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第8話:心の距離
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あの日、アルディスの部屋で彼の過去の痛みに触れてから、私たちの間を流れる空気は甘く、そして密やかな熱を帯びるようになった。
言葉を交わさなくても、視線が合うだけで互いの想いが伝わる。
彼が淹れてくれる朝の紅茶。書庫で本を読む私の隣に、いつの間にか座っている彼。どちらからともなく、指先が偶然触れ合う。
そのたびに、心臓が甘く跳ねた。
「過保護な護衛」と「守られる魔導士」という関係はとうに崩れ去り、私たちはゆっくりと、しかし確実に、恋人未満のその先へと歩みを進めていた。
そんな変化が、最も顕著に表れたのは、隣国の王太子を歓迎するために開かれた夜会の席だった。
最強魔導士として正式に認められ始めた私は、もはや離宮に隠れているだけの存在ではない。
国王陛下の隣に立つことを許され、多くの貴族たちからの注目を一身に浴びていた。
「素晴らしい魔力をお持ちだと伺っております、魔導士殿」
「この前の魔物討伐、見事なご活躍でしたな」
次々と挨拶に訪れる貴族たちに、私は愛想笑いを浮かべて応対する。
その間、アルディスは少し離れた壁際に立ち、氷のような無表情で私を見守っていた。
だが、その完璧な仮面の下で、彼の独占欲が静かに燃えているのを、私は肌で感じていた。
やがて、一人の若い騎士が私の前に進み出て、恭しく手を差し出した。
「もしよろしければ、一曲お相手いただけませんか」
金色の髪に、人の好さそうな笑顔。断る理由も見当たらず、私が「ええ、喜んで」と答えようとした、その時だった。
「失礼。彼女は少し疲れているようだ」
低い声と共に、差し出された騎士の手に、別の手が重なった。
アルディスの、長い指が美しい手だ。
彼は騎士の手を静かに、しかし有無を言わさぬ力で押し返すと、私の手首を掴んだ。
「っ……アルディス!?」
「少し、風にあたろう」
彼はそれだけを言うと、周囲の戸惑う視線など気にも留めず、私を連れて人のいない月明かりのバルコニーへと向かった。
冷たい夜風が、火照った頬に心地よい。
「……どうして、あんなことを」
私が文句を言うと、彼は掴んでいた私の手首を解放し、代わりに両腕で私をバルコニーの欄干へと追い詰めた。逃げ場はない。
「なぜ、あの男の誘いを受けたのですか」
彼の声は、嫉妬の色で硬く尖っていた。
「ただの挨拶よ。あなただって、さっきから色々な令嬢に囲まれていたじゃない」
私が少し意地悪く言い返すと、彼の蒼い瞳が、危険な光を帯びて揺らめいた。
「俺が他の誰と話していようと、俺の目はあなたしか見ていない。……だが、あなたは違った」
「え……?」
「あなたは、あの男を見て、笑っていた」
次の瞬間、彼の顔が近づき、唇が激しく奪われた。
それは、額への祈りのようなキスでも、囁きのような告白でもない。嫉妬と独占欲に燃える、雄の牙のような、情熱的な口づけだった。
角度を変え、何度も貪るように求められる。
彼の舌が私の唇をこじ開け、侵入してくる。
思考が痺れ、息が苦しい。彼のものだと主張するように、私の全てを味わい尽くそうとする彼の欲に身体の芯が蕩けてしまいそうだった。
長い、長いキスの後、ようやく解放された私の唇は、彼の熱で腫れているかのようだった。
「……他の男に、あんな顔を見せるな」
荒い息の中、彼は私の耳元で唸るように囁く。
「あなたのその笑顔も、戸惑う顔も、……涙も、声も。その全てが、俺だけのものだ」
そのあまりにまっすぐな独占欲に、恐怖ではなく、どうしようもないほどの愛しさが込み上げてくる。
私は震える腕を伸ばし、彼の首に回した。
「……あなたのものよ、アルディス」
見つめ返して、はっきりと告げる。
「最初から、ずっと。私はあなたのもの」
その言葉が、彼の最後の理性を焼き切ったのかもしれない。
彼は再び私を激しく求め、今度は私のドレスの肩紐に指をかけた。
ひやりとした夜気と共に、私の肩が露わになる。彼はそこに、まるで印を刻むかのように、熱い唇を押し当てた。
「あっ……!」
吸い付かれ、軽く歯を立てられ、甘い痛みが全身を駆け巡る。私の肌に、彼だけの証が、赤い花のように咲いた。
これ以上は、いけない。場所が場所だ。
けれど、心が、身体が、彼をもっと求めている。
「アルディス……」
私が彼の名を呼ぶと、彼ははっと我に返ったように動きを止め、乱れた私のドレスをそっと直してくれた。その指先には、まだ名残惜しそうな熱が宿っている。
「……戻りましょう。皆が、心配します」
そう言って差し出された彼の手を、私は強く握り返した。
もう、私たちの間に距離はない。
王城の喧騒の中へ戻った時、私たちを見る周囲の目が変わったことに気づいた。
嫉妬や牽制の視線は消え、代わりに畏敬と、諦めのような空気が漂っている。
言葉にしなくても、私たちの絆は、誰の目にも明らかだった。
私は、王国最強の騎士の隣で、誇らしげに微笑んだ。この人の隣こそが、私のいるべき場所なのだから。
言葉を交わさなくても、視線が合うだけで互いの想いが伝わる。
彼が淹れてくれる朝の紅茶。書庫で本を読む私の隣に、いつの間にか座っている彼。どちらからともなく、指先が偶然触れ合う。
そのたびに、心臓が甘く跳ねた。
「過保護な護衛」と「守られる魔導士」という関係はとうに崩れ去り、私たちはゆっくりと、しかし確実に、恋人未満のその先へと歩みを進めていた。
そんな変化が、最も顕著に表れたのは、隣国の王太子を歓迎するために開かれた夜会の席だった。
最強魔導士として正式に認められ始めた私は、もはや離宮に隠れているだけの存在ではない。
国王陛下の隣に立つことを許され、多くの貴族たちからの注目を一身に浴びていた。
「素晴らしい魔力をお持ちだと伺っております、魔導士殿」
「この前の魔物討伐、見事なご活躍でしたな」
次々と挨拶に訪れる貴族たちに、私は愛想笑いを浮かべて応対する。
その間、アルディスは少し離れた壁際に立ち、氷のような無表情で私を見守っていた。
だが、その完璧な仮面の下で、彼の独占欲が静かに燃えているのを、私は肌で感じていた。
やがて、一人の若い騎士が私の前に進み出て、恭しく手を差し出した。
「もしよろしければ、一曲お相手いただけませんか」
金色の髪に、人の好さそうな笑顔。断る理由も見当たらず、私が「ええ、喜んで」と答えようとした、その時だった。
「失礼。彼女は少し疲れているようだ」
低い声と共に、差し出された騎士の手に、別の手が重なった。
アルディスの、長い指が美しい手だ。
彼は騎士の手を静かに、しかし有無を言わさぬ力で押し返すと、私の手首を掴んだ。
「っ……アルディス!?」
「少し、風にあたろう」
彼はそれだけを言うと、周囲の戸惑う視線など気にも留めず、私を連れて人のいない月明かりのバルコニーへと向かった。
冷たい夜風が、火照った頬に心地よい。
「……どうして、あんなことを」
私が文句を言うと、彼は掴んでいた私の手首を解放し、代わりに両腕で私をバルコニーの欄干へと追い詰めた。逃げ場はない。
「なぜ、あの男の誘いを受けたのですか」
彼の声は、嫉妬の色で硬く尖っていた。
「ただの挨拶よ。あなただって、さっきから色々な令嬢に囲まれていたじゃない」
私が少し意地悪く言い返すと、彼の蒼い瞳が、危険な光を帯びて揺らめいた。
「俺が他の誰と話していようと、俺の目はあなたしか見ていない。……だが、あなたは違った」
「え……?」
「あなたは、あの男を見て、笑っていた」
次の瞬間、彼の顔が近づき、唇が激しく奪われた。
それは、額への祈りのようなキスでも、囁きのような告白でもない。嫉妬と独占欲に燃える、雄の牙のような、情熱的な口づけだった。
角度を変え、何度も貪るように求められる。
彼の舌が私の唇をこじ開け、侵入してくる。
思考が痺れ、息が苦しい。彼のものだと主張するように、私の全てを味わい尽くそうとする彼の欲に身体の芯が蕩けてしまいそうだった。
長い、長いキスの後、ようやく解放された私の唇は、彼の熱で腫れているかのようだった。
「……他の男に、あんな顔を見せるな」
荒い息の中、彼は私の耳元で唸るように囁く。
「あなたのその笑顔も、戸惑う顔も、……涙も、声も。その全てが、俺だけのものだ」
そのあまりにまっすぐな独占欲に、恐怖ではなく、どうしようもないほどの愛しさが込み上げてくる。
私は震える腕を伸ばし、彼の首に回した。
「……あなたのものよ、アルディス」
見つめ返して、はっきりと告げる。
「最初から、ずっと。私はあなたのもの」
その言葉が、彼の最後の理性を焼き切ったのかもしれない。
彼は再び私を激しく求め、今度は私のドレスの肩紐に指をかけた。
ひやりとした夜気と共に、私の肩が露わになる。彼はそこに、まるで印を刻むかのように、熱い唇を押し当てた。
「あっ……!」
吸い付かれ、軽く歯を立てられ、甘い痛みが全身を駆け巡る。私の肌に、彼だけの証が、赤い花のように咲いた。
これ以上は、いけない。場所が場所だ。
けれど、心が、身体が、彼をもっと求めている。
「アルディス……」
私が彼の名を呼ぶと、彼ははっと我に返ったように動きを止め、乱れた私のドレスをそっと直してくれた。その指先には、まだ名残惜しそうな熱が宿っている。
「……戻りましょう。皆が、心配します」
そう言って差し出された彼の手を、私は強く握り返した。
もう、私たちの間に距離はない。
王城の喧騒の中へ戻った時、私たちを見る周囲の目が変わったことに気づいた。
嫉妬や牽制の視線は消え、代わりに畏敬と、諦めのような空気が漂っている。
言葉にしなくても、私たちの絆は、誰の目にも明らかだった。
私は、王国最強の騎士の隣で、誇らしげに微笑んだ。この人の隣こそが、私のいるべき場所なのだから。
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