人気アイドルだって、普通に恋して嫉妬もする男性ですから ~短編集~

はなたろう

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〈ジュンの話〉僕と猫 (後編)

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「ねえ」

僕は静かに口を開いた。

柔らかく微笑んでいるはずなのに、その声は低く、冷たさすら帯びている。


「ここで僕らが出会ったことは、内緒だよ」


僕は、小指の先を口元に当ててウインクする。

それは僕がライブ中に、ファンに向ける決めポーズだ。まさか、間近で見れると思ってもみなかっただろう。


「……は、はい!」 


興奮が入り混じり、震える声で返事をされた。


「素直でいい子だね。僕は、言うことを聞ける子が好きだよ」


囁くような声に、ふたりの顔が同時に赤く染まった。


ファンの子を手懐けるなんて、猫よりよっぽど簡単だよ。


足元でキジトラの猫が、キョトンと見上げているのが、なんだか面白かった。


会計をしようとカウンターに向かうと、突然、ジンが僕の目の前に飛び乗ってきた。

腕の中でゴロゴロと喉を鳴らす。


「お別れのご挨拶ですね」


カウンター越しに、スタッフが話しかけてきた。

ネームプレートには『店長 猫田』と、書いてある。


「ジンがこんな風に懐くなんて、めずらしです」


彼女はそう言いながら、レジの下から、小さな袋を取り出した。


「これ、よかったらどうぞ」


中には、ジンのアクリルスタンドだった。

大あくびをしているジンの写真。僕はアイドルで撮られる側だから、その写真がよく撮れていることは、すぐにわかった。カメラマンも、デザイナーも、ジンの魅力をちゃんと、理解しているのだろう。

猫の愛らしさが最大限に引き出されていた。


「まだ試作品ですが、猫たちのグッズを作る予定なんです。この子の代わりに、連れて帰ってあげてください」

「推し活、みたいですね」


彼女はくすりと笑う。

透き通るような肌に、大きな瞳。彼女は僕をまっすぐに見つめ、穏やかに微笑んでいた。


「猫田店長って、本名ですか?」


僕の唐突な言葉に、彼女は少しだけ目を見開いた。


「だって、猫カフェの店長が『猫田』だなんて、偶然とは思えない」

「ふふ、そうですか」


イタズラな笑顔。僕は久しぶりにドキッとした。


「内緒です」


彼女はそう言って、小指の先を口元に当ててウインクをした。


「ご来店、ありがとうございました」


再び穏やかな笑顔に戻った。

その姿は、まるで気まぐれに僕に近づき、そしてすぐに離れていく猫のようだ。いつか、彼女も僕のゲームに巻き込んでみたい。


「また、来ます」


その言葉に、キョトンとした。


「でも、今日が最後ですよね」

「え?」

「あ、いえ。それでは、またのお越しをお待ちしています」


ジンは僕の腕からから、カウンターの上に飛び移と、ニャアと鳴いた。


そうか。猫田店長は気づいていたのか。

今夜の公演が千秋楽で、僕がもうここには来ないことを。

彼女は、僕をアイドルとして見るのではなく、ただの一人の客として接してくれた。

そのことが、僕にとって新鮮で、心地よかった。彼女の穏やかな眼差しに、僕の心の奥底に眠っていた何かが、そっと触れられたような気がした。




稽古場に戻ると、なぜかケイタいた。


「やっほー、お邪魔してるよ」

「ケイタ、今日は地方ロケじゃなかったの?」

「予定より早く終わったから、ジュンの舞台を見に来たんだ」


笑顔で駆け寄ってきた。子犬が尻尾を振っているように、ケイタがまとわりついてくる。


「本番前にどこ行ってたの?」

「内緒」

「えーー、ひどい、教えてよ」

「こら、もうすぐ本番だから」


僕はそう言って、彼の頭を軽く叩いた。まるで、戯れる猫をあしらうように。


「なんかいいことでもあったのか?」


ケイタは勘がいい。彼の言葉に、僕は少しだけ表情を緩めた。


「まぁ、少しね」


僕はそう言って、メイクをし始める。


鏡に映る自分の顔は、いつものクールなアイドル「ジュン様」の顔だ。猫カフェで僕が見せた、素の顔はどこにもない。

僕という人間を覆う、完璧な仮面だ。この仮面を被っている限り、僕は無敵でいられる。誰にも、僕の心の中を覗くことはできない。


舞台に立つと、照明に照らされ、観客の視線が僕に突き刺さる。僕の歌声は、彼らの心に響き、僕のダンスは、彼らの心を魅了する。


そうして、千秋楽は無事に幕を下ろした。



帰宅した僕はバッグを置くと、ふと手に触れたものがあった。

猫のアクリルスタンド――ジンの写真入りだ。


あの猫カフェの温かい空気、膝の上でゴロゴロ鳴いたジン、
そしてあの猫田店長の穏やかな瞳が、頭の片隅に浮かぶ。

――また、行こう。


ジンに会いに、そしてあのスタッフに。

そんな自分の心に気づき、静かに微笑んだ。
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