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心霊探偵はエレガントに〜karma〜
逢魔が時/1
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穏やかな春風が軽快なワルツを踊る。遠くで半円を描く地平線。誰もが感嘆してしまう景色。
ついさっきまではそうだった。何もかもが正常に動いていた。
だが今は吹く風はどこまでも冷たい。真綿のふりをして鎖のように重々しく、体にまとわりつくよう。
頭上に広がる空は、西のほうにオレンジ色の綺麗な夕映が広がるが、東へ目を向けると、闇が禍々しく侵食し始めていた。
――逢魔が時。
昼と夜が交差する夕暮れ時には、人ではないものが現れると言う。
命あるものが生きる現世。
死後の世界である常世。
ふたつをつなぐ扉が開く時間帯。いつ、怪奇や心霊現象が起きてもおかしくはない。
油断を少しでもすれば、色濃く現れた影――空間の歪みに囚われてしまいそうな山道。
この世と完全に引き離された闇へと押しやられてしまう。孤独と恐怖が待ち受ける不吉と化した時分。おどろおどろしい霊界への口がばっくり空いていそうだった。
引き込まれたら最期。正気な世界へと二度と戻れないように、知らぬ間にこぎ出す死出の旅路。その波止場にすでに立っているかもしれない。戦戦慄慄。
隣にある山の背に、昼の象徴である太陽が進軍してきた夜に、威力を奪われたように追いやられてゆく。
影は最高潮に長くなり、ふたつの急いでいるそれが、乾いた土の上で無防備にゆらゆらと伸びていた。
身を引き裂くような風は、谷底へと誘い込むように狂臭を放つ。
前を歩いていた、登山服を着た男が少しだけ振り返った。
「気をつけろよ」
「えぇ」
男のあとから恐る恐るついてくる女の眼下には、黒い海のように見える雑木林が、はるか下で強風に煽られていた。
一歩一歩慎重に足を踏み出すたびに、山肌を小石が転がり落ちてゆく。地獄の底よりも深くへ堕ちてゆくような断崖絶壁。
ハイキングコースで転落用の柵があったが、夕闇に怯えているようで、役に立たないみたいだった。
日が落ちてしまえば、転落の危険性は高まる。と判断するのは当然だ。男と女は夜がやってくる前に、急いで下山しようとしていた。
崖と反対側ではうっそうとした雑木林がざわめき立てる。少し前までは陽気な旋律を奏でていた、鳥のさえずりも不自然なほど身を潜めていた。
ふたりが通るたび、小石が落下の一途をたどる絶壁からは十分距離を開けて、男と女は登山口を目指す。
「そこ、滑りやすいからな」
「えぇ」
ガラス細工のような繊細で美しい花が根元から抜かれ、男の背負うリュックのサイドポケットに囚われの身になっていた。
風向きは谷から雑木林へと追いやるように吹いていた。落ちるはずのない歩き方。
だがしかし――
突然何の前触れもなく、真正面から後ろへ地面を削り取るように、砂埃をともなって、烈風がふたりの間を駆け抜けていった。
風圧で足を踏み出すのが困難になり、女は砂が目に入り思わずつむった。
「っ!」
その時だった――
待っていたと言うように、右肩を後ろから強くつかまれたのは。
「え……?」
女は自分の体が背後へ傾いた気がした。しかし、自分たち以外の気配はなく、誰もいないはず。
それでもおかしいと思った彼女は、後ろへゆっくり振り返った――
ところが人どころか虫一匹もいなかった。上りのハイキングコースが広がるだけ。
「変ね……?」
首を傾げて前へ向こうとした。
けれども――
何かに引っかかったように、女の足がふともつれた。足元に段差があるわけでも、石が転がっているでもない。
それなのに、誰かに足首をつかまれたように、地面の端――谷底へあっという間に引きずり込まれ、
「きゃぁぁぁぁっっ!!!!」
あちこちの山肌に、女の悲鳴がガラスの破片が突き刺さったように響き渡った。男はビクッとして、素早く後ろへ振り返る。
「なっ!?!?」
そこには、転落防止柵の隙間から身を半分、断崖絶壁に乗り出している女の姿があった。
「真里っ!!」
今度は男が女の名を呼ぶ声が、山中にこだました。慌てて走り寄り、男は女に手を伸ばしたが、かすかに触れただけで無情にもすり抜けた。
「真里ーーーーっっ!!!!」
男の悲鳴があちこちの山々で弾け散って、女という白い花びらがひとつ、谷底へ無残に、何の声を出すこともなく落ちていった――
ついさっきまではそうだった。何もかもが正常に動いていた。
だが今は吹く風はどこまでも冷たい。真綿のふりをして鎖のように重々しく、体にまとわりつくよう。
頭上に広がる空は、西のほうにオレンジ色の綺麗な夕映が広がるが、東へ目を向けると、闇が禍々しく侵食し始めていた。
――逢魔が時。
昼と夜が交差する夕暮れ時には、人ではないものが現れると言う。
命あるものが生きる現世。
死後の世界である常世。
ふたつをつなぐ扉が開く時間帯。いつ、怪奇や心霊現象が起きてもおかしくはない。
油断を少しでもすれば、色濃く現れた影――空間の歪みに囚われてしまいそうな山道。
この世と完全に引き離された闇へと押しやられてしまう。孤独と恐怖が待ち受ける不吉と化した時分。おどろおどろしい霊界への口がばっくり空いていそうだった。
引き込まれたら最期。正気な世界へと二度と戻れないように、知らぬ間にこぎ出す死出の旅路。その波止場にすでに立っているかもしれない。戦戦慄慄。
隣にある山の背に、昼の象徴である太陽が進軍してきた夜に、威力を奪われたように追いやられてゆく。
影は最高潮に長くなり、ふたつの急いでいるそれが、乾いた土の上で無防備にゆらゆらと伸びていた。
身を引き裂くような風は、谷底へと誘い込むように狂臭を放つ。
前を歩いていた、登山服を着た男が少しだけ振り返った。
「気をつけろよ」
「えぇ」
男のあとから恐る恐るついてくる女の眼下には、黒い海のように見える雑木林が、はるか下で強風に煽られていた。
一歩一歩慎重に足を踏み出すたびに、山肌を小石が転がり落ちてゆく。地獄の底よりも深くへ堕ちてゆくような断崖絶壁。
ハイキングコースで転落用の柵があったが、夕闇に怯えているようで、役に立たないみたいだった。
日が落ちてしまえば、転落の危険性は高まる。と判断するのは当然だ。男と女は夜がやってくる前に、急いで下山しようとしていた。
崖と反対側ではうっそうとした雑木林がざわめき立てる。少し前までは陽気な旋律を奏でていた、鳥のさえずりも不自然なほど身を潜めていた。
ふたりが通るたび、小石が落下の一途をたどる絶壁からは十分距離を開けて、男と女は登山口を目指す。
「そこ、滑りやすいからな」
「えぇ」
ガラス細工のような繊細で美しい花が根元から抜かれ、男の背負うリュックのサイドポケットに囚われの身になっていた。
風向きは谷から雑木林へと追いやるように吹いていた。落ちるはずのない歩き方。
だがしかし――
突然何の前触れもなく、真正面から後ろへ地面を削り取るように、砂埃をともなって、烈風がふたりの間を駆け抜けていった。
風圧で足を踏み出すのが困難になり、女は砂が目に入り思わずつむった。
「っ!」
その時だった――
待っていたと言うように、右肩を後ろから強くつかまれたのは。
「え……?」
女は自分の体が背後へ傾いた気がした。しかし、自分たち以外の気配はなく、誰もいないはず。
それでもおかしいと思った彼女は、後ろへゆっくり振り返った――
ところが人どころか虫一匹もいなかった。上りのハイキングコースが広がるだけ。
「変ね……?」
首を傾げて前へ向こうとした。
けれども――
何かに引っかかったように、女の足がふともつれた。足元に段差があるわけでも、石が転がっているでもない。
それなのに、誰かに足首をつかまれたように、地面の端――谷底へあっという間に引きずり込まれ、
「きゃぁぁぁぁっっ!!!!」
あちこちの山肌に、女の悲鳴がガラスの破片が突き刺さったように響き渡った。男はビクッとして、素早く後ろへ振り返る。
「なっ!?!?」
そこには、転落防止柵の隙間から身を半分、断崖絶壁に乗り出している女の姿があった。
「真里っ!!」
今度は男が女の名を呼ぶ声が、山中にこだました。慌てて走り寄り、男は女に手を伸ばしたが、かすかに触れただけで無情にもすり抜けた。
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男の悲鳴があちこちの山々で弾け散って、女という白い花びらがひとつ、谷底へ無残に、何の声を出すこともなく落ちていった――
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