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19話 知られたくないんです
しおりを挟む突然の抱擁に、透の心臓は激しく鼓動する。グレイドの腕に包まれた瞬間、首の赤い跡のことを考える余裕はなくなってしまった。
(ここに来る時より、距離が近い気がする……)
馬がゆっくりと歩み始め、二人は静かに王国へと帰路についた。王国に到着すると、門の前でアデルが待っていた。彼は柔らかな笑顔で出迎える。
「二人とも、お疲れ様!」
グレイドは軽くうなずくと、馬から降りてアデルに言った。
「アデル、俺はこれから報告に行くから、透を家まで送ってやってほしい」
アデルは快く承諾し、透を振り返った。
「いいよ。行こうか、透くん」
透がアデルについていこうとすると、グレイドが呼び止める。
「透、今回の件……本当に感謝している。報酬は、後日改めて渡す」
「いえ、僕は何も役に立てなかったのに、報酬なんていただけません……」
慌てる透にグレイドは優しく首を振り、微笑んだ。
「透のおかげで魔物を倒せたんだ。君がいてくれて、本当に良かった」
憧れのグレイドに、こんなにも真っ直ぐに感謝の言葉を伝えられ、透は心臓が高鳴るのを感じた。嬉しさと照れくささが入り混じり、思わず目を伏せる。
「……僕の方こそ、ありがとうございました」
透は別れの挨拶を告げ、グレイドは二人の背中を静かに見送る。アデルが指を鳴らすと、紫色の光が二人を包み込み、次の瞬間には見慣れた透の家の前にテレポートしていた。
「……着いたよ! またね、透くん」
アデルは軽く手を振ると、すぐに王国へ戻ろうとした。しかし、透は引き留めるように彼の服の裾を掴んだ。
「アデルさん、人魚の涙がどこにあるか知ってますか?」
その真剣な眼差しに、アデルは首を傾げた。
「人魚の涙? 聞いたことはないけど、人魚なら玻璃の海にいるよ」
透はそれを聞いて、決意に満ちた顔で言った。
「……僕はこれから、玻璃の海に行きます」
そして、少し考えた後、透はアデルに真剣な顔でお願いした。
「あの、グレイドさんには言わないでください」
「なんで? 内緒にする理由があるの?」
驚くアデルに、透は頬をほんのり染め、口ごもりながら言った。
「エリクサーを作りたいって、知られたくないんです……」
アデルはすべてを理解したかのように、くすりと笑った。
「分かった。言わないよ」
アデルはそう言って、透に微笑み、指を鳴らした。紫色の光が彼の体を包み込み、次の瞬間には、風に溶けるように消えていた。
王国に戻ってきたアデルが、軽やかな足取りで鼻歌を歌いながら歩いていると、グレイドが厳しい表情で誰かを捕らえているのが見えた。面白そうだと思ったアデルは、声をかける。
「グレイド先輩、何してるの?」
アデルの声に、グレイドはゆっくりと振り返った。彼の目は、まるで氷のように冷たく、アデルは怖くて一瞬息をのむ。
「……透は無事に家に帰ったか?」
「うん、今、送ってきたよ……その人は?」
グレイドは再び、背後の男に冷たい視線を向けた。そして、男を縛り上げていたロープを強く引き、地面に投げつける。男は、無造作に地面に転がった。
「彼は、魔物が出現した際、透を置いて逃げ出した」
グレイドの低い声は、深い怒りを帯びていた。地面に転がされた男は、縄で縛られた手足をばたつかせながら、不満げな声を上げた。
「私はヒーラーだ! 危険な状況から逃げて何が悪い!」
その言葉に、グレイドは眉をひそめ、有無を言わせぬ口調で話を続けた。
「お前が魔物の前に、透を突き飛ばしたのを目撃した者がいる」
それを聞いたヒーラーの男は、顔から血の気が引いていくのがわかった。まさか見られているとは夢にも思っていなかったのだろう。
男は汗をかきながら、視線を泳がせた。グレイドの瞳には軽蔑の念が宿っていた。
「ヒーラーだろうと関係ない。仲間を捨てて逃げる小心者は、騎士団には不要だ」
低く響く声に、場の空気が一瞬で凍りついた。グレイドは冷ややかに男を見下ろす。ほんのわずかな沈黙の後、淡々と告げた。
「明日からは、貧民街の医療隊に行け」
冷たい宣告が、まるで刃のように、男の胸に突き刺さった。彼の顔は青ざめ、目には恐怖の色が浮かんでいる。
貧民街は、王国の中でも最も治安が悪く、野蛮な人間しかいないと噂される場所だ。そこへ送られることは、死を意味すると言っても過言ではない。
「許してください、騎士団長! あんな場所に行ったら、本当に死んでしまう……!」
男は涙を流しながら許しを乞うが、グレイドは何も言わず、無表情で見下ろした。その冷酷な視線に、男の懇願の声はかき消されていく。
グレイドは、ヒーラーの身柄を通りかかった他の騎士に任せると、そのまま無言で自分の執務室へと歩き去った。
彼の背中が遠ざかるにつれ、アデルは足元に広がる氷霜に気づいた。それは、グレイドが立っていた場所を中心に、まるで彼の怒りが具現化したかのように、静かに、そして冷たく広がっていた。
「はは、グレイド先輩、かなり怒ってるな……」
アデルは、その氷を踏まないようにそっと避けて歩きながら、グレイドの深い怒りと、透に対する特別な感情の大きさを改めて感じていた。
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