魔法務省の過労令嬢と残業嫌いな冷徹監査官の契約からはじまる溺愛改革

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第一部:氷の監査官

第7話 監査官の食事

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カイン様の徹底した管理生活が始まって、数日。
決まった時間に起床し、決まった時間に眠る。そして、決まった時間に、無機質な塊を摂取する。私の心はまだ、あの涙の夜と指輪の謎を巡る混乱の中にあったが、体だけは驚くほど規則正しく、まるで精密な機械のように動いていた。

その「食事」が、私にとって新たな試練だった。
時間になるとカイン様が支給するのは、栄養バランスだけを完璧に計算された、灰色のペースト状栄養食。味も、香りも、食感もない。ただ、生命を維持するためだけに存在する、燃料。

(これが、食事……?)

王都での過労の日々ですら、侍女が用意してくれたパンの香ばしさや、スープの温かさは覚えていた。それに比べて、これは。一口ごとに、私が人間ではなくただの「サンプル」なのだと思い知らされる、味気ない作業。心が、乾いていく。

三日目の昼食。私は目の前の灰色の塊を前に、とうとう我慢の限界を迎えた。このままでは、心が先に飢えて死んでしまう。
私は、勇気を振り絞ることにした。

その日の夕方、私は週に一度まとめて支給される食材の箱を手に、カイン様の前に立っていた。心臓が、早鐘のように鳴っている。彼に何かを提案するなど、初めてのことだった。

「あの、もしよろしければ、私が作っても……よろしいでしょうか?」

執務机で報告書に目を通していた彼は、顔を上げずに「作る、とは?」とだけ問い返す。

「お食事です。いただいた食材を使って、スープを」

私の言葉に、彼のペンがぴたりと止まった。静寂が落ちる。眼鏡の奥の灰色の瞳が、じっと私を見つめる。その無感情な視線に体が竦みそうになるが、私は必死に言葉を続けた。

「もちろん、栄養素の計算は……できる限り……」

「栄養素さえ満たせば問題ない」

私の言葉を遮り、彼はあっさりと許可を出した。その視線はもう手元の書類に戻っている。
「調理という工程が、君の精神状態にどう影響を及ぼすか。興味深いデータが取れそうだ」と、いつもの調子で付け加えながら。

許可を得た私は、小さな家の簡素な厨房に立った。
箱の中には、新鮮な野菜と数種類のハーブ、そして干し肉。土のついた人参を手に取ると、忘れていた感覚が指先に蘇る。
トントン、と野菜を刻む軽やかな音。鍋で水を温め、ハーブを入れると、ふわりと優しい香りが立ち上る。その香りを吸い込むだけで、ささくれ立っていた心が、少しだけ満たされていくようだった。これは、私のための、ささやかな反逆。

私は、母から教わった、心身を癒す効果のあるスープを作った。
具沢山の、温かいスープ。

湯気が立ち上るそれを食卓に運ぶと、がらんとしていた部屋が、初めて「家」のように感じられた。

カイン様は、私が作ったスープを前にしても、表情一つ変えなかった。
彼はスプーンを手に取ると、まるで薬品を分析するかのように、一口、静かに口に運ぶ。そして、その動きが、ほんのわずかに、止まった。

(……どう、だろうか)

私は、固唾を飲んで彼の反応を見守った。
しかし、彼は味について一切言及しない。ただ黙々と、しかし最後まで綺麗にスープを食べ終えると、おもむろに口を開いた。

「……このスープの成分データを提出しろ」

やっぱり、そうか。
この人にとって、食事もデータでしかないのだ。私が少しだけ期待してしまったのが、馬鹿みたいだ。胸の奥が、ちくりと痛む。

そう、絶望しかけた時だった。
彼の眉間にいつも刻まれている深いしわが、ほんの少しだけ和らいでいることに、私は気づいたのだ。ほんの些細な、他の誰にも気づかれないような変化。だが、それは彼の鉄の仮面がわずかに緩んだ、確かな証拠だった。
言葉では「データ」を求める彼も、体は正直なのだ。

氷の悪魔と呼ばれ、全てを管理する完璧な監査官様の、あまりにも人間的な、そして少しだけ愛おしい弱点。
なんだか、おかしくて。私は初めて、彼の前で、恐怖以外の感情を抱いた。

彼の冷たい言葉の裏にある、体の正直な反応。
私は初めて、この氷の監査官を「分析すべき対象」として、興味深く見つめ始めた。
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