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3月
第52話:いらっしゃい_2
しおりを挟む「今の私の意見に、反論があればご自由にどうぞ? どんな言い訳をしても、離婚することに変わりはありませんよ、もちろん慰謝料も請求しますし」
「は? 慰謝料?」
「い、いや、慰謝料は待ってくれシオちゃん。配偶者だぞ?」
「配偶者だからなんですか? 【元】配偶者になりますし、離婚しますし。お金使いこまれてるんで。なにに対しての慰謝料かわかってますよね?」
「だ、だが、その……」
「浮気の慰謝料に、生活費使い込みの慰謝料。それに、あ。浮気相手にももちろん請求しますからね。離婚すると、再構築したときよりも高い金額請求できるんで、もちろんそうしますね。私に対する暴言や生活を成り立たせようとしなかったことにも請求しますね。当然ですけど」
最初のみっつは請求できるだろうが、最後については調べていなかった。取り敢えず、吹っ掛けられるだけ吹っ掛けるつもりだ。
「逃げても大丈夫ですよ? 会社に内容証明送り付けるだけなんで。あと、浮気相手の家族あてに」
やり過ぎてはいけないのはわかっている。これは、この人を逃がさないために言っている。
――と、黙り込んだあの人と、うしろで青い顔をしてヒソヒソ話している義父母の回答を待っていると、不意にポケットのなかでスマホが鳴った。
(あ、砂苗ちゃん)
躊躇うことなくメッセージを開く。
(はぁぁ、なるほど。しれっと開けちゃって?)
そう砂苗ちゃんに返事をして、私は玄関の鍵を開けに行った。
「――おい、話してるときにどっか行くなんて失礼にもほどがあるだろ」
「浮気三昧で貯金すっからかんにしたうえで親に勝手に借金して貢いでるお前に言われたくないよ」
我ながら驚くほど冷たい声で返す。一息で。
お前、なんて、この人に初めて言った。そもそも人に向かってお前なんて普段言わない。
「諦めなよ。離婚は回避できないから」
「お前が……お前が黙ってれば……」
「どこまで自己本位なの? その歳で親に出てきてもらって、こんなことしてたって親にバレて、恥ずかしいって気持ち全然ないわけ?」
私はもう呆れている。呆れしかない。多分、この人以外この場にいる人間はみんなその気持ちだろう。さすがの義両親も。この人だけが、根拠のない自信でまだ私のことを、離婚の話をどうにかできると思い込んでいる。
ヴーヴヴ。ヴーヴヴ。
手に持ったままのスマホが震えた。通知には『行ったよ』と映し出されている。
私はスマホを握る手に思わず力を込めた。
ガチャガチャ――ガチャッ。キィィ――。
十秒も経たないうちに、家のドアが開いた。
「え? 誰か来て……?」
バタン!!
近づいてきた人影が、大きな音を立ててリビングのドアを続けて開く。
「……ぅ、あ……蒼飛! 蒼飛!!」
「げっ……奈七……」
明らかにあの人の顔色が変わった。悪い方向に。
「だ、誰?」
「私にもわからない」
戸惑うのは義両親で、私の両親はなんでもない顔をしている。
「ねぇ、なんで連絡してくれなかったの!?」
「い、いや、別に……。ちょ、ちょっと忙しくて……」
「何度も連絡したのに! ずっとずっと、ずーっと待ってたのに!」
「はぁ」
「こないだだって、やっと見つけたのに! すぐに行っちゃうから!!」
「はぁー……」
「ねぇ、なんで!?」
泣きながらそういう彼女に、私の姿は映っていないようだった。
(いやー、ナイスタイミングで来てくれたよ、奈七さん)
彼女は私が呼んだ。……いや、正確には手配した、だろうか。
奈七さんはずっとあの人のことを探していた。五百蔵さんから聞いていたのだ。『彼と連絡が付かなくなってしまった』ことを。どうやらあの人は奈七さんに家の詳細は伝えておらず、最寄りの駅だけ伝えていたらしく奈七さんはあの人を探してここへ来ることはできなかった。……のだが、それを逆手にとって、あの人がいるタイミングでこのマンションへ来られるよう、私が五百蔵さんにお願いしたのだ。奈七さんが五百蔵さんの元へ来るとき、このマンションに彼が住んでいることがわかるなにかを見せてほしいと。私はもうここに住まないから、困るのはあの人だけだ。奈七さんが会いたいというのなら、会わせてあげようじゃないかと思っただけである。結婚の話もあるのだから、早く進めるに越したことはないだろう。奈七さんは結婚の話を、私は離婚の話を。
危険じゃないかと五百蔵さんは心配してくれたが、私は今日でこの家を出る。長引いたりトラブルが起きたとて、実家かもしくは弁護士を窓口にするつもりでいるから、新しい家のことはあの人たちにはわからない。
奈七さんは思い通りの行動をしてくれて、まずマンションへ下見にやってきた。そこでたまたまあの人と遭遇したのだ。それは砂苗ちゃんが写真に残してくれている。でもそのあと、彼女はあの人に逃げられてしまったのだろう。――もうクズだ。ただのクズ。結婚の約束をしておきながら逃げるなんて。そのクズに会うために、今日も奈七さんはここへやってきた。きっと会えると信じて。
「なっ……だ、誰なんだね君は……」
「急に人の家に入ってくるなんて……」
ぽかんと口を開けて立っていた義両親が、ようやくその口を動かした。
「蒼飛? これ、誰?」
「はぁぁー……俺の親だよ」
「えっ? ご両親なの? じゃあアタシあいさつしなきゃ! 初めまして、お義父さん、お義母さん! アタシ、五百蔵奈七……じゃなかった、速水奈七です! 蒼飛さんと、お付き合いさせていただいています」
奈七さんは涙を拭って笑顔でそう言うと、ペコリと義両親に向かって頭を下げた。
「あーあ、子どものときは遊んだりしなかったもんね。ご両親のお顔、わからなかったなぁ」
「……君、今の状況がわかっていないのか……?」
「え? 状況……って?」
呆れた声だが、恐る恐る奈七さんに義父が問うた。
「初めまして五百蔵奈七さん。……あ、今はもう、旧姓に戻られてるんですよね。――改めまして、初めまして速水奈七さん。……アナタがお付き合いしている、弓削蒼飛の妻です。まだ、妻、です」
「え? は、初めまして。――え?」
奈七さんは私の顔とあの人の顔を見比べて、そのうしろに立っている親の顔も見て、ようやく自分がどこにやってきたのか気が付いたようだった。自分はただ、蒼飛を追いかけて蒼飛の家にやってきただけではない、と。この蒼飛の家では、私たち夫婦を中心に、なにか大事な話をしている途中だったのではないか――と。
「おふたりには、私からも紹介しておきますね? こちら、アナタたちの息子さんの浮気相手です。彼女が言ったように、まだ既婚者である息子さんとお付き合いしている速水奈七さん。先日まで苗字が違いましたが、もう既に離婚しているので、旧姓に戻ってるんですね」
「えっと……あの……」
妻である私が丁寧に紹介すると、急に不安になったのか奈七さんはあたりをキョロキョロと見回し始めた。彼女の味方は、ここには誰もいない。
「……君、いったいどうやって入って来たんだ?」
「てかお前、なんで俺の家知ってんだよ……」
「そ、それは……たまたまだもん……」
奈七さんは小さくなっている。入ってきたときと比べて、明らかに生気がない。まさか、元夫がたまたま家に置いていった、浮気の調査結果の弓削蒼飛の部分を、うっかり見てしまって住所を知った、なんて、彼女は言わないだろう。きっと。
どうやって入ってきたのか、手段は簡単だ。彼女に家を教えたのは私なのだから。今日来てくれるかは賭けだったが、来てくれた。そして、今日は暇をしていると言っていた砂苗ちゃんにお願いをした。『もし、マンションの下でウロウロしている女性がいたら、オートロックの扉を開けてなかに通してほしい』と。もちろん、間違いがないように、先日砂苗ちゃんが写真を撮った相手であることを伝え、五百蔵さんからもらった奈七さんの写真を砂苗ちゃんに送った。
面白いくらいに彼女は思い通りに動いてくれて、奈七さんは見事我が家へとやってきた。時間帯が同じなのだ、先日、彼女がクズと遭遇したときと。鍵が開いていたら勝手に入ってくるのでは? と思っていたら、それも大正解だった。今は自分の結婚相手を捕まえることしか見えていないだろうから、行動がわかりやすくて非常にありがたかった。奈七さんに、ほかに頼れる人がいるとは思えない。インターフォンが鳴ったら、私が開ければいいだけだったし、事前に私の両親には話してあったからその場合は協力してくれたと思う。……あとで協力してく砂苗ちゃんと五百蔵さんにはお礼をしなくては。
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