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第十章 睦月(一月)
269.一月二十一日 夜 終宴
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夜も当に更けだいぶ遅い時間となってから、現在は皆を送って行くため車を出してもらっている。文句ひとつ言わず嫌な顔を見せたことの無い板倉は、いつもと変わらず機嫌よく車を走らせるだけだ。
そんな車内の助手席には一人首をかしげる飛雄が陣取っている。八早月の許嫁となって始めてやってきた今回、期待を裏切り二人で過ごす時間は皆無だった。それどころかろくに相手にさえしてもらえなかったのだ。
何よりショックだったのは、夕飯で食堂へ集まった時に『あっ、飛雄さん!』と八早月が驚いたような言葉を口にしたことである。あれはどう見ても存在をすっかり忘れていたと言うそぶりだった。
だがそんなことを今更考えてももう遅い、これから久野駅でローカル線に乗ってターミナル駅の瑞間へつくころには、白波町へ帰るための電車は最終に近い。つまり取り返す時間は無く手遅れと言うことである。
もし九遠の高等部に野球部があったなら本気で編入していたかもしれないし、なんなら近隣の高校でも構わない。が、しかし、今から編入したら一年間の公式戦出場制限がかかり、高校ではもう野球の練習しかできないことになってしまう。
「よしっ、がんばろ!」
飛雄が小声で気合を入れると、板倉が運転席から手を伸ばし肩をポンポンと叩き親指を立てる。どうやら男同士何か通ずるものがあるようだ。そう感じている飛雄だが、板倉はクリスマスに見合いをした山本小鈴と悪くない関係になっており、大人らしく一歩先へ行っているなんてことは知るはずもなかった。
途中で美晴と夢路を下ろし久野駅へと向かう。だが別れを惜しむ恋人と言う雰囲気を期待するのは無駄だ。八早月は中央座席で姉たちとおしゃべりに夢中で飛雄に関心を持っている気配すらない。もしかしたら本当に手ごろな相手だったから許嫁にしたのだろうかとの気持ちが頭をよぎる程度にはナイーブな高校男子である。
次に綾乃を家で下すといよいよ別れが迫ってきた実感が湧いてくる。これは飛雄だけではなく三人に共通した気持ちだった。例えオマケだとしても飛雄にとって八早月と会える数少ない機会、来ないと言う選択肢はない。
それだけに飛雄は、なにも出来ない自分の情けなさを恥じているのだ。ホームまでやって来てもまだ何の行動も起こさず声をかけることすらできないでいても、刻一刻と電車の時間は迫ってくる。
だがここで意を決したように大きく深呼吸をして八早月へと向き合おうと立ち上がった飛雄の目に映ったのは、離れていく八早月と零愛の後姿だった。がっくりと肩を落としまた待合室の椅子へと腰かけた。
「まったく情けねえ、オレはなんてヘタレなんだ、一言二言伝えるだけだろが。
楽しかったとかありがとうとか、また会いに来るとか言えるだろうに……」
「そうですよ、飛雄さん、今回は来てくれてありがとうございました。
これ、お勧めの温かいミルクティーを買ってきましたから飲んでくださいね。
次はまた私が行こうと思ってますが、すぐ行けるかどうかはわかりません。
来週はちょっと忙しいと思うので……」
「なんだ! もう戻って来てたのか、紅茶ありがとうな。
オレも楽しかったよ、うまいこと時間作って話せなくて悪かったけどさ。
焦らずにいたいとは思うんだけど、やっぱ離れてるのって不安なもんだなあ」
「ふふ、その通りですね、離れていると恋仲は成り立たないと考えていました。
それはやはりそうかもしれませんが、会いたいと思う気持ちが強くなるかなと。
今は少しだけそんな風に感じているのですよ」
飛雄はこの言葉に感極まり、熱いものが込み上げてくるとはこう言う事かと涙をこらえる。もっと男として成長していたなら自分からもうまい言葉がかけられただろうし、抱きしめることもできただろう。そんなことを考えていたその時――
突然八早月が飛雄に抱きついてきた。さすがに映画やドラマのようにキスシーンとはならないが、戸惑って鼓動を早めるには十分な行動である。初めて女子に抱きつかれた飛雄は当然平常心ではいられない。
一つ想像と異なっていたのは、まるで近所の野球小僧のような骨ばった八早月の感触と、あばらが折れるんじゃないかと恐怖心さえ覚えるほど強烈に締め付けてくる鍛え上げられた両腕だった。
「や、八早月、またすぐ会えるよな、オレも出来るだけ来るからさ」
「はい、お慕い申し上げておりますよ、飛雄さん―――― あの?
―― こういう時はキスすべきなのでしょうか? でも人前ですし……」
「なっ! いやいいって、まだ早いよ、多分…… そのうち、そのうちにな」
飛雄の視界には姉の零愛も入っていたが珍しく後ろを向いている。どうやらあの傲慢な暴力女子にも、配慮と言う概念はあるらしいと飛雄は感心していた。だが実は抱きつけと八早月をけしかけたのは零愛であり、後ろを向きながらもスマホのカメラでちゃんと様子を確認していた。この様子はもちろん後ほど皆のつまみになるのである。
やがて電車はやってきて二人を連れ去って行った。後に残された八早月は少し寂しそうである。発車する電車の中からその姿を見ながら手を振る飛雄は『今のオレってちょっとポエマーでキモかったな』と反省しきりである。
「トビ、随分と寂しそうじゃないか、まあ当たり前だとは思うけどさ。
ちゃんと八早月のことが好きだってわかって良かっただろ? 向こうもね」
「なんだよ、気持ち悪いな、いつもみたいに冷やかさないのかよ。
どうせなんか企んでるんだろうけどさ、でも来て良かったぜ、許嫁だもんなあ」
「はっ、アツいアツい、ごちそうさま過ぎてムカついてきた。
この写真を野球部の連中にばらまいてやっかなー」
「おい! いつの間に撮ったんだよ! 珍しく覗いてないって感心してたのに!
ふざけんな、消せよ! はやく、こらっ! よこせ!」
「うるさいよトビ、しっ、しー」
数は少ないが他にも乗客のいる車内で二人の騒ぐ声は目立ちすぎた。視線に痛みを感じた姉弟がようやく黙ると車内に静けさが戻ってくる。それは櫛田家の庭のような静けさではないが、ガタンゴトンと定期的なリズムを奏でる電車の音と揺れがいつしか眠気を誘っていた。
そんな車内の助手席には一人首をかしげる飛雄が陣取っている。八早月の許嫁となって始めてやってきた今回、期待を裏切り二人で過ごす時間は皆無だった。それどころかろくに相手にさえしてもらえなかったのだ。
何よりショックだったのは、夕飯で食堂へ集まった時に『あっ、飛雄さん!』と八早月が驚いたような言葉を口にしたことである。あれはどう見ても存在をすっかり忘れていたと言うそぶりだった。
だがそんなことを今更考えてももう遅い、これから久野駅でローカル線に乗ってターミナル駅の瑞間へつくころには、白波町へ帰るための電車は最終に近い。つまり取り返す時間は無く手遅れと言うことである。
もし九遠の高等部に野球部があったなら本気で編入していたかもしれないし、なんなら近隣の高校でも構わない。が、しかし、今から編入したら一年間の公式戦出場制限がかかり、高校ではもう野球の練習しかできないことになってしまう。
「よしっ、がんばろ!」
飛雄が小声で気合を入れると、板倉が運転席から手を伸ばし肩をポンポンと叩き親指を立てる。どうやら男同士何か通ずるものがあるようだ。そう感じている飛雄だが、板倉はクリスマスに見合いをした山本小鈴と悪くない関係になっており、大人らしく一歩先へ行っているなんてことは知るはずもなかった。
途中で美晴と夢路を下ろし久野駅へと向かう。だが別れを惜しむ恋人と言う雰囲気を期待するのは無駄だ。八早月は中央座席で姉たちとおしゃべりに夢中で飛雄に関心を持っている気配すらない。もしかしたら本当に手ごろな相手だったから許嫁にしたのだろうかとの気持ちが頭をよぎる程度にはナイーブな高校男子である。
次に綾乃を家で下すといよいよ別れが迫ってきた実感が湧いてくる。これは飛雄だけではなく三人に共通した気持ちだった。例えオマケだとしても飛雄にとって八早月と会える数少ない機会、来ないと言う選択肢はない。
それだけに飛雄は、なにも出来ない自分の情けなさを恥じているのだ。ホームまでやって来てもまだ何の行動も起こさず声をかけることすらできないでいても、刻一刻と電車の時間は迫ってくる。
だがここで意を決したように大きく深呼吸をして八早月へと向き合おうと立ち上がった飛雄の目に映ったのは、離れていく八早月と零愛の後姿だった。がっくりと肩を落としまた待合室の椅子へと腰かけた。
「まったく情けねえ、オレはなんてヘタレなんだ、一言二言伝えるだけだろが。
楽しかったとかありがとうとか、また会いに来るとか言えるだろうに……」
「そうですよ、飛雄さん、今回は来てくれてありがとうございました。
これ、お勧めの温かいミルクティーを買ってきましたから飲んでくださいね。
次はまた私が行こうと思ってますが、すぐ行けるかどうかはわかりません。
来週はちょっと忙しいと思うので……」
「なんだ! もう戻って来てたのか、紅茶ありがとうな。
オレも楽しかったよ、うまいこと時間作って話せなくて悪かったけどさ。
焦らずにいたいとは思うんだけど、やっぱ離れてるのって不安なもんだなあ」
「ふふ、その通りですね、離れていると恋仲は成り立たないと考えていました。
それはやはりそうかもしれませんが、会いたいと思う気持ちが強くなるかなと。
今は少しだけそんな風に感じているのですよ」
飛雄はこの言葉に感極まり、熱いものが込み上げてくるとはこう言う事かと涙をこらえる。もっと男として成長していたなら自分からもうまい言葉がかけられただろうし、抱きしめることもできただろう。そんなことを考えていたその時――
突然八早月が飛雄に抱きついてきた。さすがに映画やドラマのようにキスシーンとはならないが、戸惑って鼓動を早めるには十分な行動である。初めて女子に抱きつかれた飛雄は当然平常心ではいられない。
一つ想像と異なっていたのは、まるで近所の野球小僧のような骨ばった八早月の感触と、あばらが折れるんじゃないかと恐怖心さえ覚えるほど強烈に締め付けてくる鍛え上げられた両腕だった。
「や、八早月、またすぐ会えるよな、オレも出来るだけ来るからさ」
「はい、お慕い申し上げておりますよ、飛雄さん―――― あの?
―― こういう時はキスすべきなのでしょうか? でも人前ですし……」
「なっ! いやいいって、まだ早いよ、多分…… そのうち、そのうちにな」
飛雄の視界には姉の零愛も入っていたが珍しく後ろを向いている。どうやらあの傲慢な暴力女子にも、配慮と言う概念はあるらしいと飛雄は感心していた。だが実は抱きつけと八早月をけしかけたのは零愛であり、後ろを向きながらもスマホのカメラでちゃんと様子を確認していた。この様子はもちろん後ほど皆のつまみになるのである。
やがて電車はやってきて二人を連れ去って行った。後に残された八早月は少し寂しそうである。発車する電車の中からその姿を見ながら手を振る飛雄は『今のオレってちょっとポエマーでキモかったな』と反省しきりである。
「トビ、随分と寂しそうじゃないか、まあ当たり前だとは思うけどさ。
ちゃんと八早月のことが好きだってわかって良かっただろ? 向こうもね」
「なんだよ、気持ち悪いな、いつもみたいに冷やかさないのかよ。
どうせなんか企んでるんだろうけどさ、でも来て良かったぜ、許嫁だもんなあ」
「はっ、アツいアツい、ごちそうさま過ぎてムカついてきた。
この写真を野球部の連中にばらまいてやっかなー」
「おい! いつの間に撮ったんだよ! 珍しく覗いてないって感心してたのに!
ふざけんな、消せよ! はやく、こらっ! よこせ!」
「うるさいよトビ、しっ、しー」
数は少ないが他にも乗客のいる車内で二人の騒ぐ声は目立ちすぎた。視線に痛みを感じた姉弟がようやく黙ると車内に静けさが戻ってくる。それは櫛田家の庭のような静けさではないが、ガタンゴトンと定期的なリズムを奏でる電車の音と揺れがいつしか眠気を誘っていた。
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