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第十二章 弥生(三月)
365.三月三十日 昼下がり はんぺん
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あまりに説教をし過ぎてのどがカラカラになっていた八早月は、目の前に運ばれてきた麦茶を受け取るとひと息で飲み干した。それを見て驚きはしたものの、黙って受け取りもう一杯汲みにいく飛雄である。
「ねえ零愛さん、飛雄君ってもしかしてちょっと抜けてる?
それともデリカシーにかけるのかな? 今までは気遣い凄いって思ってたのになあ」
「綾はいいとこに目を付けたな。あいつはっきり言ってバカだぞ。
一言多いって言うのがピッタリなのかもしれないけどさ。
ウチや母ちゃんからそれで良く怒られてるのわかってないもん」
「でもそれって八早月ちゃんとも似てるよね、考えなしになんでも言っちゃうの。
違ってるのは面と向かって怒る人がいるかどうかなのかくらいの違い?
まあ八早月ちゃんも遠まわしに叱られて、私たちごとフリースペース追い出されちゃうんだけどね」
「あーね、アタシ何度も止めようとしたけど間に合わないんだよねえ。
大体が声大きいから無理なんだけどさ」
友人たちがそんなことを話しているのは百も承知な八早月だ。それにすでに飛雄に腹を立てているわけでもない。そのことがわかっているはずなのにこうして気を使って上げ膳据え膳してくれる飛雄を見るのが楽しいのである。
そんな若者たちを眺めながら、こちらでは年配組がお茶をすすりながらおにぎりを頬張っていた。船から降りると一杯やるのが癖になっている磯吉だが、今日は陸上担当だったので酒はお預けで、弟の雄二郎が飲んでいるのを指を咥えて見ていることしかできない。
「すいませんねえ、私が一緒に行って車を置いてきてもらえば良かったですが。
自分が飲まないもんで、どうものそのあたりに気が回らないんです」
「いやいや皆を乗せて来てもらっているだけで十分ですから気にせずに。
それに雄二郎はともかくオレが飲んでたら櫛田のお嬢に申し訳ねえが。
元はといやあ、お鳥さまを引き上げとかなかったのが大失態でしょ」
「お嬢は神様が絡むとそりゃもうおっかないですからな。
ご飯粒残したとか畳の縁踏んだとかそんなでも本気でお叱り受けますから。
でもいつもは本当にお優しい方なんですよ、いつも気を使ってくれましてね。
たかが運転手なのに家族のように大事にしてもらってありがたい限りです」
これは板倉の本音だった。もちろん雇い主は親友の九遠寄時なのだが、今はほとんどの時間を八早月のために使っている。そんな寄時も姉で八早月の母である手繰も、そしてもちろん父親の道八も総じて人がいい。よくもまあ今まで誰にも騙されず生きてこられたものだと心配するほどである。
寄時に雇われる前までの板倉にとって、人の縁は利害の繋がりあってこそだったから余計にそう思うのだろう。実はそう多くもない、車に乗るだけで食っていかれる人種であったからこそ周囲に集まっていた彼女や仲間たちだった。だから事故での引退で全てを失うとあっという間に消えて行ったのだし、今では何の繋がりもなく縁が切れてしまった。
だが八早月なぞは、今や運転しか能のない板倉から運転を取りあげてまで休みを取らせる始末だ。さらに言えばその友人たちもその親たちも、八早月の信頼する運転手だからというだけで全幅の信頼を寄せてくれている。これもひとえに八早月の人間性があればこその導きに違いないと板倉は考えているのだ。
それだけに、もう終わったはずだった自分の人生を、今後は櫛田家と九遠家のために捧げると誓いを立てている。ただ一つその予定が狂ったのは、夢路の従妹である山本小鈴との出会いだった。
切っ掛けは八早月に無理強いされた見合いだったものの、お互いに車が好きだとわかって意気投合し、ドライブやカーミーティング等々へ出かけ、短い付き合いながらすでに多くの時間を共に過ごしてしまった。そうなると子供でもない仲の良い男女が行き着く先は、まあまあ決まったパターンとなるわけだ。
はたしていつまで続くやらと考えてはいるものの、竹を割ったようなサバサバした性格でありながら、いざという時にはしっかり甘えてくるところが板倉好みの小鈴なのである。そんなこともあって自分から離れることは出来そうになく、十一も若い小鈴の目が覚めるまでは今の関係を続け、それ以上の関係に発展するようなら腹をくくろう、などと考えていた。
板倉が若いうちに結婚でもしていたなら、すでに中学生くらいの子供がいたかもしれない。とうにそんな中年なわけで、これから小鈴との間にさらなる何かが起きると考えるのはいささかずうずうしいと話ではあるが、かといって彼女の年齢的にも覚悟や責任を持たずに関係を続けていいはずもない。
そんなことを考えながら子供たちを眺めていた板倉の元へ、突如飛雄が駆け寄ってきた。その向こうでは八早月が大口を開けて笑っている。
「あの板倉さん、ちょっとリベンジに行きませんか?
叔父さんの車に竿が積んであったから磯でちょちょいと」
飛雄はそう言いながら竿をしゃくるような仕草を見せた。リベンジと聞くと血が騒ぐ板倉である。なんせ元レーサーなのだから勝負にはこだわる性質だし負けん気は強い。だが昨晩はまともに投げることすらできずに餌木を五、六本無くしてしまったので返答に詰まってしまった。
「えっと、心配しなくても大丈夫、今度は餌を使って浮き釣りなので簡単です。
昨日みたいに強く投げたりしなくていいんでコツだけ掴めたらいけますから!」
「まあなにも無くさずにリベンジ出来るならやってみましょうかね。
さすがに二度の失態はお嬢に逆さ吊りでもされそうですから気を引き締めないと」
「それじゃ行きましょうか、下まで運転お願いしてもいいですか?
車の中に救命胴衣も入ってますから心配ありませんよ」
「私もそれほど泳ぎは得意じゃないので助かります、ではご指南よろしく。
いやあ早々にリベンジのチャンスが来るなんてツイてるツイてる」
こうして磯吉の軽トラへ乗り込んだ気の合う二人はリベンジのため、八早月に笑われながらも昼飯に用意されていた『はんぺん』を握りしめ、すぐ下の磯へと戻っていった。
「ねえ零愛さん、飛雄君ってもしかしてちょっと抜けてる?
それともデリカシーにかけるのかな? 今までは気遣い凄いって思ってたのになあ」
「綾はいいとこに目を付けたな。あいつはっきり言ってバカだぞ。
一言多いって言うのがピッタリなのかもしれないけどさ。
ウチや母ちゃんからそれで良く怒られてるのわかってないもん」
「でもそれって八早月ちゃんとも似てるよね、考えなしになんでも言っちゃうの。
違ってるのは面と向かって怒る人がいるかどうかなのかくらいの違い?
まあ八早月ちゃんも遠まわしに叱られて、私たちごとフリースペース追い出されちゃうんだけどね」
「あーね、アタシ何度も止めようとしたけど間に合わないんだよねえ。
大体が声大きいから無理なんだけどさ」
友人たちがそんなことを話しているのは百も承知な八早月だ。それにすでに飛雄に腹を立てているわけでもない。そのことがわかっているはずなのにこうして気を使って上げ膳据え膳してくれる飛雄を見るのが楽しいのである。
そんな若者たちを眺めながら、こちらでは年配組がお茶をすすりながらおにぎりを頬張っていた。船から降りると一杯やるのが癖になっている磯吉だが、今日は陸上担当だったので酒はお預けで、弟の雄二郎が飲んでいるのを指を咥えて見ていることしかできない。
「すいませんねえ、私が一緒に行って車を置いてきてもらえば良かったですが。
自分が飲まないもんで、どうものそのあたりに気が回らないんです」
「いやいや皆を乗せて来てもらっているだけで十分ですから気にせずに。
それに雄二郎はともかくオレが飲んでたら櫛田のお嬢に申し訳ねえが。
元はといやあ、お鳥さまを引き上げとかなかったのが大失態でしょ」
「お嬢は神様が絡むとそりゃもうおっかないですからな。
ご飯粒残したとか畳の縁踏んだとかそんなでも本気でお叱り受けますから。
でもいつもは本当にお優しい方なんですよ、いつも気を使ってくれましてね。
たかが運転手なのに家族のように大事にしてもらってありがたい限りです」
これは板倉の本音だった。もちろん雇い主は親友の九遠寄時なのだが、今はほとんどの時間を八早月のために使っている。そんな寄時も姉で八早月の母である手繰も、そしてもちろん父親の道八も総じて人がいい。よくもまあ今まで誰にも騙されず生きてこられたものだと心配するほどである。
寄時に雇われる前までの板倉にとって、人の縁は利害の繋がりあってこそだったから余計にそう思うのだろう。実はそう多くもない、車に乗るだけで食っていかれる人種であったからこそ周囲に集まっていた彼女や仲間たちだった。だから事故での引退で全てを失うとあっという間に消えて行ったのだし、今では何の繋がりもなく縁が切れてしまった。
だが八早月なぞは、今や運転しか能のない板倉から運転を取りあげてまで休みを取らせる始末だ。さらに言えばその友人たちもその親たちも、八早月の信頼する運転手だからというだけで全幅の信頼を寄せてくれている。これもひとえに八早月の人間性があればこその導きに違いないと板倉は考えているのだ。
それだけに、もう終わったはずだった自分の人生を、今後は櫛田家と九遠家のために捧げると誓いを立てている。ただ一つその予定が狂ったのは、夢路の従妹である山本小鈴との出会いだった。
切っ掛けは八早月に無理強いされた見合いだったものの、お互いに車が好きだとわかって意気投合し、ドライブやカーミーティング等々へ出かけ、短い付き合いながらすでに多くの時間を共に過ごしてしまった。そうなると子供でもない仲の良い男女が行き着く先は、まあまあ決まったパターンとなるわけだ。
はたしていつまで続くやらと考えてはいるものの、竹を割ったようなサバサバした性格でありながら、いざという時にはしっかり甘えてくるところが板倉好みの小鈴なのである。そんなこともあって自分から離れることは出来そうになく、十一も若い小鈴の目が覚めるまでは今の関係を続け、それ以上の関係に発展するようなら腹をくくろう、などと考えていた。
板倉が若いうちに結婚でもしていたなら、すでに中学生くらいの子供がいたかもしれない。とうにそんな中年なわけで、これから小鈴との間にさらなる何かが起きると考えるのはいささかずうずうしいと話ではあるが、かといって彼女の年齢的にも覚悟や責任を持たずに関係を続けていいはずもない。
そんなことを考えながら子供たちを眺めていた板倉の元へ、突如飛雄が駆け寄ってきた。その向こうでは八早月が大口を開けて笑っている。
「あの板倉さん、ちょっとリベンジに行きませんか?
叔父さんの車に竿が積んであったから磯でちょちょいと」
飛雄はそう言いながら竿をしゃくるような仕草を見せた。リベンジと聞くと血が騒ぐ板倉である。なんせ元レーサーなのだから勝負にはこだわる性質だし負けん気は強い。だが昨晩はまともに投げることすらできずに餌木を五、六本無くしてしまったので返答に詰まってしまった。
「えっと、心配しなくても大丈夫、今度は餌を使って浮き釣りなので簡単です。
昨日みたいに強く投げたりしなくていいんでコツだけ掴めたらいけますから!」
「まあなにも無くさずにリベンジ出来るならやってみましょうかね。
さすがに二度の失態はお嬢に逆さ吊りでもされそうですから気を引き締めないと」
「それじゃ行きましょうか、下まで運転お願いしてもいいですか?
車の中に救命胴衣も入ってますから心配ありませんよ」
「私もそれほど泳ぎは得意じゃないので助かります、ではご指南よろしく。
いやあ早々にリベンジのチャンスが来るなんてツイてるツイてる」
こうして磯吉の軽トラへ乗り込んだ気の合う二人はリベンジのため、八早月に笑われながらも昼飯に用意されていた『はんぺん』を握りしめ、すぐ下の磯へと戻っていった。
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