく感じた瞬間でもある。

 八早月にとっての飛雄は、八畑村のような山奥の僻地への順応力が高そうで、もし家業を継ぐ長男ではなく、心に決めた相手もいなかったなら格好の婿候補になったかもしれないと思わせる程には高評価だった。そのことを飛雄が知ったなら飛び上がって喜んだであろうが、残念ながら八早月がそんなことをわざわざ口にするはずが無い。

 どちらも自身を鍛えることに手は抜かず鍛錬に邁進まいしんする努力家で、バカがつくほど正直で素直な好人物と言う似た者同士だ。それなのに飛雄の気持ちは八早月へうまく伝わらない。

 色恋沙汰にあまり興味はない真宵でもそれくらいはすぐに考えてしまうほど、この二人の関係はもどかしくむず痒いものだった。
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