魔法務省の過労令嬢と残業嫌いな冷徹監査官の契約からはじまる溺愛改革

YY

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終章:黄金色の未来

第95話 慰霊碑の前で

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大停電事故から、十一年目の秋が訪れた。
空は高く澄み渡り、王都の街路樹は、赤や黄金色にその葉を染め上げている。街は、新しい時代の穏やかな活気に満ちていたが、その日だけは、国全体が静かな祈りの空気に包まれていた。

カイン様は、その日の朝、私に「一緒に行ってほしい場所がある」とだけ告げた。
私たちが向かったのは、王都中央慰霊公園。
かつて、オーブリー魔法大臣が、私を断罪するためのデモンストレーションの舞台として選んだ、あの因縁の場所だった。けれど、今、私の心に恐怖はなかった。ただ、彼の隣を歩く、その一歩一歩の重みを、静かに感じていただけだった。

公園の中は、静寂に満ちていた。
色づいた落ち葉が、風に吹かれてカサカサと音を立てる。多くの人々が、花束を手に、静かに祈りを捧げていた。誰もが、十年前のあの日に、大切な誰かを失ったのだろう。その、声なき悲しみが、秋の冷たい空気の中に、溶けているようだった。

やがて、私たちは公園の中央にたどり着く。
そこには、天を突くかのように、巨大な黒御影石の慰霊碑が、静かに佇んでいた。その磨き上げられた表面には、あの事故で亡くなった、何百という人々の名前が、銀色の文字でびっしりと刻まれている。
その夥しい名前の羅列を前に、私は、言葉を失った。この一つ一つの名前に、それぞれの人生が、未来が、そして愛する家族がいたのだ。その事実の重みが、ずしりと私の胸にのしかかる。

カイン様は、その慰霊碑の前に立つと、ゆっくりと、その白い手袋を外した。
そして、素肌になった指先で、慰霊碑の一番上に刻まれた、一つの名前を、そっと、慈しむように、なぞった。

『エレナ』

彼の、守れなかった光。
彼の時間を、十年もの間、止めていた、その人の名前。
私は、息を殺して、彼の背中を見守っていた。

彼は、しばらくの間、その名前に指を触れたまま、動かなかった。
やがて、彼は、私に語りかけるように、しかし、その視線は過去の記憶に向けられたまま、静かに口を開いた。その声にはもう、かつて私が聞いた、自分を苛むような苦悶の色はなかった。

「彼女は、太陽のような人だった」
彼の声は、遠い過去を懐かしむ、静かで、少しだけ寂しげな響きを帯びていた。
「いつも笑っていて、誰にでも優しくて、そして、誰よりも強かった。私は、そんな彼女の隣にいることが、当たり前の未来なのだと、信じて疑わなかった」

彼は、エレナという女性の思い出を、一つ一つ、丁寧に言葉にしていく。
彼女が好きだった花の色。彼女が苦手だった食べ物。そして、二人で語り合った、他愛ない未来の夢。
それはもう、彼を苛む悪夢の断片ではなかった。彼の人生を形作った、かけがえのない、大切な宝物として、その言葉は紡がれていく。

「私は、彼女を守れなかった。データに囚われ、彼女の心の叫びを聞くことができなかった。その事実は、決して消えることはない。この先も、私が背負い続けていく、私の罪だ」

私は、ただ黙って、彼の言葉に耳を傾けていた。
どんな慰めの言葉も、この神聖な告白の前では、無粋に思えたから。

やがて、彼は、その視線を時計から外し、ゆっくりと私に向けた。
その瞳は、どこまでも澄み渡り、そして、穏やかな光に満ちていた。
彼は、私の頬にそっと触れると、慈しむように、優しく微笑んだ。

「彼女が守りたかった未来は、きっと、君のような人が、心から笑っている未来だったのだろう」

その言葉は、彼の、十年間の苦しみに下された、彼自身の赦しの言葉だった。
彼はもはや、過去の罪悪感に囚われてはいない。エレナの死を無駄にせず、彼女が願ったであろう未来を、私の隣で、これから創り上げていこうとしている。その、あまりにも深く、あまりにも優しい決意に、私の瞳から、温かい涙が、一筋、こぼれ落ちた。

そして、彼は、私の目の前で、一つの儀式を始めた。
白い手袋に包まれた指先が、銀の竜頭に、そっと触れる。
ゆっくりと、しかし確かな力で、その竜頭が回されていく。
古びた機械の、軋むような、微かな音。

カチリ。

静寂に満ちた温室に、その小さな、しかし世界が変わるような音が、響き渡った。
十年もの間、沈黙を守り続けていた秒針が、微かに、一度だけ震える。
そして。

カチ、カチ、カチ……。

再び、時を刻み始めたのだ。
その、規則正しい音は、まるで彼の心臓が、もう一度、正常に鼓動を始めたかのように、私の胸に、温かく、そして力強く響いた。

彼は、もう一度時を刻み始めた時計を、名残を惜しむように一度だけ見つめると、その蓋を静かに閉じ、そして、懐の奥深くへとしまった。
もう、彼がこの時計を、人前で見ることはないだろう。

彼は、私に向き直った。
その顔は、私がこれまで見たこともないほど、晴れやかで、穏やかで、そして自由に満ちていた。過去という重い鎖から、完全に解き放たれた、一人の男の顔。

「ありがとう、アリア」
彼は、私の涙を、その指先で優しく拭うと、静かに、こう言った。

「そして、さようなら、過去の私」

私たちは、新しい時を刻み始めた未来を、この秘密の温室で、共に見つめていた。
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