ねぇ、これ誰かわかる?

三嶋トウカ

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3月

第32話:想定外の訪問者_1

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「んえっ?」

 私は驚いて、思わず素っ頓狂な声を上げた。

「だって……ノート見せてもらったでしょう? そこに手紙も載ってたじゃない? 二種類」
「う、うん。このあいだのバレンタインのと、手帳に挟んであったやつ」
「そっちの手帳のほうよ。それって、一昨年のモノでしょう? そのときその、今日の子はもう会社にいたの?」
「え、まだ、かな。今年度の入社だから」
「もっと前から知り合ってた可能性あるの?」
「今日聞いた話だと、入社してすぐって……」
「それだと、時期が合わないもの。おかしいじゃない? 入社してすぐの関係なら、入社前は知らなかったことになるんだから。……文字、比べてみた?」
「……ううん。そんなことまでしてない」
「見てみなさい。ちゃんと。お母さんの思い違いかもしれないし。……まだ、あなたは冷静じゃないでしょ?」

 まだ父は帰ってこない。家に帰ったら、家じゅうひっくり返してでも、今の私に必要なものを集めるつもりだった。でも先に、すべきことができてしまった。

 手紙の文字を見比べること。よく見比べてみたら、文体は違っていた。手帳に挟んであった手紙は【あおくん】と呼んでいたのに対し、バレンタインに萌乃さんからもらった手紙は最初は弓削係長と呼んで、手紙の本文では【あおとさん】と呼んでいた。語尾も少し違うし、筆跡も違った。もっとちゃんとよく見ればよかった。最初から。しっかり見れば違うとわかるのに、私は見ていなかった。なんだかんだ、証拠を集めるつもりで、浮気をしていない証拠のほうを探していたのかもしれない。信じたくなくて。

「違うね、手紙の主……」
「そしたらふたりと浮気してたってことよね? はぁぁ……息子じゃなくて良かったわ……」
「今は息子だよ。まだ結婚してるもん」
「養子に入れたわけじゃないんだから違うわよ」
「……ごめんねお母さん」
「なんで謝るの? さ、やれることやるわよ? クローゼットの荷物はまとめて良いのよね?」
「うん。……でも、ムキになられると困るから、ごっそりは持って行かないつもりなの。長引いても嫌だから、離婚まで」
「それもそうね。……本当に今日は帰ってこないのかしら?」
「一応チェックしておく? まだGPSついてるし。……向こうが気が付いてなかったらだけど」
「……普通は気が付くだろうけど、履歴載ってたし。ノートの中身は? 見たのかしら?」
「あの人は見てない。萌乃さんのほうは見てたけど」

 私はアプリでGPSの居所を確認した。萌乃さんの家から変わってはいない。まだ移動していないのが怖い。彼女から連絡もないし、大丈夫だとは思うが。

「まだ萌乃さんのマンションみたいだよ。捨ててなければ」

 捨てていないことを願うが、さすがに気付かれてもおかしくない。でもそれは気にしないことにして、私は再度集めた証拠を見比べた。手紙以外にも、なにか怪しいものが見つかるかもしれない。……怪しいと言えば全部怪しいのだが、今探すのは『萌乃さん以外の誰かとも浮気していたかもしれない証拠』だ。

「こんな言いかたしちゃいけないけど、なんでもっとバレないようにしなかったのかしら……」

 母が呟く。それは私も聞きたい。私が真面目に浮気を疑って調べ始めたら、こんなふうに証拠は集まってしまった。GPSも警戒することなくつけっぱなしにしてくれたし、怪しんでくれと言わんばかりに家には帰らず連絡もしない。バレンタインというイベント事でもらったチョコレートを、義理となる他の人の物が混じっているとはいえ、妻である私にお返しを選ばせる。共同貯金の口座を空っぽにして、お金を使い果たす――隠しているぶんもあるかもしれないが。こんな状態で、気付かないほうがおかしいのかもしれない。
 ……だが、実際のところ、私は言われるまで気が付かなかった。全力で見逃していたのだ。底をついた貯金にも帰宅の遅さにも、あからさまな他の女性の存在にも気が付かなかったのだから、チョロいと思ってだんだん大胆になっていったのかもしれない。あんなに家に帰ってこず、連絡も寄こさなかったら、誰だって不安に思う。

「私もさ、気が付いてなかったんだもん。全然。忙しくて残業で帰りも遅くなるのは仕方ないと思ってたし、会議やお客さんとの打ち合わせで外出してたら、連絡もしづらいと思ってたし。だからしょうがないよなって。……そもそも、私も興味持たなくなってたのかな……あの人にね。……よくわかんないや。……はぁぁ……あっ?」

 私は証拠を見比べながら、怪しいと思って残しておいたレシートを、時系列でまとめいたのだが。これは、明らかにおかしい。萌乃さんとは恐らく、去年……今年度のハロウィンにテーマパークへ行っているが、もうひとつの手紙を見ると一昨年、前年度のクリスマスにテーマパークへ行っている。手紙を見れば別人なのは明らかだし、私は自分で思ったじゃないか。『結婚して半年も経たないうちに浮気していたのか』と。

 あの人は、弓削蒼飛はふたりと浮気していた……浮気しているのだ。ひとりは小鳥遊萌乃。もうひとりは――まだ、わからない。だが、こちらのほうが期間が長いことは確かだ。たまたま見つけた証拠で確認できたのが、あのクリスマスの旅行だっただけで、もっとずっと前から浮気をしていたかもしれないし、下手したら結婚する前――まだ私とあの人が付き合っているときからもうそういう関係で、結婚しても続いていたのかもしれない。『かもしれない』ばかりだが、今ならどんな妄想だって推測だって簡単にできてしまう。

「おかあさん、あのね」
「なに?」
「私の集めたGPSの履歴見たらわかると思うんだけど。火木土日は萌乃さんの家には行ってないんだよね」
「じゃあ、そこで会ってる人が、ふたり目の浮気相手なんじゃあないの?」
「やっぱりそうなるよね。……こっちが本命なのかなぁ……週四で会うって、随分思い入れあるよね」
「んん……友達と会っていたり、ひとりで出かけている可能性もあるけど。今のこの状態じゃあ、そっちの可能性は薄いって思うわよね」
「……だよね。全部萌乃さんに使ってないんだったら、お金もあるわけだし。もうひとりくらい、これだけ妻のこと蔑ろにしてたら、余裕で付き合えちゃうよね」
「シオ……」
「ふたりだよ? ふたり。浮気相手が。結婚すべきじゃなくない? いや、もし私と付き合ってる段階だったとしても、おかしいんだけどね? なんで私と結婚したんだろ。年齢的に焦ってたのかな? 結婚したほうが箔が付くとか? 取引先や上司と話が合うとか? ……あー、既婚者がモテるって言うのを、自ら証明してみたくなった、みたいな? 不倫が燃えるのかなぁ。『ふたりのあいだにどんな障害があっても、自分たちは諦めない!』とか、そんなの」
「そんなことは、考えないほうが良いわよ。浮気する人はどんな状況だってするんだし、しない人はしないんだから。目を瞑って家庭を守れればいい人もいれば、自分も浮気してお互いさまにする人もいる。世の中には、浮気相手を問い詰めて、慰謝料をお小遣いにする人もいるって言うのよ? ……そんな人、本当に存在してるのかしら……? とにかく、今それを考えるのは、時間がもったいないわ。自分の将来のために、時間を使いなさい。つい考えてしまうのはわかるけど」
「どうせ問い詰めるならさ、こっちもギチギチに問い詰めたいじゃん」
「気持ちはわかるわよ。問い詰めるための、証拠をたくさん集めなさい。……証人でも良いんじゃない? いれば、だけれど」

 母の言うことはよくわかる。証拠や商人が無ければ、問い詰めても逃げられてしまう。無駄に別居期間が延びてもなぁなぁで済まされるかもしれないし、別居したあとの恋愛は、夫婦関係が破綻しているからと浮気として問えないかもしれない。そんな期間があれば、あの人は嬉々として女性と遊ぶだろう。誰にも責められず、堂々と遊ぶことができるのだから。

 父がこちらへ来るころには、もう随分と遅くなっていた。あの人はやってくることなく、GPSの位置は相変わらず萌乃さんを示していた。鍵がかかっていることを確認し、ドアチェーンもかける。帰ってきても、入ることはできない。気持ちを落ち着かせるために今日は寝ることにしたが、今日よりも明日のほうがずっと驚きに溢れていると、私は思いもしなかった。
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