エンシェントドラゴンは隠れ住みたい

冬之ゆたんぽ

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隠れ家――アンフェールとグレン4

グレンと求めていた黄金

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 グレンはいつもの様に大岩に腰かけている。
 ここは離宮の森の高台。隅っこの方とはいえ、弟が住む離宮が見えるのだ。
 今の所、その隅っこで人を見かけたことは無い。
 使用人が少ないのだろうか。弟が不便な暮らしをしていたらどうしよう。
 そんな風にここ五年心配し通しだった。

 風が通り抜けていく。
 何もかも奪い去ってくれたらいいのに、と考えてしまう程、グレンの心は重く淀んでいる。

 アンフェールが消えてしまって三か月。
 大切な親友を思い慕う感情は何も変わらない。
 会いたい。笑顔が見たい。声が聞きたい。触れて抱き締めて、彼の甘やかな匂いを胸いっぱいに嗅ぎたい。
 アンフェールが『いつも見守っている』と言っていたから、何とかしゃんとして頑張れただけで、気を抜くとポッキリ折れそうな状態でいる。
 とても不安定だ。

 あれから何度も隠れ家に続く道を探したけれど見つからない。
 五年、通い慣れた道だったのに。
 アンフェールが消失したことによって、隠れ家も消失してしまったんだろうか。あの家も、幻のような儚いものだったんだろうか。

 寂しい。
 グレンは胸にぽっかり大穴が開いたかのような、喪失感を味わっていた。



 物語の精霊は植物のようなイメージだ。
 芽吹き、枯れ、そして季節が廻れば再び芽吹くような。
 誕生と消失を絶えず繰り返している。
 精霊にも位があって、中位精霊になると誕生から消失までの期間はかなり長い。高位精霊になると永遠に近いほどの期間、存在していられる。
 そんな風に描かれている。
 これが精霊の正しい情報なのか、物語を紡ぐ者たちのフィクションとしても共通認識なのかは分からない。

 ただ、そう。
 思い返してみればアンフェールの様子は最近ずっとおかしかった。
 魔力循環をすれば、力なくグッタリする事も多かった。あれは精霊として弱っていたのだろうか。

(私の魔力は五年でかなり強くなった。計測ではもう父を超え、ここ五代の王よりも強いと。
 魔力循環は『治療』だとアンフェールは言っていたが……。本当に治療だったんだろうか。
 こんな治療があるなんて聞いた事が無いし、書庫の主に聞いてみたがそんな記述の本は無いと言われてしまった)

 グレンはぐっと眉を寄せる。
 嫌な考えが過ぎる。

(私のこの魔力は、アンフェールの力を奪って得たものじゃないのか? アンフェール程の凄い精霊が消えてしまったのだ。あり得る事だ。
 私が魔力が欲しいといったから……その望みを無理して叶えてくれたんじゃないだろうか。アンフェールはビックリするくらい私に対して優しかったから……)

 それは最近、ずっと考えていた事だった。
 嫌な考えに取りつかれていると、真実でないことがいかにも真実であるかのように心の隅々に広がっていく。
 アンフェールが消えてしまった原因は、自身にあるのではないかと、グレンは己を責めるようになっていた。
 元々自罰的な思考に陥りやすいのだ。

(最後の日……性行為に似た事をアンフェールは求めてきた。あれだって、私がずっと心の内で求めていた事だ。
 閨係と致す時も、魔力循環の後自己処理するときも、私はずっと……あの小さく美しい精霊を犯すような、汚らわしい妄想をしていたじゃないか。
 それが伝わってしまったんじゃないのか?
 だから、最後に望みをかなえてくれたんじゃないのか?
 あんな……私の妄想のままのような酷い言葉を彼に吐かせて。私は――……!)

 その酷い言葉はアンフェールが自発的にしていたことだ。しかも、心の内ではもっと薄汚い言葉を吐いていたという事実をグレンは知らない。
 グレンの中ではアンフェールは穢れない精霊のままだ。

 しかも失って三か月、さらに美化されてしまっている。

 弟と会いたくても会えない、友達もいない、力も弱いグレンを森の心霊が憐れみ、アンフェールを遣わしてくれたのではないかと。
 だから弟のような姿で、友達になり、力をくれたのではないかと。
 そんな神聖で美しい存在として昇華されてしまっている。
 アンフェールはグレンに欲しいものを与え、見返り無しに消えてしまったのだから、そう言う考えに至るのも仕方が無い事だった。
 


 グレンがそんな嫌な考えをグルグル巡らせていると、眼前を小さな影が通り抜けていった。

「クピィ!」

 グレンは目を見開く。
 それは最初にグレンをアンフェールの元に導いてくれた『タンジェント』だった。
 アンフェールが『友達』と呼び、肩に乗せていた赤い飛竜だ。
 そのタンジェントが悠々と離宮に向かって飛んでいく。

「タンジェント!」

 思わずグレンは叫んでしまった。
 タンジェントがいる。それはアンフェールが確かにいたという事の証明ではないのか。
 最近はアンフェールの存在があまりに都合が良すぎて、長い夢――というよりも妄想に憑りつかれていたのではないのかと思う瞬間すらあったのだ。

 タンジェントが向かったのは離宮だ。
 そこに、人影が見えた。
 五年見続けて初めての事だった。
 グレンは驚愕する。


「アンフェール――……!!!」


 正確には精霊アンフェールではない。


 そこにいたのは神々しい程に美しい少年だった。
 うねる黄金の髪は背の中ほどまであり、それが風に踊っている。空色の宝石のような瞳はグレンの愛した精霊とまったく同じ色をしていた。
 タンジェントはそのまま少年の肩に止まり、身体を擦り付けている。
 あの動作は飛竜の親愛表現だと、グレンは最愛の精霊から教えてもらった。


(あれが、私の弟――……)


 グレンはずっと、精霊アンフェールが自分と同じように歳を重ね、成長してくれたらどれだけ良いだろう、と思っていた。
 己が老いても、精霊はずっと幼子のままなのだ。
 どれだけ愛しても同じ世界にいない事を時の流れが残酷に証明してしまう。

 今、見えているのは同じ世界にいる、同じ時間を生きている、グレンが求めていた家族おとうとだった。

(どうしてタンジェントが? いや、しかし、そうか。ここまで似ているとは。出会った頃のアンフェールが順当に成長したら、こういう姿だろう、という姿をしている……)

 その、美しい弟がグレンの方を向いた。
 弟は年齢にしては背が高い様だ。
 成人女性と同程度の背丈だろうか。女神を思わせる美貌なのは年齢的に二次性徴が始まっていないからだろう。

(目が合ってしまった。向こうも、私を認識してくれただろうか。……ああ、不審者だと思われたらどうしよう)


 その時、強い風が吹いた。
 グレンは思わず目をつぶる。
 風が止み、再び目を開けると、そこに弟の姿はなかった。


 グレンは頬を抓った。


(夢……だったのか? 確かにこの距離で弟があそこに立っていたとして、顔を視認出来る程見えるはずが無いのだ。先程はハッキリと顔が見えたのだ。それこそ、目の前にいるみたいに)

 グレンは暗い考えに憑りつかれ、思い悩むあまり、都合のいい夢を見てしまったのでは? と思い込んでしまう。
 この大岩の上で、居眠りをしたのではないかと。
 想い人の成長した姿を、夢に見たのではないかと。

 落ち込み、俯くグレンの頭が急に重くなる。
 岩場に翼を広げた影が映る。
 グレンの頭の上に飛竜が乗っていた。

「クピィ!」
「タンジェント……」

 タンジェントはグレンの肩に止まり直し、クピクピと何か喋っている。
 しかしグレンは飛竜の言葉が分からないので、何を言っているかは分からなかった。
 しびれを切らした様子のタンジェントはグレンの前に飛び降り、しきりに脚を見せてくる。そこには紙が巻き付けてあった。
 色合いを見ると白色が強く、城で使われている紙のようだった。
 それを解き、丁寧に開いていく。

 紙には文字が書いてあった。
 手紙だ。



『丘の上の貴方へ

 いつも丘の上にいらっしゃる貴方の、元気がない様子が心配です。ムーゲの葉で作ったお茶をお飲みになって下さい。』



 美しい筆致だった。
 ほんの一言だけの手紙。それでも差出人が弟だと分かってしまった。

 グレンは弟が離宮に入ってからずっとこの丘に通っていた。ここから弟の姿を確認できたことは無かったのに。
 『いつも』と言っている。彼の方はずっとグレンを認識していたのだろうか。
 しかもグレンの様子の変化に気付き心配してくれている。
 なんて優しいんだろう。
 ムーゲの葉のお茶は閨係のロビンがよく淹れてくれる。弟が保護された五番街の教会で愛飲されているお茶だ。
 リラックス効果があるらしく、寝しなに飲むと安眠できるらしい。

 これだけの短い文章で、伝わってくる事がたくさんある。
 ここに通って、弟を想う時間は無駄ではなかった。弟はグレンの姿を見ていてくれていたのだ。

 グレンは心が温かくなった。
 夢かと思った一瞬の弟との逢瀬も、夢じゃないのだ。
 今まで姿を見せなかった弟が、姿を見せてくれたのは、グレンを心配してくれたからなのだ。

 『何でこんなに離れた場所にいるのに、目の前にいるかの様に弟の姿が見えたのか』については、深く考えるのを止めた。
 この森には不思議が一杯だ。
 なんと言ってもアンフェールが生まれた森なのだ。
 そう言う事もあるのだ。
 グレンはポジティブに考えることにした。

 グレンは荷物から紙と筆記具を出した。
 そこに走り書きのように筆を走らせる。丁寧に書いて筆跡ですぐグレンだと分かられてはいけない。あそこにはミセス・ガーベラがいるのだ。



『優しいきみへ

 ありがとう。きみのおかげで久しぶりによく眠れそうだ』



 一言だけ。
 お礼を一言だけでも返したかった。
 手紙の差出人を知られてはいけない。これくらいなら気付かれる事も無いだろう。
 
「タンジェント、弟に手紙を届けてくれないだろうか」

 そう頼むとタンジェントは「クピィ!」と元気よく鳴いた。
 いいよ、と言ってくれているようだった。
 タンジェントの脚に手紙を巻き付ける。タンジェントは「クピッ」っと声を出した。行ってくるね、といった感じだろうか。
 離宮に向かって飛んでいく。


 グレンは城に戻ってからも何度も弟の手紙を読み返した。
 読み返すほどの長さでは無いけれど、文字を目でなぞるだけで、なんとも言えないフワフワした気持ちが込み上げてくるのだ。
 家族に対する親愛の情というのは、これ程甘やかで幸せなものなのかと驚いてしまった。

 早く会いたい。
 二年経ったら好きなだけ弟に会えるだろうか。




 ――それから二年。

 ヴィシュニア女王ベロニカが退位し、王太子グレングリーズが新国王に即位した。
 二十四歳の若き国王の誕生だった。


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